気配を包む
- By jin
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- Tagged with インスタレーション 油屋プロジェクト
- On 12 7月 | '2012
MRI検査を初めて受けた。昨年の秋に痛めた肩がなかなかよくならないので原因の消去法のために一応やってみましょうかということで。難しいところはよくわからないが磁器共鳴なんたらによる画像処理をするので放射線被爆がないという利点はあるのだが、撮影時の音が尋常ではなくうるさい。ま、医療検査のほとんどはそうだが軽い拷問ね。とはいっても身に覚えのある悪事もあのくらいならなんとか我慢して自白はしないが。いずれにしてもなかなか優れモノの装置ではあるのだろうがカラダを固定されて都合30分ほど騒音に苛まれるなか思ったのは、人の創り出す技術の中途半端さというか片手落ちな感じと言うか…。ヒトのカラダの中身を放射線被爆もなしに画像記録できるすばらしい技術を開発しながらただ音のみは軽減できない…夢のような膨大なエネルギーを生み出すことを可能にしながら単純な安全は確保できない…ちょっと飛躍して原発のことなどもつい考えてしまった。僕たちはそういった不完全さのなかで生きているのだなと。朦朧とするアタマのなかでそんなことを考えながら僕は検査室からでて、何度かは来ているこの病院で初めて方向感覚を失った。
いよいよ油や開業が直前に迫ってきました!7/21(土)GRAND OPENの書類一式300通以上を封入、関係各位に発送し、先日は館内にて記者会見(なんかスゴソーでしょ)。秘密の口福スペース蝙蝠のメインテーブルなどをすったもんだしながら制作しつつあたふたした日々なのです。昨日は沙庭企画のインスタレーション作家・佐藤比南子氏来館。本日から泊まり込みで制作に入り、ますます緊張感がたかまりつつありますね。*詳細はサイトをご覧ください。
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さて、そんな中。私事ですが(ま、当ブログそのものがワタクシゴトですけど)しばらく前からなんとなく…どーなんだろ…とか思いつつ始めてたFB。現在諸事情で私、閲覧・カキコミ出来ない状態です。要するに迷惑メール対策のため途中でメルアド変えてその後パスワード忘れてたことに気付き一旦ログアウトしたら入っていけなくなっちゃったってマヌケな始末。なので友達リクエストはじめ各お誘い等のアプローチに一切対応できませんのでゴメンナサイ。そのうち気が向いたらまた新しいFBアカウント取るかもですが、いつになることやら。FBは反応があって面白くはあるもののなんとなく自分に合うのかどうか???のままお試し期間で使用中でしたが、こんなこともあって自然の流れでしばしまたblogオンリーな感じになりそうです。なお、油やプロジェクト内では住み込み妖怪「油小僧」がパーソナルキャラになった多重人格FBの一人格として登場するかもです。そちらではまたよろしくということで。
自分のような凡夫は終わりなき永久(とわ)の夏を成長し続けてるということで、それはすなわち限りない未熟ということで。成長という言葉が適当でないなら変成の方が遠からずというわけで…って、そんなロジックをコネクリ回すほどに「オマエはバカか」と言葉を越えた人種からは言われているようで。しかしそう言われてもかえってドキドキしてワクワクしてちょっと嬉しかったりするわけで。で、そこまでくると変成というよりも、もはや変態に近いんかもしれないが、それでも凡夫は凡夫ナリにこの長過ぎる夏の始まる以前の記憶を必死に思い起こそうとしているわけさ。
そこで気がついたんだが霧の中でつかめそうなモノをジタバタ手探りするよりも、さっさと背を向けて真逆の方向へ今まで通り進むってのもアリかと。自分に一番遠いものって自分のすぐ後ろにあったりするでしょ…「だって地球は丸いんだもん!」
と、言いつつもたまに我慢できずに振り向いちゃったりするかもだけど。
それで結局考えてもどうしようもないことは潔く思考停止。考え始めると“今”から離れるから。
油やプロジェクト◎7/21(土)グランドオープンが近づいてまいりました。ただいまテナント紹介も含めたフライヤーを制作中。改めてこうして各テナントのコピーやら画像やらをレイアウトしてみると不思議な縁で寄り添ったような気がしてくるのです。
30代の頃かな、妙に庭つくりにハマってた時期がある。今にして思えば、なんでそんなことにそれほど執着していのか不思議なくらいだが、たぶんなにかに満ち足りていたんだろうな…そんな気がする。現在我が家の庭にあるほとんどの草木は僕が植えたものだ。ヤツラはすでに充分すぎるほどの先住権を主張して、100年も前からそこにあるような顔をして落ち着いているものだ…ていうかすでに手がつけられないほどに鬱蒼とさえしている、特に夏は。
今でも庭を愛でたりするのは嫌いではないが、あの時ほどの執着心はない。ただただ繁にまかせたものをボーっと見るとはなしに見て、感じるとなしに感じて…そんなところか。「あ、いたのね、、、キミたち、」てな。
かってに植えといて飽きたら面倒もみず、まことに恐縮この上ないのだが、親はなくても子は育つっていうし、そもそも親でもないし、ま、いっか。
最近外の仕事場に行くたびにドウダンツツジの葉陰からモズ(ヒヨドリかな)らしき大型の鳥が何度も飛び立つを目撃していたのだが、よくよく見ると営巣してた。ネコなどがいたらかるくやられてしまいそうだが、今のところタマゴも無事な様子。
無責任なオヤ(?)には顧みられない我が庭のようなモノもこうして周囲のイキモノには多少なりと何かしらの貢献はしているようだ。
写真は2011年に撮影したそんな夏庭のピックアップ。あらためて目を向けてみると悪くない風景があるようだ。が、やはりもともと作り込んだり管理したりすんのが苦手な性分だし、最近は特に成行きでいいんじゃね…て感じ(努力はすんですよ、その中で一応)強くなってるから、今しばらくお庭の野生化は進行するものと思われますね。
ふと思うに自分も今この庭みたいに長い夏の時期を、いずれ代わる季節に結実するなんてまだまだ先のビジョンももてぬまま。節操もなくただただ成長し続けてるんじゃないかと。植物に例えればときどき思いついたようにちょっとした花を咲かせてみたりするかもだけど、それはいってみれば虫や蝶をよび込むための極めて生物的・生殖的な自己アピールな感じに近く、 少々あざといっていうかさ。
花のつぼみとかはかぎりなくエロティックだけど秋の紅葉はまったくエッチな感じしないもんね。ただ意味もなくたまたま美しい…なんてのがホントはいいのかもな。
そしてその先に冬。人の一生に例えると90才以上に相当し、感謝の時期を過ごし次の再生の準備ということらしい。う〜ん、遥か先だー…ってそもそもそこまでたどりつけんのかいな。
そんな先の心境の成熟などは見当もつかぬが、とにかく夏、始まったばかり。
お盛んなことで…。
僕たちのカラダの中のナトリウムもカリウムもこの地球でできたものじゃないそうだ。血液中の鉄分なんかは太陽の8倍以上の大きな星の圧力や温度がないと生成できないらしい。そういう星が爆発して微塵になっていずれ地球も生まれ、そういった星屑(元素)の記憶をもって僕らも構成されているわけだ。だとすればちょっと飛躍した解釈をすればぼくらは根っからの地球人じゃないってことにならないか。僕ら自身も元をたどれば地球外生命体…ET。以上はブツ(物質・素材)の話。で、もしかしたらタマシイもそうした記憶(宇宙意識)をもってるのかも、忘れてるだけで。
僕は前世はニッポン贔屓の異邦人だったんじゃないかなってとこまでたぐり寄せてるんだけど、実はもっと先があるのかも…。
最近なにかと直感でエネルギーを放出するばかりであったことに気付き多少はinputもとせねばと久しぶりに図書館通いを始めた。とりあえず数ヶ月前、借りたきり途中で返却してしまっていた「親鸞・激動編」(五木寛之)上下2冊を一気読み。浄土真宗ってたぶんこの国で一番広まってる宗派じゃないだろか(ホントたぶんだけど…)ウチの実家もそうだし(そんな根拠か…)。のわりにはけっこう知らんこと多そうな。ほとんどが武士の親玉あたりを扱うNHKの大河ドラマもたまには坊さん取り上げてみたらどうだろか。以前「日蓮」を読んだ時にも思ったが、ヤツらけっこう人間臭くて、別な意味で武家よりもアグレッシブで興味深いような気もするんだけど。いずれにしても平安末期末法の世から端を発する鎌倉新興宗教群は興味深いものがあるのです。