Jin Nakamura log

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181220

昨日新聞の取材を受けて…しかもとても丁寧に取材していただいいて結局自分の作家歴ざっと30年分を語ることになる。ちょっとしたギャラリートークなどでざっくり紹介する機会もなくもないが、仕事場にて当時の資料などを引き出しながらお話をするなどということはまずないので懐かしくもあり恥ずかしくもあり。
歴史は大切だが、たかだか30年程度の回想など普段であればさほど意識することはまずないし、たとえ機会があっても、またその時点でもということであっても「回顧展」などというタイトルで存命中に展覧会はしたくないなと思ったりもするが、今この瞬間が大切なんだよ!と意気がってみても、過去は意識せずとも我がタナゴコロの内に自然とにじみで出て、生み出されるナニかの背景に通奏低音のようにどこかで自分の個性を支配しているのは間違いない。
この度の取材のような場合、その根拠がわかってるものについてはもちろんちゃんと説明ができるのだが、今回仏画を描き始めた経緯を説明するにあたり、「そもそもなんで15才で仏像にハマったのですか?」という質問に答えがつまってしまった。前世で作ってたんじゃないですか…とか、女の子に一目惚れすんのと一緒ですよ…とか、およそロジカルな説明とはほど遠い言い訳をしつつも、改めて問われるとやっぱりわからない。仏像好きのお爺ちゃんの影響ですとか、おウチの隣りが東大寺でしたとかいうならねえ…。
いずれにしても理由はわからないけれど自分の人生の中で欠かせないモノであることは確からしい。

というわけで(唐突だが)大人の遊学旅行行ってきた。
まずは生駒郡斑鳩町法隆寺。

一休その後

とりあえずNHK出版「オトナの一休さん」でさらっとアウトラインをつかんだ後、水上勉「一休」を時間をかけて読了。古い文語体の一休資料がかなり抜粋されていてなかなかに読み辛かったが、とりあえず水上氏は一休さんが大好きだけれど出来るだけその思慕の感情に流されず可能なかぎり偏らないな考察をしようとしたことはわかった。
ほとんど知らなかった中世の暗黒時代を生きた一休宗純の人となりの多少は垣間みれたけれど自分の中ではなんとも未消化なままなので安易な言葉は避けたいが、ただこんな人が部下や弟子だったらちょっとめんどくさいかなー…友だちだったらギリOKかな、師匠だったらあきれながらも面白そうだからついていくかな…てな感想が今のところ、、、と書いてみて、こういう破天荒だが逸材を活かすウツワが我が身にはまだまだ足りぬような気がしてきた。社会的共同体のような組織には長くとどまれず、多分尊敬される上司にもなれんな。

ま、それはそれとして写真中未読の日本詩人選27「一休」富士正晴。これは絶対面白い! ただし読み解ければ。

一節を引こう。
(漢詩:一休宗純/富士正晴氏による読み下し文+その解釈)

懐古

愛念愛思苦胸次  愛念愛思胸次を苦しむ
詩文忘却無一字  詩文忘却一字無し
唯有悟道無道心  唯悟道有って道心無し
今日猶愁沈生死  今日猶愁う生死に沈まんことを

エロスは胸を苦しめる
詩文は忘却 すっからかん
ロゴスあれどもパトスなし
まだまだ気になる生き死にが

一休はかなりの詩人でもあるのです。そして実は私、漢詩大好き。自分で作ってみたい!
漢詩の読み方の本は売ってるけど作り方の本はなかなか売ってないのだ〜。

18306

腹帯をしめるのなら戌の日に、熊手を買うなら酉の日に。
そんなわけだからその年に初めて薪ストーブに火を入れる日も験かつぎ的になにか決まり事がありそうな気がしないでもないが、いちいち調べるのも面倒であるし、第一ここ数日11月後半並の寒さと長雨を灯油ストーブでしのいできた限界もあり、もう我慢できずと秋雨前線の晴れ間にちょいと屋根にのぼり、ちゃちゃっとエントツ掃除をして今シーズン初めて薪ストーブに火を入れることにした。
貴重な燃料節約のために一時は達磨のように着込んでいたが、そういうわけで本日部屋の中ではTシャツ二枚の重ね着程度でも大丈夫。
こうして過ごしやすさに余裕が生まれると、しばらくほっておいたブログなども更新してみようかという気分にもなろうというもの。(さっぶ〜い仕事場ではキーボードに触るのもおっくうになるもの)
さて、この頃たまに会う人に「最近ご活躍で…」などと社交辞令的挨拶をいただくことがあるのだが正直何をもって“ご活躍”なのかよくわからないし、ほめられ上手でもないので都度「ぼちぼちでんなー」みたいなニセモノの関西人みたいな返答しかできないでいる。
実際日々淡々と目前にある仕事をこなしているだけで、当たり前だが一世を風靡してるわけでもなく社会を席巻してるわけでもない。SNSなんてツールもあるものだからべつに盛ってるわけではないけれど仕事上の告知情報だけはささやかな営業と心得、面倒くさがらずできるだけアップしようとつとめてるので、なんとなくめっちゃ忙しくてご活躍な感じにうつるやもしれぬ。
ただ慢性的に時間が足りないのは確かで、けしてヒマを持て余してるわけではないけれど、それは生来の不器用さが招く一因と、なんか余計な回り道をする性とによるもので、人気急上昇引く手数多てななわけであるわけがない(これもあたりまえだが)。
そう言うわけでまったくもってナカムラなど絵に描いた(描き方わからんけど)ような“無名”でジミ〜にやってるのである。が、最近しかしそれはそれでま、いっかという気がしないでもない。もちろんココロのどこかではちゃっかり有名になって天狗になって鼻持ちならないヤ〜な感じなヤツになってみるのも一興かなと思わぬでもないが、有名になるならないない、あるいは世に名を残すかどうかなどというものは、そもそも自分の意志でどうこうなるものではないし、そんなことに一喜一憂してるヒマあれば己の芸を磨くべしとは一応心得てるつもりなので、日々こうして何かしら表現のお仕事をさせてもらってるだけでもホント感謝なのだ。
しかしムメ〜ムメ〜と逆にヤギみたいに面白がって騒いでいると(ココロノナカデ)ふとバブルがはじけた90年代初頭のころに読んだある有名骨董商の手記を思い出した。日常の何気ない(名もない)古道具などの中にこそ高い芸術性を感じる…といういわゆる「無名性」礼賛みたいな内容だったと思う。
バブルがはじけて金にモノを言わせたお祭り騒ぎが幕を引き、その反動で時代は一気にストイックになり、例えば陶芸の世界では生み出されるカタチはシンプルになり、色が消え、その後10年間陶芸関係雑誌の特集が「白い器」だったような記憶がある。
「無名」に「芸術性」を見いだしたのは確か(不確かかも)柳宗悦らが提唱した「民藝運動」あたりがルーツではなかったか。その趣旨はわからなくもないが柳のような「有名」な人物が「無名性」というブランドを宣言した瞬間から、残念ながらそれはもうすでに自由を奪われた権威となろう。
正しい意味での「無名性」が「無名」であり続けられることはある意味ホントの幸せなのかもしれないし、それが本物であればあるほど世の中は放っといてはくれず、そしてしのほとんどは台無しにされる。有名なのもの中にニセモノが多いことと無名のものの中にホンモノが隠れていることはさすがに知っている。それを見いだす尺度は自分を鍛えるしかないことも。
運慶は初めて自分の作品に署名をした仏師である。平安期までは作者名が伝わってはいても作者自らが仏像に名を残しすことはなかった。特に平安時代の仏画は優れた作品が残っているがそのほとんどは無名であるのだ。どちらの善し悪しということはわからないけれど、たとえば「無我の境地(自分無くし)」という悟りを求めたとしたら、その時点でそれは「悟りを得たい」という欲望ということにはならないか。ま、だからそれでも悟りを開いたお釈迦さんてスゴいんだけどさ…。

龍にまつわるエトセトラ

フォッサマグナを発見し、大昔のゾウにその名を残すドイツの地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが開国の御代に都に隣り合う湖国で見つかった龍の骨を太古のゾウの下顎と看破してみせた。しかし時の明治政府のお雇い外国人がこの国に来る機を得ず、もし本当に龍の骨であったということになったとしたら龍は死んでいたことになる。「龍が死ぬ」…ということは当然「龍が実存する」ということになる。先端の科学はそういう類いの実存の疑いをことごとくつまびらかにし、本来あたらなくてもよい部分にまでおせっかいにもヒカリをあて続け、世間を必要以上にシラケさせたかに見えたが、おっとどっこい博学とはほど遠い民草はといえば、日照りになれば相変わらず土地の龍の祠でご祈祷をして黒雲を呼んでみせ、当然龍が死んだ証拠などに一喜一憂することもなく、「生きていようが死んでいようが、気骨のある魂にはそんなことあまり関係のないことなんですよ…」と地元のおばちゃんは名言を放った…らしい。

かねがね龍を描くなら格好よく美しく…を信条にと思っていた。

初夏の京都鴨川左岸。四条大橋の一本南側の橋のたもとの街路樹がちょうど正午前の日差しを遮る風情であったので、対岸の木屋町界隈散策の疲れを一時癒そうと川べりに腰をおろし、心地よい風に吹かれしばし鴨の流れを傍観しつつ近辺にめぼしい名所旧跡などあるまいかとiPhoneの画面でmapを拡大すれば、背中腰に建仁寺の広い敷地が表示されている。徒歩2〜3分の距離であろう。
「ああ、双龍に逢え…」ということかと合点して、勇気をフリシボリ再び日差しのもとに身をさらす(暑いのホント苦手なんだ)。できるだけ日陰を選びつつ(なんか湿気を好むムシみたいだけど…)歩きながらつらつら思い起こすに、たしか京博での展示を見逃した海北友松の雲龍図もそもそもここの障壁画ではなかったか。
見上げればおよそ龍の出現など期待できそうもない雲ひとつない真夏のような青空。ならば自らおもむき龍の巣窟たる臨済宗古刹の門をたたこう(入場券を買う…とうことです)ではないか。
残念ながら期待した海北友松の雲龍図は高精細レプリカであったけど、どうせ美術館で原画をみたとしてもガラス越しだし、これはこれで本来あるべき空間で感じるという意味では見応えがあったかも。ひとしきり鑑賞という名目で涼みながら本坊を回遊した後、小泉淳作画伯が2年の歳月をかけて制作した双龍図のある法堂へ。不思議なものでそういえば上洛する直前に何気にこの双龍のメイキング特集をTVで見ていたことを思い出した。そうだこの龍たちは北海道で描かれていたのだった。大丈夫かなぁ…北国生まれなのに、この都の夏…。どっぷり寒冷地仕様のカラダになってしまった僕はそんな杞憂もしたりしながらうっとりと天井を見上げる。

龍を描くなら格好よく美しく…。

17703

続編から読む。

酔い覚ましに立ち寄った阪急京都線大宮駅の地上階にある本屋の平積みコーナーで、ふと目に留まった文庫本のタイトルは「冬虫夏草」。フユムシナツクサ…いやトウチュウカソウ…か、どちらにしても??。この虫なのか花なのかビミョーな感じの題目が妙に気になり手に取って数行黙読し、なんかイケそうな気がしてレジへ直行。そこから徒歩4分のホテルにもどり結局数ページ読んでそのまま寝てしまい、きちんと読み通したのは長野に戻った1週間後だった。

おそらく明治期の、ある物書きの日常が描かれているに過ぎないのだが、その日常がどこかヘン。現代のぼくらから見ると本当はだいぶヘンなのだろうけれど、おそらく筆者の品格のあり細部にまで心を砕いた言葉の紡ぎ方故だと思うが、“そんなこともあるよね…”と思ってしまう不思議。主人公が印象深い邂逅を果たす河童の少年も、天狗も、幽霊も、赤龍も、そして鈴鹿山中で宿を営むイワナの夫婦も。言葉にするとやはりオカシイ。スピリチャルといえばそうかもしれないが、なんか平凡なのである。平凡で美しい霊性。少し以前に読んだ泉鏡花の「高野聖」とはまたひと味ちがうのだなぁ。

“目に見えないモノ”をぼくらはどう処理するのか。友人の尊敬するお坊さんは真剣な表情で「信じるというようりそのように“理解”している」と言った。「ある」と思った瞬間にソレは「存在する」と、妖怪を生涯描き続けた漫画家のおじいさんは言っていた…ような記憶がある。そして何も見えない僕は「あってほしい、いたらいいな…」と思っている。

結局モノノケも神さんも仏さんもだれも見たことないじゃん!…実証的世界ではそういことになっている。でもね一方で「なんで人を殺しちゃいけないの?」の答えを倫理でも常識でもなく「祟りがあるからだよ」って言われたらとりあえず震え上がるほど納得しちゃう。全編「花」のなまえのタイトルで綴られる主人公の風変わりな日常は、たとえば現実的な閉じられた世界も、あるいは暗闇のなかでとらわれる禍々しい不安な感情も、そのどちらも穏やかに解きほぐしてくれるような気がするのです。

このささやかな冒険譚は実は続編であったことに読み終えてから気づく。読み始めてどうも設定がイマイチ不明でお話においていかれてる感があったのはそのためであった。しかし続編から読むというのはわるくない。逆に詳細な説明をさきにされてしまうと興ざめということもあるし。かのスターウォーズもエピソード4から始まってるしね。

また脇役たちの話す京言葉も1週間滞在した旅の風情も重ね合わさり物語のリアルな日常に介入できたし、余談だが話のなかに自分が住まう信州佐久のエピソードが盛り込まれており不思議な縁を感じてしまった。何れにしても我がココロの10冊にエントリーしたい1冊であるぞ!たぶん。

176025

 

東京銭湯考

少し以前のことだが、展覧会準備のため珍しく都内のビジネスホテルを利用した折り、ホテルの宿泊券に近くの温泉チケットがついていたので利用してみた(実はめっちゃ温泉好き)。都内で温泉のイメージはなかったのだが最近は大手町あたりの新設超高級ホテルでも温泉がでるとかで、とにかく関東ローム層は深くさえ掘ればでるらしい。

さて件の銭湯は池上線蓮沼駅近くにあるその名も「はすぬま温泉」。ホテルから徒歩5分程度とあったが土地勘もない深夜の下町、加えて渡されたいい加減な地図。案の定10分歩くが到着しない。折しも前方の暗闇からグッドタイミングでお巡りさんが自転車にのって現れたのですかさず呼び止め尋ねてみる。フツーなら逆に職質されてもおかしくないシチュエーションなのだが今回は先手を打って聞いたった。僕を良心的な一般市民と認識してくれたらしくきわめて丁寧に銭湯の前までご案内いただき助かった次第。お務めご苦労様でした。

たしか時刻はすでに日をまたごうとしていたのだが深夜1時まで営業ということで、脱衣場に入ってみるとさすがに誰もおらずガラスを隔てた洗い場の方に人ひとりの影が見えるのみ。スッポンポンになって中に入るとおじさんが一人せっせと泡まみれになってカラダを洗浄中。さて僕もと蛇口の前に座って気がつく。シャンプーもボディーソープも置いてない…そっかー銭湯って自分で持ってくんのかー…。僕の地元の立ち寄り温泉はほぼ100%その類いは全ての鏡の前に用意されていてタオル1本で行っても全く問題ないんだけど、そっかー銭湯て子どもの頃行ったきりだもんなー…。仕方がないので白湯のみで体を流し湯船につかる。

もちろんホテルのユニットバスなんかとは比べるべくもなく心地よいわけだが、なんとここの源泉は黒い(黒くない湯船もある)。あとで番台のお兄ちゃんに聞いてみたら海藻やらなんやらいろんな成分が交じってこんな感じらしい。あ、ちなみに番台は脱衣所の中には面しておらず入り口のロビー、男湯女湯の暖簾の前にある。なので番台さんが若いお兄ちゃんでも女性客はぜんぜん大丈夫な感じ。小学生の頃は番台さんて特権だよねー、なんか資格とかいるんかなーなんてて思ってましたが。

そんなわけで黒いお風呂に入ったり、泡ぶくのお風呂につかったり、ちょっとした露天風呂もあったのであっちこっちフラフラしながら、とわいっても酔いを冷ましながらのせいぜい30分。ま、それはいいんです。ナカムラの湯のつかり方なんかどうでもいいんですが、僕が洗い場に入ったときに体をゴシゴシしていたおじさん、僕がもういいでしょうと脱衣に場戻るまでのその間ずぅーーーっと洗い続けておりましたのです。たまたま同じ湯船につかろうものなら「お近くなんですかぁ?」などと通り一遍の一言もかけようものをと思っていたがまったく接点なし。一体どこを洗えばそんなに時間がかかるのだろう。60年代の長髪ヒッピー兄ちゃんだったらもしかしたらリンスしたりとかトリートメントしたりとかそりゃそこそこお時間も必要かもだが、頭髪の感じもそれほど手間がかかる雰囲気でもなかったし。

そして僕は思った。世のオッサンたちは、やれオヤジ臭がどうの加齢臭がどうのと揶揄されて久しいけれど、実はもしかしてめっちゃキレイ好きな種族なんじゃないかと。アライグマなみの習性でマジで一皮剥けるほどの清廉潔白を日々旨としているのではないかと。これはオヤジの見方をかえた方いいんじゃないかと、ていうかむしろオヤジを見習え!

濡れたアタマを渇かそうと大鏡の前のドライヤーを握りしめた瞬間「3分30円」の文字が目に入る。ポケットには湯上がり用のフルーツ牛乳代のコインしか入ってなかったので夜風で渇かすことにして脱衣場を出る。振り返るとおじさんは水滴で曇ったガラスの向こうの定位置をまだ動いてはいなかった。

胼胝

右手の中指第一関節内側に胼胝(たこ)ができた。筆だこである。2016年師走後半位からほぼ毎日面相筆をにぎり続けた結果なのだ。生まれてこの方こんなに描き続けていることはない。ま、かといって絵が劇的に上手くなった…とかいうことでもないのだが。

ふと北斎翁の言葉がうかぶ。
「70歳以前までに描いた絵は取るに足らないもの…80歳ではさらに成長し、90歳で絵の奥意を極め、100歳で神妙の域に到達し、云々…」

かの巨匠と比するにはあまりに僭越ではあるが、自分はどうであったろう。もちろんこれまで無為に過ごしたわけでもなく、何かしらを我が掌から生み出してはいたものの、今思えば全く志の低い2〜30代があり、興味本位に様々なメディア・手法に手を染め、おかげで引き出しの数は増えたけど「何かひとスジ」の凄みの見当たらない40代を終えようとする頃、それでもなんとか描きたいものがみつかり、やっと絵を描くことときちんと向き合おうと思い始めた50代。この半世紀、北斎翁の言うまさに取るにたらなぬ時期であり、そして今もなおその最中。

己の怠惰を棚に上げ、ただただ後悔を並べ連ねるつもりではない。もちろん若い時期に今の心境に気づいていればと思わぬでもないが、べつに芸事だけが人生でもなく、ずいぶんと遠回りをしたような気もするが、絵はただ運筆の技のみで描くものでもなかろうからまあいいや。まっさらな画布に向き合うとき、その潔白を我が手で染め汚すことなど何のためらいもない自分はすでにあるわけだし。イメージはその出番を待って手の内で絶えず混沌としているのだ。

北斎の人生設計になぞらえば70までの“取るに足らない期”脱出まで残り15年弱の更なる修行が必要となる。たしかにこんなふうに筆だこができるほどの勢いで15年も描き続ければもう少しマシな作品を描けるやも知れぬ。が、果たしてそこまでこの現世にとどまっていられるものだろうか。その辺は自分の意志でどうこうなるものでもなし、結局北斎も神技を得るには至らなかったものね。

「結果を出す…」と言うが、結果には良い結果もあればそうでない結果もあるのだ。しかしそれがなんだ。努力は報われないと知るが、しかしそれも何だ。「どうなるか」は自分ではどうしようもないけれど、それでも「どうするか」の選択は可能だものね。

遊びをせんとや生まれけむ…

諸行無常

Life is no meaning

皆同じでいいんじゃない、そしてやっぱり Keep on!

嗚呼…珍しく指にタコなんかできたもんだからこんなことつい…。

17308

snowscape

今シーズン最後の雪景色だろうか…て油断してると4月頃桜に雪、なんて光景もありなんだな。もううんざりというご意見も多いが、それでも3月にしんしんと降る雪は一瞬ではあるが花粉症の症状をやわらげてくれるし、つかのまではあるが美しい風景をみせてくれるのでちょっと嬉しい。

アレルギーというのはアレルゲンに対して体が拒否ってるということだから、なにもそんなにも嫌わないで仲良くなれんもんかなと、このシーズンになるといつも思うのだ。「花粉はトモダチ」…そう言い聞かせたらカラダは好意的な反応をしないかなと。キライキライも好きの内…とかさ。人間関係でももちろんどうしても好きになれないような方もいるわけですが、そういことにいちいち対面して気に入らないことに怒気を荒げていてもちっともいいことないわけですよ。人が怒ったときに吐き出す怒気は猛毒だそうです。その呼気を水槽に溶かし込むと魚が死んじゃうらしいのだ。

まあ、いつも公言してることですが「逆らわず いつもにこにこ 従わず」のいやらしい座右の銘のもと、ノラリクラリと生きて50数年、ふと気がつけば若い頃に比べ周りに苦手な人が少なくなったような気がする。自分が大人になったのか周囲が寛大になったのか…後者かなやっぱ。相手にポジティブにあきらめてもらうっていうかさ(そんなことバラすと嫌われそうだけど)…というよりこれは自分自身に対する極意でもある気がしてるのです最近。

「ポジティブにあきらめる」

…いや、そんなことより今はやっぱこっちか、

「花粉はトモダチ」

なんとかならんかな…あ〜目がかゆ〜い!

16315

Genius

15408

各地から冬の便りが届いている…ってもう四月ですけど。ま、こういことはよくある。毎年四月の第三周に北信濃小布施町で開催される「境内アート」では数年前大雪となったことがあった。まさに雪と桜の競演。その「境内アート」に出展するための四曲屏風の下図制作に時間と格闘しながら日々取り組んでいるわけだが気分転換にこの寒い中散歩に出てみた。写真は当blogでも何度か紹介している軽井沢のクリーク「御影用水」。今朝ほどの雪はだいぶ解けたようだが、霧が残っていかにも寒々しい風景。

さて、散歩中ってよくどうでもいいことが思考に浮かぶ。季節ごとの風景を楽しんだりしてはいるものの基本的にただただ足を前に運ぶだけの単純作業なのでちょっとした無の境地というか、何も考えないことを考えているというか。そうこうしているうちに無心と妄想は紙一重となって…。

で、今回ふと浮かんできたのはなぜかDRAGON BALL。孫悟空とサイヤ人の天才戦士ベジータは永遠のライバルなわけだが、結局天才だったのは悟空の方だったかなと。

生まれもっての数字的能力(ヤツらは戦闘値とか計れるのです)では悟空は下級戦士と判定され地球に送られてしまう。おまけにお子ちゃまのときに頭を強打して本来持っていたなりふり構わぬ攻撃性が失われ、とってもよいこになってしまって、戦闘民族としては能力的にも環境的にもホント最悪な出生なのでした。一方ベジータは恵まれた能力に加え、誇り高きサイヤ人の王子としてエリート街道まっしぐら。実兄ラディッツを命をかけて倒したことで実現する二人の邂逅の戦いでは悟空はベジータに全く歯がたたなかったわけだが、長いながい時間をかけて(全42巻!)あれだけ能力の差があった悟空はベジータに一目おかれるほどに成長していくのね。

ヤツの長所はまず「めげない」よく「ま、いっか…」って言ってます。そして向上心がある。はたからみてるとおそらく尋常ない努力をしてるんだけど、本人はそれに気がついていない。かねがね天才とは尋常ではない努力を平気な顔して出来る人…と考えてましたが、今日の散歩でソレって悟空だなと気づいた。「ウォ〜〜!俺今最高に努力してんぜェ〜〜〜〜!!!」などと言ってるうちはダメということですよ。

戦闘民族を引き合いにだしましたが絵を描くなどということはたぶん闘ってはだめですなー。できれば仲良くしてもらいたもんです。

polka dots

NHKにっぽんプレミアム「草間彌生×アダチ版画 ザ・プレミアム 草間彌生 わたしの富士山 〜浮世絵版画への挑戦」をみた。
知人が録画したデータをサイトにアップしてくれたのでそれを(ウチは地デジ化以降TVがないのだ)。
で、ちょっとココロが動いた…かも。
画業80年。今や世界的アーティストとなり、一つの様式を作り上げた作家として「あ、水玉の人ね…」とまとめてしまうのはあまりに簡単だが、そのドキュメントをみるとき何かしら感ずるものはある。作家であるのなら作品が全てであるのかもしれないが、その作品とどう向き合ったか、どのようにして描かれたかを知ることは興味深いし、作品の理解も深まる。

まず今から30年後、自分が彼女と同じエネルギーで制作できるかまったく自信がない(そもそもこの世に留まっているかどうかも)。その一点だけでも賞賛に価する。知られていることだが彼女は精神科の病院とアトリエを日々往来しながら時間を惜しむように制作し続けている。立てないわけではないらしいが足腰もだいぶ弱っているようだ。そうした状態で大作と向き合う日常…それが彼女の日常。その姿を尋常ならざるとものと思うのは僕らの都合であり、あまりに偏った価値観に過ぎないのかもしれない。

どちらの彼岸に立つのかはそれは運命だから。

こちらの岸からは僕らの立っている風景は俯瞰できない。彼女は僕らの世界の混沌を見透かしているようにも見えるがほんとうのところはよくわからない。彼女にとって遊びは死に近いようだし、死を怯えてるようでもあり楽しんでいるようにも見える。いずれにしても彼女の見える風景と僕らの見える風景は異なる…が、共有できる部分が全くないとも言えない。救いはあるのだろう、立場が違っても。そういう能力を放棄しないことだ…と教えてくれる。

肉体と精神を懸けて仕事をするなどということは4,50代で出来ることではない(少なくとも自分などは)。選ばれた人なんだろうな。今の世界に大切な人材のひとりかもしれない。

余談だが(というか本編制作の意図はそこだが)草間の描き出した一万コ以上の水玉とそれを版木に置き換える若い彫り師のココロの対話がすてきである。10,000個の水玉を彫るという荒行がその対話を可能にするのだろう。チャンネルが同期する瞬間をみた気がする。その瞬間を「自己消滅」とレビューされるがそれこそ仏教的にはまさに「諸法無我」ではないか。まさに悟りの世界。自分のような凡夫には理解できなくて当たり前なのだ!

15216