Jin Nakamura log

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右隻

 

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「仏果山海圖屏風」。制作開始から都合4年が過ぎようとしている。4月月20日、第16回「境内アート」にはギリなんとか。さすがに表装までは間に合わなかったが原画の完成は目指しています。玄照寺第二十三世住職葦澤義文氏の讃もいただきました。是非お出かけいただきご覧下さい。

 

 

 

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昨日新聞の取材を受けて…しかもとても丁寧に取材していただいいて結局自分の作家歴ざっと30年分を語ることになる。ちょっとしたギャラリートークなどでざっくり紹介する機会もなくもないが、仕事場にて当時の資料などを引き出しながらお話をするなどということはまずないので懐かしくもあり恥ずかしくもあり。
歴史は大切だが、たかだか30年程度の回想など普段であればさほど意識することはまずないし、たとえ機会があっても、またその時点でもということであっても「回顧展」などというタイトルで存命中に展覧会はしたくないなと思ったりもするが、今この瞬間が大切なんだよ!と意気がってみても、過去は意識せずとも我がタナゴコロの内に自然とにじみで出て、生み出されるナニかの背景に通奏低音のようにどこかで自分の個性を支配しているのは間違いない。
この度の取材のような場合、その根拠がわかってるものについてはもちろんちゃんと説明ができるのだが、今回仏画を描き始めた経緯を説明するにあたり、「そもそもなんで15才で仏像にハマったのですか?」という質問に答えがつまってしまった。前世で作ってたんじゃないですか…とか、女の子に一目惚れすんのと一緒ですよ…とか、およそロジカルな説明とはほど遠い言い訳をしつつも、改めて問われるとやっぱりわからない。仏像好きのお爺ちゃんの影響ですとか、おウチの隣りが東大寺でしたとかいうならねえ…。
いずれにしても理由はわからないけれど自分の人生の中で欠かせないモノであることは確からしい。

というわけで(唐突だが)大人の遊学旅行行ってきた。
まずは生駒郡斑鳩町法隆寺。

昨年秋の運慶展の折り、個人的に最もそそられたブツは龍燈鬼(伝運慶三男・康弁作)…の、オ・シ・リ。

15歳の南都訪問(修学旅行)、2004年の興福寺展(藝大美術館)と昨秋で3度此の子には会っているが、今回ほど彼のオシリに見ほれたことはなかった。(ちなみに相方の天燈鬼はスカート状の腰巻きを巻いているのでオシリは隠れているのです)お尻の谷間に股間前方から回っているフンドシがキュっと締め込まれ左右にプリッと、そりゃあもうカワイク筋肉の小山がはみだして。監視係のおねえさんがいなかったら絶対指でつんつんしたてたかも+盗撮もこっそりしてたかも。

鬼のオシリに萌えるオッサンを如何なものかと思われる向きもあるやもだが、通りがかった若いカップルも「おしりかわいい〜」とつぶやいてたのでこの手の趣向はマイノリティながらも確実にあると思う。「女の尻ばかり追いかけて…」などと言われるが「鬼の尻」もよいものだ。赤ちゃんのお尻などほんと産毛の生えた桃みたいだし、禅の世界では入門したての稚児童子は喝食(かっしき)と呼ばれ、あえて剃髪せず前髪を下げ、白いものなどうっすら塗られて時に師僧や公家・武家の相手をし菊花をほころばせたと聞く(室町時代の話だが)。僕は男色ではないけれど現代よりも少しだけ複雑な愛欲耽美な世界も今となってはノスタルジックにさえ思えぬでもない。

写真は「仁和寺と御室派のみほとけ」展(東博)の仁和寺・観音堂(通常非公開)堂内再現展示より風神・雷神。通常仏像は前からの拝観が基本なのでこうした博物館展示だと、本来目にする事が出来ない仏像の背面が見られて興味深い。残念ながら昨秋の龍燈鬼ほどの感動はこの2体にはなかったが今後ともこうした特別展の折りには背後もぬかりなくなめるようにチェックしていく所存である。

ちなみに後期展示ということで今回見逃した国宝・千手観音菩薩座像(大阪・葛井寺)は名称に偽りなく本当に手が千本ある唯一の仏像らしいので会期中再訪して、少々無粋だがいったいどのようにしたら千本の手が体につけられるのか背後に回ってしっかり確認してきたい。

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僧形

仏像はもちろん大好き。

寺の庭なども魅かれるものがある。
だがしかし、僧侶となるとなぁ…。
これまで唯一“空海”を除いてはあまりときめいたことがなかったかも。
(伝説的カリスマだし、華々しいし、そうは言っても日本仏教界のレジェンドスターだからさ)

昨年大規模な企画展で人気を博した運慶氏も南都に無着・世親という印度に実在したとされる高僧の兄弟像を残していて、なかなか味わい深いお顔立ちではあるのだが、自分の中では「そうは言ってもヒトでしょ…」っていう興味センサーのストッパーがつい働いてしまう。

まずはビジュアル系フィギアである仏像にココロ惑わされると言う点ではしごく全うな宗教への取り込まれ方をしてきたと言えるが、気がつくと15の頃からその表層を追いかけるのみで重要な教義への理解はさほど深まってはおらず、日本仏教のもともとを開宗された鎌倉期の超有名どころお歴々(法然・親鸞・日蓮・道元・栄西…)についても一応諸書諸説を何となくさらってみても、当時の新興宗教としてはある程度理解できそうな気はするものの、やはり当たり前だが800年後の僕にはやっぱりフィットしない。

で、この人である。

一休宗純。

後世に作られた頓知小坊主の逸話のイメージが余計なフィルターをかけているが、しばしこの破天荒なお坊さんに一休みできるだろうか。仕事場の両界曼荼羅のポスターの横にこんな僧形のブロマイド(チャチャッと作ってみた)貼りたくなっちゃうだろうか…。

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古道

夏のはじめに熊野に行ってきた。

2012年以来この3年間で伊勢神宮、出雲大社、そして今回の熊野三山と日本を代表する三大聖地を巡ったことになる。

日本の信仰宗教を一括りにしてよく「神仏」などと言ったりするがそれらは全く別モノ。偶像崇拝上の整理解釈として本地垂迹説などが唱えられ、ついつい同じフィールド上に乗ったりするからなんとなく親戚筋みたいな感覚があるが、そもそも神道に偶像はそぐわない(仏教ももともとは偶像崇拝禁止であったが)。僕は仏教はとことん人がつくったモノと思っているが神道世界はナニかヒトならぬものの気配の方を強く感じる。もちろんそれを伝えてきたのは人であるが、やはり根底にあるのはその土地の力かな、自然といってもいいでしょう。

掲載した一番上の写真は現在の熊野川沿いに建つ熊野本宮大社の旧社地。明治時代の大洪水で多くの社殿が流されたため現在本宮は500mほど離れた場所に遷座されているのだが、やはり雰囲気やたたずまいは大斎原(おおゆのはら)と呼ばれるもともとのその場所よいかと。なにかしらの場のチカラがあるのかも。これから行かれる方は是非こちらの旧社地へもご参拝を。

さて熊野と言えば古道を歩かねば…ということで、早朝一旦本宮大社前に車を止めバスに乗ること20分(乗客9割ガイジンだった…さすがユネスコ世界遺産)。終点「発心門王子」よりあらためて熊野本宮大社を目指す。紀伊半島に張り巡らされた参詣古道のほんのさわり程度の行程。★一つ、超入門コース。都からの行程のおそらく99%をショートカットして最後のゴールの高揚感だけをズル〜く体感しようとする通称「お姫様コース」7km弱、ゆっくり歩いて3時間に挑んでまいりました。でもわるくないよこのコース、昔のお姫様は侮れませんなー。

三本足の烏に導かれて紀伊半島熊野山系、山なみの風景が信州とは明らかにちがう。たぶん植生が大きく異なるのだろうな。遥か都の方角へは三千峰が延々と続き、ふと振り返るとかつて人々が補陀落渡海(あるいはニライカナイ)を目指した熊野灘が垣間見れる不思議なところ。次回はもう少し歩いてみようかな。

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再び2

最近なにかと直感でエネルギーを放出するばかりであったことに気付き多少はinputもとせねばと久しぶりに図書館通いを始めた。とりあえず数ヶ月前、借りたきり途中で返却してしまっていた「親鸞・激動編」(五木寛之)上下2冊を一気読み。浄土真宗ってたぶんこの国で一番広まってる宗派じゃないだろか(ホントたぶんだけど…)ウチの実家もそうだし(そんな根拠か…)。のわりにはけっこう知らんこと多そうな。ほとんどが武士の親玉あたりを扱うNHKの大河ドラマもたまには坊さん取り上げてみたらどうだろか。以前「日蓮」を読んだ時にも思ったが、ヤツらけっこう人間臭くて、別な意味で武家よりもアグレッシブで興味深いような気もするんだけど。いずれにしても平安末期末法の世から端を発する鎌倉新興宗教群は興味深いものがあるのです。

細胞膜

2週間近くたったのでそろそろインフルエンザの抗体ができあがる頃か。こうして僕らは故意にせよ、またカラダの自然な仕組みせよ、外的圧力から我が身を守るため、より強固な免疫抗体を自らの細胞膜のなかにつくっては自分の世界を完結にしてその中で豊かに、楽になろうとする。自分と外界を分けるこの細胞膜があるかぎり…だからそれは生物としての生存条件なのだけれど…本当の安心にはたどりつけないというのか。Buddhaのいうところの「一切皆苦」…生きていること自体が苦しい…とはそう言うかとかとも思うけど、「膜」の中に閉じこもって悦に入ってる幸福感を個性というか?とも思うけど。でもそれじゃそもそも生きてられないじゃん!てことになっちゃうし、その前にまずはこの課題山積の冬場にインフルエンザにかかるのは困るし…。ま、とにかくこうして“生物”としての自分に気づくときあらためて生きるってタイヘンなことしてるのね…て思わなくもない。「仏教が好き」(河合隼雄×中沢新一)は自分にとってバイブル(仏教だからお経か?)になりそうな1冊。
昨日の雪はいつのまにか冷たい雨にかわって降りつづけている。
いいうたみつけた…ハスキーボイスって好きね。レゲエのリズムも好き!