Jin Nakamura log

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ミズヌルム

今日はぬるかったね〜久しぶりに流れる水をみた。

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油やプロジェクト定例会。いつもながら議題が多岐に渡っていて時間が足りん。そいや今年から油や前庭で毎月7の日「骨董市」ですよ!これ決定。

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沙庭の準備そろそろ本格始動せねば…。アート古書充実を図るため仕入分では足りないのでJin’s蔵書を放出することにした。古書店の経営者ってみんな最初は自分の蔵書に手をつけるらしいよ。あーサイトもつくんなきゃだ〜。

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日々の仕事に追われて絵、描けてない…のに、4月急遽「浅間縄文ミュージアム」よりオファーがあり「やらない」or「できない」理由はない…ということにして企画展決定。しか〜し、境内アートもあるしなぁ…その一週間後油やオープンでぇ…ムムム…ダイジョブか…今までもなんとかなってきたから、なんとかなるんだろうな…たぶん。

晩冬

もう弥生三月も近いというのに、どゆこと!?ってくらいに冷気の底に沈んどります。用事がなかったら家から出たくない…が、勇気をふりしぼってちょっと歩いてみた。雪の表面がいったん融けてまた凍ってんのわかる?外はカリカリ、中はフワフワ…って出来のいいメロンパンじゃあるまいし。

晩冬の句会もすでに終了し、初春の投句を待たれているのだけれど、なかなかそんな気分になれないこの数日。と、その前にまずは先日句会の三句をば。

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「白樺に黒葉しげるか寒烏」

「雪道の似合わぬアルファロメオかな」

「雪原にななめに立てる我のをり」

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確か冬至の頃の日の入りは4時25分前後。現在は日の入りの位置もだいぶ北よりの山の端となり、1時間近く日が長くなっている。地球が大きく移動してるのがわかる。

vagabond

昨日の女流作家の件もそうだが、もうずいぶん以前にリリースされて話題になってるのは知りつつもなかなかきちんと受け入れてみるチャンスがないものってあるな。けど必要があればソレらのものは向こうからさりげなくやって来てくれるものなのだ。さて、今回のはどうだろう…。

vagabond」…

気がつくと仕事場の大机の隅に1冊づつ積まれていって…。タヌキの恩返しであれば山の木の実などを玄関先に人知れず置いていくところだろうが、犯人はそんな毛玉ではなくウチの末の小僧くん。春を遠ざけるようなこのところの寒波で自室が寒く、オヤジの仕事場の薪ストーブの前でぬくぬくと吉川英治原作の剣豪青春漫画を読みふけっては片付けもせずそのまま置きっぱなしにしていったらしい。

以前どこかのカフェの書架からなにげに数冊抜き出して、宝蔵院胤舜とのくだりを読み、剣の道ストーリーなどにはまったく興味はなかったものの、その画力と物語りのリアリティーにソリャ流行るわな…と納得したの思い出した。

当事者は経済的理由で現在3巻で停滞中のようだし、ここはひとつオヤジの威厳で残り31巻大人買い?…いややめよ。BOOK OFFあたりでusedでもぼちぼち集めようかな…。

九相観

ワークショップの最後にその日僕が買ってきた松井冬子の画集をみんなでみた。

彼女の画集を求めて本屋に入ったのではない、ホンの時間つぶし。だいたい僕は怖がりなので、ああいったネガティヴなビジュアルは苦手なのだ…なのに買ってしまった…。しかも2011年・横浜美術館で開催された展覧会の図録も含めて2冊も。

なんて恐ろしげな絵を描く人だろうと思っていた…はずなのに自然と手がでて不思議と穏やかな気持ちで、その腑分けされた若い女性のカラダも幽霊の図版も、どこか淡々とめくっていったようだ。そしてそれらが仏教の「九相観」に想を得て制作されているものだということも初めて知った。

「九相観」は「九相図」という、死体が朽ちていく経過を九段階にわけてリアルに描いた絵画を観想することで、修行僧の悟りの妨げとなる煩悩を払い、現世の肉体を不浄なもの・無常なものと知るための修行であるのだが、この件に関しては実は例の「明恵 夢を生きる」の中でも触れられていてずっと気になっていたのだ。

人の死体のリアルな図像を見て人間の「欲情を除かしむる」などというチト変態的なイメージトレーニングを行うのはもっぱら男性の僧であったはずなので、僧たちは自分の死に対して観想するのではなく、若く美しい女性の死(九相図のモチーフはそうなっている)に対して観想する。生前の女性が美しければ美しいほど、その後の変化はよりショッキングな印象として刻まれるわけだ。

人のカラダなど所詮タマシイの入れ物と思えれば平然と眺められなくもなさそうだが、きっと何か故あってそのカラダをもらい、この世に生まれ、それを駆使して何かを成さんとする限りは、それを不浄・無常とはなかなか割り切れるものではないな。ヒトに触れれば温かいのだ。

僕はちょっとした理由があって、ハタチくらいからできるだけポジティブな絵を描こうと心がけてきた。その気持ちは今も基本的には変わってないと思っているのだが、自分でも気づかないほどに微妙な変化があるのかもしれないな。考えてみればポジティブだネガティヴだなどという単純な括りでは収まらない想いもあるだろう…が、意外と世界はやっぱりシンプルかもしれない…一周まわればそんなもんだ。

ただそうは言ってもここで僕が今、この作家の絵に出会う一連の結びの理由はあるような気がしないでもない。彼女はもちろん多くの研鑽をつんで絵の上手い人ではあるが、あれらの絵はおそらく技術だけでは描けまい。「描ききる」という強い意思、あるいは「描ける」と信じるココロが備わっているのだと思う。

というわけで僕は件の作家の絵を受け入れるのにかなり時間を要したのだけれど、驚いたことに引かれるだろうなと思ってた研究生諸君は意外とあっさり許容した様子。「オォ〜」「キレイ〜」「カッコィィ〜」みたいな…。へぇ〜そうなんだ…ふうん…。

下北workshop

下北沢っていえばやっぱり昔っから小劇場の求心地ってかんじですねぇ。劇団風の子さんもそんな街の路地奥にさらにむか〜し(戦後の復興期からかな…)からあるわけです。と、そんなこんなで劇団風の子国際児童演劇研究所での2日間のワークショップやってまいりやした。

平均年齢20代前半ですからね、みなさん若いっちゃ若いんだけど、オッチャンのMy boom-collageにしっかりつきあってもらっちゃったわけです。みんなアートを楽しむ超・能力もちゃんと持っててくれたし、期待以上の暴走クンもいたし、とにかく楽しんでもらったみたいでよかった〜。

今期で4回目。相手が変わるわけだから同じ内容でもかまわないんだが、自分が飽きちゃうのね。なので毎回一からアイディアから段取りから考えて準備して…で、結構エネルギ−使う。けどつい、いろいろやってしまうのねぇ、こういう仕事もまあ嫌いじゃないんだろうな。が、やるべきことがあるようなのでたまににしときますが。

にしても、みんなシモネタ好きねぇ…ま、アートはエロスの匂いでいいんだけどさ…。

祝・10周年!

今年のフライヤーはこんな感じ。芸風とはいえ相変わらず我ながらなんでこうなるんだろうと。色即是空…てこんなかな。色は空、空は色。だからといって「空」は決して虚無ではない。こうやってあらためて描きだしてみると、ここまでやってこられた一つひとつになんか“ご縁”を感じるわけですよ…あ、だから縁日なんだ…。お寺の庫裏の一室で住職+現事務局の木下氏+僕の3人の10年前の会話「10年はガマンしてやりましょう。」10回の縁起の積み重ねがこの絵柄(ちなみにテーマは山車)なのかも。祝・10周年「境内アート小布施×苗市」今年も参加者200名を優に越えます。是非おでかけください!

で、明日から僕は劇団風の子国際児童演劇研究所の授業(ワークショップ)のため上京。

コマさん

二日ほどまったく使いものにならない日々。理由はいくつかありそうだが、きっかけは“肉”かも…。べつに菜食主義者でもないのだが、なんとなくカラダが欲してないのがわかっていながらつい…あとは飲み過ぎかな(実は歌いすぎってのもちょっと)。ホント猫ほどに役立たず(誰かを癒すこともできないからそういう意味では猫以下)。ということで一部“小丸”ちゃんの写真upのご希望にお答えして…。

ウチのこ、美人でカラダだけはどんどん発育中だが、おイタし放題、でバカ娘。一度おっきいほうを失敗したときはウンコ娘。最近5ヶ月で発情期に入ったらしく、エロ娘…ともうさんざんな言われようです。だってだれとでも寝るんですよ(ネコの話ですからね)。…生まれてすぐ親に忘れられたけどその分人間が大事に育ててくれたのでちゃんとヒトにココロ許した顔つきです。

balance

越ちひろ展に。

どうだった?なんて聞いてはいけない。

「まあ…よかったよ…」なんて言うしかないではないか。

そんなことより、そこに彼女のタマシイの全てがあるのならそれでよいのだよ。

僕の感想などどうでもいいから自分で行って確かめてごらん。

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共時性ということがある。シンクロニシティーとも言うな。昨日漠然とバランスのことを考えていた。自分で言うのもなんだが結構バランスのとれた人間だと思ってる。そしてそれは凡庸を意味するものなのかと、もっと破綻したほうがいいんじゃないかと…など思わなくもない…が、まてよ。それってなんか中間地点に立ってるって意味ではないなと気づくのだ。

「2」という数字が好きなんだよ、たぶん昔から。二つのモノを内在させることが我が身のバランス。欲張りなんだなきっと。昨日のブログを何げなく書いた後、気になってたんだが両性具有はヒトとして生物学的には無理にしろ、モノを生み出す者として、そしてその覚悟として性的両面性は必要なのかもねと。そうは言ってもたとえば髭ヅラの母性なんてもキモチわりぃからほどほどにしとっけどさ。ま、要は心意気の問題ですよ。

+で、共時性ということがある。

明恵は夢の中で得た「二つの柑子」。それは華厳と真言、母性と父性、仏眼と釈迦、心と体、合理と非合理…コスモロジーとイデオロギーってのもあったけ。それらの二元的対立の中で心身を鍛えたと。…今日めくった「明恵 夢を生きる」の数ページより。

+シンクロニシティーとも言うな…

「両面を持って存在すること。女性的であり、男性的。強くて弱い。暴力的で、狂気に満ちていて、優しく、儚く確かな存在。華やかでダークで、生であり死であること…」今日の越ちひろ展、リーフレットに記されていた彼女の想い。

…まったくどいつもこいつも欲張りなヤツらばかりだ…(もちろん自分もね)

10月、ART PROJECT 沙庭+梅田版画工房 協動企画  Lithograph 5 artists 2013で彼女の作品に出会えます(2014にはsolo exhibitionをオファー)。その前に4月20/21日、境内アートにてライブペイントも。ほとばしる絵の具の飛沫など浴びにいかが。

で、やっぱりその前に行っておいで…17日まで。

女時

そいや二天背合圖、こんな感じに仕上がっとります。以前のブログにも書いた通り絵の左右(柱)と中廻し(天地部分)は染織家の岡本直子氏が染めてくれたものだが、彼女、実は本画を見ずにこの橙に染めている。これから来る絵はコレでいいんだと思ったらしい。まったく女性の受信能力には驚かされることが多いな。本来女性の脳はそのように発達してるらしいが逆に男はその能力が劣る代わりに送信能力は高い…オレが、オレが…て感覚かな、よく言えば社会性。さて現代、男性は草食系の皮を被りヒキコモクンのキャラを心地よしと演ずれば、それは数少ないオトコの能力をことごとく放棄したに等しく、唯一女性に勝るのは腕相撲がチト強いということくらいになりさがった…というわけでまったくイイとこ無し。まさに「女時」の時代なり。僕もアーティストで生きようとするならば我が身の中に潜むオンナを磨かねばならない…のかしら、といってもついダンゴムシ拾ってきちゃうしなぁ。

このお軸、17日まで開催の『春を待つ食卓』テーブルウェア展(えすぱすミラボオ)に賛助出品として展示中です。お近くの方は是非。春らしいイイ感じのうつわにも出会えますよ。

暗黒神話

またタイトルがダーティーというかキッチュというかいかにも70年代というか…古書の山からつい手に取ってしまった一冊JUMP SUPER COMICS「暗黒神話」。持って帰ろうかどうかだいぶ迷ったんだけどね。諏訪の酒蔵で開催の古書市で冒頭、蓼科山、茅野市尖石縄文考古館あたりからのプロローグって、遊歴書房のベタな編集セレクトにあっさりのっちゃった格好。ヤマトタケル伝説を軸にアートマンの使命をもつ数奇な運命の少年がブラフマンに導かれ弥勒へと転生していく…て、これでわかる? ちなみにアートマン=芸術男じゃないからね。「意識の最も深い内側にある個の根源」なんだそうだ。ブラフマンは仏教界ではキャラ化されており「梵天」さんなんだが本来はこちらも「宇宙を動かす最高原理」とどちらも基本コンセプトが哲学的すぎて少年誌にはいかがとも思われたが、発刊当時は押しもおされぬオカルトブーム、奇想天外な神話的ピースと仏教的ロジックを面白おかしくパズルにはめ込んだチープなコラージュ的コミックは一応は受け入れられたのだろう。それにしても絵がいただけない。劇画とギャグマンガの中間みたいな5頭身キャラはもはや笑える…てそこまで酷評すんなら買わなきゃいいじゃん!てことなんだが、ヘンなモノ拾ってきちゃうんだな…たまに。おこちゃまがダンゴムシ拾ってポケットに入れて帰ってきちゃうようなもんだよ、たぶん。

それはそうとストーリー上で「神道集」を引き合いに、甲賀三郎伝説や九州クマソの古墳群、宇佐八幡と邪馬台国伝説などたしかに著者でなくても我が国の神話・伝説はのめり込む素材としては面白すぎる。それにしても伝説の地・諏訪と僕の住まう浅間山麓は地底国の風穴でつながっていたとは…。確かに近くの真楽寺というお寺にはかの甲賀三郎が龍に身を変えて姿を現したというきれいな池がありますもんね。なんか諏訪とご縁を感じますよ。

写真は左端は、お散歩コースから望める蓼科山。三郎さんが地底国に迷いこんだとされる場所で古来霊山とされてきました。我が地元のおばちゃんたちはなだらかな山頂に白き雪のうっすらと留まるを乳輪に見立て「おっぱい山」などと称しております。う〜ん、たしかに真横から見ればイイ感じのソレに見えなくもない…。

僕は風穴は通りませんがこの山の脇の峠道を越えてここ数年ちょくちょく諏訪におもむくこと多し。