越ちひろ展に。
どうだった?なんて聞いてはいけない。
「まあ…よかったよ…」なんて言うしかないではないか。
そんなことより、そこに彼女のタマシイの全てがあるのならそれでよいのだよ。
僕の感想などどうでもいいから自分で行って確かめてごらん。
+
共時性ということがある。シンクロニシティーとも言うな。昨日漠然とバランスのことを考えていた。自分で言うのもなんだが結構バランスのとれた人間だと思ってる。そしてそれは凡庸を意味するものなのかと、もっと破綻したほうがいいんじゃないかと…など思わなくもない…が、まてよ。それってなんか中間地点に立ってるって意味ではないなと気づくのだ。
「2」という数字が好きなんだよ、たぶん昔から。二つのモノを内在させることが我が身のバランス。欲張りなんだなきっと。昨日のブログを何げなく書いた後、気になってたんだが両性具有はヒトとして生物学的には無理にしろ、モノを生み出す者として、そしてその覚悟として性的両面性は必要なのかもねと。そうは言ってもたとえば髭ヅラの母性なんてもキモチわりぃからほどほどにしとっけどさ。ま、要は心意気の問題ですよ。
+で、共時性ということがある。
明恵は夢の中で得た「二つの柑子」。それは華厳と真言、母性と父性、仏眼と釈迦、心と体、合理と非合理…コスモロジーとイデオロギーってのもあったけ。それらの二元的対立の中で心身を鍛えたと。…今日めくった「明恵 夢を生きる」の数ページより。
+シンクロニシティーとも言うな…
「両面を持って存在すること。女性的であり、男性的。強くて弱い。暴力的で、狂気に満ちていて、優しく、儚く確かな存在。華やかでダークで、生であり死であること…」今日の越ちひろ展、リーフレットに記されていた彼女の想い。
…まったくどいつもこいつも欲張りなヤツらばかりだ…(もちろん自分もね)
10月、ART PROJECT 沙庭+梅田版画工房 協動企画 Lithograph 5 artists 2013で彼女の作品に出会えます(2014にはsolo exhibitionをオファー)。その前に4月20/21日、境内アートにてライブペイントも。ほとばしる絵の具の飛沫など浴びにいかが。
で、やっぱりその前に行っておいで…17日まで。