Jin Nakamura log

霧欝

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遠近法の風景の先に消え行く白い闇…。

イキモノとしてカラダに余分な程の精力に満ちあふれてた思春期の頃ならば、例えばポツポツと陰鬱な呪文のように降り注ぐ雨音にさえ健全な哀愁を感じたりしたものだ。事実僕は10代の頃そういう音を発生する装置を作ったことがある。基盤にダイオードだのトランジスタだのを意味不明な回路にハンダで括り付けイヤホンに出力して聴くのだ。眠れない夜にはオススメの装置だったらしいが、今思うと全く余計なお世話、いかにも変質的な一品にも思える。

体力的にとうにピークを過ぎてるこの身にとって自然界に存在するポジティブな要素ならすべて取り込んでも生き抜いてやる…というほどの覚悟なれば、やはりお天道様の光などはありがたい。必然、小糠雨だの濃霧だの類いは気がめいるだけで no thankyouということになる。昔爺様が毎朝お日様に向かって柏手を打っていた姿を思いだし、そんなことに妙なシンパシーを感じる自分がいとをかし。

先日の雪欝が解消されつつあったところに、このところの若干の気温上昇で雪にならない湿り気は終日深い霧となって山麓にとどまる。しかも未だ解け残った尋常ではない量の残雪が風景をより白闇に落としこんでいる。

…要するに元気がないのだ。

それでもと、気をとりなおして描きかけの「弥勒」のために絵筆をとれば不思議なもので少しだけチカラが湧いてくるような気がする。タマシイとカラダは連動してるのだろうからそうい現象もあるだろうし、もともとアートにはそういう刺激性があるのかもしれない。

なんでそんなものを手に取ったのか思い出せないが「N-ART #アート」という2008年に長野県在住の15名のアーティストをインタビュー形式で紹介した冊子を書棚から引っ張りだし眺めていた。中綴じ冊子なので当然背文字タイトルもないから今日何故それに手をかけたかほんとに不思議なんだが。

副題は「アーティストは長野で食べていけるのか?」とある。まあずいぶんと興味本位というか不躾なテーマであるが、最近はこの業界のメジャーな作家やキュレーターなどもこぞってアートとお金を話題にした本がよく出版されているので、そういう意味では地方発の小冊子だが目のつけ所は悪くなかったのかもな。

インタビューはこんなだ。

Q.今までの作家活動で辛かったことを教えてください。

友人の画家・小山利枝子氏はこんなふうに答えている…「…お金を回していくことは大変だったし、泣いたこともあったけど…その度「嫌だったらやめればいい」と自分に言い放ってきた。…もちろんやめる気になったことは一度もありません。画家の仕事は全部自分のためにやってるわけですから。辛いなんて思ったら罰が当たる。描くのをやめなきゃいけないとしたら辛いけど、やめてないから辛くない、これでいいんです。」

同じく版画家・田島健氏はこの質問に…「あんまりないなー。あ、千葉に住んでるときに、真夏にパンツ一枚で仕事してたら膀胱炎になって苦しかった(笑)。

で、僕ナカムラはなんてこたえたかというと…「ないですね。経済的なことを話しだすときりがないけど、まあそれは別にいい。」

だとさ。特に理由もないのになんとなく沈んだ気分の日、小山さんの言葉に気持ちが奮い立ち、田島くんのつぶやきに笑い、6年前の自分の言葉に「あ、ちっとも変わってねーや…」と落ち着きを取り戻した。これでいいのだ!

最後に長野でこちらも粘り腰で僕ら作家の後押しをし続けてくれている、やはり友人のガレリア表参道オーナー・石川利枝氏はこう結んでいる。

「…表現することを生きる糧にする人は、自分の世界により深く降りていくことでしか、いい表現にはたどり着けない。それがその人にとっての地獄であり天国であって、一人で降りていくしかないんです。疲れたらいっしょに飲んであげるから(笑)頑張って!」

そういうわけなので今度また一緒に飲んでもらうか。

そしてもひとつ、必要なものは必要なときに自分のそばにあることを改めて感じた日。

雪欝

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そうだそうだ、そういのあったな…“雪欝”。

むかし住んでいた長野県北部では冬になると雪雲がたまってなかなか晴れ間がない。そこで暮らしている時はあまり気にも留めなかったが、一旦離れて暮らし、戻ってみると「こんなんだったっけ…」ってほど閉塞感のある冬空を日々眺め続けて少々憂鬱な気分になったことを思い出す。

浅間山麓はどちらかというと関東の気候に近い。とはいっても標高は高いので寒さは比べるべくもいないが、冬空はたいがいカラっと晴れ上がっていて雪は少ないのだ。おそらく地元の言葉であろうが「カミユキ」といって春間近に気まぐれにドカンと降ったりするが、それもその時期には大概すぐに解けてしまう。第一いくらドカン…といっても今回のように1メートルも降ったりしない。そして今年の2月は寒い。日中の最高気温も0℃弱をうろうろし、それでも昼間の間に若干湿った雪はそのまま氷化して目の前から消えてくれる気配がない。除雪も追いつかず、一方通行のようなになった狭い道路に車体が傾くほどの最悪な轍ができて…と、とにかくこの居座り続ける白い(このごろは薄汚れてきてるが)モノにそろそろうんざりしてきた。

そういうわけで冬場の欝を久しぶりに思いだす。

この手のことに見識のある知人から「そういう時は太陽の光をあびるといいよ」と。そういえばあの日以来お天道様と意識して向き合っていない。とにかく一歩家をでるとそんな風にボーっと突っ立ていられるスペースがないのだ。

こりゃいかん…と、10年くらい前に自作したカンジキを長靴にくくり雪原に挑まんと家を出たが100メートルで挫折して帰路につく。カンジキ装着でも30cmは沈むんだもん、ムリムリ。そしてカンジキ装着のまま湿ったアスファルトの道を帰ってくるのはチト恥ずかしい。

too much snow

すでにFBなどで各地のこのうんざりするような記録的な雪の写真があちこちでupされてるので、あえて写真なしで…想像して、積雪1M。今回どうも長野県内最高積雪量らしい、軽井沢。確かに棒をさして目盛りを読んだら100cmを指してるだけのことなんだが、問題はそれが点ではなく、また面でもなく三次元のボリュームであること。どこまでいっても1M。実際には先週末の分もまだ残っていたわけだから、それに加算して1M。

その風景をみてちょっと津波のことを思いだした。1Mの波であればそれは楽しく絡むこともできようが、その高さの水量が体積でやってきた場合、大きな被害をもたらすわけでしょ。観測史上初の記録だそうだが気を抜いてると自然というものはサラっとひどいことをするものだな。とは言ってもR18が閉鎖され、最寄りの在来線しなの鉄道が今日明日終日運休、長野新幹線も未だ運転見合わせ、代替え運行もなし、そして僕は家から出られない(周辺は多少ウロウロできるけど)…、といった程度でとりあえずライフラインはなんとかなってるので、こんなふうにのほほんとblogなど更新できてるわけだが。

のほほん…といってもほぼ終日家から出るための雪掘り(雪かきではない)作業のためカラダはガタガタ。途中でどうせ車動かせないんだからと汗だくでノドも渇いたのでビールで水分補給などしながら頑張った。

降りしきる雪の中、掘り出した雪をママさんダンプで運んでいる最中に何人かマジで冬山登山のような装備で家の前を歩いて行く人々に遭遇(道路は除雪が進まず完全に車の走行は不能状態)。声をかけてみるとみな通勤の人たちであった。家の前は田舎道ではあるが一応佐久〜軽井沢間をつなぐ通勤道路にもなってるのだ。聞けば仕事場は中軽井沢だという、10kmはあろうか。なにもない時でも徒歩なら1時間以上はかかろう。また夕方、これから夜勤だという看護婦さんが「患者さんが待っているので気合い入れて出てきました!」と雪の中に消えて行ったりと。ビール飲みながら除雪作業中の僕はココロから気をつけて行ってらっしゃい!…と見送ったものだ。

今日一日何人かにこんな風に声をかけた。当然みな知らない人ばかり。普段僕はそんな風に道行く見ず知らずのひとにうかつに声をかかたりしない。不思議なものでこんな自然の気まぐれの中でなんとなく心細くポツネンと身一つを感じるとき、お互いにどことなくアイコンタクトでちょっと話してみようかな…てなるね。機械とか便利なモノに囲まれているとき、こういう気分になることはまずないけど。

そして歩けるってすごいなと思った。早く遠くには行けないど、でもどこにでも行ける。

春隣りでそろそろヒキコモ宣言撤回しようかと思ってた矢先、リアルヒキコモになりそ。で、やっぱせっかくだから写真のせちゃお。これでも夕方除雪車がやっと来てくれてからの写真です。生活必需品でカンジキ欲しい!

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footmark on snow

土曜日の大雪はこうなった。

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そしてこれをしたかったのだ。

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で、明日も降るのね…。

スノーシュー欲しくなっちゃうな。

Bad News

昨日あんなこと書いちゃったもんだから20℃も下がっちまった。なので散歩も昨日の3倍の速さで歩く。おかげで息は切れるし気道に冷気がなだれこみしんどかったー…というわけで冬はもう少し続くらしい。

さて、なにがBad Newsかというと発端はコイツ。基本的に彼女「小丸」(♀なのにボウイッシュな名前でしょ)は仕事場出入り禁止なのである。理由は一つ。筆に欲情?ちがうか…とにかくあのワサワサしたものに野生の血がさわぐらしいのだ。そりゃそうだ、その手のもは大概タヌキやらイタチやらとにかくネコ科のやつらにゃ素通りできない素材でできている。

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そして先日ヤツは姿をくらました。家猫なので外にはいない。しばらく探したあげくイヤ〜ンな予感がして仕事場に戻ってみるといつの間にか入り込んでいたらしく、すでに理性のかけらもない(もともとあんまりないけど)彼女の姿が…そして口元には細い棒のようなもの。

というわけでその日、僕は所有する筆の中で一番大切にしていた「土生天祥堂特大面相筆黒軸」を失った。正確に言うと筆部分の1/3(長さではなく量)を失った。小動物の唾液にまみれてクタってなった穂先を見つめて不覚にもう少しで涙がでるところであった。いやもう頬をつたっていたかもしれない。一瞬思いっきり虐待してやろうかとも思ったが、彼女に嫌われるのもいやなのでそこはグッと我慢の大人な対応。あ”−カワイイってのはずるいよねー!

というわけで済んだことはしかたなし、僕は切り替えが(アキラメとも言う)が早いのだ。買えばいいじゃん!(とはいってもこの筆は初めて師匠にいただいたホント大切な筆だったのです)と、お金ですべてを解決する方向に走ることにした。

本当のBad Newsはココから…。数日前所用日帰りで上京したおり、合間を見てiphone/Googleマップ片手に目指すは西武池袋線東長崎下車徒歩8分の老舗・土生天祥堂。が、Googleマップはすでに設定ポイントに到着してるといってるのにらしきモノが見当たらない。TELしてみると「現在使われいません…」て。近くのタバコ屋(いまどき珍しくない?)のおばちゃん(これもなんかいかにもって感じで)に問うてみると。「あ〜、よくみえるんですよ、そういう方…2年前にね(あ”ーその先ききたくない〜!)おやめになって…」

というわけで、不覚にもまた頬を濡らしそうになった。

僕は弘法ではないけれど筆を選ぶのだ!…いや弘法ではないから筆を選ぶのか…とにかくこの瞬間もう未来永劫あの筆で描くことはできなくなったわけで、チクショー(猫だからあたりまえか)!!! 戻ったら如何にして虐待してやろーかと思案しつつふと思うに、こうやって日本の貴重な職人技が姿を消すのかと、この現実に残念なことこの上なし。きっと今までは筆職人を画家が育て、画家をコレクターが育て…作る人も、描く人も、買う人もお互いに切瑳琢磨してすばらしい日本の文化を残してきたのだろうな…みんなーARTを買ってくれよー!と心の中で叫びつつトボトボ(このときほどこのオノマトペがしっくりいている自分はいないだろう)むなしく帰参。

後日そうは言ってもと残り2/3の筆で描いてみると、まあなんとなく描けなくはない…が、細くなっちまったんでやっぱコシがないな〜。

*写真はヤツの犯行現場の証拠写真なり。訴えてヤル〜!

HAIKU poem

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昨年はこの風景の中を長靴をはいてザクザクと白い足跡を残しながら縦横無尽に横断してたのに…。今年は雪が少ない、いや…ない。つまらぬな。ていうかすでに春の兆しありすぎ。お散歩もなんかつい後ろ手に組んでのんびりと歩いちゃう。それはそれで良いのだがもう少し冬を楽しみたかったかなー(て終わったことにしちゃいかんか)。

さて、相変わらずblogの更新スパンが縮まらず、このままいくと月一くらいのペースになりそうなのでなんか埋めとこうとノーパソのフタを開けた次第。別に書きたいことがないわけじゃない。じゃ書けよ…てことよね。

なのできっかけということで、とりあえず埋め草に直近の句会よりいくつか。

小春日に地上5メートルの眠気

千年の記憶喪失冬御森

白菜の落つ葉天使の羽のごと

新月の少し肥えたり五日かな

傷つけたことに傷つく冬日和

冬茜大政奉還失踪す

な感じの日々でした。

最後の句について◎皇居千鳥ヶ淵あたりをぶらぶらしてると目の前を右翼のトラック(トレーラーっていうのかな)…あの街宣車みたいなダサい重々しいのじゃなく銀色のジュラルミン製(イメージです)の荷台側面全面に「大政奉還」の文字。夕日を反射しながら目前を疾走していくその風景を見ながらふと僕は…それもありかもな…と。民主主義を掲げる与党にすでに民意はなく、左系の野党にも本気で政権を担う覚悟もなし。かと思えば日本文化史上最悪の「維新」をかっちょぇ~みないなイメージで党名にしちゃったとんちんかんなおっさんたちも出てくるわで…。僕は右翼の思想家ではないけれど民間政権であろうが王制であろうが摂政が仕切ろうが、結局はヒトのすること。腐らせるヤツはくさらせる。現代的な意味での政治とはずれているかもしれないけれど、天皇はもしかしたら今の政治家の誰よりもこの国のことを想いはかっている…のかもしれない(うわさだけど…)。政(まつりごと)は祭りごとでしょ。

俳句のショートストーリーな潔さが好きでなんとなく詠んでいるが、短歌はいまだ手が出ず。最近そちら系に明るい知人から聞いた、天皇の歌は「国褒め」の歌だと。で、なんとなくソレいいなと。どうも僕らは先の大戦以来、天皇制のことを思うとついアレルギー反応でちゃう傾向があるが、よくよく考えるとその歴史と仕組みは興味深いものがあるな。現代の主権在民と象徴としての存在、天皇と将軍、御所と幕府…。このWスタンダードの歴史はなかなか類がないよね。

とか思いつつ何れにしても右も左も本気だったらもちっとイメージ戦略かえた方がいいぜ! 伝統は革新なんだから。アカハタをアオハタにするとかさ、、でもそれじゃジャムになっちゃうか…。

Myths of Northern Europe

やっと宿題がおわった…と思う…。一口に本の挿画といっても本文15話分+見返し+本扉+目次+各章タイトルキャッチ…それに表紙画…となると結局20枚ほどの絵を描くことになる。編集部・本文訳者さんらとなんどもラフ原稿をつめ、内容を理解しながらの作業を繰り返し本画制作という段取りだから、そりゃ2ヶ月くらいはかかるわなー。ま、自分としては早いほうかも。締め切りあるって筆がすすむよね、やっぱ。

でも面白かった北欧神話。いままで私的にはなじみのない世界だと思っていたが、案外身の回りにはチラホラ気配がただよっていたようでもある。「指輪物語」とか最近ブレイク中の「進撃の巨人」(知人に勧められてチラ読みしたけど?だった)とか北欧神話を元ネタにしてる小説・映画・アニメ・ゲームなど多々あるのね。

ユミルという巨人から世界をつくっちゃうあたり、天の浮き橋からオノゴロ島をポったんする我が国の成り立ちよりもスケール感は壮大だが、ちょっとエッチなニュアンスもありなところなんかは洋の東西共通かな…という北欧神話、ざっと説明しますと、主神はオーディンという神様。日本で言えば天照大御神みたいなひとですね。このオーディンがいずれ訪れる巨人の一族との最終戦争「ラグナロク」を予感し、お話はその「ほろびの日に」向かってすすんでいきます…ってざっとすぎ? ま、とにかく北ヨーロッパのきびしい自然にはぐくまれた力強い物語なわけですよ!

てなわけで改めて一応コマシャールしときますと児童書「はじめての北欧神話」菱木晃子・文 ナカムラジン・絵 徳間書店/3月刊行です。

オーディン…オージン(児童書なので本文ではこのように表記されてる)…おーじん…おう仁…応仁…これ雅号とかにしちゃまずいかな…

表紙カバー色校正届いたのでアップ。あ、ちなみにオーディンの愛馬スレイプニルは8本足、うまく走れんのかなー。

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Mythology

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近所の奥様に「毎日マイナスで寒いですね〜」と挨拶された。

うすうす寒いなーとは思っていのたが、そういことだったのかと納得。それって絶対最低気温のことじゃないよね。事実本日の最高気温は−2℃…。冬至も過ぎ、これからは日増しに日が長くなるとはいえ地表に浸みた冷気は時間差でやってくる。備えてさえいれば冬はそれなりに楽しい季節ではあるのだがな。

さてblogもFBも年をまたいで放っときっぱなしだったのでそろそろ文字活動を再開しようか。

昨年11月のアタマに一本のTELあり。

「神話に興味ありますか?」

宗教の勧誘ではない、出版社から。そう尋ねられて僕は「ムムム…!」。興味があるなんてもんじゃない、ちょっとしたマイブームですらある。

仏教LOVEな僕はその愛(たぶん)故に昨今の日本の仏教(主に自分の身近ですが)に対してうんざりするような閉塞感を感じていたところ、折も折昨年は伊勢は20年ぶり、出雲にいたっては60年ぶりの遷宮が重なるとうい奇遇な年であり、春と夏にそれぞれにお参りすることもでき、いわゆる仏壇(みうらじゅん風に言うと…文壇と画壇とか言うでしょ)からのりかえて、今まで明白なビジュアルイメージが不足しているということだけであまり興味をもってこなかった神道世界に一気に浮気モードな年だったわけですよ。

まずは「よくわかる古事記」を精読(主に前半)。というのも前半はまさに神代のお話で後半になると天孫降臨してからの人の世のお話になってしまうので、ついついファンタジー優先となりますなー。で、けっこう神様の名前おぼえました。でも真名っていうのかな正式名称はムツカシイ…例えば「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)とかさ。また大黒様でおなじみの大国主命にいたっては呼び名がかるく10を超えたりするし。ま、とにかくそんな感じで事前学習もしつつ、日本を代表する神宮と大社にまずご挨拶にゆき、常陸、信濃などの一宮にも足を運び、機会があれば地域の産土神にも顔を出すというフィールドワークもこなしと、自分でもおどろくような熱の入れよう。

しか〜し! 話しを戻そう。電話口の編集担当者さん曰く「北欧の神話なんですが…描けますか?」僕「ホクオウ?…記紀神話じゃないの…」。編集「古事記はすでにスズキコージさんで出版されてます。」僕「そいつはプレッシャーですが北欧でも東欧でもなんでも描きまっせ!」ということで世界の神話シリーズ第二作目の表紙画と本文15話の挿画を数枚の試作トライアルを経て担当することになった。

そんなわけで師走から年明け寒波の今日にいたるまで来る日もくる日も僕はずーっと神様の絵を描いている。

あ”〜知らなかったー、見たかった〜!

エヴァンゲリオンと日本刀展(上野の森美術館)。が…とは言うもののエヴァも日本刀も双方それほどハマってるわけではない。けどなんだろ、このマッチングが妙にそそられる。日本刀の所有欲をもったことは一度もないが、この仕立てのデザインであれば一振り仕事場に飾っておきたいかも。漆塗りの朱とか青鞘なんかいいなー。5色くらい選べたらなんかiPone5cみたいで。東京展は終了してしまい、次回はヨーロッパ巡回展(パリ・マドリード)だと。ウ〜m、ちと遠いな。が、欧州壮行展ということで岡山の林原美術館で急遽開催決定らしい…けどこの辺りこの前行ってきたばかりだし…どしよ。

関連サイトには写真がupされてはいるがやはり現ブツを見てみたい。デザイン自体はアニメーションベースで、写真だけだと一見トイざらス辺りで売ってるおこちゃま向けクリプレっぽく見えなくもないが、あれを日本の卓越した工芸力で仕立てたらそりゃよいわな。ま、日本刀はさておき本来日本の武具…例えば甲冑などは、ホント機能よりもデザイン先行型でしょ。直江兼続の「愛兜」(戦場で愛をアピール)にはじまり黒田長政所用の「銀箔押し一の谷兜」(空気抵抗受けすぎ!)、誰が冠ったかしらんがハマグリ合わせだのウサギ耳だの、あんたら戦う気あんのかい!ってツッコミたいほどのアピール感は、もはや戦場での勝敗基準は親方様の伐折羅度如何な勢いですよ。そりゃスピルバーグもダースベーダーデザインしちゃうわけですよ。命かけて遊んどるもんねー。

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