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仏果山海圖屏風

仏果山海圖屏風「山圖」…2年越の完成です。冷静に考えると生まれて初めて取り組みこのサイズ。マナブこと多かったなー…。

開催中のN-artに出展中です。

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境内アート2016がお開きとなったおもいきや、呑み疲れ+睡眠不足のぐだくだの態のまま休む間もなく軽井沢ニューアートミュージアムにて企画展「Challenge wall」の搬入展示。50代後半に突入したOssanなのによくもつよカラダ…と思われますが実は境内で2日にわたり気を入れてもらったので案外大丈夫。ということで以下パンフより抜粋。(隈研吾氏の苔の森チャペルも必見です)

今やミュージアムショップは美術館のメインの展覧会とあわせて楽しむアートファン必見のスポットです。そんなご期待に応えるべく当館もオープン以来ショップ内容の充実に努めてまいりましたが、今回ショップ内の展示スペースを新しい表現の場として解放し、自らもアートファンと自称するショップスタッフ一押しの作家たちを紹介していく、アーティストとショップスタッフお互いにとっての「挑戦」という意味を込めた「Challenge wall」という企画をたちあげました。 初回は未成熟な“少女”の魅力を描き続ける飯島洋子、花というモチーフの美を生命の波動に展開する小山利枝子、多彩な表現を続けるなかで近年新しい仏画世界を極めようとするナカムラジンの3名の作家を紹介いたします。楽しいアートグッズに囲まれた中でお気軽にお楽しみください。今後はアーティスト提案のミュージアムグッズなども手がけながら定期的に継続してまいります。お見逃しなく!

CW校了_確認用低解像度

仏果山海圖

例のブツ(仏)はどうなっているのかというと…。なにかとご協力いただいている関係諸氏にご心配、お目こぼしなどいただきながら、それでも四曲のうち左から第三面格闘中まで進みましたる次第。言い訳をするわけではありませんが(ま、言い訳ですが)今回下図から合わせると同じ主線を仕上がりまでに五回描いている。1/4下図→原寸下図→本番和紙にトレース→トレースで線に勢いがなくなったのでほぼ全面修正→筆にて仕上げ線…て、なんと不器用なことか。効率がわるすぎるが今の自分にはこうでもしないと描けないし。その上ある程度納得いく線が引けたらとっとと塗りつぶしていけば良いかと思いきや、そりゃやっぱ塗り絵みたいにはいかんわな。もうホントすべてが試行錯誤でございます。それでこの程度かと言われちゃうかもですが…そうです、その通り!できたかなぁ…と思うとゴールはまた少し先へ霞んでいく感じ。まあ芸事ってそんなもんでしょう。でももちろん全く手応えがないわけでもなく、今回考えてみたら自分にとって今までに描いたこともないような大作へのこの取り組みはとて得るものも多いなと思っているのです。短編を得意とする小説家もたまには気の遠くなるような長編を書くと良い…と誰かが言ってましたが、なんか分かるような気がしますな。

で、言い訳はこれくらいにしまして。結局この時点では完成に至りませんでしたが今週末「境内アート」にて一旦公開いたします。途中の感じもそれはそれで面白いよー!…ということで是非信州小布施玄照寺へお出かけください!!

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哈版

…というタイトルが唐突にうかんだので、そういう引き札(今様にいうとDMとかチラシですな)をささっとレトロ印刷で作り、というわけで実は現在展覧会中ですナカムラジン展「哈版/ハは〜ん」at  FLATFAILE/2015年4月10日(金)〜5月30日(土)会期中の木金土曜日営業/11:00〜16:30/問合せ:09093596167 折しも七年一度善光寺御開帳。回向柱に触れ阿弥陀如来と結縁されたおかえりがてらお立ち寄りいただければ幸いです。善光寺参道仁王門から西へ徒歩10分。*リトグラフを中心にした版画の展覧会です。今回のために制作されたオリジナルガリ版プリント作品もアリ!

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10年間地元の方たちと続けてきた「境内アート」。諸事情あり昨年をもって実行委員会を卒業させていただいたが、11年目を迎える今年は境内企画作家ということで参加となった。いろいろな意味で過渡期を迎えてるだろう本企画、志をARTでと出来るかぎりのことを考え、やれる限りのことを実現してきたつもりだが都度自らの限界も感じまた、同時に毎回参加してくれた多くの作家のみなさんとの出会いにも感謝の10年間であったとも思う。

こうした多くのフェスは大概企画当初は参加人数も少なく、当然認知度も低いから集客もままならず始まるものだが、焦らず工夫を怠らず我慢をして続けて行くかぎり必ず成功の糸口は見えてくるものだと思う。事実当初わずか20組ほどの作家に声をかけ、始めた当フェスも近年では150組ほどの出展者を数えるほどに成長した。数字の上では確実に成功に近づいているとは思う。内容的にもART+CRAFT+一箱古本市+ステージパフォーマンス+骨董市などが歴史的禅寺空間と信州の遅い春を彩る桜の森で一同に開かれる2日間はなかなか見応えのある企画といえるだろう。

ただ境内アートに限ったことではないが、こうしたひとつの成功の道筋に沿って進む企画を少し俯瞰して眺めて(特に今年はいわゆる企画サイドではないので)みると案外細々と地味〜にやっていた立ち上げ当初の頃の雰囲気の中にこそ、なにか本当のエッセンスがあったような感じがしないでもない。数字や規模で計れない、もちろん郷愁とかではない忘れてはならない何か。毎回毎年楽しいのだが、そんなお祭り騒ぎの中で少しづつ遠ざかっていった何か。

それを思い出す更なる10年でも良し、行けるとこまで行ってしまえという勢いの10年でもまた良し。何れにしてもそんな混沌を許容する寺空間は今後もそこにあり続ける。失敗はしてもいいけど後悔はしない…そんでいいんじゃないのかね。

で、結局 I’m looking fowerd to KEIDAI-ART 2015 !

*写真ほんの一部だけど自分の分も含めてのせときまっす。

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霧欝

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遠近法の風景の先に消え行く白い闇…。

イキモノとしてカラダに余分な程の精力に満ちあふれてた思春期の頃ならば、例えばポツポツと陰鬱な呪文のように降り注ぐ雨音にさえ健全な哀愁を感じたりしたものだ。事実僕は10代の頃そういう音を発生する装置を作ったことがある。基盤にダイオードだのトランジスタだのを意味不明な回路にハンダで括り付けイヤホンに出力して聴くのだ。眠れない夜にはオススメの装置だったらしいが、今思うと全く余計なお世話、いかにも変質的な一品にも思える。

体力的にとうにピークを過ぎてるこの身にとって自然界に存在するポジティブな要素ならすべて取り込んでも生き抜いてやる…というほどの覚悟なれば、やはりお天道様の光などはありがたい。必然、小糠雨だの濃霧だの類いは気がめいるだけで no thankyouということになる。昔爺様が毎朝お日様に向かって柏手を打っていた姿を思いだし、そんなことに妙なシンパシーを感じる自分がいとをかし。

先日の雪欝が解消されつつあったところに、このところの若干の気温上昇で雪にならない湿り気は終日深い霧となって山麓にとどまる。しかも未だ解け残った尋常ではない量の残雪が風景をより白闇に落としこんでいる。

…要するに元気がないのだ。

それでもと、気をとりなおして描きかけの「弥勒」のために絵筆をとれば不思議なもので少しだけチカラが湧いてくるような気がする。タマシイとカラダは連動してるのだろうからそうい現象もあるだろうし、もともとアートにはそういう刺激性があるのかもしれない。

なんでそんなものを手に取ったのか思い出せないが「N-ART #アート」という2008年に長野県在住の15名のアーティストをインタビュー形式で紹介した冊子を書棚から引っ張りだし眺めていた。中綴じ冊子なので当然背文字タイトルもないから今日何故それに手をかけたかほんとに不思議なんだが。

副題は「アーティストは長野で食べていけるのか?」とある。まあずいぶんと興味本位というか不躾なテーマであるが、最近はこの業界のメジャーな作家やキュレーターなどもこぞってアートとお金を話題にした本がよく出版されているので、そういう意味では地方発の小冊子だが目のつけ所は悪くなかったのかもな。

インタビューはこんなだ。

Q.今までの作家活動で辛かったことを教えてください。

友人の画家・小山利枝子氏はこんなふうに答えている…「…お金を回していくことは大変だったし、泣いたこともあったけど…その度「嫌だったらやめればいい」と自分に言い放ってきた。…もちろんやめる気になったことは一度もありません。画家の仕事は全部自分のためにやってるわけですから。辛いなんて思ったら罰が当たる。描くのをやめなきゃいけないとしたら辛いけど、やめてないから辛くない、これでいいんです。」

同じく版画家・田島健氏はこの質問に…「あんまりないなー。あ、千葉に住んでるときに、真夏にパンツ一枚で仕事してたら膀胱炎になって苦しかった(笑)。

で、僕ナカムラはなんてこたえたかというと…「ないですね。経済的なことを話しだすときりがないけど、まあそれは別にいい。」

だとさ。特に理由もないのになんとなく沈んだ気分の日、小山さんの言葉に気持ちが奮い立ち、田島くんのつぶやきに笑い、6年前の自分の言葉に「あ、ちっとも変わってねーや…」と落ち着きを取り戻した。これでいいのだ!

最後に長野でこちらも粘り腰で僕ら作家の後押しをし続けてくれている、やはり友人のガレリア表参道オーナー・石川利枝氏はこう結んでいる。

「…表現することを生きる糧にする人は、自分の世界により深く降りていくことでしか、いい表現にはたどり着けない。それがその人にとっての地獄であり天国であって、一人で降りていくしかないんです。疲れたらいっしょに飲んであげるから(笑)頑張って!」

そういうわけなので今度また一緒に飲んでもらうか。

そしてもひとつ、必要なものは必要なときに自分のそばにあることを改めて感じた日。

3連休

先週末は昨年参加したアートイベント「三原谷の風まつり」の開催地・兵庫県豊岡市桑野本より地元の主要町民4名様御一行がはるばるこの浅間山麓へ。再会を喜び合い軽井沢追分などを散策した後急遽そのまま酷暑の長野市へ移動。せっかくなので国宝善光寺に参詣。折よくお上人様の「お数珠頂戴」にめぐりあわせ案内人も含め不純なオッチャンら6名石畳の参道にひれ伏しケガレを浄化(されたつもり)。さらに山門特別公開に乗じて普段は許されない楼上にのぼり文殊菩薩に会い、輪王寺宮筆の「善光寺」の通称「鳩字の額」脇から長野市を遠望などしてジモティながらいっしょに旅人気分満喫。その後僕らは別行動にて小布施町へ移動。美場テラソ+境内アート会議などを経て後、長野市一の歓楽街・権堂にて再びオッチャンらと合流、今年度企画に向けて(今年も参加するのだ!)さらに親睦を深める。翌日再び軽井沢に移動し17日から企画がスタートした軽井沢TOPOSオープニングパーティーに参加。なんかめまぐるしい3連休であった。

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こうした企画に携わっている喜びの一つはやはりアーティストとの出会いだろう。次から次へと沸きイズル若い能力は頼もしいかぎり。けして楽ではないが是非ともアートのチカラで生きぬいてほしいものであるね。境内でも気になる作家は何人かいたが今回はOZくんの技を紹介しておこう。