Jin Nakamura log

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夢日記2014,11,10

土俵にいた。

粛々と仕切りなどしている。

その所作に澱みはなく、これから戦う相手のことも十分良く見えている。落ち着いているのだ。相手の心動き、あるいは動揺なども手に取るように分かる。僕に対してなんだかやりにくそうである。こちらに視線を合わせようとはしない。

僕はけして威圧感のあるような体躯ではないが、そこにいるにふさわしい程度の体つきではあった。どうやら格付けは関脇らしい。

そして立ち会い。組み合おうとした瞬間(夢の中では大概予期せぬことは起こるものだが)相手は二人になっていた。土俵に力士三人。さすがに戸惑いはあったが、なんとかなる気がしていた。そして僕は次の瞬間わりとあっさり二人まとめて土俵に転がす。

なにしろ夢なんだから、そういこともある

人間は贅沢…というか無い物ねだりだから、僕などはたまに小太りになってみたい…などと思うこともないではない。太ってみたらお相撲さんとかラグビーの重量フォワードとかやってみたいと思ったりすることはあったが、実際に相撲取りになった夢は初めてみた。人格は僕であったのかもしれないがもちろん容姿はまったく別人であったように思う。

もしもとっても太ってしまったらやはり絵なんか描かなくなるのだろうか。食べるものも、趣味も、着る服もなにもかも全部変わるのだろうか。そしたら当然キモチもかわるのだろうか。

今のココロは今のカラダにきちんと同期しているのだろな…きっと。

そして今起きていることすべてが必然。

ならなんでそんな夢をみる?

夢日記141008

タコをおぶってママチャリに乗っている夢をみた。

タコは蛸である。8本足(手?)の内の2本を上手にボクの背中からクビにかけて、そりゃあもう愛らしいタコであった。なんか本当にかわいかったのだ。

このタコ、しばらく前までは(夢の中のことなのでほんの数秒かもしれないが)タコではなかった。赤毛の大型犬かオオカミ…あるいはキタキツネに近い哺乳類であった。蹄(ひづめ)のある少々骨張った前足をやはりボクの背中からクビにかけて上手に負ぶさっていたものだった。ただそのときは自転車ではなくクルマを運転していたのだが。

そんなふうにしばらく走っていると路面はいきなり冬道となり氷の轍(わだち)が現れていつしか乗り物はクルマからママチャリにかわり、背中には真っ赤なタコがいた。

この後ボクとタコはペダルを漕ぎながら海に入ってゆく予定だったが、ここで目が覚める。おしっこをしたくなったのだ。もしそのまま海に突入してびしょ濡れになっていたらきっとおねしょだったことだろう。お子ちゃまならそうなるところだろうがボクはオッサンなのでちゃんと起きて用を足す。

世界広しと言えど「タコをおぶってママチャリに乗っている夢」などみるヤツはいるのだろうかと真夜中の寝ぼけたアタマで考えてみる…が、眠いし、どうせ朝になったら忘れちゃうだろうと思い再びふとんにもぐったのだが、翌日一日を過ごしてもいまだ覚えていたものだから、こうして久しぶりに夢日記として残すことにした。

 

Translation-2

つづき…。

たとえば仏教を英語で考えるととてもつまらない。

だって「空」は「empty」なんだから。もしAll things are empty…と語ったとすればだれも「すべてのものは空(くう)である」なんて英語圏の人々は当然理解しないだろう。「みんなからっぽなんだってさ!」って笑われて終わりかもしれない。でも日本人ならたぶん笑ったりはしない。よくわからないなりに一応は想像してみる。でもやっぱりなんかモヤモヤとしたかすみのようなものしか見えてはこないけれど。

ボクの文章とナーガールジュナの残した般若心経を並べて引き合いにだすのはあまりに恐縮だが大筋こんな障がいが和文を英訳しようとすればまず立ちはだかる。

もう一つ。

ボクは文頭で「仏画は宗教に関わるもので、信仰の対象であるから表現の対象にすることをしてこなかった…」と書いている。なんとなく謙虚な気持ちを伝えようとする雰囲気で書いているが、その英訳を考えればかんがえるほど、その言い訳は全く理解されないような気がしてきた。なぜなら西洋美術の3大主題は「宗教」「生と死」「エロス」でしょ。中でも宗教美術は特に古来先人たちが熱心に取り組んできた表現なわけだし…とか考えはじめたらもうこの文章を英訳してなんかいいことあんのかい!って気分になり、結局以下ほぼ全面改訂に近い内容の文章になったのだった…。

Essentially Buddhism is a philosophy rather than a religion and this spiritual side does’t fit the original Buddhism. For example the image of salvation after death is no more than a concept with very few part of buddhist sects. Though this emphasized impression descended to the far distance Asian island of Japan from the birth place of Buddha. So we Japanese naturally join our palms together in a spiritual feeling when we face the old buddhist arts.

But it was taboo to idolize in the original Buddhism. Disciples only prayed to the dharmacakra (holy wheel) or the footprint of the Buddha after his death. So they couldn’t feel him very much. And at last, hundred years later they have created replica of the Buddha. And the longing appeared as an idol.

So looking back on beginning of Buddhism, now we are able to visualize easily a dazzling Buddhist world. If they didn’t broke a taboo and they did’t create idols, we had no way to feel him like a past saint except from the wheel and footmark. Since the “official” introduction of Buddhism to Japan in 6 century, people long ago made and kept the many Buddhist statues and pictures as an idol.

An idol is an image or other material object representing a deity in the West, but the word “an idol” in Japanese culture means especially attractive,lovely or cool person. In this way I reinterpret their work and modernize these religious idols to fit into this generation. So just as we enjoy our Japanese idol, I want my viewers to enjoy these many aspects of Buddhism in a light-hearted way.

 

Translation

仏教世界のキャラクターが描かれているわけだからジャンルを問われれば「仏画」ということになるだろうが、このカテゴライズは自分の中ではまったくしっくりこないし、どこか落ち着かない。そもそも宗教だし、信仰の対象だし…そういうモノに手を出そうと考えたことは実はつい最近までなかった。では齢半世紀を生きたところで、少々弱気になってそろそろ現世とは異なる次の世などを考え始めた末の所業かというと別にそんな理由でもない。
そもそももともとの仏教は宗教というよりは哲学に近く、そのような神秘的側面はそぐわなかったであろうし、まして死後の世界の救済的なイメージなどは数ある仏教宗派のほんの一部の概念であろが、いずれにしても仏陀生誕の地から遠く離れたこのアジアの東の果てにはそのような印象がより強調されて伝わってしまったので、何れ仏像・仏画の前に粛然と向き合う時ぼくらは自然にスピリチャルな雰囲気に寄り添い思わず合掌したりしてしまう。
しかし本来仏教は「偶像崇拝禁止」。弟子たちは教祖亡きあと、法輪や仏足石などのヒトガタでないものにわずかにその気配を感じ信仰の対象としてきたが、その数百年後ついに彼らは我慢できずに創ってしまった…そして「憧れ」は「偶像」となって立ち現れる。おかげで創始以来2500年後の僕は今、めくるめく仏教世界のビジュアルを容易に想像できるようになった。もし彼らが禁を犯して偶像を創らなかったら未だに我々はワッコやヒトの足裏の型にただただ遥かなる過去の聖者の気配を感じるしかなす術はなかったはずだ。僕は今のところ敬虔な仏教信者ではないが、この件に関してはそうならなくてほんとうによかったと思っている。
趣味的対象として10代の頃からだからずいぶん長い間親しんできた仏世界、そんなに好きなら描けばいいか…動機はそんなとこ。その背景が哲学であれ信仰であれ、中学生みたいな表現で恐縮だが、ただただ美しくカッコいいブツを描いてみたいだけなのだ。釈迦入滅数百年後の信者もおそらくそんな気分だったのでないだろうか…と想像している。

以上は9月に六本木 Shonandai MY Gallery の個展で会場に提示した書面。主要作品の制作意図に着いて書かれている。会期終了後この文章の英訳をギャラリーから依頼され、ま、なんとかなるかなーと軽く引き受けたが…なんともならんかった。たまに自分の文章を英訳してみるといい。どんなに無駄な語彙が多く、理論的に組み立てられていないかがよくわかる。詩人が書いたちょっと長めの文章だと思えばいいような気もしないではないが、やはりイメージ先行、雰囲気はあるけど結局何が言いたいのかよくわからん系に…て書いていてまたたぶんこの文、英訳不可…あるいは半分以下の文章量におさまるんだろなと思う。

で、また長くなりそうなので…つづく…。

母性とFighiting spirit

仏教の主性は母性である…。先日とあるサロンで善光寺のあるご坊からそんな話しを聞いた。だから仏陀は…無論キリストも結局そのことに気づいてしまったと。生物的には彼らは男性であるので両性具有のイメージがだぶる。なかなか興味深い話しであった。

仏教的母性の最終イメージはやはり如来か。すべてを包み込むようなフクヨカな雰囲気。そこに少しだけセクスィさを加えると菩薩のイメージになろう。一般的に仏教界のヒエラルキーは次の階層に「明王」「天部」…と続くが、そのどちらも前者2階層に比べてイメージはかなりダーティー、いわゆる強面である。それまで愛と母性を前面に押し出し、優しく包みこんでくれてたブッディズムキャラが階層を下るにしたがって変貌してゆくわけだが、ちゃんと理由はある。

まず「明王」は大日如来の命を受け、あるいはそのものの化身として未だ仏教に帰依できない衆生をその恐ろしげなビジュアルイメージで教化させようというわけだ。根底には愛はあるのだろが若干“脅し”が入ってることは否めない…が、全ての煩悩を焼き尽くしてくれる勢いのお不動さんは言うにおよばず、仏教界のキューピッド・愛染明王などはその煩悩さえも即ち「菩提」と説き、いったいどっちなんだい!とツッコミたくはなるが、何れにしても人間、ただただ優しくされたんでは将来ロクもんにはならず、たまにはビシッっと怒られたい…てな欲求もあるようで、案外明王部は人気ものが多い。

天部についてはざっくりと彼らは仏教世界のガーディアンだと理解している。ココロ優しき仏を守護するものたち。例えば薬師如来には12人の守護神がいる。十二神将と呼ばれ、その数の符合から干支とシステム的にタイアップしていてその頭頂部にそれぞれのシンボルの動物さんがあしらわれデザインされている。虎や龍(辰)などは勇猛果敢んでかっこいいけど、うさぎさんやネズミさんの人は守護神としてちょっとなめられんじゃ…とちと心配、よけいなお世話だけど。(でも僕はいずれチョー強そうなウサギさんを共にした摩虎羅大将を描こうと思っている)で、実はこの12人、各々7千の眷属夜叉を率いているので計8万7千という巨大軍ということになっているのだ。調べてみると現代の自衛隊の総人数は一応23万人程度(そんなにいたんだ…)だそうだから、それに比べると少ないが仏教が興ったころのその規模としてはおそらく世界最強だったはずだ。

で、問題はそんな最強部隊をつくっておいていったい彼らはナニと戦うのか? 仮想敵(国)は誰なのか、どこなのか?

その答えとして用意されている相手は「ヒトの煩悩」なのだと。

たとえばこの先自衛隊がナニと戦うことになるか(そうならないであってほしいが)わからないけれど、その優秀な武器で威嚇しても実際に船を沈めても、飛行機やミサイルを撃ち落としたとしても、結局自らの「煩悩」と戦う羽目になることは間違いないと思う。それでたぶんシアワセにはなれない。

2000年も前の人々がどういうつもりでこれらの憤怒の形相のキャラを創造したのか正確なのところはわからないし、現代において時に愛を語る前にある種のファイティングスピリットがなければならない局面もあるだろうとも思う。

そうは思うがやはり「母」は「戦え」とは言わないだろな。

鬼譚考

仕入れた古書に紛れていた平安時代を舞台にしたちょっとエッチな鬼譚集を読んでいたら、なんとなく「鬼」について考える。

鬼面とはハッタリであるという。そうだろうな、これまでに我が生み出してきた仕事の数々はせいぜいそんな類いなモノであったような気がしないでもない。だがここで自らのそんなエセっぽい芸事について語りたいわけではない。本物の鬼について、鬼を志す旨について…そろそろ考えてみた方が良いのではないかということだ。

確かに鬼の面相は恐い。古今の物語ではその恐ろしげな姿で人に仇なす逸話が数多いが、同時にある意味それだけ人に近しく、時に人に優しく愛されたりもする不思議な存在として語られたりもする。そして稀に人を護り導く神に昇華したりさえする。

古今と前置きしたが東西としなかったのには理由あり。東洋の鬼に対し西洋に悪魔がある。どちらも一見した恐ろしさは共通するが、その属性は似ていて非なるもの。八木義徳の言葉を引用すれば「西洋の悪魔はわらっている。東洋の鬼は悲しんでいる。一方は人間の愚劣さにたいする尊大な冷笑であり、他方は人間の愚かしさへの無限のあわれみだ…」と。そういう意味では例えばデビルマン(by 永井豪)は鬼に近いな。日本人が生み出したキャラだから当たり前か。

そしてまた鬼は芸事と縁が深い。百鬼往行する平安の世にあって鬼と芸術家は時に友であり敵であったいう。共に夜を明かして音を奏で詩を吟じることもあれば、時にとって喰われることもあったそうな。芸事とはそもそもそういステージのものなのかもしれないな。

古来、道と道が交わる辻は鬼を始めとする妖が出現する異空間ということになっているが、この現世において逢魔が時、スクランブル交差点に立ったところでネクタイを緩めた酔っ払いに絡まられるの関の山で、一向に鬼の気配にであうことなどもめっきり減ってしまった。

それでも周りを注視すればわずかながら鬼はいる。一見人の面相をしているので気づかずに見過ごしそうになるが。さらに八木(この鬼譚集を読んでいたらなぜか20年以上も前に読んだ随筆集が気になり引っ張りだして読み返している)の言葉を借りればそれは覚悟そのものだと言う。また続けて、「覚悟とは決心であり、決心とは断念である」という。

以下原文をそのまま引用すると「決心と言う以上、彼は多くのもののなかから一つを選んだのだ。断念という以上、彼は多くの一つのもののために他の多くのものを捨てたのだ。覚悟とはつまり何かを選び何かを捨てることだ。そして彼が捨てたものが多ければ多いほど、彼の選んだ一つのもはより強固になるだろう…」と。

僕はいまのいままでたぶん表現することにおいてずっと足し算でやってきたように思う。琴線に触れた面白そうなことには好奇心をいっそう働かせてそのすべてに手を出してきた。手を出すということと出来るということは当然全くちがうことだが、それでも引き出しは増えた。完璧ではないにしても何かしらの工夫をすればそれなりに面白いモノを生み出すことはできるようにもなった。そしてこの「工夫」そのものが苦労というより意外と楽しいものであることにも気づいていく。時に一人で解決できそうもない場合には他人の才能を巻き込んだりもしつつ。

覚悟の足りない仕事というのはそのようなことだろうか。欲張りなのだ。そして以前から薄々気がついていたが確かに圧倒的な努力が足りない。とはいえドリョクどりょく…と念仏みたいに唱えたところで目前に無限の時間があるわけもなく、結局ワクワクしないと続かないし…てなわけで自らの額に美しく荘厳する角はいつ生えることらやら…。

 

でも、なれたらイイな…オニ。

 

花腐し…

花びらを拾って歩いた、まるで少女のように。いや、そもそも少女は花びらを拾って集めたりするだろうか。これはオッサンの純情がさせる全く無意味な行為ではないか。

そうやって集めたのはコブシの花片。名ばかりの春の間に薄霜がなんどか降りたが、くりぃみぃな白を薄汚れた茶色のシミに染めながらもなんとか枝の先にしがみつき卯月の終わりにとうとう落ちた。

目の前に落ちていたわりと綺麗な1枚だけ拾うつもりだったのだが、横に目をやるとあちこちに散乱する花びらがなんだか急にいとおしくなって昨年の枯れ葉の中を歩き回り何枚も集めた。こうやって下だけを見ながら奥へ奥へと進み人は山に迷っていくのだろう…が、コブシの木は我が家の庭先にあるので僕はどこへも迷わない。

最初は出来るだけ状態のよいモノだけを集めるつもりだったが、そのうち薄茶に汚れたのもなんとなく美しく思いはじめて「このシミはよいかな…」などといろいろなものを拾い集めてみた。

さて自分なりの観点で美しいと思って集めてはみたが、これらの花びらはこの後どのようになるのだろう。もっとビビットな色であればやがて色が抜け落ちて脱色しそうだが、コブシの花はもともとそれほど主張の強い色ではない。ただ早春の山腹でまだ周りが枯れ木ばかりの中、いち早く大柄な白い花弁をつけるから、その時期には結構目立つ花木ではあるが。

白はしろのままであろうか。白が脱色するイメージはないが、茶色に変色していくのだろうか。考えてみたら花びらの行く末など考えてみたこともないので、そんなたぶん当たり前すぎるような結末を実は何も知らないことに気づいたりする。

「卯の花腐たし」という季語があるが、「腐たす」のはなにも卯の花だけではない。すべての美しい花は皆その役目を終えれば落花し腐る。

このウッキウキの季節になんでそんなモノに引っかかったのか我ながら不思議であるが、とりあえず写真に残し、この後は科学としたい。

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雨ではない、かといって霧というほどでもない。空気中にほんの微細な水滴がただよってる。晴れていれば間近に見える浅間山も厚い雲に覆われ、まったくその姿を隠している。この雲は夜半には確実に雨になるらしい。

一応習慣にしてる(つもり)の散歩は夕景を見ながらと決めている。理由はいくつかある。1.朝はそんなに得意ではない。2.昼間は仕事をする。3.太陽高度が下がり、夕方の厚い大気の層をすり抜けて届くオレンジ色の波動が好き…概ねそんなところ。なので雨の日はもちろん太陽が見えない曇りの日はいまいち外に出る気にならない。が、そうそう引きこもってもいられないので本格的な雨になる前に思い切って出かけることにした。

普段よりは湿気の多い日ではあるが、そうは言っても花粉のシーズンであるからマスク必装で。しかしそのせいで歩き始めるとすぐに自分の呼気で眼鏡が曇る。周囲の湿り気と相まってまさに深い霧の中を進むようだ。レタス畑の農道はほとんど一般車両は通らないので多少視界が悪くてもそれほど問題はない。

いつもというわけではないが音楽を聴きながら歩くこともある。Keith Jarrettのケルンコンサートは空の風景が美しい時に最近よく聴いている。10代終盤に出会ったまさに名盤であるが実は長いこと聴いてはおらず、その存在を忘れかけてさえいたのだが、つい2年ほど前に知人に連れてってもらった京都のカフェでたまたま流れていて、まさに30年ぶりの邂逅を果たし、忘れモノを取り戻した気分でその後飽きない程度によく聴いているという次第。

ジャズ界ではあまりにも有名すぎる名盤なので知ってる方も多いと思うが、もし未だとうい方はには是非聴いてもらいたいものだ。表現者にとって一生に一度こんな神懸かり的な仕事ができたらもう思い残すことないんじゃないかな…(でもそれはそれでタイヘンか)。とにかく夕日に染まったきれいな空と雲をアホみたいに眺めてそのメロディを聴いていたら涙が出そうになる。でもそうしているとあまりにも簡単にトランス状態になって現実世界から離れて行きそうになるのでほどほどに…とは思ってるけど。

歩くということにはあまり意味がないような気がする。もちろん健康のためと思ってはいるが、歩き始めるとそれはただただ歩いているだけでなんか本当に意味の無い行為に思えてくる。無為とはこういことかとも思う。なんか動きながら瞑想しているような…とは言っても僕はきちんと瞑想とかの指導も受けたことも無いし当然経験もないので瞑想のなんたるかを知らないのだけれど、歩きながら普段考えないような思いに至ったりして面白い。カラダが歩くという行為でちゃんと活動しているせいか不思議とあまりネガティブなことは考えないような気もする。

今日は、これもやはり10代の頃にハマっていた劇団の演出家の言葉を思い出していた。「地球よ止まれ、僕は話したいんだ!」これは彼の本のタイトルだったかな。残念ながら本の内容は全く覚えていない。とにかく暑苦しいほどに汗臭くエネルギッシュな芝居をする劇団だったので、内容もかなり暑苦しかったんだと思う。

僕も若かったし傾向としてすぐにいろんな物事に感化されやすかったから、こんなコピーが心に残っているのだろうと思うけど、今に至ってはそんな天変地異を起こしてまで誰かに伝えたいようなのっぴきならない話題など持ち合わせるわけもなく、なぜ歩行瞑想中にこんな言葉がふと浮かんだのかが全く不明である。    …つづく

霧欝

14305

遠近法の風景の先に消え行く白い闇…。

イキモノとしてカラダに余分な程の精力に満ちあふれてた思春期の頃ならば、例えばポツポツと陰鬱な呪文のように降り注ぐ雨音にさえ健全な哀愁を感じたりしたものだ。事実僕は10代の頃そういう音を発生する装置を作ったことがある。基盤にダイオードだのトランジスタだのを意味不明な回路にハンダで括り付けイヤホンに出力して聴くのだ。眠れない夜にはオススメの装置だったらしいが、今思うと全く余計なお世話、いかにも変質的な一品にも思える。

体力的にとうにピークを過ぎてるこの身にとって自然界に存在するポジティブな要素ならすべて取り込んでも生き抜いてやる…というほどの覚悟なれば、やはりお天道様の光などはありがたい。必然、小糠雨だの濃霧だの類いは気がめいるだけで no thankyouということになる。昔爺様が毎朝お日様に向かって柏手を打っていた姿を思いだし、そんなことに妙なシンパシーを感じる自分がいとをかし。

先日の雪欝が解消されつつあったところに、このところの若干の気温上昇で雪にならない湿り気は終日深い霧となって山麓にとどまる。しかも未だ解け残った尋常ではない量の残雪が風景をより白闇に落としこんでいる。

…要するに元気がないのだ。

それでもと、気をとりなおして描きかけの「弥勒」のために絵筆をとれば不思議なもので少しだけチカラが湧いてくるような気がする。タマシイとカラダは連動してるのだろうからそうい現象もあるだろうし、もともとアートにはそういう刺激性があるのかもしれない。

なんでそんなものを手に取ったのか思い出せないが「N-ART #アート」という2008年に長野県在住の15名のアーティストをインタビュー形式で紹介した冊子を書棚から引っ張りだし眺めていた。中綴じ冊子なので当然背文字タイトルもないから今日何故それに手をかけたかほんとに不思議なんだが。

副題は「アーティストは長野で食べていけるのか?」とある。まあずいぶんと興味本位というか不躾なテーマであるが、最近はこの業界のメジャーな作家やキュレーターなどもこぞってアートとお金を話題にした本がよく出版されているので、そういう意味では地方発の小冊子だが目のつけ所は悪くなかったのかもな。

インタビューはこんなだ。

Q.今までの作家活動で辛かったことを教えてください。

友人の画家・小山利枝子氏はこんなふうに答えている…「…お金を回していくことは大変だったし、泣いたこともあったけど…その度「嫌だったらやめればいい」と自分に言い放ってきた。…もちろんやめる気になったことは一度もありません。画家の仕事は全部自分のためにやってるわけですから。辛いなんて思ったら罰が当たる。描くのをやめなきゃいけないとしたら辛いけど、やめてないから辛くない、これでいいんです。」

同じく版画家・田島健氏はこの質問に…「あんまりないなー。あ、千葉に住んでるときに、真夏にパンツ一枚で仕事してたら膀胱炎になって苦しかった(笑)。

で、僕ナカムラはなんてこたえたかというと…「ないですね。経済的なことを話しだすときりがないけど、まあそれは別にいい。」

だとさ。特に理由もないのになんとなく沈んだ気分の日、小山さんの言葉に気持ちが奮い立ち、田島くんのつぶやきに笑い、6年前の自分の言葉に「あ、ちっとも変わってねーや…」と落ち着きを取り戻した。これでいいのだ!

最後に長野でこちらも粘り腰で僕ら作家の後押しをし続けてくれている、やはり友人のガレリア表参道オーナー・石川利枝氏はこう結んでいる。

「…表現することを生きる糧にする人は、自分の世界により深く降りていくことでしか、いい表現にはたどり着けない。それがその人にとっての地獄であり天国であって、一人で降りていくしかないんです。疲れたらいっしょに飲んであげるから(笑)頑張って!」

そういうわけなので今度また一緒に飲んでもらうか。

そしてもひとつ、必要なものは必要なときに自分のそばにあることを改めて感じた日。

雪欝

14221

そうだそうだ、そういのあったな…“雪欝”。

むかし住んでいた長野県北部では冬になると雪雲がたまってなかなか晴れ間がない。そこで暮らしている時はあまり気にも留めなかったが、一旦離れて暮らし、戻ってみると「こんなんだったっけ…」ってほど閉塞感のある冬空を日々眺め続けて少々憂鬱な気分になったことを思い出す。

浅間山麓はどちらかというと関東の気候に近い。とはいっても標高は高いので寒さは比べるべくもいないが、冬空はたいがいカラっと晴れ上がっていて雪は少ないのだ。おそらく地元の言葉であろうが「カミユキ」といって春間近に気まぐれにドカンと降ったりするが、それもその時期には大概すぐに解けてしまう。第一いくらドカン…といっても今回のように1メートルも降ったりしない。そして今年の2月は寒い。日中の最高気温も0℃弱をうろうろし、それでも昼間の間に若干湿った雪はそのまま氷化して目の前から消えてくれる気配がない。除雪も追いつかず、一方通行のようなになった狭い道路に車体が傾くほどの最悪な轍ができて…と、とにかくこの居座り続ける白い(このごろは薄汚れてきてるが)モノにそろそろうんざりしてきた。

そういうわけで冬場の欝を久しぶりに思いだす。

この手のことに見識のある知人から「そういう時は太陽の光をあびるといいよ」と。そういえばあの日以来お天道様と意識して向き合っていない。とにかく一歩家をでるとそんな風にボーっと突っ立ていられるスペースがないのだ。

こりゃいかん…と、10年くらい前に自作したカンジキを長靴にくくり雪原に挑まんと家を出たが100メートルで挫折して帰路につく。カンジキ装着でも30cmは沈むんだもん、ムリムリ。そしてカンジキ装着のまま湿ったアスファルトの道を帰ってくるのはチト恥ずかしい。