Jin Nakamura log

夢日記2014,11,10

土俵にいた。

粛々と仕切りなどしている。

その所作に澱みはなく、これから戦う相手のことも十分良く見えている。落ち着いているのだ。相手の心動き、あるいは動揺なども手に取るように分かる。僕に対してなんだかやりにくそうである。こちらに視線を合わせようとはしない。

僕はけして威圧感のあるような体躯ではないが、そこにいるにふさわしい程度の体つきではあった。どうやら格付けは関脇らしい。

そして立ち会い。組み合おうとした瞬間(夢の中では大概予期せぬことは起こるものだが)相手は二人になっていた。土俵に力士三人。さすがに戸惑いはあったが、なんとかなる気がしていた。そして僕は次の瞬間わりとあっさり二人まとめて土俵に転がす。

なにしろ夢なんだから、そういこともある

人間は贅沢…というか無い物ねだりだから、僕などはたまに小太りになってみたい…などと思うこともないではない。太ってみたらお相撲さんとかラグビーの重量フォワードとかやってみたいと思ったりすることはあったが、実際に相撲取りになった夢は初めてみた。人格は僕であったのかもしれないがもちろん容姿はまったく別人であったように思う。

もしもとっても太ってしまったらやはり絵なんか描かなくなるのだろうか。食べるものも、趣味も、着る服もなにもかも全部変わるのだろうか。そしたら当然キモチもかわるのだろうか。

今のココロは今のカラダにきちんと同期しているのだろな…きっと。

そして今起きていることすべてが必然。

ならなんでそんな夢をみる?

川の風祭り2014-2

お散歩しにわざわざ7時間かけて行ったわけでもないないので展示風景なども少し…とはいっても今回 iPhoneの写真なのでそれなりですが。

写真上・中段は新作の四天王・持国天さんと広目天さんの線画です。増長天さんもお連れしましたがリーダーの多聞天さんが間に合わずフルメンバーとはならず…と思っていたらお隣の映像作家・藤原次郎さんの展示写真の中に地元の古刹の多聞天さんがしっかり収まっておりましてなんかうまくいった感じで。

田んぼに「風」の文字を地元の人たちと書きました。

写真下段右下奥の白い建物が展示場所の旧大森小学校です。

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川の風祭り2014

行ってまいりました関西ロード。

まずは三原谷・朝のお散歩の風景から。

そろそろ地区住民人口よりも鹿やイノシシ人口の方が増えそうだとのこと…。ぼくもボーっと歩いていたら害獣駆除用の電圧線にひっかかってしまった…けどなぜか感電しなかったな、ジーンズは電流を通さないのか?

ま、いずれにしても美しい風景は3年ぶりでも変わってはいなかった。

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3 years…

2011年の三原谷で展示した弥勒菩薩のスケッチは3年を経て右図着彩本画「Bodhisattva 弥勒」(和紙、アクリルガッシュ、金銀箔/90×60cm)となった。なんとなく仏画を描こうと思って最初に浮かんだビジュアルが弥勒菩薩であった。尋常ではないキャラクター数の仏像界にあってなぜこの人であったのか理由は分からないがとにかくこの顔が浮かんだのだ。その後如意輪観音(のような人)の連作を6点ほどと弥勒の父・修梵摩、 母・梵摩跋提を背中合わせに描いた二天背合圖、迦楼羅王、お不動ちゃん…と、振り返ってみるときちんと本画にしたのはこの3年間でその程度。筆が遅いな…が、まあそれでもよく描いたほうか。

さて豊岡だが、「Bodhisattva 如意」の近作はすでに現地に発送済みだが、多少なりとも新作を…ということで今回もスケッチ風で恐縮だが四天王さんをお連れします…が、がんばったんですけどフルメンバー無理かも…。

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そうだった…告知し忘れてました。

今回で3回目の出展となります「三原谷の風まつり2014」今週末 10/25+26 会場は豊岡市竹野町三原谷の旧大森小学校。

今回の出展作家は縣考二・藤原次郎・黒田征太郎・渡部裕子…とナカムラです。展示プランとしては建築家の縣氏設計の茶室プロジェクト+書家の渡部氏による立体書とコラボしながら六本木で展示した旬の仏画をレイアウトします。あ、あと茶碗でも参加。

他にも楽しい美味しい企画が毎回満載!関西方面の方(でなくても〜)是非お出かけください!!

*写真は2011年、前回出展時の会場からの風景。不思議で素敵な場所。自分にとってモノをつくる上でもひとつの啓示を得た特別な場所かもしれない…。

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夢日記141008

タコをおぶってママチャリに乗っている夢をみた。

タコは蛸である。8本足(手?)の内の2本を上手にボクの背中からクビにかけて、そりゃあもう愛らしいタコであった。なんか本当にかわいかったのだ。

このタコ、しばらく前までは(夢の中のことなのでほんの数秒かもしれないが)タコではなかった。赤毛の大型犬かオオカミ…あるいはキタキツネに近い哺乳類であった。蹄(ひづめ)のある少々骨張った前足をやはりボクの背中からクビにかけて上手に負ぶさっていたものだった。ただそのときは自転車ではなくクルマを運転していたのだが。

そんなふうにしばらく走っていると路面はいきなり冬道となり氷の轍(わだち)が現れていつしか乗り物はクルマからママチャリにかわり、背中には真っ赤なタコがいた。

この後ボクとタコはペダルを漕ぎながら海に入ってゆく予定だったが、ここで目が覚める。おしっこをしたくなったのだ。もしそのまま海に突入してびしょ濡れになっていたらきっとおねしょだったことだろう。お子ちゃまならそうなるところだろうがボクはオッサンなのでちゃんと起きて用を足す。

世界広しと言えど「タコをおぶってママチャリに乗っている夢」などみるヤツはいるのだろうかと真夜中の寝ぼけたアタマで考えてみる…が、眠いし、どうせ朝になったら忘れちゃうだろうと思い再びふとんにもぐったのだが、翌日一日を過ごしてもいまだ覚えていたものだから、こうして久しぶりに夢日記として残すことにした。

 

Translation-2

つづき…。

たとえば仏教を英語で考えるととてもつまらない。

だって「空」は「empty」なんだから。もしAll things are empty…と語ったとすればだれも「すべてのものは空(くう)である」なんて英語圏の人々は当然理解しないだろう。「みんなからっぽなんだってさ!」って笑われて終わりかもしれない。でも日本人ならたぶん笑ったりはしない。よくわからないなりに一応は想像してみる。でもやっぱりなんかモヤモヤとしたかすみのようなものしか見えてはこないけれど。

ボクの文章とナーガールジュナの残した般若心経を並べて引き合いにだすのはあまりに恐縮だが大筋こんな障がいが和文を英訳しようとすればまず立ちはだかる。

もう一つ。

ボクは文頭で「仏画は宗教に関わるもので、信仰の対象であるから表現の対象にすることをしてこなかった…」と書いている。なんとなく謙虚な気持ちを伝えようとする雰囲気で書いているが、その英訳を考えればかんがえるほど、その言い訳は全く理解されないような気がしてきた。なぜなら西洋美術の3大主題は「宗教」「生と死」「エロス」でしょ。中でも宗教美術は特に古来先人たちが熱心に取り組んできた表現なわけだし…とか考えはじめたらもうこの文章を英訳してなんかいいことあんのかい!って気分になり、結局以下ほぼ全面改訂に近い内容の文章になったのだった…。

Essentially Buddhism is a philosophy rather than a religion and this spiritual side does’t fit the original Buddhism. For example the image of salvation after death is no more than a concept with very few part of buddhist sects. Though this emphasized impression descended to the far distance Asian island of Japan from the birth place of Buddha. So we Japanese naturally join our palms together in a spiritual feeling when we face the old buddhist arts.

But it was taboo to idolize in the original Buddhism. Disciples only prayed to the dharmacakra (holy wheel) or the footprint of the Buddha after his death. So they couldn’t feel him very much. And at last, hundred years later they have created replica of the Buddha. And the longing appeared as an idol.

So looking back on beginning of Buddhism, now we are able to visualize easily a dazzling Buddhist world. If they didn’t broke a taboo and they did’t create idols, we had no way to feel him like a past saint except from the wheel and footmark. Since the “official” introduction of Buddhism to Japan in 6 century, people long ago made and kept the many Buddhist statues and pictures as an idol.

An idol is an image or other material object representing a deity in the West, but the word “an idol” in Japanese culture means especially attractive,lovely or cool person. In this way I reinterpret their work and modernize these religious idols to fit into this generation. So just as we enjoy our Japanese idol, I want my viewers to enjoy these many aspects of Buddhism in a light-hearted way.

 

Translation

仏教世界のキャラクターが描かれているわけだからジャンルを問われれば「仏画」ということになるだろうが、このカテゴライズは自分の中ではまったくしっくりこないし、どこか落ち着かない。そもそも宗教だし、信仰の対象だし…そういうモノに手を出そうと考えたことは実はつい最近までなかった。では齢半世紀を生きたところで、少々弱気になってそろそろ現世とは異なる次の世などを考え始めた末の所業かというと別にそんな理由でもない。
そもそももともとの仏教は宗教というよりは哲学に近く、そのような神秘的側面はそぐわなかったであろうし、まして死後の世界の救済的なイメージなどは数ある仏教宗派のほんの一部の概念であろが、いずれにしても仏陀生誕の地から遠く離れたこのアジアの東の果てにはそのような印象がより強調されて伝わってしまったので、何れ仏像・仏画の前に粛然と向き合う時ぼくらは自然にスピリチャルな雰囲気に寄り添い思わず合掌したりしてしまう。
しかし本来仏教は「偶像崇拝禁止」。弟子たちは教祖亡きあと、法輪や仏足石などのヒトガタでないものにわずかにその気配を感じ信仰の対象としてきたが、その数百年後ついに彼らは我慢できずに創ってしまった…そして「憧れ」は「偶像」となって立ち現れる。おかげで創始以来2500年後の僕は今、めくるめく仏教世界のビジュアルを容易に想像できるようになった。もし彼らが禁を犯して偶像を創らなかったら未だに我々はワッコやヒトの足裏の型にただただ遥かなる過去の聖者の気配を感じるしかなす術はなかったはずだ。僕は今のところ敬虔な仏教信者ではないが、この件に関してはそうならなくてほんとうによかったと思っている。
趣味的対象として10代の頃からだからずいぶん長い間親しんできた仏世界、そんなに好きなら描けばいいか…動機はそんなとこ。その背景が哲学であれ信仰であれ、中学生みたいな表現で恐縮だが、ただただ美しくカッコいいブツを描いてみたいだけなのだ。釈迦入滅数百年後の信者もおそらくそんな気分だったのでないだろうか…と想像している。

以上は9月に六本木 Shonandai MY Gallery の個展で会場に提示した書面。主要作品の制作意図に着いて書かれている。会期終了後この文章の英訳をギャラリーから依頼され、ま、なんとかなるかなーと軽く引き受けたが…なんともならんかった。たまに自分の文章を英訳してみるといい。どんなに無駄な語彙が多く、理論的に組み立てられていないかがよくわかる。詩人が書いたちょっと長めの文章だと思えばいいような気もしないではないが、やはりイメージ先行、雰囲気はあるけど結局何が言いたいのかよくわからん系に…て書いていてまたたぶんこの文、英訳不可…あるいは半分以下の文章量におさまるんだろなと思う。

で、また長くなりそうなので…つづく…。

偶像崇拝

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Shonandai Project/Shonandai MY Gallery × 南美術
ナカムラジン展「偶像崇拝」
2014,9/10(水)〜9/21(日)12:00〜19:00(最終日17:00まで
*15,16は休廊
Reception 9/10(水)17:00〜

なんかもういつにも増して準備ギリです。やっとサイトアップしてこれから東京です。よろしくお願いします!!!

古道

夏のはじめに熊野に行ってきた。

2012年以来この3年間で伊勢神宮、出雲大社、そして今回の熊野三山と日本を代表する三大聖地を巡ったことになる。

日本の信仰宗教を一括りにしてよく「神仏」などと言ったりするがそれらは全く別モノ。偶像崇拝上の整理解釈として本地垂迹説などが唱えられ、ついつい同じフィールド上に乗ったりするからなんとなく親戚筋みたいな感覚があるが、そもそも神道に偶像はそぐわない(仏教ももともとは偶像崇拝禁止であったが)。僕は仏教はとことん人がつくったモノと思っているが神道世界はナニかヒトならぬものの気配の方を強く感じる。もちろんそれを伝えてきたのは人であるが、やはり根底にあるのはその土地の力かな、自然といってもいいでしょう。

掲載した一番上の写真は現在の熊野川沿いに建つ熊野本宮大社の旧社地。明治時代の大洪水で多くの社殿が流されたため現在本宮は500mほど離れた場所に遷座されているのだが、やはり雰囲気やたたずまいは大斎原(おおゆのはら)と呼ばれるもともとのその場所よいかと。なにかしらの場のチカラがあるのかも。これから行かれる方は是非こちらの旧社地へもご参拝を。

さて熊野と言えば古道を歩かねば…ということで、早朝一旦本宮大社前に車を止めバスに乗ること20分(乗客9割ガイジンだった…さすがユネスコ世界遺産)。終点「発心門王子」よりあらためて熊野本宮大社を目指す。紀伊半島に張り巡らされた参詣古道のほんのさわり程度の行程。★一つ、超入門コース。都からの行程のおそらく99%をショートカットして最後のゴールの高揚感だけをズル〜く体感しようとする通称「お姫様コース」7km弱、ゆっくり歩いて3時間に挑んでまいりました。でもわるくないよこのコース、昔のお姫様は侮れませんなー。

三本足の烏に導かれて紀伊半島熊野山系、山なみの風景が信州とは明らかにちがう。たぶん植生が大きく異なるのだろうな。遥か都の方角へは三千峰が延々と続き、ふと振り返るとかつて人々が補陀落渡海(あるいはニライカナイ)を目指した熊野灘が垣間見れる不思議なところ。次回はもう少し歩いてみようかな。

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