Jin Nakamura log

Tokyo day〜Nagano day

たまには出先から投稿。
本日はブーランジェリーの長男と受験真っ最中の末っ子の三人で川の字だー。部屋に入ったとたんムッとする男臭であったが5分で慣れた(低みへの順応はカンタンである)。ちょっとだけでも一緒に呑もうとアルコール持参でやって来たが、パン屋は朝が早いし、もう片方も、明日が本命の受験とあって二人ともさっさと寝息をたててる。おかげでチチはヒマを持て余し、独りワンカップを開けながら、とっても打ちにくいiPoneのタッチパネルでカキコ。…て、いくらヒマとは言え、話しが極めてどうでもいい内容だな。

そいやつい先ほどまで劇団の新作のためのブレーンストーミング。テーマが夢だったのには、不思議な巡り合わせを感じた。その中でひとつ、寝るときに見る夢と、望み、希望(I wish…)のソレと同じ表記であることを不思議に思う。英語のdreamもそうなんだよな、なんでなんだろ。
そろそろ打ち込みつかれてきた、
ので今晩はこれまで、明日はまた昼までに長野に戻らねば。

+

ここから先は標高差900M(時間差20時間後・日付は同日)ほど、関東平野から山麓に戻ってからの投稿なり。絵巻物でいったら異時同図法ってとこか(なんでも例えればいいいってもんじゃないが)。さて昨晩の疑問に添うと、就寝時の「夢」は「希望」と同義。ならば、うなされるような悪夢にもなにかしらの希望の一端が含まれてるやも知れず…などとますます不可解なことばかり。

明恵の「夢の記」の話題は継続中。で、この夢を記するという行為だが、いつぞや自分でもと宣言してみたものの、これはかなり困難な試みであると最近は感じている。当然だがそんな毎晩啓示的な夢を見るわけもなく、ほとんどが意味不明、あるいは公表するもためらわれるような雑夢(それが雑夢かどうかの判断も難しい)であれば興味を継続させるエネルギーも瞬く間に枯渇し、河合氏の言葉を借りれば「夢というものは覚醒時の意識と簡単につながるものではない」ので要は覚えてらんないのよ。

それを思うと明恵は19才から示寂する直前のほぼ40年間の夢の記録を残してる(しかも解釈付)という事実に驚嘆する。こうした文献は世界的にも希有とのこと。というわけで僕ごときがあっさりなげだしとしても誰も責めてはいけないのだ。

untitled

20代前半の頃、自律神経失調症で入院したことがある。自律神経とは呼吸や代謝、消化、循環など自分の意思とは無関係で生命活動の維持やその調節を行い、絶えず活動している神経である。その成り立ちである生命活動を活発にする働きをする交感神経と、それとは全く逆の働きをする副交感神経のバランスが大きく崩れることで発症するわけだ。

歩きたくなったら足を前に交互に進める。手をにぎりたかったかったら腕をさしだす。眩しかったら目を細める…みんな自分の意思で筋肉を動かしその行為に及ぶが、今から血を流しま〜すとか、胃を活発に動かしま〜すとか、免疫力アップいきま〜す…とか普通はなかなか自在に操れるものではない。ま、中にはそういうのできちゃう人もいるかもだが…そして、もしかしたらそう言う意識も大事なのかもしれないが。

で、その意思・意識の問題である。自らの意思でカラダを制御する…と言ったが、逆にその自分の意思・意識とやらはちゃんと制御できてるのだろうかという疑問もある。「我思う故に我あり」…だっけ?  自我って果たして自分のモノなのかしらね。自分のアタマん中ですべてを決定していると思っている自分は、ホントは自分の中のほんの一部であったりするてなことない? たまになんでこんな行為に及んでるのか説明がつかない…てなことない?

説明理由として外的要因(なにかのせい)になすりつけるのも簡単だが、やはりそこは我が身の未知なる深遠を疑ってみた方が…

それはそうとこのあと上京です。ミラボオ展示に顔出しつつ、その後劇団風の子新作芝居の舞台美術打ち合わせナリ。電車の時間が迫ってきたのこのへんで…。

弟子入り決定!

「絹本着色」…てなんか憧れるな〜。もちろん「紙本着色」でもいいんだけど、何れにしても古い仏画をみれば見るほど、やっぱ岩絵の具でしょ、切り金でしょ、ニカワでしょ!みたいな…。というわけで日本画、ちゃんと勉強したいなーとかねがね思っとったわけです。

友人の現代アート作家が某美大の通信講座で日本画先攻してんだが、担当教授に「龍は描くな」って言われたって。たぶん「龍は私のモチーフだ」とか「10年早えー!」とかそんな理由らしい。描きたいものは今描きたいよね。100年早くたって、稚拙だって今かける龍を描きたいよね。ダメダメじゃんて思っても今の自分にできることをしてみたいのです。

というわけでふと僕はこんな近くにこんなスゴイ人がいたことを思い出し、すぐさま電話でおそるおそる(そうは言っても職人的伝統的世界だしさ)お願いしてみたところ、あっさりオッケー!「いっしょに描こうよ」ってさ。なかなか言えないよ、さすがだ、アリガテぇ!

というわけで(2回目)尊敬する日本画家・生井巌氏の弟子になることに。うれしいなー、絵を描くことについて今まで誰にも教わったことなかったし、別に教わるものでもないと思ってたけど、なんかマナベルっていいよね〜。独学もオススメだけど、師匠がいるっていいよな〜てなんかかなり舞い上がっちゃってる…。

内弟子ってやつだったらやっぱ朝の掃除と犬の散歩からかしらね。ま、さすがに東京と長野なのでそうしょっちゅうお邪魔するわけにいかんのだけれど、とりあえず通いでしっかり学びたいと思います。たぶん技術だけじゃなくね。

一見ふつうの曇り空だが、八ヶ岳ももっと遠くの北アルプスも、本来ここから見渡せるべき山々はすべて見えている。雲はかなり高い上空を覆っているのだろう。朧に霞んだ太陽の光は彗星のような錯覚。つまらなきソラも見ようによってはおもしろい。明日はこの風景、また真白に染まるのだろうか、夜半から関東でも雪だとか。

ゆめのふち-の続き

白洲さんのと同時に読み進めてるのが「明恵 夢を生きる」(河合隼雄・著)。こちらの方も同性ではありますが白洲さんとはまたちがったカタチの愛おしさをもって名僧の夢世界に挑んでいる気配あり。もっともこの二人この件がきっかけかどうかは知りませんが交友関係にありますね。

河合氏の著作・対談集などは若干拝読しているが、ココロと向き合う仕事柄か宗教(特に日本人と仏教)に関する著述はかなり興味深く、また自分自身そう言った趣向の文脈に特に偏って出会っているフシがある。なので実は彼本来の研究テーマである分析・臨床心理学系(ユングとかさ)の本はほとんど(ウソつきました一冊も)読んでない…が、そうは言っても意識・無意識の深遠のこと、そしてつきつめれば魂の話、感覚的にソチラの方面もフムフムとなんとはなしに勉強になるんだなこれが。

さて、本著作で氏は明恵の夢世界に分け入る前に彼の仏教史における立ち位置を確認する論を展開している。その中で「鎌倉期に次々に現れた祖師たちは、仏教におけるある一面を切り取って、先鋭的なイデオロギー的教義を打ち出して独自の宗派を形成していった…」と。宗教では特にありがちだが「これが正しい」と真理を説けば「これ以外は誤り」と他をラジカルに攻撃せざるを得ない。イデオロギーとはよく政治的観念の主張として使用されるが言われてみれば宗教にもよくあてはまる。そしてこうした明白な主張は人を惹き付け、善悪・正邪の判断基準を与え、その時代の変遷・選択の記録が歴史として残る…というわけだ。これはとてもわかりやすい。

一方、この範疇におさまらないのが明恵である。というか彼も含めて前述の祖師たちが勤めて流布せんとした「仏教」そのものが本来実はまったくイデオロギー的ではなく、それそのものは多分にコスモロジー的性質を持つものであると著者は言い切る。これも腑に落ちる。人間の存在などそもそも矛盾に充ちたものだと…存在そのものに善悪・正邪を孕み、仏教こそはまさにそうした存在を踏まえてそれでもなお生まれた宗教ではないかと、氏は問う。

コスモロジーは包括する。イデオロギーは切り捨てる。

自分という存在と深く知ろうとするなら生に対し死、正に対し悪。その受け入れがたき半身と向き合う恐怖に立ち向かうこととなるわけだが、それさえも包み込んで多くの矛盾と共生していく姿勢がコスモロジーを形勢するのだと。

明恵が「何も興さなかった」わけがわかるような気がする。

コスモロジー…その歯切れのよくない世界がなんとなくおもしろソーじゃない?

ゆめのふち

正月以来が然「夢」というものに興味津々なわけだが、かの世界に深く旅に出ようとするも未だその縁にとどまり深遠なる無意識界をおそるおそるのぞいてみている…てところだろうか(てか、忘れちゃうんだよねーすぐ…)。

きっかけは先にも記した明恵という人であるが、この件についてまず最初に読み進めた一冊が「明恵上人」(白洲正子・著)。で、この白洲さんて方、案外イイひとなんじゃないかなと…(失礼)。なんかさコワソ〜なおばはんのイメージあったのよ。ま、能に造詣が深く骨薫る世界を愛でる嗜好や、そのそうそうたる交友関係などをざっとさらっただけでも、そりゃフツーに近寄り難い空気を醸し出しますわね。

ただこの著作について言えばよい意味で文体がとても中庸で、取材したことや想いに誠意が感じられ、なにより分かりやすい。テーマに拠るのだろうか、別な著作を読んだときはさほど感じなかったのだが。おばはんきっと上人に惚れちゃってたのかもな。言葉が初々しいというか瑞々しいというかさ。そんだけ明恵さんステキなひとなんですよ、たぶん。

「明恵が信じたのは仏教ではなく、釈迦という美しい一人の人間だったといえましょう…」

彼女の言葉より。

ふしぎな雲、雪はほとんど融けました。

ぬるい…

森に近づくと水の匂いがする。

清濁合わせ、融けだし、混ざり合って…

冬になってからまったく感じなかったものがほんの一瞬帰ってきた。

最高気温が所によっては10℃近く。例年ならそこにマイナスがついてもおかしくないのだが。

明日からはまた戻る。

昨年の水温む頃よんだ句「高みから低きへ流る水の春」…真冬は重力も凍る。

仲冬の句会

「冬月にもぐる鉄路の光あり」

「暖鳥放つか否かは伽次第」

「あやかしの小僧じじいや冬の暮」

以上My拙句。以下仁選+カンソー的なモノ

「去る猫の尾に陽の残り漱石忌」

ネコモノはねぇ…、絵になっちゃいますからねぇ…ずるいですよ。漱石忌はやっぱり「我輩…」に引っ掛けてですか?構成といい、着眼点といい、言葉の選び方といい、なんか出来過ぎな感じで、やっぱ選ぶのやめよっかなってふと…思いつつ選んじゃいました(笑)。

「福引きの勝者は慣れぬガッツポーズ」

ちいさくガッツポーズ…ですかね。五木ひろしみたい?なんか妙にひかれちゃいました、この句。なんだろ主人公の絶妙な小市民的雰囲気のせいかしら。

「採血の白衣うっすら冬茜」

なんか萌えますね〜。最後は「冬茜」って季語が強引に入ってる感じしちゃった。もう「あかね色」でいいじゃん、季語なんてどうでもいいじゃんてさ。「血」と「白衣」と「うすもも色(すでに茜でさえなく)」でもう別な妄想へ! ごめんなさい!!!!

「初詣貫主の頭拝みけり」

拝んじゃったのやっぱりあのツルっとした後頭部あたりですか?これもかってにビジュアル興味先攻だぁ〜。こういうのによわいのかな…。

「去年越えて汽笛海界(うなさか)あたりから」

昭和演歌っぽくて好き。こぶしまわして唄いたくなっちゃう。普通に言ったら「海界(うなさか)あたりから汽笛が…」でしょ。やっぱ演歌は倒置法ですよ(演歌じゃねーし)。

東京2展

一つ。コレクション展「新春の国宝那智瀧図」仏教説話画の名品とともに

根津美術館は初めて…以前からシブいのやってんなーとは思ってたが。個人コレクションを元としてるさほど大きくもない美術館だが、国宝8点・重要文化財40点程という収蔵クオリティーはなかなかのもの。さすが明治の財閥はスゲーや。コレってここのだったんだ…てのもいくつかありびっくり。その内の一つ「国宝那智瀧図」これに会いに。

退色が進んでいるせいで胡粉で描かれた一筋の瀧以外は一見何が描かれているのか判別しがたいのだが、それがまた逆に中央落水の軌跡を浮き立たせることになっている。右上山の端に大きな月がのぞいているので夜の風景であり光に充ちた画面ではなかったはずだが、時は紅葉、半身に隠れているとはいえ満月の光、それを映す一条の流水と飛沫…。描かれた当初はかなり幻想的な色彩であったことだろう。

できたら近いうちに熊野に詣でようと思っていた。これも何かの縁なんだろう。

+

一つ。「飛騨の円空」千光寺とその周辺の足跡/トーハク

芸風として円空さんは嫌いでもないが好きでもない、よく対比されるが木喰さんもそう。たぶん自分の中でこういった素朴派を受け入れられる寛容さがまだ育っていないんだろう。

生涯で12万体彫ったという。物理的にムリであろうという説もあるようだが数分でできそうな木っ端仏も含めればあながち無理なこともないようだ…が、いずれにしても尋常じゃない制作量である。

膨大な作品量を残したと云えばピカソもそうだ。とても若い頃彼の作品の線をみて、このくらいなラインなら自分にもひけると思ってた。高じてピカソくらいなことならほぼ出来ると。あるとき彼の生涯に残した作品量を調べたところ、自分がこの後同量のブツを残すには、とっても長生きした上で1日2〜30点以上は制作しなければならないことに気づき、それまで根拠なく信じてた我が身の天才性をあっさり否定するに至る。

天才とは尋常じゃない努力をヘッチャラな顔してやるヒトでしょ。そういう意味で自分などはまったく努力家ですらないな。ま、極めて凡庸ではあるが、そうはいっても才がまったくないわけでもなさそうなのでやれるだけやってみる…という覚悟なり。

話を円空に戻すが、そういう意味では彼は素樸派などではないかもな。前言を撤回しよう、彼はめったにいない、まぎれもない天才の一人だ。

軸装

こんな感じに軸装作業進行中。本画の左右(柱)と中廻し(天地部分)は染織家のナオコ氏がわざわざ今回のために橙に染め下ろしてくれたものを使う。一文字もなんとなく正倉院ぽいのを選んで…たのしみだ〜。

描画完成

ま、こんなもんですかね。なんとか間に合いそう。来週早々上京しお軸に仕立ててもらいます。

この「二天背合圖」実は弥勒さんのお父さんとお母さんです。知ってました?弥勒菩薩にちゃんと父母がいらしたこと、いやこれ過去の話ではなく、あの有名な釈迦の没後五十六億七千万年後の未来の話。父…「修梵摩」母…「梵摩跋提」の子として現世に生まれるということだそうですよ。

そもそもなんでこの絵を描こうかと思ったかというと2/8からのミラボオ企画展に企画担当から時節柄、雛の作品をと依頼されたものの、おひな様をつくるという行為に全く内発的衝動がわき起こらず、仏画でいい?と了解を得てという次第。ただその時点で未来の弥勒出生の秘密など知るよしもなかったが、ちょうど「bodhisattva弥勒」を描きつつあったその頃、件のエピソードを知るに至り、ではまずはお父さんとお母さんからということにあいなったわけサ。