Jin Nakamura log

フライヤー

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先にも記した「卯月産月浅間展覧会」フライヤー、こんな感じ。4/6からだが実は急遽8日からの銀座での個展スケジュール受け入れてしまった。いや、一旦はお断りしたんだよ…。でも一晩考えてまあやれってことかなと。

上記とは関係ないのだが、ここ数日アタマの中がトッ散らかってる…というか思考が一つにまとまらないというか…。よくよく考えると大した理由でそうなってるわけでもないのだが理屈でわかっててもダメなときはだめね。傍らのギター手に集めた楽譜を片っ端から熱唱してみると副交感神経が刺激され、うん少しはイイ感じ。しばらく弦に触れてなかっただけなのに指が痛い…でもココチイイ。

あーこれってやっぱ放射能鬱かな、花粉と混ざり合ったさ、最近毎週東京通い。明日も。アートフェア顔出してきます!ってあそこも面白いんだけど空気よくないんだよな〜。産み出すモノとはまた別物の雑念というかさ。…なんか打ち込むコトバも散乱してるような心無しか…いつもこんなかな…。

初春の句

「清濁を合わせて森の水ぬるむ」

三寒四温もほどほどにしてよ〜てな春ですね。その繰り返し訪れる「温」の気配を最初に感じた日の句です。冬の寒気に閉ざされていると「匂い」というものを忘れそうになります。-10℃くらいが普通の最高気温の頃、一気に+10℃まで上がった日がありました。我が家の周囲の森(規模的には林かなあ)から久しぶりの「水」の匂い。昨年の秋あたりからそれこそいろんなモノを溜め込んで、解け合って混ざり合って…でもそれは都会の雑踏で感じるような腐臭ではなく。複雑なんだけど、けしていやな匂いじゃない。「あ〜コレコレ…森の匂いってこんなだったよな…」って思い出す。正しく朽ちていくものはイイ匂いがするんじゃないかしら。

 

「きらきらの靴底重し春の土」

春の土ってこんな感じでしょ。今年はだいぶ雪が残っていたので何度もいわゆる農道を外れてレタス畑の中をズンズン歩かせてもらっちゃいました。その雪が融けると、もこもこにひび割れた畑の土が顔をだし、さらに温かくなると湿り気のある柔らかな土にもどります。足下はすでに長靴とかブーツではなく軽やかなんだけど、もうその土では軌道を逸して畑の中は進めないのです。

 

「外泊の春の夜ぬるし茶パツ猫」

小丸ちゃんの先代のミーちゃん(ウチでは代々たいがいのネコはとりあえずこんな名前)のことです。もともと外ネコだったので家外、出入り自由の茶トラちゃん(だから茶パツ猫)。朝帰り、2Fのベランダから僕の枕元のサッシをガリガリ。ガリガリすればちゃんと開けてもらえる思ってるところが憎たらしい(ちゃんと開けるんだけどさ…眠いのに)。ちなみに6ヶ月で発情期に入った早熟コマさんはそろそろ避妊手術のため病院お泊まりにいきます。

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3/10、煙霧の日、そして一日の気温差20℃の日、表題の講座に参加、月島にて。

わかったこと2つ。金箔の上には絵の具は基本的には定着しない。そりゃそうだよな未来永劫変化しない金属地の上に別な何かが化合して定着するわけがない。もちろんそうは言っても…とあがくわけだけど「無理なものはムリ!」潔くてよいではないか。

もひとつ。中国にはすでに「膠」という漢字は存在しない。ま、この件については先生も「聞いた話」ということ前提ではあったのでもしかしたら異論もありかもだが、それにしても興味深い。“「膠」という漢字は存在しない”が意味するものは、すなわち“膠で顔料等を定着させる絵画技法が存在しない”と同義だという。我が国ではその方法で描かれた絵画を特に「日本画」と分類している。かねがねこのジャンル名の不思議さを思っていたわけだが(だってフランス画とかドイツ画とかないでしょ。油で溶けばそれは油絵だし)それについても、幕末の海外勢力の侵攻のトラウマから極端な国風文化を切り捨てていったあの不幸な明治維新の時期を経た反省の上に、一つの志をもって時の芸術家たちが銘々したものであるとようやく理解。

というわけだからそれらは言ってみれば「ニカワ画」でいいか、そもそも大和絵なんだな。注目すべきは元々はやはり大陸から伝わった文化の一つであろうから、そちらに因んだ名称がついていてもよさそうなんだが、上記の説だと宗家の方ですでにその系譜が途絶えてるとなれば、今となっては「日本画」という名称が残ったのは必然とも言えそうだ。(ちなみに現代中国の画家御用達はだからもっぱらアクリル系)

実はこんな感じで発祥元の宗家の地ではすでにその奥義が途絶えたものが、別な土地で連綿と受け継がれているなんてことは案外多いのかもしれない。そういや空海が伝えた密教なんかもそうだよな…。日本は西からの風が最後に流れ着く場所。島のカタチも偶然かもだがパラボラだしな…やはりオモシロキところ也

花小金井

師匠のお宅はその昔広重が描いた富士三十六景 武蔵小金井、多摩川上水の桜の名所の近くであった。今に残る花小金井という地名も、そのあたりに因んだものか。路地に顔を出す白梅などはすでに満開、桜もボチボチという具合で我が山麓とはえらい違いだ。わざわざ駅まで迎えに来てもらった彼と道すがらそのあたりの土地の昔話などしつつ15分ほどでご自宅へ。門を入るとすぐ左手に手づくりの鳥小屋が。現在は網の張られた物置といった風情だが、実はこれ以前はカラス小屋であった…と合点する。思い出した。僕が初めてこの人と銀座一丁目の画廊で出会ったとき(10年ほども前だろうか)「カラスを飼っている絵を描くおじさん」として紹介されたのだ。普通の人はあまりカラスを飼ったりしないので、酔狂な画人といったところで適当に納得し、その理由など特に聞いたりはしなかったが、せっかくなので10年ぶりに尋ねてみると、要は家の近くで群れにはぐれて足を痛めていたカラスを一時期引き取り面倒を見ていたとのことだった。ツルならまだしも「カラスの恩返し」なんてものはあるものだろうかと、つい下世話な考えをめぐらす自分をいさめつつアトリエに上げてもらう。

今回はまずはご挨拶までと伺った次第だが、そんなポカポカな昼下がりから夕方まで先生の描き続けてきた軌跡(たぶんほんの一部だろうけど)をたどりつついろんな話をお聞きしたり、させてもらったり。正直いうと僕はおそらく日本画というものの技術を学びたくて門を叩いたのだろうけれど、その数時間で思い至ったのは最も学ぶべきことになるのはやはり作家としての姿勢なんだろうなと。もちろん自分らしくとか、自分のペース…みたいなもんもあるにはあるが、彼の言葉やたたずまいが穏やかであればあるほど作家として我が身には全く足りない描き手としての凄みのようなものを改めて感じないわけにはいかないのだ。来てみてよかった。

さてこの件のブログでのレポートは一応今回のみとする。これは師匠との約束…以後は秘密の特訓…てのはウソ。彼はとてもシャイな人なので。それに特にレポートしなくても、もし自分に学べる資質があるのなら自然に作品や自分自身のふるまいに現れることだろう。いずれにしてもこちらの問題だ。

*写真右は蓮の葉、葉脈の数が正確に記録スケッチされている。

ということで次回からは実技に入ります。ワクワク…。

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復帰

パスワード忘れてログインできなくってたFB、もう少しほっとくかと思ったんだが沙庭サイト制作打ち合せのついでに新規アカウントをとって復活させることに。多分基本的にしばらくはblogリンクで活用予定。写真はサイト制作を依頼したkpdマチダ氏のオフィス近くの飯綱山。現在はリゾート開発されてるが、古くは飯綱権現を祀る修験道場の霊峰なのだ。

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Landscape13305AZUMI

ホントはもう少し山懐まで入ってくつもりだったが冬期閉鎖のゲートに阻まれ…地元の古老によると開通は4月に入ってかららしい。野生のサルの子どもに会った…親ザルはNo thankyou(マジでコワイ)だけど、なんでもチビッコはかわいいな。

レンゲが咲くまでもうすこし。

…花粉症きちゃった気がする〜

バガボンド

あんまり長編コミックを全巻集めたりしないんだが…。もしかしてコレDoragon Boll海皇紀についでそろえちゃうかも…の気配。だってused、お安いんですもの105¥。せっかくなのであらためてWikiで武蔵さんのことリサーチさせてもらうと、そりゃ小説のようにはいかず諸説あるようだが、おどろいたのは彼、Artistだったのね。重要文化財として書画・工芸の作品が現代に伝えられているとは知りませんでしたよ。ネット上の画像なのでディティールはわからないけど「枯木鳴鵙図」など構図の取り方などなかなかですな…とはいえそれは一面。彼をはじめ400年ほど前の武芸者たち、命かけてホントなにやってたんだろ。理解しがたいような…でも妙に「へぇ〜…ふう〜ん…」などと感心してみたり。

ところで「バガボンド」のロゴ、20巻あたりからかわってるのね。最初のがいいかな…。

ちなみに途中番号がとんでるのは。これ以上一度に買うと持って帰るのが面倒…でも対・吉岡清十郎のくだりは見たい!…が故。 + そいや夕方からまた雪、明日は車でちょっと遠出なのに…。

神仏

「卯月・産月浅間展覧会」(すでに大の字とれてる)は基本的にはここ数年取り組んでいる作品シリーズを出展する予定だが、そうは言ってもナニカ新作をと思い、告知フライヤー用にと本展タイトルにちなみ「浅間大菩薩」のイメージを描いてみることにした…が、日程を現実的に直視するとおそらく展覧会初日に下図が完成されているかどうかというところだろうな。そもそも下図の展示って本画が横にあってこそだよね、下図だけ展示してたら明らかに制作間に合いませんでした…て開き直り?ま、それもいいか、なんでもきっかけですもんね、やるだけやってみよ。

ところで今回の浅間さん、龍に乗ってますんで「騎龍浅間大菩薩」ということになりますね。先日もlogに記しましたが本地垂迹により一応Buddhismキャラな感じですが本来は浅間大神=コノハナサクヤヒメなわけで、そもそも神道世界なわけですよ。いや一般的にはね「神仏」なんてひとくくりにしちゃいますけどね、それって若干ムリがあるかなと。Buddhismの場合は布教活動(凡夫衆生に理解させる)という大前提がありますからね、その仏教世界をかなり積極的にビジュアル化してよりわかり易く努めてきたわけですが、神道の場合は気配を「感じる」世界でしょ。神像というのもなくはないが、普通の人がご神体を視覚的に受け取るということはまずない。

また仏教では特に宗派によっては煩悩即菩提なんて言葉もあるように不浄なモノほど救われたりしますが、神道では逆に精進潔斎などといって徹底した清らかさが求められたりする。禊ぎですね。

だからさぁ…ホントは神域に手を染めることへの躊躇はあったのよ…。ま、なんでもチャンプルーにしちゃうのがニッポンですから、一応以上承知の上で神仏習合させていただくことに。考えてみりゃそもそも天津神の子孫としての天皇自身が鎮護国家を理由に自ら仏教伝播を図ったわけだからさ、いいよね(って比較対象が合ってない気もするが)。ただやっぱなんかBuddhismキャラ描くときより緊張する…なんでだろ。どことなく自分の持ってる不浄さにやましさみたいの感じてんだろーな…しゃーないけど。

でも実はこれに先立ちAMATERASUも描いちゃってんだな、、、夢にビジュアルでてきちゃったんでつい。ちなみにこの菩薩図、この後画用紙を継ぎ足しつぎたしでイメージサイズをますます広げるので、完成したらかなり大きな作品になっちゃう。

愈々弥生

いよいよやよい(舌噛みそうだな)。少しだけ寒さがゆるんできたかと思うと今度は花粉の心配などしたりして、まったく因果なもんだ。加えて昨今は西からは耳慣れぬpm2.5だとかが目にはさやかに見えねども漂ってくるわ、あたりまえなんだろうけど震災以来毎朝の新聞からは放射線量の観測情報欄もいまだ消える気配もないわで…。

このアキツシマはもともとそういったものとはほど遠く清浄な霊気に満ちていたはずなのに。もちろん大陸からの風も不浄なモノばかり運んできたわけではない。かの大国からは語り尽くせぬほどの多くを学んだろうし、僕ら自身も何割かはその遺伝子情報を刻んだ末裔だったりもするわけで。しかしそこに住まい暮らす人々の属性はそいういった民族性にあまり依拠しないと思っている。自分の来し方を想えば遥か風の沸き立つ土地へのなにからの懐かしさを感じなくもないが、やはり今の僕らのココロとカラダはこの島の水と空気と霊性でできあがってるんだと思う。もっと大切にしなきゃいかんのだろうなココを。

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さて急遽決定した地元ミュージアムでの個展。タイトルをと担当者から言われて…5分考え「卯月・産月(大)浅間展覧会」(うづきうみつき(だい)せんげんてんらんかい)とした。( )内は思案中。できる努力はするつもりだが揃う作品量によってはあっさりカットかも。

「浅間」(アサマ)は「センゲン」とも読む。「朝熊」とも書く。このあたりちょっと調べてみたら「富士山信仰」に行き着いた。荒ぶる神として富士山と浅間山を一体の神として祭ったという説もあるらしい。で、その富士信仰の核となる浅間神社のご祭神「浅間大神」は天照大神の孫、天孫ニニギノミコトの妻「木花咲耶姫」なのだそうだ…フムフム…。で、で、神仏習合・本地垂迹により「浅間大菩薩」と称しその本地は「大日如来」であるとのこと…う〜んそうだったのか〜。

我が住まう山麓と霊峰富士がそんなご縁があるとはね、一度登らんといかんかな…でも下から見てる分にはよいがなんか登ってオモシロそうな山ではなさそうな…。

ミズヌルム

今日はぬるかったね〜久しぶりに流れる水をみた。

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油やプロジェクト定例会。いつもながら議題が多岐に渡っていて時間が足りん。そいや今年から油や前庭で毎月7の日「骨董市」ですよ!これ決定。

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沙庭の準備そろそろ本格始動せねば…。アート古書充実を図るため仕入分では足りないのでJin’s蔵書を放出することにした。古書店の経営者ってみんな最初は自分の蔵書に手をつけるらしいよ。あーサイトもつくんなきゃだ〜。

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日々の仕事に追われて絵、描けてない…のに、4月急遽「浅間縄文ミュージアム」よりオファーがあり「やらない」or「できない」理由はない…ということにして企画展決定。しか〜し、境内アートもあるしなぁ…その一週間後油やオープンでぇ…ムムム…ダイジョブか…今までもなんとかなってきたから、なんとかなるんだろうな…たぶん。