Jin Nakamura log

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ウ〜

なんか寒い…と思ってたらごらんの通り。白いモノはすでに浅間の中腹まで。県内の各地の峠は雪の情報。すでに冬用タイヤ装着でないと危険らしい。我が家にとめてあるクルマのヤネにも8;00pmですでにうっすら霜が。日中は落ち葉が雨のようにちり落ちてますが、まさに俳句の季語のごとく「冬隣り」な感じね。

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さて見仏界の先駆けMJ氏(みうらさんね)風にいえばMY寺院(これって今寺院=イマジンとかかけてんのかな)建立ってことなんだけど実際仮にも宗教施設であるとするならば(なワケないか…でも宗教についてちょっと考えてみる…ことはできるかも)何かしらの宗旨というものがあってしかるべき?(なんで疑問形?…ちょっと自信なかったりする)まあ、大ざっぱにはBuddhismでいいんですが(じゃないと仏像彫れない仏画描けない)日本の仏教は奈良以来の伝統宗教だけでも十三宗五十六派と言われてますからね。当然それによって安置するご本尊もちがいますし伽藍配置などの様式も異なるので、何をツクルか何を描くかにかかわる重要なポイントなわけです。

教義の根本(いつのまにできたんだ?)は一応ポジティヴシンキングですからどちらかというと来世救済系よりも現世利益系でしょうかね。たとえば末法思想を元に、生きてる間に救われるのはムリなんで極楽浄土でなんとか…という浄土系宗派はやはりどうしてもお寺と“死”のイメージと直結しますね。生きることに絶望した先の死後の救済はやはりよほど折れないココロがないとネガティヴに傾倒してしまうだろうな。西方極楽浄土はそりゃ描きがいがありそうな美しい世界なんだろうけど…。一方(スンマセンすっげー大ざっぱな対比です)せっかくならこの世でなんとか…といえば真言宗に代表されるような密教系でしょうか。神秘主義的な教義・修法によって即身成仏をめざすわけです。生きたままホトケですからね、これはすごいです…けど、先の浄土系のような顕教が経典類の文字によって全ての信者に教えが開かれているのに対し、特別な修行をおさめた特殊な能力を持つもののみがその真理に近づけるという感じ(あくまでも感じです。詳しくは自分で調べてー)だからさ、「…いわんや悪人をや」なんて言っちゃった親鸞さんみたいにだれでもOKてことにはならんのでしょ。だがしかし!空海さん考案デザインの曼荼羅系ビジュアルはカッコ良すぎるし、実際それでBuddhismにハマってるようなもんだし。あー禅宗系もシブイしな…ってもうどないしましょ。

まあ現世だ、死だ、来世だ…といっても、そしてそういうことがあるとしてもそれは想像もつかないひとつの大きなサイクルなわけでしょうから、はやりあらためて注目すべきは“今”なんでしょうね。今ちゃんと生きないとちゃんと死ねないってことですよ…よくわかんないけど。

う〜ん、TERA-project…まじめに考えすぎるとあたりまえだけど奥が深すぎるので、案外もっと薄っぺらでいいじゃねって思いはじめたぞ…そんでもって大まじめ、ね。

次は伽藍について考える…(エエかんげんにしなさい!)

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もうバレバレでしょうけどね、えぇそうですよ、言ってしまえばね、ナカムラはただハコをつくりたいだけなんですよ。仏つくって魂入れずなんてこと言いますけどね。ツクるという行為のなかにすでに入ってんですよきっと。だいたいタマシイの入らないモノつくるほうがむづかしいっしょ、開き直っちゃいますけど。

だってホントつくりたいモノだらけなんですから。ご本尊はもちろん壁や柱に施される仏画でしょ、天蓋からはじまってなんなら木魚とか僧衣とかだってデザインしちゃいますよ。当然それらが納まるお堂そのものもね。軽トラのせて移動式となると荷台にセッティングされるイメージお厨子みたいな感じかな。ならお仏壇屋さんとタイアップってのもいいな、でもそれって想像すると一歩まちがったら霊柩車っぽい?…だがしかし!見ようによってはあの超デコラティヴな移動式日光東照宮的な感じ、あれはあれですごくね。あんなんで死体運ぶとこ世界中他にあんのかしら?…って、この段階でチラっとwiki検索したらあの度肝を抜く和風カスタム(そう言うんだ…)、各国からオファーがあるんだとさ。実際あれインドとか走ってたら逆にフツーっぽいもんな、牛がとなりにいてもなんかしっくり。そう例えばベースのステーションワゴンがブラック以外の塗装(白とか朱?う〜んどうだろ)だったら急に晴れ晴れしくない?もう町なかで見かけても親指隠したりしなくていいんだよ。夢は膨らむでしょ…。

しかしそうは言っても初めにハコありきで、それから住職(なんなら教祖でもいいけど)募集ってさ、なんかどっかのチェーン店のまず店つくっちゃってそんで“店長募集”みたいね。ま、本店(寺)勤務の兼任でもいいんですけど。創っちまったブツへのタマシイは気合いで入れられてもお坊さんはなァ…やっぱ大事なのは人ってことかぁ。だれかこんな戯言をご理解いただけるココロの広〜い店長いやもとい、住職さん!いない?

とういわけで次回は宗旨について考えてみましょう。(まだつづくんかい!!)

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今日はソラがつまんねーなーって思ってたら午後から久しぶりの雨。夏以来土日は毎週油やのお店番だったので結局日々の仕事にそれが加わりお休みなしな3ヶ月。日曜に雨の音聞いてボー(としてもいられないんだが)っとしてるのも考えてみたら久しぶり。

さて、こういう日はとりとめもない思索によろしいので調子にのってTERA-project_2…いってみますか。

実はあんなこと書いたあと、なんのあてもなく本屋入ったらまた目が合っちゃった…「お寺の基本」(やっぱヤレってことかなー…て思い込み?)。ここ数年ブームだからね、仏像の入門書とかはホント多いんだけど「寺」の成り立ちや基本を解説した本て案外珍しいのね。で、そもそも寺ってナニ?ってことですよ。仏教はもともと偶像崇拝禁止だったわけだから仏像が造られ始めたのはお釈迦様の時代から500年後くらいだけど、お寺の原型はインドの雨期、雨風をしのぐために建てられたお釈迦様たちがが修行した精舎とういことですからもう2500年くらい前からあったわけですね…って本に書いてありました…ナルホドね〜。

ま、要は修行のためのハコですよ。そう言う意味ではそこにちゃんとした教えがあれば本来はハコなんてなんでもよいわけで、逆にイレモノが妙に立派すぎるとやはり権威主義っぽくなりますね。世界中の宗教の創始者たちはおそらくナニかしらのスピリチャルな体験をもってソレを発展させてきたのでしょうけど、信者が増えて教義として組織化されてくると、そこに支配や管理が必要とされたり(なんせ人のすることですから)あるいは確実なモノを見たいあまりビジュアル系幻想を追い求めたり(これも人の性)とにかく妙な方向に進みやすい。ほんとうに個の力を信じれば特別な教祖さまのレベルではないにしろ、ちょっとした超物理的な次元の直接体験なんてなにも特別な場所に行かなくてもよいかもだし、あるいは霊的な世界と接触するための媒介もほんとうはそんなに必要ないのかもしれない、実はみんなフツーにそんなチカラあんじゃネーの…ってアレ?このままいくと“寺”いらねぇじゃん!ってなりそ…おかしいな…え〜…軌道修正します。そうはいっても依り代ですよ、個のチカラは各自磨いてください。ココに来たら救われる…とかご利益が…とか思っちゃぁいけません、ただなんか前向きにいけそうなきっかけがあったらよいなー…

to be continued(つづくんかい!)

TERA-project

仕事先の諏訪からとっぷりと暮れた長野道を北上して長野市更埴JCTでおり、以前から一度訪れてみたかった古刹・信州の長谷寺へ。友人のジャズサックス奏者・仲野麻紀が出演するコンサート「musique pour quatre mains et une bouche/四つの手とひとつの口のための音楽」開演直後になんとか駆けつける。今どき寺でジャズコンサートなど特に珍しくもないのだが、おそらくこんなことが成り立ち得るのは日本くらいだろうな。今回の彼女の相方・ギリシャ人ピアニスト、ステファン・ツァピス氏も言っていたが厳格なヨーロッパの教会などではなかなかそういうことはあり得ないようで、そういう意味では昨今の日本のモンクは心が広い…というかなんでも有り。京都・奈良あたりの観光資源的寺院はさておき、だいたいフツーの人が寺を訪れる理由は極端に限られるものだ。僕は以前からお寺でお葬式をやらなかったらいいのにと思っていたのだが、実際最近はそういう場所も少ないがあるらしい。もちろん死者を弔う気持ちも大切だが、死ぬことと同じくらい生きることにアプローチするお寺があってもいいじゃないかな…ていうか寺って本来そうでしょ。葬式するとこじゃないのよ…というわけで最近一部諸兄にはなにげに漏らしていた「TERA-project」あらためてなんとならんかなー。一般的なお寺は故人のお葬式・法要関係がメインの収入源でしょうから、それをしないとなると普通に考えるとやはり企業スポンサードあるいは助成金などを受けないと難しいね。何しろたしかに寺の維持管理にはお金がかかる。あたらしく寺院を建立したりすると莫大な費用が必要なわけで。例えば長野県で実施されている助成金に「地域発 元気づくり支援金」てのがある。元気づくりでお寺を建立…ってどうよ。ま、最初はさ、そんな立派なのじゃなくていいんだよ。軽トラに積んで組み立て移動式みたいなさ。車には協賛スポンサー名がはいっちゃったりして。鎌倉仏教の教祖さんも昔はみんな辻説法でしょ。かの親鸞さんだって最初から本願寺持ってたわけじゃぁないんですよ。あ、ちなみに僕は教祖とか坊さんムリですから、そういう能力ないし(でも般若心経は最近覚えたけど)。あくまでもTERAプロデューサー(あやしい…)、といより正直いうと寺には自分の創りたいものすべてアイテムとして揃ってるってことなんですけどね。てことは教祖募集!か。だれか良い人おらんかなーって、けっこうまじめなのよ。ちなみにTERA-projectのTERAは漢数字表記だと一兆ってことですね。仏教界では例えば「那由多」は10の60乗、「不可思議」は10の64乗、1劫 = 43億2000万年…などと気の遠くなるような数字表現が普通に出てくるのでネーミングとしてもちょうどいいんじゃないでしょうかね。ちなみにちなみに「刹那」(10のマイナス18乗)「虚空」(10のマイナス20乗)なんだって、こっちもなんかスゴイ感じ。

The Wave

和題は「この世のすべては波動でわかる」という本と古書店で目が合う…正確には目と背(本の背表紙)が合う。「量子力学と古代の叡智のシンクロニシティ…人類は単なる物質存在ではなく、宇宙を創造する意識存在でもあった。科学と霊魂を融和したホリスティック・サイエンスへと私たちをみちびいてくれる入門書」な感じのオビ。極端なことを言うと知識的吸収はしばらくいいかなーくらいに思ってんだが、なんとなくオビに巧に散りばめられたエレメントへの好奇心と定価の1/3の価格表示が性懲りもなくあっさりお持ち帰りへと。内容的なことはともかく実際この手の趣向の本は嫌いではないのだ。例えば歴史とSF=伝奇小説とかさ、最新のモノを古い文脈で読み解くってなんかついそそられるのですよ。

本編感想とは全く関係ないんだけど、購入後この本のことをなんとなくネットで調べてたら、これを読んだ警備員をしてるという人のブログに、道路脇の看板と共に長時間立ったままずっとなんたらを瞑想してた…ってあってさ、ビシっとした制服のオジサンの職務中のその姿を想像してそれが妙にハマった(笑)。明日から警備員さんとかみかけたら瞑想してないかチェックしていまいそう…実際なんでもないようなフツーの人のなかになんかスゴイ能力のひとってかくれているのかもねぇ〜。

…波動って結局東洋的にいうと気のことでしょう?

VIVA terrasow

美場テラソ本年度最終講座「紙に油絵!?」(講師:いいじまようこ)こんな感じで。先週のお帽子講座に引き続き今回も満員御礼。特に中学生美術部の参加がうれしかったなー。学校で教えてたときはあんまり楽しくなかったんだけどなんでかなー、義務だったんかな…それじゃイカンのだが。ま、というわけで今回もみなさんのあのゼロから生み出す感じ、ああでなくっちゃ!

講師のいいじまさんも直前まで弱音をはいてたわりにはまったく手を抜かない周到すぎる準備をし(そういえば創作態度もそんなだものな)、本番もなんだかんだいって予想通りというか期待以上というかイイ感じの講座になりました。美場の基本コンセプトの一つは「答えのないことをやろう!」だと思ってます。作家はあくまでもそのきっかけをつくるプレゼンができればよいわけで、本人が創造に真摯に取り組んでいれば当然その資質はすでにあって、特に何かを“教えよう”しなくてもよく、あとは参加者がおどろくほど勝手に創造してきます。これは経験でわかってる。そして僕ら企画者やクリエーターはそれに直面してただおどろいたりニヤっとすればいい。で、みんなニコニコしてバイバイまたね。そんなでいいんじゃない。

あ、ちなみに紙に油絵、マジでおもしろい。油絵の講座は1日ではムリ…ていう常識をやぶりました。で、来年度は美場テラソと油やプロジェクトを連動させてみようかと思ってます「美場かるいざわ」復活!ね。

とはいっても実はもう少し前に積雪はあったようだ。あくまでも僕が目視確認したのは今日ということ。でも南斜面だからすぐにとけちゃうんだけどね。明日は美場テラソ「紙に油絵!?」(講師:いいじまようこ)今年度最終講座です(ほぼ定員となってます…2〜3人なら当時参加OKかも)。信濃追分文化磁場「油や」も明日・明後日10/3(土)+4(日)がやはり今年度最終営業日となります。こちらもお見逃し無く!油やの紅葉は散り際の風情も含めて今が見頃。というわけで僕は土曜は小布施、日曜は軽井沢ナリ。

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