Jin Nakamura log

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ミズヌルム

今日はぬるかったね〜久しぶりに流れる水をみた。

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油やプロジェクト定例会。いつもながら議題が多岐に渡っていて時間が足りん。そいや今年から油や前庭で毎月7の日「骨董市」ですよ!これ決定。

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沙庭の準備そろそろ本格始動せねば…。アート古書充実を図るため仕入分では足りないのでJin’s蔵書を放出することにした。古書店の経営者ってみんな最初は自分の蔵書に手をつけるらしいよ。あーサイトもつくんなきゃだ〜。

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日々の仕事に追われて絵、描けてない…のに、4月急遽「浅間縄文ミュージアム」よりオファーがあり「やらない」or「できない」理由はない…ということにして企画展決定。しか〜し、境内アートもあるしなぁ…その一週間後油やオープンでぇ…ムムム…ダイジョブか…今までもなんとかなってきたから、なんとかなるんだろうな…たぶん。

九相観

ワークショップの最後にその日僕が買ってきた松井冬子の画集をみんなでみた。

彼女の画集を求めて本屋に入ったのではない、ホンの時間つぶし。だいたい僕は怖がりなので、ああいったネガティヴなビジュアルは苦手なのだ…なのに買ってしまった…。しかも2011年・横浜美術館で開催された展覧会の図録も含めて2冊も。

なんて恐ろしげな絵を描く人だろうと思っていた…はずなのに自然と手がでて不思議と穏やかな気持ちで、その腑分けされた若い女性のカラダも幽霊の図版も、どこか淡々とめくっていったようだ。そしてそれらが仏教の「九相観」に想を得て制作されているものだということも初めて知った。

「九相観」は「九相図」という、死体が朽ちていく経過を九段階にわけてリアルに描いた絵画を観想することで、修行僧の悟りの妨げとなる煩悩を払い、現世の肉体を不浄なもの・無常なものと知るための修行であるのだが、この件に関しては実は例の「明恵 夢を生きる」の中でも触れられていてずっと気になっていたのだ。

人の死体のリアルな図像を見て人間の「欲情を除かしむる」などというチト変態的なイメージトレーニングを行うのはもっぱら男性の僧であったはずなので、僧たちは自分の死に対して観想するのではなく、若く美しい女性の死(九相図のモチーフはそうなっている)に対して観想する。生前の女性が美しければ美しいほど、その後の変化はよりショッキングな印象として刻まれるわけだ。

人のカラダなど所詮タマシイの入れ物と思えれば平然と眺められなくもなさそうだが、きっと何か故あってそのカラダをもらい、この世に生まれ、それを駆使して何かを成さんとする限りは、それを不浄・無常とはなかなか割り切れるものではないな。ヒトに触れれば温かいのだ。

僕はちょっとした理由があって、ハタチくらいからできるだけポジティブな絵を描こうと心がけてきた。その気持ちは今も基本的には変わってないと思っているのだが、自分でも気づかないほどに微妙な変化があるのかもしれないな。考えてみればポジティブだネガティヴだなどという単純な括りでは収まらない想いもあるだろう…が、意外と世界はやっぱりシンプルかもしれない…一周まわればそんなもんだ。

ただそうは言ってもここで僕が今、この作家の絵に出会う一連の結びの理由はあるような気がしないでもない。彼女はもちろん多くの研鑽をつんで絵の上手い人ではあるが、あれらの絵はおそらく技術だけでは描けまい。「描ききる」という強い意思、あるいは「描ける」と信じるココロが備わっているのだと思う。

というわけで僕は件の作家の絵を受け入れるのにかなり時間を要したのだけれど、驚いたことに引かれるだろうなと思ってた研究生諸君は意外とあっさり許容した様子。「オォ〜」「キレイ〜」「カッコィィ〜」みたいな…。へぇ〜そうなんだ…ふうん…。

下北workshop

下北沢っていえばやっぱり昔っから小劇場の求心地ってかんじですねぇ。劇団風の子さんもそんな街の路地奥にさらにむか〜し(戦後の復興期からかな…)からあるわけです。と、そんなこんなで劇団風の子国際児童演劇研究所での2日間のワークショップやってまいりやした。

平均年齢20代前半ですからね、みなさん若いっちゃ若いんだけど、オッチャンのMy boom-collageにしっかりつきあってもらっちゃったわけです。みんなアートを楽しむ超・能力もちゃんと持っててくれたし、期待以上の暴走クンもいたし、とにかく楽しんでもらったみたいでよかった〜。

今期で4回目。相手が変わるわけだから同じ内容でもかまわないんだが、自分が飽きちゃうのね。なので毎回一からアイディアから段取りから考えて準備して…で、結構エネルギ−使う。けどつい、いろいろやってしまうのねぇ、こういう仕事もまあ嫌いじゃないんだろうな。が、やるべきことがあるようなのでたまににしときますが。

にしても、みんなシモネタ好きねぇ…ま、アートはエロスの匂いでいいんだけどさ…。

祝・10周年!

今年のフライヤーはこんな感じ。芸風とはいえ相変わらず我ながらなんでこうなるんだろうと。色即是空…てこんなかな。色は空、空は色。だからといって「空」は決して虚無ではない。こうやってあらためて描きだしてみると、ここまでやってこられた一つひとつになんか“ご縁”を感じるわけですよ…あ、だから縁日なんだ…。お寺の庫裏の一室で住職+現事務局の木下氏+僕の3人の10年前の会話「10年はガマンしてやりましょう。」10回の縁起の積み重ねがこの絵柄(ちなみにテーマは山車)なのかも。祝・10周年「境内アート小布施×苗市」今年も参加者200名を優に越えます。是非おでかけください!

で、明日から僕は劇団風の子国際児童演劇研究所の授業(ワークショップ)のため上京。

balance

越ちひろ展に。

どうだった?なんて聞いてはいけない。

「まあ…よかったよ…」なんて言うしかないではないか。

そんなことより、そこに彼女のタマシイの全てがあるのならそれでよいのだよ。

僕の感想などどうでもいいから自分で行って確かめてごらん。

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共時性ということがある。シンクロニシティーとも言うな。昨日漠然とバランスのことを考えていた。自分で言うのもなんだが結構バランスのとれた人間だと思ってる。そしてそれは凡庸を意味するものなのかと、もっと破綻したほうがいいんじゃないかと…など思わなくもない…が、まてよ。それってなんか中間地点に立ってるって意味ではないなと気づくのだ。

「2」という数字が好きなんだよ、たぶん昔から。二つのモノを内在させることが我が身のバランス。欲張りなんだなきっと。昨日のブログを何げなく書いた後、気になってたんだが両性具有はヒトとして生物学的には無理にしろ、モノを生み出す者として、そしてその覚悟として性的両面性は必要なのかもねと。そうは言ってもたとえば髭ヅラの母性なんてもキモチわりぃからほどほどにしとっけどさ。ま、要は心意気の問題ですよ。

+で、共時性ということがある。

明恵は夢の中で得た「二つの柑子」。それは華厳と真言、母性と父性、仏眼と釈迦、心と体、合理と非合理…コスモロジーとイデオロギーってのもあったけ。それらの二元的対立の中で心身を鍛えたと。…今日めくった「明恵 夢を生きる」の数ページより。

+シンクロニシティーとも言うな…

「両面を持って存在すること。女性的であり、男性的。強くて弱い。暴力的で、狂気に満ちていて、優しく、儚く確かな存在。華やかでダークで、生であり死であること…」今日の越ちひろ展、リーフレットに記されていた彼女の想い。

…まったくどいつもこいつも欲張りなヤツらばかりだ…(もちろん自分もね)

10月、ART PROJECT 沙庭+梅田版画工房 協動企画  Lithograph 5 artists 2013で彼女の作品に出会えます(2014にはsolo exhibitionをオファー)。その前に4月20/21日、境内アートにてライブペイントも。ほとばしる絵の具の飛沫など浴びにいかが。

で、やっぱりその前に行っておいで…17日まで。

女時

そいや二天背合圖、こんな感じに仕上がっとります。以前のブログにも書いた通り絵の左右(柱)と中廻し(天地部分)は染織家の岡本直子氏が染めてくれたものだが、彼女、実は本画を見ずにこの橙に染めている。これから来る絵はコレでいいんだと思ったらしい。まったく女性の受信能力には驚かされることが多いな。本来女性の脳はそのように発達してるらしいが逆に男はその能力が劣る代わりに送信能力は高い…オレが、オレが…て感覚かな、よく言えば社会性。さて現代、男性は草食系の皮を被りヒキコモクンのキャラを心地よしと演ずれば、それは数少ないオトコの能力をことごとく放棄したに等しく、唯一女性に勝るのは腕相撲がチト強いということくらいになりさがった…というわけでまったくイイとこ無し。まさに「女時」の時代なり。僕もアーティストで生きようとするならば我が身の中に潜むオンナを磨かねばならない…のかしら、といってもついダンゴムシ拾ってきちゃうしなぁ。

このお軸、17日まで開催の『春を待つ食卓』テーブルウェア展(えすぱすミラボオ)に賛助出品として展示中です。お近くの方は是非。春らしいイイ感じのうつわにも出会えますよ。

弟子入り決定!

「絹本着色」…てなんか憧れるな〜。もちろん「紙本着色」でもいいんだけど、何れにしても古い仏画をみれば見るほど、やっぱ岩絵の具でしょ、切り金でしょ、ニカワでしょ!みたいな…。というわけで日本画、ちゃんと勉強したいなーとかねがね思っとったわけです。

友人の現代アート作家が某美大の通信講座で日本画先攻してんだが、担当教授に「龍は描くな」って言われたって。たぶん「龍は私のモチーフだ」とか「10年早えー!」とかそんな理由らしい。描きたいものは今描きたいよね。100年早くたって、稚拙だって今かける龍を描きたいよね。ダメダメじゃんて思っても今の自分にできることをしてみたいのです。

というわけでふと僕はこんな近くにこんなスゴイ人がいたことを思い出し、すぐさま電話でおそるおそる(そうは言っても職人的伝統的世界だしさ)お願いしてみたところ、あっさりオッケー!「いっしょに描こうよ」ってさ。なかなか言えないよ、さすがだ、アリガテぇ!

というわけで(2回目)尊敬する日本画家・生井巌氏の弟子になることに。うれしいなー、絵を描くことについて今まで誰にも教わったことなかったし、別に教わるものでもないと思ってたけど、なんかマナベルっていいよね〜。独学もオススメだけど、師匠がいるっていいよな〜てなんかかなり舞い上がっちゃってる…。

内弟子ってやつだったらやっぱ朝の掃除と犬の散歩からかしらね。ま、さすがに東京と長野なのでそうしょっちゅうお邪魔するわけにいかんのだけれど、とりあえず通いでしっかり学びたいと思います。たぶん技術だけじゃなくね。

一見ふつうの曇り空だが、八ヶ岳ももっと遠くの北アルプスも、本来ここから見渡せるべき山々はすべて見えている。雲はかなり高い上空を覆っているのだろう。朧に霞んだ太陽の光は彗星のような錯覚。つまらなきソラも見ようによってはおもしろい。明日はこの風景、また真白に染まるのだろうか、夜半から関東でも雪だとか。

東京2展

一つ。コレクション展「新春の国宝那智瀧図」仏教説話画の名品とともに

根津美術館は初めて…以前からシブいのやってんなーとは思ってたが。個人コレクションを元としてるさほど大きくもない美術館だが、国宝8点・重要文化財40点程という収蔵クオリティーはなかなかのもの。さすが明治の財閥はスゲーや。コレってここのだったんだ…てのもいくつかありびっくり。その内の一つ「国宝那智瀧図」これに会いに。

退色が進んでいるせいで胡粉で描かれた一筋の瀧以外は一見何が描かれているのか判別しがたいのだが、それがまた逆に中央落水の軌跡を浮き立たせることになっている。右上山の端に大きな月がのぞいているので夜の風景であり光に充ちた画面ではなかったはずだが、時は紅葉、半身に隠れているとはいえ満月の光、それを映す一条の流水と飛沫…。描かれた当初はかなり幻想的な色彩であったことだろう。

できたら近いうちに熊野に詣でようと思っていた。これも何かの縁なんだろう。

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一つ。「飛騨の円空」千光寺とその周辺の足跡/トーハク

芸風として円空さんは嫌いでもないが好きでもない、よく対比されるが木喰さんもそう。たぶん自分の中でこういった素朴派を受け入れられる寛容さがまだ育っていないんだろう。

生涯で12万体彫ったという。物理的にムリであろうという説もあるようだが数分でできそうな木っ端仏も含めればあながち無理なこともないようだ…が、いずれにしても尋常じゃない制作量である。

膨大な作品量を残したと云えばピカソもそうだ。とても若い頃彼の作品の線をみて、このくらいなラインなら自分にもひけると思ってた。高じてピカソくらいなことならほぼ出来ると。あるとき彼の生涯に残した作品量を調べたところ、自分がこの後同量のブツを残すには、とっても長生きした上で1日2〜30点以上は制作しなければならないことに気づき、それまで根拠なく信じてた我が身の天才性をあっさり否定するに至る。

天才とは尋常じゃない努力をヘッチャラな顔してやるヒトでしょ。そういう意味で自分などはまったく努力家ですらないな。ま、極めて凡庸ではあるが、そうはいっても才がまったくないわけでもなさそうなのでやれるだけやってみる…という覚悟なり。

話を円空に戻すが、そういう意味では彼は素樸派などではないかもな。前言を撤回しよう、彼はめったにいない、まぎれもない天才の一人だ。

軸装

こんな感じに軸装作業進行中。本画の左右(柱)と中廻し(天地部分)は染織家のナオコ氏がわざわざ今回のために橙に染め下ろしてくれたものを使う。一文字もなんとなく正倉院ぽいのを選んで…たのしみだ〜。

描画完成

ま、こんなもんですかね。なんとか間に合いそう。来週早々上京しお軸に仕立ててもらいます。

この「二天背合圖」実は弥勒さんのお父さんとお母さんです。知ってました?弥勒菩薩にちゃんと父母がいらしたこと、いやこれ過去の話ではなく、あの有名な釈迦の没後五十六億七千万年後の未来の話。父…「修梵摩」母…「梵摩跋提」の子として現世に生まれるということだそうですよ。

そもそもなんでこの絵を描こうかと思ったかというと2/8からのミラボオ企画展に企画担当から時節柄、雛の作品をと依頼されたものの、おひな様をつくるという行為に全く内発的衝動がわき起こらず、仏画でいい?と了解を得てという次第。ただその時点で未来の弥勒出生の秘密など知るよしもなかったが、ちょうど「bodhisattva弥勒」を描きつつあったその頃、件のエピソードを知るに至り、ではまずはお父さんとお母さんからということにあいなったわけサ。