Jin Nakamura log

N-ART2018

一応高原、浅間山麓ジモティは日中「暑い…」をチカラなく繰り返しているが、全国の酷暑地の方々には申し訳ないくらいの、せいぜいいって30℃前後、とくに寝苦しい夜もなし。ただなまじそんなだから冷房設備のないウチも少なくなし。なので僕も日々正午を過ぎると窓全開の仕事場で上半身裸体、古代エジプト人か裸の大将のようないでたちで絵筆をにぎっている今日この頃。

なぜそうまでして絵筆を走らせてるかというと、今年もやってまいりますMid OBON直前のN-ART。長野の旬のアート事情を紹介して8年目。8/4(土)は長野の真夏の祭事「びんずる祭り」のさなか恒例の“愛をもってアートを斬る”本江教授による辛口ギャラリートークも開催。引き続きオープニングパーティーもありますので、びんずる素見しながらぜひお出かけください。

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第8回 N-ART展 2018  8/3(金)〜8/14(火)ガレリア表参道

8/4(土)14:00〜ギャラリートーク/本江邦夫(美術史家・多摩美術史大学教授)

出展作家◎小山利枝子/ナカムラジン/鈴村優/池田潤/疋田義明

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一休その後

とりあえずNHK出版「オトナの一休さん」でさらっとアウトラインをつかんだ後、水上勉「一休」を時間をかけて読了。古い文語体の一休資料がかなり抜粋されていてなかなかに読み辛かったが、とりあえず水上氏は一休さんが大好きだけれど出来るだけその思慕の感情に流されず可能なかぎり偏らないな考察をしようとしたことはわかった。
ほとんど知らなかった中世の暗黒時代を生きた一休宗純の人となりの多少は垣間みれたけれど自分の中ではなんとも未消化なままなので安易な言葉は避けたいが、ただこんな人が部下や弟子だったらちょっとめんどくさいかなー…友だちだったらギリOKかな、師匠だったらあきれながらも面白そうだからついていくかな…てな感想が今のところ、、、と書いてみて、こういう破天荒だが逸材を活かすウツワが我が身にはまだまだ足りぬような気がしてきた。社会的共同体のような組織には長くとどまれず、多分尊敬される上司にもなれんな。

ま、それはそれとして写真中未読の日本詩人選27「一休」富士正晴。これは絶対面白い! ただし読み解ければ。

一節を引こう。
(漢詩:一休宗純/富士正晴氏による読み下し文+その解釈)

懐古

愛念愛思苦胸次  愛念愛思胸次を苦しむ
詩文忘却無一字  詩文忘却一字無し
唯有悟道無道心  唯悟道有って道心無し
今日猶愁沈生死  今日猶愁う生死に沈まんことを

エロスは胸を苦しめる
詩文は忘却 すっからかん
ロゴスあれどもパトスなし
まだまだ気になる生き死にが

一休はかなりの詩人でもあるのです。そして実は私、漢詩大好き。自分で作ってみたい!
漢詩の読み方の本は売ってるけど作り方の本はなかなか売ってないのだ〜。

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楽しいうつわ展

今年最初の展覧会です。

3月21日(水・祝)〜27(火)日本橋高島屋7F  ギャラリー暮らしの工芸(企画・器スタジオTRY)

「楽しいうつわ展」昨年に続き2回目の開催です。もともとアート表現の一つのメディアとして古伊万里・古九谷の圖像世界に着想を得て始めた事です。「なんとなく古伊万里・ビミョーに古九谷」などという奇をてらった(でも実際そんな感じ)キャッチフレーズをつけたこともありました。何より器の表面をこれでもかってほどソレらしき圖像で埋め尽くすのに時間がかかっちゃうし、常時制作してるわけではないのでなかなかたくさんは作れないので年に1、2度の発表となりますが新作印判圖像も増やして頑張りたいと思います。

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軸装

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描き表装というのがあるらしいのでやってみた。本来表具師さんの仕事になる絵の周囲の布地の部分まで描いてしまう。自由に布地をデザインできるし、その部分は実は同じ画面上なので本画上のモチーフが布地にはみ出してるような、いわゆるだまし絵のように描けるので面白い。
ということで本日は一度目の裏打ちが完了したところで軸先を選びに表具師さんちへ。相変わらず仕事がキレイ!仕事場もキレイ!!見習いたいものだ〜。

負荷

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柔道家・一条直也なら鉄下駄を、星飛雄馬なら大リーグボール養成ギブスを、悟空が修行するなら10倍重力の界王星で。少年漫画の世界ではいつの時代でもアスリートはありえないような負荷をかけてこそ成長するもの。

僕もアスリートではないけれど仕事中は右手に面相筆を持ち、左手でメス猫の攻撃をかわしながら画業に励む。ちょっとでも気を抜くと集中して運筆している右手の筆先に彼女は的確なフックをくりだしてくるので上手に牽制しながら筆をすすめる。

きっとこれを繰り返していると、猫の乗っていない画布上で僕はいつか神妙の域に達する絵を描けるのでないだろうか…。それにしても伊勢海老に興味津々の小丸(メス猫)。すでに猫をしてホンモノのエビと見紛うばかりの画力に達したか、否エビはそもそも猫にとって有害と聞くからやはり興味は別なところにあるか。

小丸の「しごとばにいれてくれよぅ〜」オーラにまけてついつい扉を開けてしまう僕はしばらくはこの負荷画法を続け、いずれ絵の究極奥義に近づこうと思ふ。

*制作中の作品は目黒雅叙園「猫都の国宝展」at百段階段(3/28〜5/13)出展予定作品・猫派三宝のうち「珍宝・開運縁起物圖」

 

 

昨年秋の運慶展の折り、個人的に最もそそられたブツは龍燈鬼(伝運慶三男・康弁作)…の、オ・シ・リ。

15歳の南都訪問(修学旅行)、2004年の興福寺展(藝大美術館)と昨秋で3度此の子には会っているが、今回ほど彼のオシリに見ほれたことはなかった。(ちなみに相方の天燈鬼はスカート状の腰巻きを巻いているのでオシリは隠れているのです)お尻の谷間に股間前方から回っているフンドシがキュっと締め込まれ左右にプリッと、そりゃあもうカワイク筋肉の小山がはみだして。監視係のおねえさんがいなかったら絶対指でつんつんしたてたかも+盗撮もこっそりしてたかも。

鬼のオシリに萌えるオッサンを如何なものかと思われる向きもあるやもだが、通りがかった若いカップルも「おしりかわいい〜」とつぶやいてたのでこの手の趣向はマイノリティながらも確実にあると思う。「女の尻ばかり追いかけて…」などと言われるが「鬼の尻」もよいものだ。赤ちゃんのお尻などほんと産毛の生えた桃みたいだし、禅の世界では入門したての稚児童子は喝食(かっしき)と呼ばれ、あえて剃髪せず前髪を下げ、白いものなどうっすら塗られて時に師僧や公家・武家の相手をし菊花をほころばせたと聞く(室町時代の話だが)。僕は男色ではないけれど現代よりも少しだけ複雑な愛欲耽美な世界も今となってはノスタルジックにさえ思えぬでもない。

写真は「仁和寺と御室派のみほとけ」展(東博)の仁和寺・観音堂(通常非公開)堂内再現展示より風神・雷神。通常仏像は前からの拝観が基本なのでこうした博物館展示だと、本来目にする事が出来ない仏像の背面が見られて興味深い。残念ながら昨秋の龍燈鬼ほどの感動はこの2体にはなかったが今後ともこうした特別展の折りには背後もぬかりなくなめるようにチェックしていく所存である。

ちなみに後期展示ということで今回見逃した国宝・千手観音菩薩座像(大阪・葛井寺)は名称に偽りなく本当に手が千本ある唯一の仏像らしいので会期中再訪して、少々無粋だがいったいどのようにしたら千本の手が体につけられるのか背後に回ってしっかり確認してきたい。

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画家の仕事

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最終日前日だったから仕方ないのだけれど公式図録はすでに完売とサイトにあったので、残念だが今回は荷物にならないからまあいいかと思っていたのにミュージアムショップには公式図録以外の生賴範義関連の画集が山積みされており結局2冊も購入してしまった。

僕は正直この画家の仕事はよく知らなかった。もちろん友人の画家・オーライタロー氏の父上であり著名なイラストレーターではあるので、どこかで彼の仕事を原画という機会はなくとも、何かしらのメディアでは見ているんだろうな…とは思っていたが、まさかアレもコレもエー、そんなものもーということで改めて自分の不勉強さを反省。
タロー夫人からは「お腹いっぱいになるよー」と言われていたのだが、まさにそのプロフェッショナルな仕事に感腹(服)。筆一本で生き抜いてきた凄みに感じいった。

仕事のほとんどはクライアントがいる受注仕事なので、当たり前だがテーマや素材・モチーフといったものには当然制限(要望・要請・ときには時間も)があり、それを確かな技術と感性でクリアしていくのが仕事になるわけだが、この仕事形態は中世あたりまでは美術業界では至極普通でイラストレーターだろうが画家だろうが同じ事だ。この手の請負仕事とピュアに内発的衝動のみで生み出された作品においてその表現性には優劣など本来ない。

例えば安土桃山あたりから頭角を現す狩野派などはそのモチーフも制作手法も表現集団として極めて様式化されてはいくが、そのクライアントは信長・秀吉・家康と続く戦国武将たちであるから、ある意味命がけで絵を描いている。「ちょろっとパッションでこんなんできちゃいました〜」なんて信長さんち(安土城)の襖に描いちゃったら首がいくつあっても足らないのだ。命がけで絵を描くのだからそりゃ後世に国宝にもなろう。

近世の幕開けとともにARTは自由を手に入れ始めた。金箔の地に大きな松を描かなくても良くなったし、聖書の一場面を正確に再現しなくても良くなった。自らの感性に寄り添って、光にきらめく睡蓮や情熱的なひまわりを描き始める。でもその自由と引き換えにクライアントを失い、絵を描いたり彫刻を作ったりしながら生き抜く事が簡単なことではなくなったのも事実。

生賴範義の仕事はそんな中で表現者としての一つの生き様を提示してくれている。もちろん一人一人ちがっていいし同じ事はできないが、あれだけの仕事(質・量ともに)を潔く描き残した画家の79年の生涯をこの機会に垣間みれたことは自分にとってはラッキーなことだったかもしれない。

余談だが友人・オーライタロー氏がなんで漢字の「生賴」の表記にしなかったのかちょっとわかった気がした。…あくまでも気がしただけであり、単に漢字が読みにくいということだけかもしれないけれど。

 

僧形

仏像はもちろん大好き。

寺の庭なども魅かれるものがある。
だがしかし、僧侶となるとなぁ…。
これまで唯一“空海”を除いてはあまりときめいたことがなかったかも。
(伝説的カリスマだし、華々しいし、そうは言っても日本仏教界のレジェンドスターだからさ)

昨年大規模な企画展で人気を博した運慶氏も南都に無着・世親という印度に実在したとされる高僧の兄弟像を残していて、なかなか味わい深いお顔立ちではあるのだが、自分の中では「そうは言ってもヒトでしょ…」っていう興味センサーのストッパーがつい働いてしまう。

まずはビジュアル系フィギアである仏像にココロ惑わされると言う点ではしごく全うな宗教への取り込まれ方をしてきたと言えるが、気がつくと15の頃からその表層を追いかけるのみで重要な教義への理解はさほど深まってはおらず、日本仏教のもともとを開宗された鎌倉期の超有名どころお歴々(法然・親鸞・日蓮・道元・栄西…)についても一応諸書諸説を何となくさらってみても、当時の新興宗教としてはある程度理解できそうな気はするものの、やはり当たり前だが800年後の僕にはやっぱりフィットしない。

で、この人である。

一休宗純。

後世に作られた頓知小坊主の逸話のイメージが余計なフィルターをかけているが、しばしこの破天荒なお坊さんに一休みできるだろうか。仕事場の両界曼荼羅のポスターの横にこんな僧形のブロマイド(チャチャッと作ってみた)貼りたくなっちゃうだろうか…。

iq

室町耽美抄

歴史の空白期間というものがある(僕にってことです)。
鎌倉時代末期〜戦国時代(織田信長が暗躍し始める頃)あたり。

だいたい鎌倉幕府がどうして滅亡したのか?
なんかぐちゃぐちゃな感じの南北朝時代の南北はどことどこ?
そもそも朝廷(天皇)ふたつってどういうこと?
その後室町幕府を開く足利さんたちはどこからやってきたの?
ていうか室町ってどこ?京都らしいけど京都にそんな町名あったっけ?
云々。

日本史の先生が時間がなくなって手を抜く明治維新以後と同格に単なる勉強不足で抜け落ちてるだけなんだが。
ま、今となってはWikiればだいたいのことはフムフムそーっだたのか…と大ざっぱにはつかめるのだけれど、そのぐちゃぐちゃ感のなかに埋没してる重要キーワード・人物=能・禅・茶/世阿弥・金春善竹・一休宗純・村田珠光ってココだったんだ〜とつい最近気がついた次第。

というわけで誰もが名前くらいは知ってる日本の伝統美の中からとりあえず手ごわそうだけど一休宗純あたりから掘り下げてみようかな。

 

確認用低解像度

2o17,11/11(土)〜25(土)open 1:00pm〜7:00pm  (会期中・水木休)

会場:路地裏不思議店 irodoriya.
東京都渋谷区円山町14-11 ニューライオンズ渋谷102
TEL/FAX 03-3462-2321

なんとなく古伊万里、びみょーに古九谷。 美術家・ナカムラジンの古典でポップな面白色絵陶磁器。 今回は手描きTシャツ・Neo仏画版画も登場します。

いろどりやまblogy展示風景載ってます!