僧形
- By jin
- In culture religion
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- On 25 1月 | '2018
仏像はもちろん大好き。
寺の庭なども魅かれるものがある。
だがしかし、僧侶となるとなぁ…。
これまで唯一“空海”を除いてはあまりときめいたことがなかったかも。
(伝説的カリスマだし、華々しいし、そうは言っても日本仏教界のレジェンドスターだからさ)
昨年大規模な企画展で人気を博した運慶氏も南都に無着・世親という印度に実在したとされる高僧の兄弟像を残していて、なかなか味わい深いお顔立ちではあるのだが、自分の中では「そうは言ってもヒトでしょ…」っていう興味センサーのストッパーがつい働いてしまう。
まずはビジュアル系フィギアである仏像にココロ惑わされると言う点ではしごく全うな宗教への取り込まれ方をしてきたと言えるが、気がつくと15の頃からその表層を追いかけるのみで重要な教義への理解はさほど深まってはおらず、日本仏教のもともとを開宗された鎌倉期の超有名どころお歴々(法然・親鸞・日蓮・道元・栄西…)についても一応諸書諸説を何となくさらってみても、当時の新興宗教としてはある程度理解できそうな気はするものの、やはり当たり前だが800年後の僕にはやっぱりフィットしない。
で、この人である。
一休宗純。
後世に作られた頓知小坊主の逸話のイメージが余計なフィルターをかけているが、しばしこの破天荒なお坊さんに一休みできるだろうか。仕事場の両界曼荼羅のポスターの横にこんな僧形のブロマイド(チャチャッと作ってみた)貼りたくなっちゃうだろうか…。