Jin Nakamura log

胼胝

右手の中指第一関節内側に胼胝(たこ)ができた。筆だこである。2016年師走後半位からほぼ毎日面相筆をにぎり続けた結果なのだ。生まれてこの方こんなに描き続けていることはない。ま、かといって絵が劇的に上手くなった…とかいうことでもないのだが。

ふと北斎翁の言葉がうかぶ。
「70歳以前までに描いた絵は取るに足らないもの…80歳ではさらに成長し、90歳で絵の奥意を極め、100歳で神妙の域に到達し、云々…」

かの巨匠と比するにはあまりに僭越ではあるが、自分はどうであったろう。もちろんこれまで無為に過ごしたわけでもなく、何かしらを我が掌から生み出してはいたものの、今思えば全く志の低い2〜30代があり、興味本位に様々なメディア・手法に手を染め、おかげで引き出しの数は増えたけど「何かひとスジ」の凄みの見当たらない40代を終えようとする頃、それでもなんとか描きたいものがみつかり、やっと絵を描くことときちんと向き合おうと思い始めた50代。この半世紀、北斎翁の言うまさに取るにたらなぬ時期であり、そして今もなおその最中。

己の怠惰を棚に上げ、ただただ後悔を並べ連ねるつもりではない。もちろん若い時期に今の心境に気づいていればと思わぬでもないが、べつに芸事だけが人生でもなく、ずいぶんと遠回りをしたような気もするが、絵はただ運筆の技のみで描くものでもなかろうからまあいいや。まっさらな画布に向き合うとき、その潔白を我が手で染め汚すことなど何のためらいもない自分はすでにあるわけだし。イメージはその出番を待って手の内で絶えず混沌としているのだ。

北斎の人生設計になぞらえば70までの“取るに足らない期”脱出まで残り15年弱の更なる修行が必要となる。たしかにこんなふうに筆だこができるほどの勢いで15年も描き続ければもう少しマシな作品を描けるやも知れぬ。が、果たしてそこまでこの現世にとどまっていられるものだろうか。その辺は自分の意志でどうこうなるものでもなし、結局北斎も神技を得るには至らなかったものね。

「結果を出す…」と言うが、結果には良い結果もあればそうでない結果もあるのだ。しかしそれがなんだ。努力は報われないと知るが、しかしそれも何だ。「どうなるか」は自分ではどうしようもないけれど、それでも「どうするか」の選択は可能だものね。

遊びをせんとや生まれけむ…

諸行無常

Life is no meaning

皆同じでいいんじゃない、そしてやっぱり Keep on!

嗚呼…珍しく指にタコなんかできたもんだからこんなことつい…。

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