Jin Nakamura log

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古道

夏のはじめに熊野に行ってきた。

2012年以来この3年間で伊勢神宮、出雲大社、そして今回の熊野三山と日本を代表する三大聖地を巡ったことになる。

日本の信仰宗教を一括りにしてよく「神仏」などと言ったりするがそれらは全く別モノ。偶像崇拝上の整理解釈として本地垂迹説などが唱えられ、ついつい同じフィールド上に乗ったりするからなんとなく親戚筋みたいな感覚があるが、そもそも神道に偶像はそぐわない(仏教ももともとは偶像崇拝禁止であったが)。僕は仏教はとことん人がつくったモノと思っているが神道世界はナニかヒトならぬものの気配の方を強く感じる。もちろんそれを伝えてきたのは人であるが、やはり根底にあるのはその土地の力かな、自然といってもいいでしょう。

掲載した一番上の写真は現在の熊野川沿いに建つ熊野本宮大社の旧社地。明治時代の大洪水で多くの社殿が流されたため現在本宮は500mほど離れた場所に遷座されているのだが、やはり雰囲気やたたずまいは大斎原(おおゆのはら)と呼ばれるもともとのその場所よいかと。なにかしらの場のチカラがあるのかも。これから行かれる方は是非こちらの旧社地へもご参拝を。

さて熊野と言えば古道を歩かねば…ということで、早朝一旦本宮大社前に車を止めバスに乗ること20分(乗客9割ガイジンだった…さすがユネスコ世界遺産)。終点「発心門王子」よりあらためて熊野本宮大社を目指す。紀伊半島に張り巡らされた参詣古道のほんのさわり程度の行程。★一つ、超入門コース。都からの行程のおそらく99%をショートカットして最後のゴールの高揚感だけをズル〜く体感しようとする通称「お姫様コース」7km弱、ゆっくり歩いて3時間に挑んでまいりました。でもわるくないよこのコース、昔のお姫様は侮れませんなー。

三本足の烏に導かれて紀伊半島熊野山系、山なみの風景が信州とは明らかにちがう。たぶん植生が大きく異なるのだろうな。遥か都の方角へは三千峰が延々と続き、ふと振り返るとかつて人々が補陀落渡海(あるいはニライカナイ)を目指した熊野灘が垣間見れる不思議なところ。次回はもう少し歩いてみようかな。

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母性とFighiting spirit

仏教の主性は母性である…。先日とあるサロンで善光寺のあるご坊からそんな話しを聞いた。だから仏陀は…無論キリストも結局そのことに気づいてしまったと。生物的には彼らは男性であるので両性具有のイメージがだぶる。なかなか興味深い話しであった。

仏教的母性の最終イメージはやはり如来か。すべてを包み込むようなフクヨカな雰囲気。そこに少しだけセクスィさを加えると菩薩のイメージになろう。一般的に仏教界のヒエラルキーは次の階層に「明王」「天部」…と続くが、そのどちらも前者2階層に比べてイメージはかなりダーティー、いわゆる強面である。それまで愛と母性を前面に押し出し、優しく包みこんでくれてたブッディズムキャラが階層を下るにしたがって変貌してゆくわけだが、ちゃんと理由はある。

まず「明王」は大日如来の命を受け、あるいはそのものの化身として未だ仏教に帰依できない衆生をその恐ろしげなビジュアルイメージで教化させようというわけだ。根底には愛はあるのだろが若干“脅し”が入ってることは否めない…が、全ての煩悩を焼き尽くしてくれる勢いのお不動さんは言うにおよばず、仏教界のキューピッド・愛染明王などはその煩悩さえも即ち「菩提」と説き、いったいどっちなんだい!とツッコミたくはなるが、何れにしても人間、ただただ優しくされたんでは将来ロクもんにはならず、たまにはビシッっと怒られたい…てな欲求もあるようで、案外明王部は人気ものが多い。

天部についてはざっくりと彼らは仏教世界のガーディアンだと理解している。ココロ優しき仏を守護するものたち。例えば薬師如来には12人の守護神がいる。十二神将と呼ばれ、その数の符合から干支とシステム的にタイアップしていてその頭頂部にそれぞれのシンボルの動物さんがあしらわれデザインされている。虎や龍(辰)などは勇猛果敢んでかっこいいけど、うさぎさんやネズミさんの人は守護神としてちょっとなめられんじゃ…とちと心配、よけいなお世話だけど。(でも僕はいずれチョー強そうなウサギさんを共にした摩虎羅大将を描こうと思っている)で、実はこの12人、各々7千の眷属夜叉を率いているので計8万7千という巨大軍ということになっているのだ。調べてみると現代の自衛隊の総人数は一応23万人程度(そんなにいたんだ…)だそうだから、それに比べると少ないが仏教が興ったころのその規模としてはおそらく世界最強だったはずだ。

で、問題はそんな最強部隊をつくっておいていったい彼らはナニと戦うのか? 仮想敵(国)は誰なのか、どこなのか?

その答えとして用意されている相手は「ヒトの煩悩」なのだと。

たとえばこの先自衛隊がナニと戦うことになるか(そうならないであってほしいが)わからないけれど、その優秀な武器で威嚇しても実際に船を沈めても、飛行機やミサイルを撃ち落としたとしても、結局自らの「煩悩」と戦う羽目になることは間違いないと思う。それでたぶんシアワセにはなれない。

2000年も前の人々がどういうつもりでこれらの憤怒の形相のキャラを創造したのか正確なのところはわからないし、現代において時に愛を語る前にある種のファイティングスピリットがなければならない局面もあるだろうとも思う。

そうは思うがやはり「母」は「戦え」とは言わないだろな。

10年間地元の方たちと続けてきた「境内アート」。諸事情あり昨年をもって実行委員会を卒業させていただいたが、11年目を迎える今年は境内企画作家ということで参加となった。いろいろな意味で過渡期を迎えてるだろう本企画、志をARTでと出来るかぎりのことを考え、やれる限りのことを実現してきたつもりだが都度自らの限界も感じまた、同時に毎回参加してくれた多くの作家のみなさんとの出会いにも感謝の10年間であったとも思う。

こうした多くのフェスは大概企画当初は参加人数も少なく、当然認知度も低いから集客もままならず始まるものだが、焦らず工夫を怠らず我慢をして続けて行くかぎり必ず成功の糸口は見えてくるものだと思う。事実当初わずか20組ほどの作家に声をかけ、始めた当フェスも近年では150組ほどの出展者を数えるほどに成長した。数字の上では確実に成功に近づいているとは思う。内容的にもART+CRAFT+一箱古本市+ステージパフォーマンス+骨董市などが歴史的禅寺空間と信州の遅い春を彩る桜の森で一同に開かれる2日間はなかなか見応えのある企画といえるだろう。

ただ境内アートに限ったことではないが、こうしたひとつの成功の道筋に沿って進む企画を少し俯瞰して眺めて(特に今年はいわゆる企画サイドではないので)みると案外細々と地味〜にやっていた立ち上げ当初の頃の雰囲気の中にこそ、なにか本当のエッセンスがあったような感じがしないでもない。数字や規模で計れない、もちろん郷愁とかではない忘れてはならない何か。毎回毎年楽しいのだが、そんなお祭り騒ぎの中で少しづつ遠ざかっていった何か。

それを思い出す更なる10年でも良し、行けるとこまで行ってしまえという勢いの10年でもまた良し。何れにしてもそんな混沌を許容する寺空間は今後もそこにあり続ける。失敗はしてもいいけど後悔はしない…そんでいいんじゃないのかね。

で、結局 I’m looking fowerd to KEIDAI-ART 2015 !

*写真ほんの一部だけど自分の分も含めてのせときまっす。

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Tokyo days

標高1000M在住のカラダが寒冷地仕様になってるからな…暑かった〜海抜2.2M。

もう4期もやったしそろそろ卒業かな…って思ってた劇団風の子国際児童演劇研究所の講師、今年もやれとのことで案外どこか優柔不断な部分も持ち合わせる僕は「う、うん」とくぐもった返答をしてしまい、も一回だけ関わらせていただくことになった。まあ「境内アート」といいなんでもかんでも一気に身辺整理をつけすぎるとちとヤバイかもしんないから、なんか一つくらいズルズル引きずるものもあってもいいのかもな。

というわけで29期生入所式出席のため演劇の聖地下北沢へ。

一年半の授業の内、僕が関わるのはほんの一瞬にすぎないのだが、なんかこれ毎回ものすごくエネルギー使うのだ。おそらく受け手にそういうエネルギーがあるからなんだろうな。ちょっとジジくさくなるからそういことはあまり言いたくないんだが、やはり“若い”というのは存在するだけで暴力的で変質的で素敵すぎる(うまく言えんけど)。で、またそうでなくてはいかんよね。で、で、またそうい場所だけに不思議な子たちが全国から集まるのです。“子”といっても概ね20才前後、時に3〜40代、稀に僕より年上(一度だけ)。

そんなうじゃうじゃな集団のなかで僕の役割は美術の授業。最近はとにかくマイブームにただただ付き合ってもらってる。そんときに僕がマジハマってることを一緒にやる。発信する側がまず楽しくないと受け手もきっと楽しくないだろうとの思い込み。

例えば現在のマイブームは「仏教」なので、もし明日授業があればおそらく「今日は仏像を彫ります!」てなことにもなりかねない。それもよいような気もするが…それじゃダメでしょって気もするので、まあ秋口くらいまでじっくり考えます。それはそれでやっぱ楽しいかな。せっかくなので油やに合宿制作なんてどうかしら。とにかくみなさん一年半大変なこともあるかもだけどやりきってもらいたいものです。

OSSAN-HARAYAMA-2

だれだソレって話しでしょうが、いいんです。いつの世もホンモノがTVなどのメジャーなメディアで羽振りをきかせてる有名人であるとはかぎらない。無名の中にこそびっくりするような能力が隠れていたりするもの。

ま、それはさておき続けます。

図らずもOSSAN-HARAYAMAの展覧会(あ、ちなみに本人は情報によると3年前にちがう世界にいっちゃってるので本展は回顧展です)ポスターに出会った僕は、これはもう来い…言われてるとしか思えなかったので、すかさず会場を確認すると「ギャラリー鬼無里」とある。県外のみなさん鬼無里(きなさ)をご存知か。小説にでも出てきそうな名前であるが、長野県北部裾花川源流、戸隠連峰の西南辺りに位置し長野市側からここを抜けると白馬方面に通づる実際にある地名。飛鳥時代に鬼無里に遷都の計画があったとされる伝承や、鬼無里盆地がかつて湖だったとする伝承、鬼女紅葉伝説などが存在し、実際に伝説にちなむ「東京(ひがしきょう)」「西京(にしきょう)」などの集落がある不思議な場所なのだ。で、会はそこで開かれているという。長野市街から1時間弱はかかろうか…が、まあいい。当日はうっすら春の雪日となったがさすがに道は凍るまいと裾花川沿いR406を長野市から彼の片鱗に会いに西へ進む。

会場は彼がアートディレクションを手がけたクライアントの一つ「いろは堂」。長野のローカルフード「おやき」の専門店に併設されたギャラリーにて。さすがに季節柄積もる気配はないが、そうは言っても断続的に雪は降りつづく山間地。予想した通り観覧者は僕一人ひとり占め。デザイン関係の制作資料は著作権の関係からかその全貌をみるには程遠い展示内容だったが、かれがまだADとして活躍する以前のおそらく30代…すなわち僕が彼の事務所に入り浸っていた頃と同世代…の仕事のいくつかが展示されていて興味深かった。

なかでも信濃三十三番札所巡りを題材にした「同行二人」…そういえばこの本の存在をもう何年も前に知って、手に入れようとしたものの既に絶版…ていうか出版社そのものが倒産していて手に入らなかったソレがそこにあった。昭和の憂鬱を引きずったようなモノトーンの挿画はある種時代的なノスタルジーの流行を垣間見せもするが、なかなかの完成度なり。共著であり文章とまた良く響きあっている。こうして実際に手に取ってみると改めて所有欲が沸きあがり、古書検索すればいいじゃん、と後日ネット検索するとすぐに見つかり、しかも長野市内の古書店に1冊発見。こうして数年前にあきらめていた本があっさり手に入った。しかも今展で初めて目にしたやはり彼の同時代の「野沢の火祭り」を題材にした木版画作品シリーズ1セット15枚を、これもダメもとで古書店のおじさんに聞いてみると「あったかも…」と奥からゴソゴソ取り出してくる…という始末。

不思議なものだ。必要なものは必要なときにちゃんと現れることになってるらしい。

ま、とはいっても今回の時空を超えた邂逅にどのような意味があるのかは未だ不明…だが少なくとも何かしらのココロのざわつきを残して春の雪は解けてゆくような…。

*掲載写真中段は原山氏制作による「同行二人」のおそらく販促用ポスター。

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OSSAN

OSSAN…僕のことではない。無論この年齢なので自分がオッサンであることは否定しないが、「OSSAN」は僕の尊敬したアートディレクターでありアーティスト原山尚久氏が自らに与えた称号だ。五芒星の周囲にOSSANの5文字を配した落款が晩年の彼の作品に押印されていた。2011年には他界したことになっているが僕はその事実もいきさつも本人から聞いたわけでもない(あたりまえだが)ないのでなんだか全く実感がない。ただ「他界」というからには別の世界に何らかのカタチをもって存在するのだろうから、おそらくそちらの世界においてナニカシラの研鑽を積んでおられるか功績を残しつつあるのかもしれない。

氏には僕が30代手前で無謀にも(あくまで一般社会的にはだが)たかだか3年間の地方公務員を辞職しフリーランスになった頃ずいぶんとお世話になったのだ。掌の趣くままに蝋を捏ねながら動物像などをつくり、それをひたすら金属に置き換える作業(lost wax casiting)に没頭していた当時、生み出された無骨な作品群に「原初」というタイトルと以下のようなコピーを添えて僕のデビュー個展を企画してくれた。

「今から3万年前の信州を記憶しているだろうか。最終氷河期を迎え、日本列島が大陸と続きだったあの頃のことを。大陸から様々な動物たちが、いく人ものヒトと共にツンドラの荒野を移動していた季節を。………「原初」それは思考がからめとる凡庸のイメージではない。美術家は動物の形象の内に自らの原初を発見した。縄文を思わせる銅製の彫刻の姿を借りて。(NAO)

…と。

自分が生み出したモノに言葉が添えられる…という経験がなかった僕はなんどもこの文章を読み返し、おそらく暗記した。

もちろん上記はあくまでも個展DM用の原山氏のコピーであって、当時の僕がそうのような制作意図をもって作っていたわけではない。そうではないが今ほど言葉を持たなかった僕は初めて文字の持つ想像力の可能性を感じたものだ。モノツクリなんだから黙って作れよ、不器用ですから!男は黙ってサッポロビール!!!by  KEN takakura(古!)みたいなんじゃなく。

+

長野市善光寺西側、鬼無里辺りを源流とする裾花川に浸食された孤山「旭山」の麓に妻科という地籍がある。そこに小さな古い土蔵を改装した彼の事務所があった。どこか東京下町の路地裏にありそうな時空が止まったような不思議な異界であった。そんな場所にアヤシイ輩はもちろん、20代の僕なんかがなかなかお行き会いもできないような業界の名士…いわゆるエライヒトなんかも出入りしていたと思う。

仕事を失って(まあ勝手にやめたんだが)アート的プータローとなった僕は(考えてみたら乳飲み子がいたなすでに…)ヒマだし面白いからちょくちょく彼の事務所に遊びに行っていた。栄養ドリンクなどを買い込んで浅はかな気遣いとともに。たぶん仕事の一つももらえるかもという打算もちょっとあったかもしれない。動物というテーマは彫刻だけではなく平面でも描いていて、そのころイラストレーションの登竜門的コンクールでたまたま受賞したのをいいことに彼のきらびやかなアートディレクションの中で使ってはもらえないだろうかと営業をかけると氏曰く「そーだなーナカムラはウシとかウマとか描いてるから信州ハムあたりかな…」と。

販売促進ツールを作り出す歯車の一つとしてのイラストレーションと自らの内発的衝動で描く絵との基本的区別がついていなかった僕は彼のそのつぶやきですべてを悟る。「あ…自分の牛の絵でハムが売れるわけがない…」で、以後無理なお願いは慎むようになる。だが今にして思えば、その時ハムが売れそうなウシの絵を描こうと思わなかった自分がエライ…というか描けなかった自分に感謝…かな。

それでも懲りずにハラヤマ詣ではその後もちょくちょく(なんたってこっちは時間がたっぷり)。常に哲学的風情を醸し出し、アーティストでもあった氏であるが、まっとうにその能力を駆使するかぎり彼は長野ではチョー優秀なアートディレクター(その頃有能なデザイナーは多かったがADのできるヒトはほとんどいなかったと思う)であり、その意味では全くカタギで本来僕なようなヤクザなアート小僧の相手などしてるヒマはなかったはずであるが、行けばそれなりに時間をさいてくれた。もっとも時には大きな作業机の真ん中に立てたお香に火を灯し、この一本が終わるまでね…と長居を制限されたこともあったが「なるほど〜こんな追い返し方もあるものか…」と僕の方はその場で起こるすべてが学びとなってしまう始末。

+

さて、数日前に普段ならまったく行く必要も無い長野市のアーケード商店街を歩いていると一枚のポスターが目に留まる「原山尚久展 DESIGN←→ART」。もう何年も忘れていた名であった。先に記した通り今生にいないことは聞いていたので本人が展覧会を開くはずがないので一瞬同性同名かともよぎったが懐かしいカブトムシの絵が印刷されていたのですぐに本人のものと確信はしたが、まさに白昼の商店街で幽霊にでも会った気分である。もちろん悪い気はしない、、し、怖くもない。むしろ懐かしく不思議な気分。ただどれくらいの人たちがこの商店街を日々行き来するか知らないが、おそらくこのポスターの前で足を止めるのは僕だけなんだろうな…と思った。

(思ったより長い文章になったので続きとします)

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あ”〜知らなかったー、見たかった〜!

エヴァンゲリオンと日本刀展(上野の森美術館)。が…とは言うもののエヴァも日本刀も双方それほどハマってるわけではない。けどなんだろ、このマッチングが妙にそそられる。日本刀の所有欲をもったことは一度もないが、この仕立てのデザインであれば一振り仕事場に飾っておきたいかも。漆塗りの朱とか青鞘なんかいいなー。5色くらい選べたらなんかiPone5cみたいで。東京展は終了してしまい、次回はヨーロッパ巡回展(パリ・マドリード)だと。ウ〜m、ちと遠いな。が、欧州壮行展ということで岡山の林原美術館で急遽開催決定らしい…けどこの辺りこの前行ってきたばかりだし…どしよ。

関連サイトには写真がupされてはいるがやはり現ブツを見てみたい。デザイン自体はアニメーションベースで、写真だけだと一見トイざらス辺りで売ってるおこちゃま向けクリプレっぽく見えなくもないが、あれを日本の卓越した工芸力で仕立てたらそりゃよいわな。ま、日本刀はさておき本来日本の武具…例えば甲冑などは、ホント機能よりもデザイン先行型でしょ。直江兼続の「愛兜」(戦場で愛をアピール)にはじまり黒田長政所用の「銀箔押し一の谷兜」(空気抵抗受けすぎ!)、誰が冠ったかしらんがハマグリ合わせだのウサギ耳だの、あんたら戦う気あんのかい!ってツッコミたいほどのアピール感は、もはや戦場での勝敗基準は親方様の伐折羅度如何な勢いですよ。そりゃスピルバーグもダースベーダーデザインしちゃうわけですよ。命かけて遊んどるもんねー。

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Ido Tea Bowls

たかが○○…、されど○○って感じ好きだよね、この国の人。底に茶溜りがあって、周囲にロクロ目があってお尻に高台。ちょっと歪んで良い感じで貫入など確かに入ってはいますが、なんてことはない素朴なお茶碗ですよ。しかしその直径10cm程度、高さ7〜8cmほどの朝鮮渡来の碗は室町以来の戦国武将を魅了し続けた…らしい。「井戸茶碗」(根津美術館)拝見。

僕は陶芸家ではないけれどなんか一つのメディアとしての器ってのも面白かろうと不純な動機で、たまに土を捏ねて凹んだモノをこしらえては周囲にふざけた文様などコラージュ風に描き巡らして遊んでいるものだから、いわゆる「茶碗」というものに多少の興味はある。周りにも抹茶・煎茶などを嗜む方々もそれなりにいらっしゃるので、折に触れてお茶を立てていただいたりする機会もなくもないのだが、無調法故というかそもそもおぼえる気がないというか都度テキトーな感じで申し訳なく啜っている。まあマナーなんてものはもてなしてくれる相手のことを心から思いはかれる想像力があればフツーにそれが所作となって表現されるのだろうから、そういう気持ちがまだまだ足りないということなのでしょう。

加えて以前僕はそのスジではオーソリティーの茶人でギャラリーオーナーの方から展覧会のオファーをいただいた折、よせばいいのに調子にのって抹茶茶碗(のようなモノ)をいくつか同梱して作品送付したものの、結局それらは検閲にひっかかり会期中ストックヤードから出ることはなく件の茶人からは「ナカムラくんは茶碗なんか作んなくていいんだよ…」と一蹴。一応それ以外のモノが面白いんだからそれで十分…てニュアンスはあったけど、そんな恥もかいている。たしかその折に「ホンモノはこんなんだぜぇ」という雰囲気で彼がその場でささっと立てて出してくれた器も朝鮮の井戸茶碗であったような。

そんな程度なので都合70点ほどのそうそうたる銘品の数々を眺めてみたところで、たしかに良い風情であることは感じるが、こんなものがいっこくらいおウチにあってもよいかなーなどと思うくらいで、そのモノの持つ本当のところの凄みとか価値観はやはり今の僕には不明である。なのでどこをどう見てよいのか分からない僕はしばし館内のソファーに座って鑑賞者を鑑賞してみることとする。

つくづく日本人というのこうした小さきブツが好きだな。あのボリュームにナニが見えるのだろというくらい彼らはその見識というレンズを通してためつすがめつ何モノも逃すまいという勢いで観察している。茶碗ごときで本気でこんな遊びができる民族は他にあるのだろうか。宇宙が小さいということがこんなにも素敵なことなのか…というか物事はすべて相似形であるという本質を日常的に理解しているんじゃないだろうか。

なこともうっすら考えつつ僕はその昔、国一つも動かすような価値をもったとされるブツをただただボーっと眺めている。

…どこか柔らかそうな土の感触。人肌のような色合いの釉。なによりそのカタチ…。

ふと「オッパイみたいだな…」

大井戸はCカップ、小井戸はAAカップ…。あーなんかよくわかんないけど井戸茶碗っていいかも〜。

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ミズヌルム

今日はぬるかったね〜久しぶりに流れる水をみた。

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油やプロジェクト定例会。いつもながら議題が多岐に渡っていて時間が足りん。そいや今年から油や前庭で毎月7の日「骨董市」ですよ!これ決定。

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沙庭の準備そろそろ本格始動せねば…。アート古書充実を図るため仕入分では足りないのでJin’s蔵書を放出することにした。古書店の経営者ってみんな最初は自分の蔵書に手をつけるらしいよ。あーサイトもつくんなきゃだ〜。

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日々の仕事に追われて絵、描けてない…のに、4月急遽「浅間縄文ミュージアム」よりオファーがあり「やらない」or「できない」理由はない…ということにして企画展決定。しか〜し、境内アートもあるしなぁ…その一週間後油やオープンでぇ…ムムム…ダイジョブか…今までもなんとかなってきたから、なんとかなるんだろうな…たぶん。

昨年に続き今年も諏訪湖は全面結氷しお御渡りが確認された。湖を貫くこの氷の亀裂は神様の恋路…ということになっている。遠距離(といっても湖の対岸同士というニュアンスだが)の張り裂けんばかりの想いを氷のせり出しに刻むわけだ。それにしても天でも地でも神様の逢瀬は刹那だな。一年一度、しかも夜空が曇れば涙雨、水がぬるめば渡る能わず…そんなイチャイチャしなくてもちゃんと通じておりますのでしょうかね。ちなみに人間はセックスをして子を生しますが、次元の高い天使界に行きますと、お互いに微笑み合っただけでその件は成立するらしいですよ。ま、人間界でも思春期の頃イケメンくんと目と目が合っちゃっただけで妊娠しちゃったってJKのウワサ話も聞いたこともありますがね(もはやカミの領域です)。

なお現在の諏訪湖は結氷は半分ほどになっており、お御渡りの痕跡もすでにない。それでも広大な湖が白く覆われた様は神秘的なものがある。写真は本日のもの。夕暮れの湖畔では氷の軋む音が鳴り続けていた。

(コレ、神様でなくてもついフラフラっと対岸まで歩いていきたくなっちゃう)

というわけで今回は「酒蔵で本を読むくらもと古本市」in真澄で開催された美篶堂さんの『和装本四つ目綴じ』ワークショップに参加してきました。

美篶(みすず)堂さんは長野・伊那市にある製本屋さんです(といっても普通の製本会社じゃないよ)。以前から一度行ってみたいと思ってたので、しかも僕個人的にも御贔屓の蔵元「真澄」さんでの開催とあって即決で申し込み。とは言っても職人仕事ですからね、A型因子が年々低下していく我が身につとまるか若干の不安をかかえつつも結構イイ感じにできちゃったりして…気に入ったんでコレ仏画帖にしようかな。