Jin Nakamura log

定例会議

油やプロジェクト定例会議。本拠地追分宿はただ今電線地中化等の諸工事が観光オフシーズンということもあって、今しかないという壮絶な勢いで進行中のため近づくこと能わず、また同メンバー多一氏宅は先日の雨で、自宅周辺の融雪が尋常ではないということで、これも近付き難しのため今回はnakamura-keでの開催。設計図面もできてきていよいよ第二期工事も本格化の兆し。冬の軽井沢はこうして夏のお客様を迎えるために人知れずうごいてるわけです。今日の主な議題はweb サイト編集+テナント募集などについて。*それにしても我が仕事場の雑然としたこと、俯瞰してみると少しあきれる…。写真下は設計図面の一部(セミーノデザイン一級建築士事務所)と改装中の僕の担当するアートスペース現状…二部屋ぶち抜きました。

already cured

実は昨年秋から肩を痛めていて、いまは週一くらいでスポーツ医療にも対応している整形クリニックに通っている。レントゲンでも超音波でも特に異常もないのだが痛いものはイタイ。こういう患者には大きな総合病院の整形科は全く興味を示さず、数週間分の膏薬を処方されて適当にあしらわれるが、理学療法士のいる現在のクリニックではわりと丁寧に対応していただいてありがたい。しかし最近思うに実は自分はもしかしたらすでに治っているのではないかと考える時がある。問題は治っているという状態。何をもって「治る」というのか。例えば河合隼雄氏の言葉を引用すると「人間は生まれてくるということはもう病気みたいなものですよね。生まれないであっちにいる方がよほど楽かもしれないですから…」と、これはもう釈迦の言葉に近い。「人間は人間という病気にかかっていて…」とも。「治る」という価値観は常識に添ったものであるから、非常識な価値基準(最近ボクらはこれを「変さ値」とよんでいる)に寄り添えば、常識的には治ってなくても変さ値の高い人はその状態が自分にとってはフツーってことだってありうるということですよ。…でもまあまだ少々イタイといえば痛いんだけどね〜。

2月の雨

雪になるのかな…と思っていた冷たい雨は一夜開けた今も白く結晶しないまま降り続いている。外気温が高いのだろうけど、この時期の雨はなんか逆にうら寒く感じて。多分に躁状態だった日々から自制自戒して(フリをして)なんとか平静を保とうとする気持のきしみが、冷雨の風景と重なり少々滅入るが、これも春隣の兆しとしなければね。

友人の版画家個展情報紹介しときます。

近藤英樹展/巷房・1/版画/立体『種子の記憶』2.6(月) − 2.11(土)12:00 – 19:00 / final day 17:00巷房・2・階段下にても同時開催*写真は展示作業風景を撮らせてもらったもの。

祭りの後

「カワウソマツリ」という酒をご存知か。日本酒好きならもちろん周知の山口県の銘酒「獺祭」(ホントはダッサイと読みます)のこと。カワウソが捕らえた魚を岸に並べる習性を祭りに見立てた一言を酒名としている。なかなかパンチの効いた呑み口。さて、作家にとって展覧会などといものもまさにこの「カワウソマツリ」の如きものかもね。自らの衝動に添って生み出してしまった何かしらのブツをたいそうに並べ見立て、結局つまるところ祭り・酒宴へと連日なだれ込むていたらく。多くの人たちと出会い、アートをネタに(場合によっては全く関係なく)いろんなことを話し、非日常という日常を過ごす。そしてやはりアートにはそんなチカラが少しはある。ご来場いただいた方々、今回の展覧会を企画していただいた関係者の皆さんホントにありがとうございました!これを励みにまたがんばります。さて後は祭りの後の現実復帰作業を残すのみ。毎回そうなのですが展覧会やアートイベントに参加したあとのこの日常生活への切り替え作業がけっこうしんどいのです。とりあえず銀座のホコ天でみんなの注目を集めてた、なぜか陽を仰ぎ見るネコくんの写真でもながめて、上がりっ放しのテンションをすこし癒されながら下げるとしますかね…。

僕の右手

その時にしかうたえない感性ってあるなぁ…うまさじゃなくて。

いただきモノ

日本画家の生井氏より旧正月の賀状が届いた。なるほどそういう切り口も面白し。旧字・当て字・絵文字など遊び心満載で、その豪放な筆致とともに氏の人柄が感じられ嬉しい便りである。和紙の書面には「目を覚ませ目を覚ませ 齢七拾年間乃仮眠からと我に云う」とある。画家としてこれだけの力量と経験を積みながらも、この言葉を元旦の計に記す境地を垣間みて新たな勇気をもらう。仲冬に詠んだ拙句「藝道の餓鬼となるかよ冬五十路」などまさにまだまだガキの戯言。かの北斎翁にさえ「70までに描いたものはとるにたらないモノ」と云わしめるめるこの道の奥深さを感じるものだ。なのでもうしばし底の方でうごめいていてもゆるされるものかしらね…ってそういうとまたのんびりしちゃうからマズイか。
もう1つのいただきモノは友人の彫刻家・ninoさんより。奥付けに出版年がのってないがおそらく1960年代後半あたりの横尾忠則氏の作品集。彼が霊的・オカルト的なテーマに最もインスピレーションを受けていた時期のものである。彼女に「小躍りして喜ぶよ…」と言って手渡されたが、とっても嬉しかったけど「小躍り」がどんな踊りかわからなかったので、特にその場で躍りだすことなくフツーに喜んでいただいた。

*明日2/2〜5まで再び東京。ギャラリーにも午後は在廊予定です。

LINDA

リンダリンダ/GIBIER du MARIがYouTubeにあったので埋め込み。オドリがちょっとオモシロイ…

見逃してたけど「リンダリンダリンダ」借りてこよっかなー たしか韓国の女の子が主役なんだよね。

books

今朝の仕事場の室温は−2℃…それがそのまま本日屋外の最高気温となった。ホントはやく暖かくなってほしいものだ。最近の本:「両性具有の美」/白州正子、「親鸞(上・下)」/五木寛之、「中陰の花」・「アミターバ 無量光明」/玄侑宗久。最近のiTunes stor download:「リンダリンダ」/夏木マリ、「あの鐘を鳴らすのはあなた」「タイガー&ドラゴン」クレイジーケンバンド…それ以外にも他人に言えないヒミツの曲もダウンロードしたりしてる。それはそうと、ふと振り返ると意識したわけではないが、この1〜2年お坊さんの本、結構読んでる。別になにかのっぴきならないオモタイ理由があったわけではない。そういえば仏画(のようなモノ)を描き始めたことについても、何か大変なことがあったのでは…と訝るムキもあったが、これも別にそういうことではない。描こうと思った“きっかけ”に出合えたことはそれ自体個人的には大変なコトだったのだとは思うが、それもたぶん昨日までぜんぜん乗れなかった自転車にある日突然ふとした拍子に乗れてしまった…というような感覚にすぎないので心配には及ばない。

さてお坊さんの本だが、空海に始まり西行、日蓮ときて最近のブームに乗っかって親鸞…という流れ。次はシブいところで一遍上人(信州に縁があった人らしく、昨年映画製作のため善光寺にて主演のウド鈴木氏らのロケがあった)あたりをと思っている。当然それらは膨大な歴史的資料を元に作者の感性を織り交ぜて構築されたエピソードであるから話半分にと思って読み始めるのだが、それにしても興味深いのは、いずれもまだ何も成し遂げられずにいる彼らの生々しい未熟さが描かれていく場面。かの歴史的な賢者たちもみんな若き日に悩みと不安の渦中にもがいていたというあたりまえの事実に触れる時、宗派・宗旨を超えて何かしら感じるものはあるものだね。いずれにしても当時ほとんどが新興宗教だったはずの鎌倉仏教は興味深い。

余談だが、「親鸞」は越後流浪以後の話が続編「親鸞・激動編」として刊行されているので図書館でリクエスト。“鸞”の字が書けず、カードに「親らん・激動編」と子どもみたいに書き「スミマセン…漢字書けなくて…」とちょっと恥ずかしげに図書館のおネエさんに提出しのだが、きわめて事務的に受け取って処理。このおネエさんは以前「鴨川モルホーありますか?」とリクエストしたときも「ホルモーですね…」とはやり事務的に顔色ひとつ変えずに訂正して対応してくれたものだ。

仲冬・新年の句

今回は以下三句です。

「オリオンの臼にしか見えぬしじまかな」

「藝道の餓鬼となるかよ冬五十路」

「初の字というリセットの都合良し」

句会の皆さんのはかなりイイ感じのがあるのでホントは紹介したいですけどね〜。了解もとってないのでとりあえず自分のだけ。*写真は最近変えたケータイiPhoneで撮った浅間です。月に1度くらい同位置で定点観察しようかなと思ってます。1年後12枚並べてみたら面白いでしょ。

会場風景

取り急ぎ会場風景などを。二人展てけっこう雰囲気合わせるのムツカシイんだけど、芸風がまったくちがうのに、不思議となんとなくいい感じなような気がします…ある意味テキトーな二人なのでイイカゲンになったのだと思いますね。ヒトガタが対峙する風景…お楽しみください。