Jin Nakamura log

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ゆめのふち

正月以来が然「夢」というものに興味津々なわけだが、かの世界に深く旅に出ようとするも未だその縁にとどまり深遠なる無意識界をおそるおそるのぞいてみている…てところだろうか(てか、忘れちゃうんだよねーすぐ…)。

きっかけは先にも記した明恵という人であるが、この件についてまず最初に読み進めた一冊が「明恵上人」(白洲正子・著)。で、この白洲さんて方、案外イイひとなんじゃないかなと…(失礼)。なんかさコワソ〜なおばはんのイメージあったのよ。ま、能に造詣が深く骨薫る世界を愛でる嗜好や、そのそうそうたる交友関係などをざっとさらっただけでも、そりゃフツーに近寄り難い空気を醸し出しますわね。

ただこの著作について言えばよい意味で文体がとても中庸で、取材したことや想いに誠意が感じられ、なにより分かりやすい。テーマに拠るのだろうか、別な著作を読んだときはさほど感じなかったのだが。おばはんきっと上人に惚れちゃってたのかもな。言葉が初々しいというか瑞々しいというかさ。そんだけ明恵さんステキなひとなんですよ、たぶん。

「明恵が信じたのは仏教ではなく、釈迦という美しい一人の人間だったといえましょう…」

彼女の言葉より。

ふしぎな雲、雪はほとんど融けました。

ぬるい…

森に近づくと水の匂いがする。

清濁合わせ、融けだし、混ざり合って…

冬になってからまったく感じなかったものがほんの一瞬帰ってきた。

最高気温が所によっては10℃近く。例年ならそこにマイナスがついてもおかしくないのだが。

明日からはまた戻る。

昨年の水温む頃よんだ句「高みから低きへ流る水の春」…真冬は重力も凍る。

天つ風

ムスコちゃんたちがまだ小学生のちびっ子のころの本(学校で使ってたのかな…)と思われる、満点ゲットシリーズ「ちびまる子ちゃんの暗唱百人一首」が誰が見つけてきたのかなにげに机上に。HAIKUはあそばせてもらってるがさすがに和歌をたしなむことはない…が、なんとなくパラ見しつつふと百首あるわけだからMy best 1をと選りすぐってみたのがこれ。

「天つ風 雲の通い路吹き閉ぢよ をとめの姿しばしとどめむ」…どうよ!

以上の件に関して同居人の感想:「老齢の仙人が下界のうら若き娘のふくらはぎのあらわなるについ見とれて、その霊力をあっさり失う…って感じね〜(以上コレを選んだ件についてもっとぐだくだ云われた気がするが要約すると)」。って失礼な!僕は老齢ではないし、まして仙人でもない。それに今時「ふくらはぎ」くらいでムラムラもしない、せめて「太もも」。

それはさておきたしかに若い娘を自らかどわかしておいて、逆にその魅力に取り込まれ飛ぶチカラを失ってしまった天狗の話を聞いたことがある。いやそんなことよりこの歌の「をとめ」は天女のたとえですからね、そのへんのチャライねェちゃんじゃないのよ。もっとこう次元が高いっていうかサ、宇宙的っていうかサ…ま、いいや。

ちなみに作者は僧正遍昭…坊さんかな…桓武天皇のお孫さんで六歌仙の一人らしい。

Vaccine…etc.

一応受験生かかえてるんでインフルエンザワクチン接種を、抗体は2W後くらいとのことだが。そのせいか、重苦しい気圧のせいか、ここんところ続いた夜中仕事のせいかわからぬが一日中ものすごい眠気におそわれている。

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Amazonの自動配信で「お寺の基本」ススめられる。そんなに利用してるわけじゃないんだけどな、機械のくせにイイとこついてくんなぁ…なんでわかる? そんなにわかりやすいかな自分……でももう買っちゃってるしィ。

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久しぶりの物欲(仏欲じゃない)。ギター欲しい! ホントなんとなく通りがかったジャスコの楽器屋さんにフラフラ〜っと(モールのテナントってしきりがないからつい)。ちょっと前から少し小さめのギターが欲しかったんだけど…よだれたらしてたんかな…じぃっと見てたら、お店のおネェさんに「さわってみます?」「あ、いえ、そんなつもりじゃ、、、え、じゃ、ちょっと…」てなって。「やっぱり音色ですか?」とか「これ長渕剛のモデルで…あ、ご存知かもですが…」とかやたらたたみかけるおネェさん…知らんがな!て思いつつも結局4〜5本さわらせてもらい、なんかK.Yairiのシリーズがしっくり。

ガキの頃から画材屋さんに入るといつもワクワクしてたけど楽器屋さんもたのしいな。…そういうわけで今何が欲しい?って聞かれたら(だれも聞かないと思うけど)即座に“寺”と“ギター”って答えるわけですよ。絵描いて、ギター鳴らして、うたうたって、文章書いて、俳句つくって、仕事して、散歩して、ソラ見て、妄想して、ヒト好きになったり、笑ったり、涙腺ゆるんだり、ボーっとしたり…え〜とまだあるか…とにかくそんなんでいんじゃね…ってことで…あ〜ヤベ、買っちゃいソ。

晩秋の句会

今回は…

ドングリを独楽にするから30こ

酸漿よ鬼の灯となれ冷徹に

流れ星見たからといってそれがなに

な、感じでした。
「独楽」は新年の季語だったのか〜ま、いいや。

落葉

数日前の我が家の風景。手前が山グリ、奥がクヌギとかいわゆるドングリ系の雑木林。今は連日葉を雨のように降らせて地面は紅葉したはっぱでふっかふか。雪や落ち葉って普段見慣れた景色をほんの一瞬だけどまったく別な風景にしてくれてオモロイね。広葉樹は過酷な季節を生き延びる戦略として凍結や乾燥に弱い葉を自分で落として休眠するわけだけど、この自分の意思で落とすってとこがすごいな。実際落葉の季節以前に切り倒した広葉樹の葉は冬になっても枝についたままです。そこにはもう意思がないのでなにもおこりません。唯モノがそこにあるだけ。もちろんただのモノであっても、今度は周りの環境の意思を受けて風化したり分解したりはしていくけど。一方、生きてる樹木の落とす葉は次に来る成長期まで生き延びようとする意思表示ということになりますね。そう考えると紅葉ってなんとなく死にゆくものの最後の風情のような気もしてたけどなかなかどうしてそのしたたかな執着心やよし…というところでしょうか。

そうはいってもこれは温帯から亜寒帯地域の話で熱帯雨林なんかはどうなんかね、Noストレスで節操もなく変化もなく寿命が尽きるその時までそのまんま? それはそれで、なんかのほほ〜んとしててイイなーとも思わないではないが。

TERA-project_4

さて見仏界の先駆けMJ氏(みうらさんね)風にいえばMY寺院(これって今寺院=イマジンとかかけてんのかな)建立ってことなんだけど実際仮にも宗教施設であるとするならば(なワケないか…でも宗教についてちょっと考えてみる…ことはできるかも)何かしらの宗旨というものがあってしかるべき?(なんで疑問形?…ちょっと自信なかったりする)まあ、大ざっぱにはBuddhismでいいんですが(じゃないと仏像彫れない仏画描けない)日本の仏教は奈良以来の伝統宗教だけでも十三宗五十六派と言われてますからね。当然それによって安置するご本尊もちがいますし伽藍配置などの様式も異なるので、何をツクルか何を描くかにかかわる重要なポイントなわけです。

教義の根本(いつのまにできたんだ?)は一応ポジティヴシンキングですからどちらかというと来世救済系よりも現世利益系でしょうかね。たとえば末法思想を元に、生きてる間に救われるのはムリなんで極楽浄土でなんとか…という浄土系宗派はやはりどうしてもお寺と“死”のイメージと直結しますね。生きることに絶望した先の死後の救済はやはりよほど折れないココロがないとネガティヴに傾倒してしまうだろうな。西方極楽浄土はそりゃ描きがいがありそうな美しい世界なんだろうけど…。一方(スンマセンすっげー大ざっぱな対比です)せっかくならこの世でなんとか…といえば真言宗に代表されるような密教系でしょうか。神秘主義的な教義・修法によって即身成仏をめざすわけです。生きたままホトケですからね、これはすごいです…けど、先の浄土系のような顕教が経典類の文字によって全ての信者に教えが開かれているのに対し、特別な修行をおさめた特殊な能力を持つもののみがその真理に近づけるという感じ(あくまでも感じです。詳しくは自分で調べてー)だからさ、「…いわんや悪人をや」なんて言っちゃった親鸞さんみたいにだれでもOKてことにはならんのでしょ。だがしかし!空海さん考案デザインの曼荼羅系ビジュアルはカッコ良すぎるし、実際それでBuddhismにハマってるようなもんだし。あー禅宗系もシブイしな…ってもうどないしましょ。

まあ現世だ、死だ、来世だ…といっても、そしてそういうことがあるとしてもそれは想像もつかないひとつの大きなサイクルなわけでしょうから、はやりあらためて注目すべきは“今”なんでしょうね。今ちゃんと生きないとちゃんと死ねないってことですよ…よくわかんないけど。

う〜ん、TERA-project…まじめに考えすぎるとあたりまえだけど奥が深すぎるので、案外もっと薄っぺらでいいじゃねって思いはじめたぞ…そんでもって大まじめ、ね。

次は伽藍について考える…(エエかんげんにしなさい!)

TERA-projet_3

もうバレバレでしょうけどね、えぇそうですよ、言ってしまえばね、ナカムラはただハコをつくりたいだけなんですよ。仏つくって魂入れずなんてこと言いますけどね。ツクるという行為のなかにすでに入ってんですよきっと。だいたいタマシイの入らないモノつくるほうがむづかしいっしょ、開き直っちゃいますけど。

だってホントつくりたいモノだらけなんですから。ご本尊はもちろん壁や柱に施される仏画でしょ、天蓋からはじまってなんなら木魚とか僧衣とかだってデザインしちゃいますよ。当然それらが納まるお堂そのものもね。軽トラのせて移動式となると荷台にセッティングされるイメージお厨子みたいな感じかな。ならお仏壇屋さんとタイアップってのもいいな、でもそれって想像すると一歩まちがったら霊柩車っぽい?…だがしかし!見ようによってはあの超デコラティヴな移動式日光東照宮的な感じ、あれはあれですごくね。あんなんで死体運ぶとこ世界中他にあんのかしら?…って、この段階でチラっとwiki検索したらあの度肝を抜く和風カスタム(そう言うんだ…)、各国からオファーがあるんだとさ。実際あれインドとか走ってたら逆にフツーっぽいもんな、牛がとなりにいてもなんかしっくり。そう例えばベースのステーションワゴンがブラック以外の塗装(白とか朱?う〜んどうだろ)だったら急に晴れ晴れしくない?もう町なかで見かけても親指隠したりしなくていいんだよ。夢は膨らむでしょ…。

しかしそうは言っても初めにハコありきで、それから住職(なんなら教祖でもいいけど)募集ってさ、なんかどっかのチェーン店のまず店つくっちゃってそんで“店長募集”みたいね。ま、本店(寺)勤務の兼任でもいいんですけど。創っちまったブツへのタマシイは気合いで入れられてもお坊さんはなァ…やっぱ大事なのは人ってことかぁ。だれかこんな戯言をご理解いただけるココロの広〜い店長いやもとい、住職さん!いない?

とういわけで次回は宗旨について考えてみましょう。(まだつづくんかい!!)

TERA-project_2

今日はソラがつまんねーなーって思ってたら午後から久しぶりの雨。夏以来土日は毎週油やのお店番だったので結局日々の仕事にそれが加わりお休みなしな3ヶ月。日曜に雨の音聞いてボー(としてもいられないんだが)っとしてるのも考えてみたら久しぶり。

さて、こういう日はとりとめもない思索によろしいので調子にのってTERA-project_2…いってみますか。

実はあんなこと書いたあと、なんのあてもなく本屋入ったらまた目が合っちゃった…「お寺の基本」(やっぱヤレってことかなー…て思い込み?)。ここ数年ブームだからね、仏像の入門書とかはホント多いんだけど「寺」の成り立ちや基本を解説した本て案外珍しいのね。で、そもそも寺ってナニ?ってことですよ。仏教はもともと偶像崇拝禁止だったわけだから仏像が造られ始めたのはお釈迦様の時代から500年後くらいだけど、お寺の原型はインドの雨期、雨風をしのぐために建てられたお釈迦様たちがが修行した精舎とういことですからもう2500年くらい前からあったわけですね…って本に書いてありました…ナルホドね〜。

ま、要は修行のためのハコですよ。そう言う意味ではそこにちゃんとした教えがあれば本来はハコなんてなんでもよいわけで、逆にイレモノが妙に立派すぎるとやはり権威主義っぽくなりますね。世界中の宗教の創始者たちはおそらくナニかしらのスピリチャルな体験をもってソレを発展させてきたのでしょうけど、信者が増えて教義として組織化されてくると、そこに支配や管理が必要とされたり(なんせ人のすることですから)あるいは確実なモノを見たいあまりビジュアル系幻想を追い求めたり(これも人の性)とにかく妙な方向に進みやすい。ほんとうに個の力を信じれば特別な教祖さまのレベルではないにしろ、ちょっとした超物理的な次元の直接体験なんてなにも特別な場所に行かなくてもよいかもだし、あるいは霊的な世界と接触するための媒介もほんとうはそんなに必要ないのかもしれない、実はみんなフツーにそんなチカラあんじゃネーの…ってアレ?このままいくと“寺”いらねぇじゃん!ってなりそ…おかしいな…え〜…軌道修正します。そうはいっても依り代ですよ、個のチカラは各自磨いてください。ココに来たら救われる…とかご利益が…とか思っちゃぁいけません、ただなんか前向きにいけそうなきっかけがあったらよいなー…

to be continued(つづくんかい!)

TERA-project

仕事先の諏訪からとっぷりと暮れた長野道を北上して長野市更埴JCTでおり、以前から一度訪れてみたかった古刹・信州の長谷寺へ。友人のジャズサックス奏者・仲野麻紀が出演するコンサート「musique pour quatre mains et une bouche/四つの手とひとつの口のための音楽」開演直後になんとか駆けつける。今どき寺でジャズコンサートなど特に珍しくもないのだが、おそらくこんなことが成り立ち得るのは日本くらいだろうな。今回の彼女の相方・ギリシャ人ピアニスト、ステファン・ツァピス氏も言っていたが厳格なヨーロッパの教会などではなかなかそういうことはあり得ないようで、そういう意味では昨今の日本のモンクは心が広い…というかなんでも有り。京都・奈良あたりの観光資源的寺院はさておき、だいたいフツーの人が寺を訪れる理由は極端に限られるものだ。僕は以前からお寺でお葬式をやらなかったらいいのにと思っていたのだが、実際最近はそういう場所も少ないがあるらしい。もちろん死者を弔う気持ちも大切だが、死ぬことと同じくらい生きることにアプローチするお寺があってもいいじゃないかな…ていうか寺って本来そうでしょ。葬式するとこじゃないのよ…というわけで最近一部諸兄にはなにげに漏らしていた「TERA-project」あらためてなんとならんかなー。一般的なお寺は故人のお葬式・法要関係がメインの収入源でしょうから、それをしないとなると普通に考えるとやはり企業スポンサードあるいは助成金などを受けないと難しいね。何しろたしかに寺の維持管理にはお金がかかる。あたらしく寺院を建立したりすると莫大な費用が必要なわけで。例えば長野県で実施されている助成金に「地域発 元気づくり支援金」てのがある。元気づくりでお寺を建立…ってどうよ。ま、最初はさ、そんな立派なのじゃなくていいんだよ。軽トラに積んで組み立て移動式みたいなさ。車には協賛スポンサー名がはいっちゃったりして。鎌倉仏教の教祖さんも昔はみんな辻説法でしょ。かの親鸞さんだって最初から本願寺持ってたわけじゃぁないんですよ。あ、ちなみに僕は教祖とか坊さんムリですから、そういう能力ないし(でも般若心経は最近覚えたけど)。あくまでもTERAプロデューサー(あやしい…)、といより正直いうと寺には自分の創りたいものすべてアイテムとして揃ってるってことなんですけどね。てことは教祖募集!か。だれか良い人おらんかなーって、けっこうまじめなのよ。ちなみにTERA-projectのTERAは漢数字表記だと一兆ってことですね。仏教界では例えば「那由多」は10の60乗、「不可思議」は10の64乗、1劫 = 43億2000万年…などと気の遠くなるような数字表現が普通に出てくるのでネーミングとしてもちょうどいいんじゃないでしょうかね。ちなみにちなみに「刹那」(10のマイナス18乗)「虚空」(10のマイナス20乗)なんだって、こっちもなんかスゴイ感じ。