RIMPA MODERN
- By jin
- In art exhibition
- With No Comments
- On 16 7月 | '2013
タイムマシンがあったら確実に過去に遡ってゆきたい。未来に興味がないわけではないがなぜだろう、自分の来し方への興味からかな。ポイントはいくつかあるが近い方から「江戸期」「平安末期〜鎌倉」「白鳳〜天平期」あたり。江戸期はやはり絢爛奇想たる絵師たちの技に触れたい想いがあるが、古い方はやはり日本バージョーンBuddhismの変遷とルーツを探りたい。加えて最近さらに遡り「縄文」のkey wordが浮上する。前々から原生林の列島を見てみたいとは思っていたが、この件が実現しそうである…といってももちろん実際に行くわけではないけれど。
2014年3月「縄文」をテーマにした展覧会の企画が正式に決まった。なんかすごいワクワクする。当時の日本(まだそういう名称ではなかったが)世界的な土器レース(そんな競技もなかったが)の先端を走っており、その間約1万年以上にわたりほとんど狩猟・採集による生活が維持されるという世界的にも類を見ない平和な時代が続いた。それだけこの列島が豊かであったということだ。
写真は僕の住まう御代田町面替という地籍の縄文遺跡発掘現場の風景。清流「湯川」沿いの高台に位置し西に八ヶ岳から北アルプス、北に浅間山という配置だ。現場識者の説明によると縄文人はロケーションのよいところに集落をつくる傾向があるという。湯川は現在この地点からは渓谷のように深いところにあるが1万年前は今よりも30M以上高いところを流れており、ちょいと下りれば新鮮なイワナなどgetできたことだろう(ちなみに昨夏僕はこの川でボウズであったが)。たしかに他にも長野県内たとえば縄文のビーナスなどで知られる「尖石遺跡」は八ヶ岳西側山麓地帯の大扇状地状にある高原に位置し遠く名勝諏訪湖を臨めるといったレイアウトである。想像するだけでも美しい風景ではないか。
やはりヒトは気持ちのイイとこで暮らさなきゃなんだな…。そしたら、かの「火焔土器」やら「遮光器土偶」やら、えも言われぬ想像力を自然のなかからフツーに得られるのかもね。どんなものができるかな、今から楽しみです。やっぱ自然のチカラをちょっと借りなきゃだなー。
ちなみにこの遺跡のすぐ脇に「大星神社」というすてきな名前のお社がある。地域の産土神社であると思われるがいったいどんな神さまをおまつりしてるのだろう…。
たかが百年残る…あるいは残す覚悟でモノつくってるかな…。15,000¥也の硯を買うことになってそんなことふと考えたりする。
墨で絵を描くことになり市販の墨汁では気が引けたので、せめて硯で墨をすろうかとムスコくんが中学校で使用した書道セットを捜して開けてみると、なんと硯はプラスチック製。それでは墨汁以上に内発的衝動が湧いて来ぬ!と、商店街の老舗の文具屋に立ち寄りつかませれた逸品がコレ。ホントはホームセンターの文具売り場あたりで調達しようと思ってたので予算が10倍ほどになってしまった。店の奥の倉庫から引き出されたブツの箱には「甲州銘石高級雨畑御硯」とうやうやしく記されている。店主の説明によれば山梨県の雨畑という地籍は昔から中国のなんタラいう(名前わすれちった)硯の銘石に匹敵する良石の産地であったが現在は石が獲り尽くされ勢いは下火になっているという。なのでもう何年も前に仕入れてそのままになってたコレは貴重品でとってもお買い得でっせ…みたいな説明。確かに箱の印刷は色あせ、硯本体に張られた「高級品」のシールも昭和な風情。まあ、こうやって営業トークの口車にのせられていくのかなぁ…とも思いつつもブツから発せられるホンモノオーラに魅せられ「買い!」の判断を下す。よくよく店内をみれば今でこそファンシーグッズなど取り揃えたありきたりの文具商に成り下がっているが、もともとは気骨のある書画材料店が前身であるらしく店内の一画をそうした硬派なラインナップが未だホコリ臭くもその縄張りをかろうじて維持している構図。絶対ジョシコーセーなどは近寄りもしないだろうし、もはや意味不明!みたいな…。ま、それはさておき、ひとしきり店主から聞く墨、硯、画仙紙などのうんちくは意味不明!な部分もありつつもジョシコーセーではないオッチャンにはなかなか興味深い部分もあり改めて道具とが素材とかについて今さらながらに考えてみたりするわけなのだ。
絵の具遊びもいいけどね、緊張感をもって臨むべし。仕事なんだからさ。
油や「ART PROJECT 沙庭」サイト制作中です。まだ仮オープンでデザインレイアウトは今後の編集作業如何では大きく変わる可能性ありですが、とりあえず公開しちゃう。
爆弾低気圧…これって秋口あたりだあったら台風ってことでしょ?いずれにしてもソレにともなう災害はやっかいなことけど古来この国ではこの風と雨が運ぶ恵みもあったな。そして壊して(壊されて)はまた作り直す文化。再生して若返る…式年遷宮ってのもそういうことでしょ。そういうわけで風が吹き抜けていったソラは良い。ちょっととっちらかってるけど、淀んだものが払われて。
さてFBでは告知してましたが明日から東京銀座にてナカムラジン◎卯月産月浅間展覧会/於銀座会場ギャラリー悠玄
4/8(月)〜4/13(土)11:00〜19:00(最終日17:00まで)
で、ナカムラは8,9+12,13在廊予定です。
ちょっと手違いで初日予定の明日11:00から搬入・展示ということに。そのままopenしちゃいますのであせってナカムラが展示してる風景ご覧になりたい方はどうぞ。いくらなんでも夕方くらいには完了してると思うんですけど…。
同名タイトル「卯月産月浅間展覧会」御代田会場(浅間縄文ミュージアム)はすでに昨日から始まっております。お近くの方、是非!
先にも記した「卯月産月浅間展覧会」フライヤー、こんな感じ。4/6からだが実は急遽8日からの銀座での個展スケジュール受け入れてしまった。いや、一旦はお断りしたんだよ…。でも一晩考えてまあやれってことかなと。
上記とは関係ないのだが、ここ数日アタマの中がトッ散らかってる…というか思考が一つにまとまらないというか…。よくよく考えると大した理由でそうなってるわけでもないのだが理屈でわかっててもダメなときはだめね。傍らのギター手に集めた楽譜を片っ端から熱唱してみると副交感神経が刺激され、うん少しはイイ感じ。しばらく弦に触れてなかっただけなのに指が痛い…でもココチイイ。
あーこれってやっぱ放射能鬱かな、花粉と混ざり合ったさ、最近毎週東京通い。明日も。アートフェア顔出してきます!ってあそこも面白いんだけど空気よくないんだよな〜。産み出すモノとはまた別物の雑念というかさ。…なんか打ち込むコトバも散乱してるような心無しか…いつもこんなかな…。
3/10、煙霧の日、そして一日の気温差20℃の日、表題の講座に参加、月島にて。
わかったこと2つ。金箔の上には絵の具は基本的には定着しない。そりゃそうだよな未来永劫変化しない金属地の上に別な何かが化合して定着するわけがない。もちろんそうは言っても…とあがくわけだけど「無理なものはムリ!」潔くてよいではないか。
もひとつ。中国にはすでに「膠」という漢字は存在しない。ま、この件については先生も「聞いた話」ということ前提ではあったのでもしかしたら異論もありかもだが、それにしても興味深い。“「膠」という漢字は存在しない”が意味するものは、すなわち“膠で顔料等を定着させる絵画技法が存在しない”と同義だという。我が国ではその方法で描かれた絵画を特に「日本画」と分類している。かねがねこのジャンル名の不思議さを思っていたわけだが(だってフランス画とかドイツ画とかないでしょ。油で溶けばそれは油絵だし)それについても、幕末の海外勢力の侵攻のトラウマから極端な国風文化を切り捨てていったあの不幸な明治維新の時期を経た反省の上に、一つの志をもって時の芸術家たちが銘々したものであるとようやく理解。
というわけだからそれらは言ってみれば「ニカワ画」でいいか、そもそも大和絵なんだな。注目すべきは元々はやはり大陸から伝わった文化の一つであろうから、そちらに因んだ名称がついていてもよさそうなんだが、上記の説だと宗家の方ですでにその系譜が途絶えてるとなれば、今となっては「日本画」という名称が残ったのは必然とも言えそうだ。(ちなみに現代中国の画家御用達はだからもっぱらアクリル系)
実はこんな感じで発祥元の宗家の地ではすでにその奥義が途絶えたものが、別な土地で連綿と受け継がれているなんてことは案外多いのかもしれない。そういや空海が伝えた密教なんかもそうだよな…。日本は西からの風が最後に流れ着く場所。島のカタチも偶然かもだがパラボラだしな…やはりオモシロキところ也
師匠のお宅はその昔広重が描いた富士三十六景 武蔵小金井、多摩川上水の桜の名所の近くであった。今に残る花小金井という地名も、そのあたりに因んだものか。路地に顔を出す白梅などはすでに満開、桜もボチボチという具合で我が山麓とはえらい違いだ。わざわざ駅まで迎えに来てもらった彼と道すがらそのあたりの土地の昔話などしつつ15分ほどでご自宅へ。門を入るとすぐ左手に手づくりの鳥小屋が。現在は網の張られた物置といった風情だが、実はこれ以前はカラス小屋であった…と合点する。思い出した。僕が初めてこの人と銀座一丁目の画廊で出会ったとき(10年ほども前だろうか)「カラスを飼っている絵を描くおじさん」として紹介されたのだ。普通の人はあまりカラスを飼ったりしないので、酔狂な画人といったところで適当に納得し、その理由など特に聞いたりはしなかったが、せっかくなので10年ぶりに尋ねてみると、要は家の近くで群れにはぐれて足を痛めていたカラスを一時期引き取り面倒を見ていたとのことだった。ツルならまだしも「カラスの恩返し」なんてものはあるものだろうかと、つい下世話な考えをめぐらす自分をいさめつつアトリエに上げてもらう。
今回はまずはご挨拶までと伺った次第だが、そんなポカポカな昼下がりから夕方まで先生の描き続けてきた軌跡(たぶんほんの一部だろうけど)をたどりつついろんな話をお聞きしたり、させてもらったり。正直いうと僕はおそらく日本画というものの技術を学びたくて門を叩いたのだろうけれど、その数時間で思い至ったのは最も学ぶべきことになるのはやはり作家としての姿勢なんだろうなと。もちろん自分らしくとか、自分のペース…みたいなもんもあるにはあるが、彼の言葉やたたずまいが穏やかであればあるほど作家として我が身には全く足りない描き手としての凄みのようなものを改めて感じないわけにはいかないのだ。来てみてよかった。
さてこの件のブログでのレポートは一応今回のみとする。これは師匠との約束…以後は秘密の特訓…てのはウソ。彼はとてもシャイな人なので。それに特にレポートしなくても、もし自分に学べる資質があるのなら自然に作品や自分自身のふるまいに現れることだろう。いずれにしてもこちらの問題だ。
*写真右は蓮の葉、葉脈の数が正確に記録スケッチされている。
ということで次回からは実技に入ります。ワクワク…。
「卯月・産月浅間展覧会」(すでに大の字とれてる)は基本的にはここ数年取り組んでいる作品シリーズを出展する予定だが、そうは言ってもナニカ新作をと思い、告知フライヤー用にと本展タイトルにちなみ「浅間大菩薩」のイメージを描いてみることにした…が、日程を現実的に直視するとおそらく展覧会初日に下図が完成されているかどうかというところだろうな。そもそも下図の展示って本画が横にあってこそだよね、下図だけ展示してたら明らかに制作間に合いませんでした…て開き直り?ま、それもいいか、なんでもきっかけですもんね、やるだけやってみよ。
ところで今回の浅間さん、龍に乗ってますんで「騎龍浅間大菩薩」ということになりますね。先日もlogに記しましたが本地垂迹により一応Buddhismキャラな感じですが本来は浅間大神=コノハナサクヤヒメなわけで、そもそも神道世界なわけですよ。いや一般的にはね「神仏」なんてひとくくりにしちゃいますけどね、それって若干ムリがあるかなと。Buddhismの場合は布教活動(凡夫衆生に理解させる)という大前提がありますからね、その仏教世界をかなり積極的にビジュアル化してよりわかり易く努めてきたわけですが、神道の場合は気配を「感じる」世界でしょ。神像というのもなくはないが、普通の人がご神体を視覚的に受け取るということはまずない。
また仏教では特に宗派によっては煩悩即菩提なんて言葉もあるように不浄なモノほど救われたりしますが、神道では逆に精進潔斎などといって徹底した清らかさが求められたりする。禊ぎですね。
だからさぁ…ホントは神域に手を染めることへの躊躇はあったのよ…。ま、なんでもチャンプルーにしちゃうのがニッポンですから、一応以上承知の上で神仏習合させていただくことに。考えてみりゃそもそも天津神の子孫としての天皇自身が鎮護国家を理由に自ら仏教伝播を図ったわけだからさ、いいよね(って比較対象が合ってない気もするが)。ただやっぱなんかBuddhismキャラ描くときより緊張する…なんでだろ。どことなく自分の持ってる不浄さにやましさみたいの感じてんだろーな…しゃーないけど。
でも実はこれに先立ちAMATERASUも描いちゃってんだな、、、夢にビジュアルでてきちゃったんでつい。ちなみにこの菩薩図、この後画用紙を継ぎ足しつぎたしでイメージサイズをますます広げるので、完成したらかなり大きな作品になっちゃう。