Jin Nakamura log

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OSSAN

OSSAN…僕のことではない。無論この年齢なので自分がオッサンであることは否定しないが、「OSSAN」は僕の尊敬したアートディレクターでありアーティスト原山尚久氏が自らに与えた称号だ。五芒星の周囲にOSSANの5文字を配した落款が晩年の彼の作品に押印されていた。2011年には他界したことになっているが僕はその事実もいきさつも本人から聞いたわけでもない(あたりまえだが)ないのでなんだか全く実感がない。ただ「他界」というからには別の世界に何らかのカタチをもって存在するのだろうから、おそらくそちらの世界においてナニカシラの研鑽を積んでおられるか功績を残しつつあるのかもしれない。

氏には僕が30代手前で無謀にも(あくまで一般社会的にはだが)たかだか3年間の地方公務員を辞職しフリーランスになった頃ずいぶんとお世話になったのだ。掌の趣くままに蝋を捏ねながら動物像などをつくり、それをひたすら金属に置き換える作業(lost wax casiting)に没頭していた当時、生み出された無骨な作品群に「原初」というタイトルと以下のようなコピーを添えて僕のデビュー個展を企画してくれた。

「今から3万年前の信州を記憶しているだろうか。最終氷河期を迎え、日本列島が大陸と続きだったあの頃のことを。大陸から様々な動物たちが、いく人ものヒトと共にツンドラの荒野を移動していた季節を。………「原初」それは思考がからめとる凡庸のイメージではない。美術家は動物の形象の内に自らの原初を発見した。縄文を思わせる銅製の彫刻の姿を借りて。(NAO)

…と。

自分が生み出したモノに言葉が添えられる…という経験がなかった僕はなんどもこの文章を読み返し、おそらく暗記した。

もちろん上記はあくまでも個展DM用の原山氏のコピーであって、当時の僕がそうのような制作意図をもって作っていたわけではない。そうではないが今ほど言葉を持たなかった僕は初めて文字の持つ想像力の可能性を感じたものだ。モノツクリなんだから黙って作れよ、不器用ですから!男は黙ってサッポロビール!!!by  KEN takakura(古!)みたいなんじゃなく。

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長野市善光寺西側、鬼無里辺りを源流とする裾花川に浸食された孤山「旭山」の麓に妻科という地籍がある。そこに小さな古い土蔵を改装した彼の事務所があった。どこか東京下町の路地裏にありそうな時空が止まったような不思議な異界であった。そんな場所にアヤシイ輩はもちろん、20代の僕なんかがなかなかお行き会いもできないような業界の名士…いわゆるエライヒトなんかも出入りしていたと思う。

仕事を失って(まあ勝手にやめたんだが)アート的プータローとなった僕は(考えてみたら乳飲み子がいたなすでに…)ヒマだし面白いからちょくちょく彼の事務所に遊びに行っていた。栄養ドリンクなどを買い込んで浅はかな気遣いとともに。たぶん仕事の一つももらえるかもという打算もちょっとあったかもしれない。動物というテーマは彫刻だけではなく平面でも描いていて、そのころイラストレーションの登竜門的コンクールでたまたま受賞したのをいいことに彼のきらびやかなアートディレクションの中で使ってはもらえないだろうかと営業をかけると氏曰く「そーだなーナカムラはウシとかウマとか描いてるから信州ハムあたりかな…」と。

販売促進ツールを作り出す歯車の一つとしてのイラストレーションと自らの内発的衝動で描く絵との基本的区別がついていなかった僕は彼のそのつぶやきですべてを悟る。「あ…自分の牛の絵でハムが売れるわけがない…」で、以後無理なお願いは慎むようになる。だが今にして思えば、その時ハムが売れそうなウシの絵を描こうと思わなかった自分がエライ…というか描けなかった自分に感謝…かな。

それでも懲りずにハラヤマ詣ではその後もちょくちょく(なんたってこっちは時間がたっぷり)。常に哲学的風情を醸し出し、アーティストでもあった氏であるが、まっとうにその能力を駆使するかぎり彼は長野ではチョー優秀なアートディレクター(その頃有能なデザイナーは多かったがADのできるヒトはほとんどいなかったと思う)であり、その意味では全くカタギで本来僕なようなヤクザなアート小僧の相手などしてるヒマはなかったはずであるが、行けばそれなりに時間をさいてくれた。もっとも時には大きな作業机の真ん中に立てたお香に火を灯し、この一本が終わるまでね…と長居を制限されたこともあったが「なるほど〜こんな追い返し方もあるものか…」と僕の方はその場で起こるすべてが学びとなってしまう始末。

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さて、数日前に普段ならまったく行く必要も無い長野市のアーケード商店街を歩いていると一枚のポスターが目に留まる「原山尚久展 DESIGN←→ART」。もう何年も忘れていた名であった。先に記した通り今生にいないことは聞いていたので本人が展覧会を開くはずがないので一瞬同性同名かともよぎったが懐かしいカブトムシの絵が印刷されていたのですぐに本人のものと確信はしたが、まさに白昼の商店街で幽霊にでも会った気分である。もちろん悪い気はしない、、し、怖くもない。むしろ懐かしく不思議な気分。ただどれくらいの人たちがこの商店街を日々行き来するか知らないが、おそらくこのポスターの前で足を止めるのは僕だけなんだろうな…と思った。

(思ったより長い文章になったので続きとします)

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霧欝

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遠近法の風景の先に消え行く白い闇…。

イキモノとしてカラダに余分な程の精力に満ちあふれてた思春期の頃ならば、例えばポツポツと陰鬱な呪文のように降り注ぐ雨音にさえ健全な哀愁を感じたりしたものだ。事実僕は10代の頃そういう音を発生する装置を作ったことがある。基盤にダイオードだのトランジスタだのを意味不明な回路にハンダで括り付けイヤホンに出力して聴くのだ。眠れない夜にはオススメの装置だったらしいが、今思うと全く余計なお世話、いかにも変質的な一品にも思える。

体力的にとうにピークを過ぎてるこの身にとって自然界に存在するポジティブな要素ならすべて取り込んでも生き抜いてやる…というほどの覚悟なれば、やはりお天道様の光などはありがたい。必然、小糠雨だの濃霧だの類いは気がめいるだけで no thankyouということになる。昔爺様が毎朝お日様に向かって柏手を打っていた姿を思いだし、そんなことに妙なシンパシーを感じる自分がいとをかし。

先日の雪欝が解消されつつあったところに、このところの若干の気温上昇で雪にならない湿り気は終日深い霧となって山麓にとどまる。しかも未だ解け残った尋常ではない量の残雪が風景をより白闇に落としこんでいる。

…要するに元気がないのだ。

それでもと、気をとりなおして描きかけの「弥勒」のために絵筆をとれば不思議なもので少しだけチカラが湧いてくるような気がする。タマシイとカラダは連動してるのだろうからそうい現象もあるだろうし、もともとアートにはそういう刺激性があるのかもしれない。

なんでそんなものを手に取ったのか思い出せないが「N-ART #アート」という2008年に長野県在住の15名のアーティストをインタビュー形式で紹介した冊子を書棚から引っ張りだし眺めていた。中綴じ冊子なので当然背文字タイトルもないから今日何故それに手をかけたかほんとに不思議なんだが。

副題は「アーティストは長野で食べていけるのか?」とある。まあずいぶんと興味本位というか不躾なテーマであるが、最近はこの業界のメジャーな作家やキュレーターなどもこぞってアートとお金を話題にした本がよく出版されているので、そういう意味では地方発の小冊子だが目のつけ所は悪くなかったのかもな。

インタビューはこんなだ。

Q.今までの作家活動で辛かったことを教えてください。

友人の画家・小山利枝子氏はこんなふうに答えている…「…お金を回していくことは大変だったし、泣いたこともあったけど…その度「嫌だったらやめればいい」と自分に言い放ってきた。…もちろんやめる気になったことは一度もありません。画家の仕事は全部自分のためにやってるわけですから。辛いなんて思ったら罰が当たる。描くのをやめなきゃいけないとしたら辛いけど、やめてないから辛くない、これでいいんです。」

同じく版画家・田島健氏はこの質問に…「あんまりないなー。あ、千葉に住んでるときに、真夏にパンツ一枚で仕事してたら膀胱炎になって苦しかった(笑)。

で、僕ナカムラはなんてこたえたかというと…「ないですね。経済的なことを話しだすときりがないけど、まあそれは別にいい。」

だとさ。特に理由もないのになんとなく沈んだ気分の日、小山さんの言葉に気持ちが奮い立ち、田島くんのつぶやきに笑い、6年前の自分の言葉に「あ、ちっとも変わってねーや…」と落ち着きを取り戻した。これでいいのだ!

最後に長野でこちらも粘り腰で僕ら作家の後押しをし続けてくれている、やはり友人のガレリア表参道オーナー・石川利枝氏はこう結んでいる。

「…表現することを生きる糧にする人は、自分の世界により深く降りていくことでしか、いい表現にはたどり着けない。それがその人にとっての地獄であり天国であって、一人で降りていくしかないんです。疲れたらいっしょに飲んであげるから(笑)頑張って!」

そういうわけなので今度また一緒に飲んでもらうか。

そしてもひとつ、必要なものは必要なときに自分のそばにあることを改めて感じた日。

Bad News

昨日あんなこと書いちゃったもんだから20℃も下がっちまった。なので散歩も昨日の3倍の速さで歩く。おかげで息は切れるし気道に冷気がなだれこみしんどかったー…というわけで冬はもう少し続くらしい。

さて、なにがBad Newsかというと発端はコイツ。基本的に彼女「小丸」(♀なのにボウイッシュな名前でしょ)は仕事場出入り禁止なのである。理由は一つ。筆に欲情?ちがうか…とにかくあのワサワサしたものに野生の血がさわぐらしいのだ。そりゃそうだ、その手のもは大概タヌキやらイタチやらとにかくネコ科のやつらにゃ素通りできない素材でできている。

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そして先日ヤツは姿をくらました。家猫なので外にはいない。しばらく探したあげくイヤ〜ンな予感がして仕事場に戻ってみるといつの間にか入り込んでいたらしく、すでに理性のかけらもない(もともとあんまりないけど)彼女の姿が…そして口元には細い棒のようなもの。

というわけでその日、僕は所有する筆の中で一番大切にしていた「土生天祥堂特大面相筆黒軸」を失った。正確に言うと筆部分の1/3(長さではなく量)を失った。小動物の唾液にまみれてクタってなった穂先を見つめて不覚にもう少しで涙がでるところであった。いやもう頬をつたっていたかもしれない。一瞬思いっきり虐待してやろうかとも思ったが、彼女に嫌われるのもいやなのでそこはグッと我慢の大人な対応。あ”−カワイイってのはずるいよねー!

というわけで済んだことはしかたなし、僕は切り替えが(アキラメとも言う)が早いのだ。買えばいいじゃん!(とはいってもこの筆は初めて師匠にいただいたホント大切な筆だったのです)と、お金ですべてを解決する方向に走ることにした。

本当のBad Newsはココから…。数日前所用日帰りで上京したおり、合間を見てiphone/Googleマップ片手に目指すは西武池袋線東長崎下車徒歩8分の老舗・土生天祥堂。が、Googleマップはすでに設定ポイントに到着してるといってるのにらしきモノが見当たらない。TELしてみると「現在使われいません…」て。近くのタバコ屋(いまどき珍しくない?)のおばちゃん(これもなんかいかにもって感じで)に問うてみると。「あ〜、よくみえるんですよ、そういう方…2年前にね(あ”ーその先ききたくない〜!)おやめになって…」

というわけで、不覚にもまた頬を濡らしそうになった。

僕は弘法ではないけれど筆を選ぶのだ!…いや弘法ではないから筆を選ぶのか…とにかくこの瞬間もう未来永劫あの筆で描くことはできなくなったわけで、チクショー(猫だからあたりまえか)!!! 戻ったら如何にして虐待してやろーかと思案しつつふと思うに、こうやって日本の貴重な職人技が姿を消すのかと、この現実に残念なことこの上なし。きっと今までは筆職人を画家が育て、画家をコレクターが育て…作る人も、描く人も、買う人もお互いに切瑳琢磨してすばらしい日本の文化を残してきたのだろうな…みんなーARTを買ってくれよー!と心の中で叫びつつトボトボ(このときほどこのオノマトペがしっくりいている自分はいないだろう)むなしく帰参。

後日そうは言ってもと残り2/3の筆で描いてみると、まあなんとなく描けなくはない…が、細くなっちまったんでやっぱコシがないな〜。

*写真はヤツの犯行現場の証拠写真なり。訴えてヤル〜!

Myths of Northern Europe

やっと宿題がおわった…と思う…。一口に本の挿画といっても本文15話分+見返し+本扉+目次+各章タイトルキャッチ…それに表紙画…となると結局20枚ほどの絵を描くことになる。編集部・本文訳者さんらとなんどもラフ原稿をつめ、内容を理解しながらの作業を繰り返し本画制作という段取りだから、そりゃ2ヶ月くらいはかかるわなー。ま、自分としては早いほうかも。締め切りあるって筆がすすむよね、やっぱ。

でも面白かった北欧神話。いままで私的にはなじみのない世界だと思っていたが、案外身の回りにはチラホラ気配がただよっていたようでもある。「指輪物語」とか最近ブレイク中の「進撃の巨人」(知人に勧められてチラ読みしたけど?だった)とか北欧神話を元ネタにしてる小説・映画・アニメ・ゲームなど多々あるのね。

ユミルという巨人から世界をつくっちゃうあたり、天の浮き橋からオノゴロ島をポったんする我が国の成り立ちよりもスケール感は壮大だが、ちょっとエッチなニュアンスもありなところなんかは洋の東西共通かな…という北欧神話、ざっと説明しますと、主神はオーディンという神様。日本で言えば天照大御神みたいなひとですね。このオーディンがいずれ訪れる巨人の一族との最終戦争「ラグナロク」を予感し、お話はその「ほろびの日に」向かってすすんでいきます…ってざっとすぎ? ま、とにかく北ヨーロッパのきびしい自然にはぐくまれた力強い物語なわけですよ!

てなわけで改めて一応コマシャールしときますと児童書「はじめての北欧神話」菱木晃子・文 ナカムラジン・絵 徳間書店/3月刊行です。

オーディン…オージン(児童書なので本文ではこのように表記されてる)…おーじん…おう仁…応仁…これ雅号とかにしちゃまずいかな…

表紙カバー色校正届いたのでアップ。あ、ちなみにオーディンの愛馬スレイプニルは8本足、うまく走れんのかなー。

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Mythology

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近所の奥様に「毎日マイナスで寒いですね〜」と挨拶された。

うすうす寒いなーとは思っていのたが、そういことだったのかと納得。それって絶対最低気温のことじゃないよね。事実本日の最高気温は−2℃…。冬至も過ぎ、これからは日増しに日が長くなるとはいえ地表に浸みた冷気は時間差でやってくる。備えてさえいれば冬はそれなりに楽しい季節ではあるのだがな。

さてblogもFBも年をまたいで放っときっぱなしだったのでそろそろ文字活動を再開しようか。

昨年11月のアタマに一本のTELあり。

「神話に興味ありますか?」

宗教の勧誘ではない、出版社から。そう尋ねられて僕は「ムムム…!」。興味があるなんてもんじゃない、ちょっとしたマイブームですらある。

仏教LOVEな僕はその愛(たぶん)故に昨今の日本の仏教(主に自分の身近ですが)に対してうんざりするような閉塞感を感じていたところ、折も折昨年は伊勢は20年ぶり、出雲にいたっては60年ぶりの遷宮が重なるとうい奇遇な年であり、春と夏にそれぞれにお参りすることもでき、いわゆる仏壇(みうらじゅん風に言うと…文壇と画壇とか言うでしょ)からのりかえて、今まで明白なビジュアルイメージが不足しているということだけであまり興味をもってこなかった神道世界に一気に浮気モードな年だったわけですよ。

まずは「よくわかる古事記」を精読(主に前半)。というのも前半はまさに神代のお話で後半になると天孫降臨してからの人の世のお話になってしまうので、ついついファンタジー優先となりますなー。で、けっこう神様の名前おぼえました。でも真名っていうのかな正式名称はムツカシイ…例えば「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)とかさ。また大黒様でおなじみの大国主命にいたっては呼び名がかるく10を超えたりするし。ま、とにかくそんな感じで事前学習もしつつ、日本を代表する神宮と大社にまずご挨拶にゆき、常陸、信濃などの一宮にも足を運び、機会があれば地域の産土神にも顔を出すというフィールドワークもこなしと、自分でもおどろくような熱の入れよう。

しか〜し! 話しを戻そう。電話口の編集担当者さん曰く「北欧の神話なんですが…描けますか?」僕「ホクオウ?…記紀神話じゃないの…」。編集「古事記はすでにスズキコージさんで出版されてます。」僕「そいつはプレッシャーですが北欧でも東欧でもなんでも描きまっせ!」ということで世界の神話シリーズ第二作目の表紙画と本文15話の挿画を数枚の試作トライアルを経て担当することになった。

そんなわけで師走から年明け寒波の今日にいたるまで来る日もくる日も僕はずーっと神様の絵を描いている。

神楽月の宴

「神楽月の宴」神林學 ナカムラジン 櫻井三雪

会期2013年11月15日(金)→ 22日(金) 開廊時間11:00→18:00

風来 〒673-0881 兵庫県明石市天文町1-7-9 tel・fax 078-914-5266  定休日:日曜・月曜・祝日

というわけで明日から関西です。

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回を増すごとに盛り上がりを見せている中之条ビエンナーレ。今回もまるで「るるぶ」片手に有名観光地をめぐるような女子旅風景があちこちで見られ、その成功実態を目の当たりにしてきた。もちろん彼女たちの手にあるのは「るるぶ」ではなく観覧パスを購入するとセットでついてくるA5サイズほどの公式ガイドブック、散策するのは祇園界隈の歴史情緒ある路地などではなく、典型的なシャッター通りのうら寂しい商店街や「この先ナニかあんのかい!」ってツッコミたくなるような不安な山道…等々。そして都会からやってくる、ど田舎街にはおよそ似つかわしくない派手なツアーバスからは若い男女が古びた廃校のグランドに次々に吐き出されいく…。

「最近の街起こしの成功事例のテーマはB級グルメと現代アートだって聞いたんだけどホント?」

信越線開通以来急激に没落した旧中山道追分地区の再生を切に願う、我が油やプロジェクトリジチョーのS氏からかような質問をされたことがある。ならばその実態を見に行きましょうか、車で2時間弱だし。ということで今回の温泉付き視察小旅行とあいなったわけだ。リジチョーはもともと金融業界のお勤め人で僕らのようなヤクザな稼業との接点があまりなかったわけだが、なまじ僕らの口車に乗って油や再生プロジェクトに「文化磁場」などという全く数字では計れないようなテーマをくっつけられたおかげで、幸か不幸か最近では帳場仕事の合間に回廊内にはびこるギャラリーに迷い込み、壁に掲げられた不可解な作品の前でたたずむ姿をちょくちょく見かけるようになった気がする。そして僕らのようにアートにすれていないそんな初々しい視点のフィルターをもって、いったいどのような反応を示すの興味深々で、かの成功例を検証してみたく是非にとご同行願った次第だ。

「アートは感じればいいんだよ」てなこと言われてもねぇ…。そんな言いようも少々上から目線で傲慢かもな。もちろん芸事だから鑑賞者も研鑽を積んで見えてくる世界もある、が、それは表現する側にも言えることで、いやプロであるならば当たり前だがそちらの方が重要でちゃんとホンモノであるかどうかが問われるわけだ。「アートは感じればいいんだよ」と本気で言うのなら初めてそういうモノを目の当たりにする人のココロのホンのはしっこでも揺さぶるモノを生み出すのがアーティストでしょ。芸の道はキビシイ。

というわけで僕は今回とっても良いフィルターを傍らにおいて、B級グルメと一緒にされてしまった現代アートなるものを楽しく鑑賞することになる。

で、やっぱりつづく…

reviewーNAKANOJO BIENNALE 2013

10/14ですでに終了している中之条ビエンナーレ、まだちゃんとしたレビューをあげてなかったのでご報告。前回に引き続き今回も油やスタッフとともに視察名目で湯治場宴会を企画、なので今回は四万温泉前泊だい。

それはさておきハイ、さてこの中にアートはいくつ隠れているでしょう…って前回もそんなことしたような…。

答えはゼロ。そういうもので満ちあふれた現場にいくと、ついついなんでもかんでもアートっぽく見えてしまうもんです。事実中之条の人々の幾ばくかはぜったい張り合ってるフシがある。あんなことなら自分でもできそうだと…。以下の写真は比較的無欲に取り組んだ(?)であろうブツであるがやはりそういものの方が面白みはある。ただ写真上中央「不純異種族間交遊之圖」は今もって作意的なものかどうかは不明也。また古い看板モノはその歴史的付加価値が郷愁を誘うが「オリンピックパン」はおそらくIOCの著作権許諾は得てないと思われ、人ごとながら余計なお世話的心配などするものだが、まあ東京オリンピック招致も決まってしまったことだし、何よりあまりにも歴史を感ずるたたずまいは、もうすでにこっちのもんだよね…って説得力でココが本家というほどの風情なので、ま、いっか。

といわけで、ここまで全くレビューになってないので、また少しだけ続く。

131027

wander TOKYO -7

やはりこうして3Dモノホン仏を間近にすると仏画もいいけど、やっぱ最後は彫りたいなーって思うのだ。

さて拝観後は先生に付き従い藝大構内をかってに散策。「あいさつをしてこよう…」と言われ創始者の像のもとへ。ふと考えると現代とよく似ている。グローバルなどという薄っぺらな言葉に踊らせれ、安易に世界の流れへ追随しようとした明治期(何度か書いたが僕は維新は大嫌いだ)にあって、あえて日本画という言葉を残し、制服と称しまさに白鳳人を想わせるような古代装束風コスチュームを纏う人…岡倉天心。

かの人は人気のない静かな木立に囲まれたその奥にいた。だれが置いたのか足下に黄色い花が一輪たむけてある。

僕はここの学徒であったわけでもないし、天心…大観…小松均…先生の系譜のほんのはしっこにくっついてやって来ただけだけど、その昔教科書くらいでしか見たことのなかった人がなんか突然目の前に現れて少しふしぎな親近感を覚える。人の縁てそんなものなのかもしれない。

あいさつがすんだ後はさらにづかづか構内奥に踏み込み、ここにも先生のいつか描きたいという”銘木”があるとのことで、それをみてまわりながらいっしょにトチの実をたくさん拾った。ぼくはそれほど欲しくはなかったのだけれど、どんどんくれるので僕のカバンの中はトチの実だらけになってしまった。

遊学座

場所を構えてココにくる人たちを見ていて思うには、
artってたとえば妖怪や幽霊やUFOの類いといっしょなんだと。
見えるひとには見える、見えないひとにはみえない…。

絵が描けるとか描けないとか、
うまいとかヘタとか、そういうことじゃないんだよ。

さて、遊学座ワークショップ「エッチングによる銅版画講座」(講師◎吉村正美)今回も楽しゅうございました。

*来週8/31(土)は「リトグラフ版画講座」(講師◎近藤英樹)です。

不思議な世界に出会いたい方は油やにお出かけを。

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