最澄の風景
- By jin
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- On 29 5月 | '2010
…という本はない。が、やはり平安時代を代表する2大巨僧の一人として「空海の風景」の中でもそれなりのページ数が割かれている。その段になるや、まるで「黒部の太陽」の”破砕帯” にでもブチあたった如く頁をめくる手も露骨に遅々となる。最澄はどうも”いいひと”のようだ。なので多くの高名な弟子も輩出している。でもやはり”いいひと”なのでゴメンナサイ…どうも面白くない。まあこれは自分の主観と言うより司馬ちゃんがそういう描き方をしてるのでしょうがないのだが。そこまで引き立て役にしなくても…というくらいの扱いに都の鬼門の守りの総本山もさぞや苦々しく思ってることだろう。比してなおさら空海という人のアクの強さというかカリスマ性を改めて感ずるものでもある。
というわけでやっと両巨頭、艱難辛苦を乗り越えて入唐した次第。読者は今まさに大陸長安のスケールのでかさをイメージに結んでいるところである。そのよりどころになるのがやはり漢詩ですね。漢詩の読み書きは必須と心得てるのだが、だれか教えてくれないかな。

パソコン前の軒の藤棚はたわわに花をつけ、連日クマンバチが恐怖心をあおる羽音で周囲を飛び回っている。攻撃性は弱いらしいので過敏に気にしてはいないが、なにしろ黒いし大きいし威圧感があってあまり気持ちのいいもではない。まあ毎年の初夏の風景ということで致し方無しか。昨晩遅くに素焼きの窯焚き(といっても電気だけど)が終わり、冷却に3〜4日かかるので、この間に雨が重たく藤を濡らすのを眺めつつ「びばテラソ」(於:
このごろ雨が多かったのと、今後印判やら上絵の膨大な作業量を考えると少々急がねば…ということで本日は素焼き前の天日干し。まあこれだけ作ってるので陶芸家かと思われてるフシもありなのだが、あえて肯定はしないし言い訳が面倒な場合は否定もしない。昨日のワークショップ同様、自分の内発的衝動でやってることには間違いないんだが、相変わらずロクロもさほど上手ではないし、菊練りも右回転しかできないし…肩書き的にそう言い切ることはばかれる部分もなくはない。ではなんで器なのと問われれば、やはり”media surfing” の一環かと。額に入ってスポットライトあたってるアート作品も良いのだが、”食”にまつわる楽しみ方ができたらと始めてみた”器”というメディア。となると僕の場合埋め尽くしてなんぼ。古今東西紋様蒐集しデジタルデータ化した後Mac上でさらにコラージュ。写真製版してシルク版にて印判制作+エセ古九谷風上絵付け…と、なにもそこまでというような気の遠くなる作業を科しているわけです。7月
NAGANO ART FILE 2010のフライヤーが届きリリース開始。テーマイラストの「旭山麓芸術世界大相圖」は今回アートスペース FLAT FILE版元となりシルクスクリーンによる制作・販売となった。*シルクスクリーン1色刷り、エディション30部限定(内黒刷り:15部/朱刷り:15部)、紙サイズ:50×50cm(画像サイズ:35×35cm、用紙:古和紙/裏打ち:表具・牧雲堂(小布施町)、
自分にとうてい出来そうもない能力をもっている人に出会うとホント素直に羨ましくも思い、また尊敬をしてしまいます。音楽とか物語りを生み出すとかお芝居が上手とかいろいろあるけど、料理の上手な人は間違いなくひとを幸せにしますね。そして一つ一つの料理が生まれてくる瞬間に作り手の引き出しの多さと”試み”を楽しむ力を感じます。たゆまぬ努力とセンスってことで、どのジャンルでもいっしょなんですけどね。本日のメニュー:らっきょとみょうがたけのおかか和え・干しほたるいかとにしんの煮物・きゃらぶき・山椒の葉、青い実などの木の芽田楽味噌・タケノコご飯(スミマセン、タイトル一部正確ではないかも…)「