Jin Nakamura log

油屋プロジェクト

昨年後半からずっと暖気運転を続けてきました油屋プロジェクト、いよいよエンジン全開の兆し。もめにもめておりました正式名称とロゴタイプがやっと決定いたしました。一つの拠り所を得て、万感の想いを込め夏のグランドオープンに向けて動き始めます。乞うご期待!

百も承知だ。

というタイトルの作品が届く。昨年末、根津・リブレでの吉本由加利展にて予約しておいたもの。彼女のコレクションは3年ほど前の個展の際に手に入れた「ら〜〜!」(目つきの悪いクマが威嚇してる図だと思ってください)に続き2点目。芸風と本人のギャップありすぎの作家です。彼女をみてるとタマシイ(そういうものがあるとしたら)とカラダってどんな成り行きでひとつになるのかな…などと考えてしまいます。次に生まれ変わったら(これももしもそういうことがありだとしたらですが)今の肉体は当然ナシなわけだから別なカラダを得るわけでしょ。ぴったりフィットする場合もあればなんかしっくりこない感じなこともあるかもだし…。例えばもし僕がお相撲さんみたいなカラダだったら生み出すものやスキなものなんかもかわってしまうのだろうか…などと、どうでもいいようなことを。あ、だから作家さんは美しい楚々としたオトナな感じの方です。

途上

パン職人の長男に“そんなんで間に合うの?”ってつっこまれた。考えないようにしてたんだけど…マジやばいかも。もう禁酒しかないか…。

仁王

我が家のある山麓はかなりさむいところのはずなんだが、それにも増して今日の長野市も湿った空気がまとわりつくような冷え方…ということで、珍しく三賀日に国宝善光寺へ初詣など。そこで以下おすすめプチ情報/ここの参道仁王門の阿吽二体はかなりイケてる仏像として一目おいてるのです。幕末から明治期に活躍した高村光雲とその弟子・米原雲海の作だが、鎌倉期の至宝・東大寺南大門金剛力士像〜運慶・快慶…という比較連想についつなげてしまうのも決して大げさではない完成度。ふつう地域のお寺で睨みをきかす仁王さまはどこかキッチュというかオモシロ系なブツが多いのだが(それはそれで好きだけど)この二体は完璧な正統派です。特にお足もとがステキ…参拝記念に激写!

それはそうとあけましておめでとうございます。今年もボチボチ更新してきますね!

新年の一句。「詣で道キャラとなりしか不動尊」ご利益があるっていうんですけどね…シールだしなァ…。

face to …

絵なんてモノゴコロついてからずっと描き続けているわけだが、今回は少々戸惑いが多いなー。ピュアに描いてるようであり、なにか周到に考えすぎているようであり、無理してるようであり、またそれを楽しんでるようでもあり…。いずれにしてもこの絵自身がどうなりたいのか探り合いに結構時間がかかりそうな気配だ。いままで絵と向き合うなんて意識したことなかったかもな。といって別に不真面目だったわけでもないんだけど。それにしてももうちょっと上手に描けないものかしらね。

Takeno photo from Osaka

映像作家の藤原次郎氏より今年10月に行われた三原谷の風まつり展示風景の画像が届いた(そういえばなんか撮っていてくれてたっけ…)。あらためて自分以外の人間のフィルター(感性)を通してみると自分で生み出した世界なのに、またちがったものに見えて新鮮。わずかに写り込んだ窓越しの竹野の風景も、たった2ヶ月ほど前のことなのに妙に懐かしく感じてしまう。ちょうど今日から写真に写ってるbodhisattvaの着彩を始めようと準備をしていたところだったので不思議なタイミングを感じる。

untitled

今シーズン3度目の降雪。雪は未明に降ったらしくAM現在すでに明るい陽射しあり。1/23〜2/4の2人展「天地化身」神林學+ナカムラジン(ギャラリーオカベ/東京・銀座)のDMを校了とし、なんとか年内納品をめざし先ほど入稿。なんか全てが綱渡りだが、これで年賀状的なモノも用意できそうで年内に対外的にクリアしなければならないものは一段落。この後は宿題になってる「油屋プロジェクト」のVIシステムの制作などしつつ、そもそもbodhisattvaシリーズの本格的な制作に入らねばね…。

仏母

自分自身をなんとかダマして元気なフリをしているつもりでも実はわかる人にはわかるようで、「アヴァンギャルドクロッキー展」搬入作業中「あなたは今日は早く帰って寝なさい」と同展出展者で日本画家の生井巌氏(虚無僧になりたい人です)より何げなく諭される。なにか後ろめたく隠してるものを見透かされた感じでドキっとした。忙しい生活などけして美徳ではないことはわかってるのだが…。とはいえ実はその日、当の本人生井氏の齢70才の誕生日ということで結局彼の言うことを聞かずまた飲み明かしてしまうことになるのだが。そんな彼が翌日の忘年会の日(性懲りもなくまた呑む)おもむろにカバンから取り出して僕に託したのは「仏眼仏母」他4体の写仏画であった。どういうつもりでその精緻に描かれた仏画を僕に渡すことにしたのかは結局聞かず、なにより尊敬する作家の真筆であるし、しかも仏画であるし、ただただ嬉しくてありがたくいただいた次第。後で考えるに、あまりにも疲れて可愛そうな僕にきっと元気を出しなさい…と励ましてくれたのだと思っている。事実その日も結構深酒をしたのにも関わらず翌日なんとか元気をとりもどし、件の横尾氏の公開制作に府中まで出かける気力が湧いてきたのだ。仏像も仏画も何かを信じたい人間の脳が生み出してしまった“シルシ”にすぎないと見る向きもあるだろうが、そういものが人の身体とココロを奮い立たせることもまたある。写仏画には仏の名称や(おそらく)梵字の発音表記、出展原本の情報なども丁寧に記録されてる。その中の2体に「仏母」という文字が表記されていて興味深い。初めて目にする言葉だが以前、胎蔵界・金剛界の両界曼荼羅を母子(子は男の子だったか…)の関係で宇宙全体を思考しようとする解説を読んだことがありそんなことをちょっと思い出した。

公開制作

17才の頃に撃たれた「SANTANA  LOTUS」のポスター。以来その衝撃と呪縛から開放されないな。好きなものは好きだからしょうがない。そしてこのたび初めて制作した本人に会いに府中市美術館へ赴く。なんで公開制作なんて不自然なことしてるのか理由はよくわからなかったが、一人でこもって描く時とはまた違ったものができるらしい。お題はやはり「Y字路」。ずいぶんと地味な色調であったが、見えてるものを見えないように描きたいんだそうだ。これも理由がよくわからなかった。制作中は撮影禁止なので写真は彼がバックヤードに休憩にいってるときに写したもの。まあ本人に会ったからどうということもないのだが、自分の中での一つの整理と言うかそんなとこだろうか。「魔除猫」のフィギアストラップを記念に買って帰る。あ、会いにいった人は横尾忠則さんです。