Jin Nakamura log

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中秋の句

地に惹かれ落つ若栗の成行きに

目の前で青毬の栗が落ちたんですよ。とはいってもアイザック・ニュートンさんみたいにそこに科学を感じたわけではなく、ただただ、あーそうだよね~、そうなるよね~…って。落ちることが不吉に思ったわけでもなく、栗が簡単にゲットできてラッキーと思ったわけでもなく、それでイイんじゃね、ってさ。

片鱗をみせてみようか秋の空

秋の大空を埋め尽くすうろこ雲をみてたらなんとなく。全部見せろといわれたらチト困るけど、片鱗くらいならなんだか見せられるような気がしません?

年下の父の遺影や秋彼岸

気がついたら父の享年を越えていた…ということではないのです。彼が他界したのは本人が40代前半なのですでに10年ほど父を越えて生きてることになり、もちろんそのことは承知してました。問題は遺影です。高校野球のお兄さんがいつまでたっても自分より大人びて見える…あんな感じかな。昔のことなんで旬な遺影撮影などしていたわけもなく、亡くなった時よりもさらに若い頃のものだったはず。なのに未だに自分より年下の人には見えない不思議。なんでだろ…。

Nausicaa of the Valley of the Wind

記録をみると30年前に月刊アヌメージュに掲載が始まったとある。おそらく宮崎駿氏が手掛けた最初のコミックなんじゃないだろうか「風の谷のナウシカ」。今さらと言われそうだが初めてそのコミック版を読む。映画の絵コンテ版みたいなものと思ってたのだが全くちがうのね。本には読み頃というものがあるが、この作品もそうなのかも…と思う。

映画はコミック全7巻のうちほぼ1〜2巻までの内容を再構成したダイジェスト版だったようで宮崎氏も語り尽くせぬ多くを呑み込んでかの映画作品をリリースしたことだろうと察する。物語りはいつも果てしなく、物事はそう単純ではないということだ。映画でももちろん片鱗はみせていたがそれにしても不思議な主人公であるな。彼女を通して宮崎氏の見えていたもの、感じていたものが瑞々しく伝わってくるようだ。

未読の方ほんとオススメ! あるいは今の時代に読むべきかも。

初秋の句

いよいよ秋も本番。ということですでに投句してました拙句。今回は自句解説付。

まどろみて月の5センチ動きけり

5センチという数字が正しいかと言えばそれはウソですが、ま、ウトウトの間に自分基準の目測で窓ガラス上ヤツの移動した距離はだいたいその程度かと。いつも思うんですけど月の軌道って僕、まったく把握してません。なにしろ自分が寝てる間ですからね、もしかしてジグザクに動いてたりとかさ。月ってなんか正体不明ですよね。

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日暮の音に祈りの永きこと

諏訪大社上社に夕暮れ時、参拝したときの風景です。ひとけの少ない境内で男女が寄り添って尋常じゃなくなが〜くお祈りしてました。ホントもうかたまった感じ。いつ動くんだろとしばし観察してましたが根負けして帰ってきちゃった。最近「祈り」と「願い」のこと考えます。ずっと自分のことばかり願っていたなーと思います。自分以外の人の幸せを願ったら少しは祈りに近づくのかな…とも思います。まだまだ修行がたりないのですよ。

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正論を吐けば気まずき秋の風

そういうことあるでしょ。正しいこと言やあいいってもんじゃないんですよ…ってまあそういう失敗をかさねてきたわけですけど。というより今となってはそもそも自分が正しかったのかさえも十分あやしいけど。それでたどりついた座右の銘「逆らわず いつもニコニコ従わず」(受け売りですけど+以前も書いたけど)。いいでしょ、このイヤらしい感じ。仲良くね、でもしょーがねーな…って相手に自然にあきらめてもらう。尖閣問題などもできればそんな感じでネ。

月山

河出書房新社から出ている単行本の題字「月山」は空海によるものだった。

さてこの物語り、読み始めて頁を一回めくったあたりに「…すなわち月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうとする者にはその本然の姿を見せず、本然の姿を見ようとするものには月山と呼ばれるゆえんを語ろうとしないのです…」といきなりの命題らしき一文。その後はただ淡々と「私」と寺の「じさま」が雪に閉ざされた世界で一冬過ごすおはなし。

文章は野暮ではないがけして粋というわけでもなく、なんかフツーなんだが飽きるということもなく、かといってぐいぐい引き込まれるでもなく…なんだろなーこういうの。ぜったいハリウッドじゃ映画化できないよね(しないだろうけど)。う〜んなんだろなー(2度目)…ほんとフツーすぎるんだけどどことなくエッチな感じさえしたりしてさ、いや別に「私」と「じさま」になんかあったとかいうんじゃないし、あったらこわいし。あ、ちなみに「私」は♂ですからね。なんかイメージ寺尾聰かな、「じさま」は大滝秀治?(ちがうかな…)、寺尾さんと大滝さんがなんかこう…閉ざされた世界で禁断の…って、いやとにかくそういんじゃなくて。

たぶん描かれてる風景がなまやさしくなく美しすぎるんだろな。きっとそう。

temptation

悪魔にタマシイを売ってはいないと思うのだけれど、もしかしたらかるくそんな魔的なモノと友好関係くらいは結んでるかもしれない…と思うフシがなくもない。ルシファーは絶えず不道徳な世界への誘惑を怠らないだろうし、そちらへの道筋がどれだけ甘美なものかをすでに知っている僕らは、容易に現実から浮遊しようとイメージの翼を広げたがる。そしてその能力なら多少はあるみたいだし…でなきゃ絵なんか描かない。

ただ誘惑がそもそも自分の内側からのものなのか、自分が生み出したモノから受ける二次的なものなのか最近その境界が混沌としていてオモシロイ。とは言え調子にのってると霊的な夢想に封じ込まれそうなのでほどほどにしとかないと…。そう思ったら精神もへったくれもない唯、物に凝り固まった冷徹さへのバランスに一気にシフトしてみるのも一興か。

でも両者は結局表裏、バランスの問題ではないのだろな…そんな気もする。

*recently books:「月山」森敦/しぶいでしょ。なんか読まなきゃ…て思ったのよ。西へのとびらは絶えず開いてんだけどやっぱ東北…だいじかも。

初秋

もうちょっとだけ続けようと思ったtime-lag diaryはもうオシマイ。やっぱ旬の時に書かなきゃ紡ぐ言葉も瑞々しさを失おうというもの。言霊とはそういものか。さて季節は9月に入り初秋だが、晩夏の句会もすでに終了しておりますので拙句をば…

明かり夜に百合の香匂ふ嗤い坂

その昔レモンスカッシュのような人

フラスコに光り充ちたり夏の空

…な感じです。本日チト医者通い(大したことじゃない)に昨年古本市で買ってそのままにしてた「私と直感と宇宙人」横尾忠則・著をしばし読み進める。な〜んだ、こんなとこにもちゃんとタマシイと身体のこと書いてあったのかぁ…と感心。しかし第一話「ワシ…瀧の夢を想う」が全て関西弁で書かれてるのちょっと読みづらかったー。聞いてる分にはイヤでないしむしろ心地いいのにな、なんだろな。たぶん活字を追って自分でヘンなエセ関西弁風のイントネーションつけちゃうんだろうな、きっと。

Midsummer greeting

思春期に宇宙のことを考えすぎて鬱になった…という人に会った。考えすぎでしょ!って言ってしまえば身もフタもないが、なかなかスケールのでかい鬱である。

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日本画家の生井巌氏から暑中見舞いが届いた。相変わらず絵のようなステキな文字。そして当て字が多く謎解きのようでそれもまた面白い。虫眼鏡で見たいくらいの文字で般若心経も記されている。僕はこのお経の本を3冊も持っているが、だいたいいつも四分の一くらいおぼえたところで挫折する。考えてみたら一度も写経というものをしたことがなく、それで諳んじようとしてもムリかもね。

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文章の中に「愚痴は己を励ます一つの手だてと教えてもらった…」書かれている。そんなものかしらと思うが本人が腑に落ちて前向きな気分でいられるのならそれはそれでよいのでしょう。

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最近どんな宗教(成立の新古は問わず)でも、民間信仰…たとえばおじいちゃん、おばあちゃんが言ってるようなこととかだって結局は同じことを伝えようとしてる気がしている。大きな真理は一つでもアプローチの仕方が違うだけで。プロセス…腑に落ち方って大事でしょ。みんな性格とか体力とか違うんだからさ、自分に合ったもの選べばいいんだよ。がっちり修行したいひとはハードな禅宗系。辛いの苦手な人は易行念仏。宗教的なの受けつけないひとは、とりあえずおばあちゃんの知恵袋的なモノでも信じて。

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つい一週間ほど前、百号からある季刊「銀花」の古書のなかから1冊選んで購入。その中に偶然30年ほど前の生井さんの記事があった。この人はそんなにも昔(失礼)から本気で絵を描き続けていたんだな…と改めて敬服。そして件の暑中見舞いが今日届く。とても片手間なものとは思えない。それともかの画家はこんなものがさらっと書けてしまうのだろうか。いずれにしてもこんな私に有り難いことである。いったい何を返せばよいのやら…などとそもそも釣り合いをとろうとすること自体が不遜なのかもな。

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で、とりあえず感謝。

untitled

夏空に崩れゆくかよ龍の笑み…このあと龍が笑ったんだよ。

仲夏の句

夏、盛りですね。

「昼頃、高温になるから外出を控えるようにと町内放送がありました。…」とは句会主宰のメール。真夏の戒厳令か〜なんて思ったりして、というわけで僕は当分ココを離れません。

さて久しぶりですがオトナの遊び“句会”より。今回は自句とともに選句も。

自句

庭先に虹を操るジョロの先

毎朝のアカハラという鳥たぶん

夏至夜風酔い醒め温むアスファルト

仁選

「さみだれて魚でありし跡に触る」
いつものことで意味不明・不思議系好きで選んではみたもののどのように想像しようかちょっと棚上げにしてる間に時間が過ぎちゃいました。この場合の季語は「さみだれて」になるのでしょうか?平仮名にしてあるので「五月雨」のイメージではないものを被せたいのかな…、「さ、乱れて」ですか?気持ちの乱れと言えばやはり恋?だとすれば後半がまたわからん。自分のカラダのなかにそんな進化(あるいは前世)の痕跡をお持ちですか?ステキですね。どこに触れたのか知りませんが、たぶん何か記憶があったんでしょうね。…で結局やはりよくわかりませんでした〜。
「頬よせて微熱を移す錫の鉢」
錫は一時期制作の素材として使ってたことあり。柔らかい金属ですね。「錫の鉢」は無機物のはずなのに前半の五・七が妙になまめかしいといのでつい微熱を移したのは想い人だったのかななんて妄想。
「ゆふらゆら夕あぢさゐの青に昡る」
「昡る」はなんて読むのですか?「くる」?モノ知らぬついでに「夕あじさゐ」は夕顔みたいに夕方咲くのでしょうか。その青が眩しいのですね。そのものにくらんだのかそれとも夕日かなんかが反射して眩しかったのか…。ただ見たままそれだけの状況を詠んだのか、なにか意味ありげな感じもしないでもないし…う〜ん、これもよくわからん(わからんなら選ぶな…ってつっこまれそう)
「かへし陽に茅の輪(ちのわ)くぐりて更に生く」
前にTVかなにかで見たことあるような…。神社かお寺でやってる行事でしょ?穢れを祓ってさらに生きるってわけですね。だらだら生きるのも、生き抜こうと覚悟を決めて生きるのも生きることにはかわりはないけど、一瞬この身を借りて舞い降りた魂なれば現世を謳歌したいものですねぇ。
「ひからびた蚯蚓に聞けり明日の風」
最初「蚯蚓」を「蜥蜴」と勘違い。なるほどたしかにミミズはよくひからびてますね。それに明日の風を聞いちゃうわけですか。なかなか特殊な能力をお持ちで。でもさ、そういう感というか、総合判断能力は実はみんな持ってるんじゃないのかな。たぶんカガク的なものでマヒさせらてんですよきっと。

邂逅

合間をみながらしつこく描いてる目の前の霊獣を眺めながら…ふと、この絵は千年もつのだろうか…などと途方もないこと考えた。そんな価値のあるものを描いているのか…そんな年月だれかに愛でられ続けてもらえるのだろうか…自分がいなくなっても家族くらいは捨てずに持っていてくれるかな…でも子孫だっていつまでつづくかなんて誰にもわからないし。奢れるものは(べつに奢ってもいないが)久しからずって言うし。以上別に気弱になって考えたんじゃない。もし来世ってのがあったら…最近チトこんなスピリチャル系多くて恐縮だが一説によると50代は神秘主義のお年頃らしいのでユルシテ…そうもし生まれ変わっちゃったりしたらさ、しかもその時に自分の絵とかが残ってたりしたらさ、記憶はないかもだがそれでも巡り会えるわけでしょ。それってスゴクねってなんとなく。かの東山魁夷画伯が唐招提寺御影堂に奉納した障壁画などは確実に千年は残るでしょ…ていうか我が国が存在する限り残すよね。そしたら画伯の生まれ変わりのヒトはたぶん前世での自分の偉業に出合うわけだ。いいなー。ま、そんな選ばれし邂逅でなくても、骨董屋の片隅にホコリかぶってたの見つけちゃった的な感じでもいいから、なんとか残っていてそして出合いたいもんだなーなんてしみじみ。ただなー今描いてるのダンボールだしな支持体がまず千年ムリね。輪廻も100年スパンくらいならなんとかなるか…。