Jin Nakamura log

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too much snow

すでにFBなどで各地のこのうんざりするような記録的な雪の写真があちこちでupされてるので、あえて写真なしで…想像して、積雪1M。今回どうも長野県内最高積雪量らしい、軽井沢。確かに棒をさして目盛りを読んだら100cmを指してるだけのことなんだが、問題はそれが点ではなく、また面でもなく三次元のボリュームであること。どこまでいっても1M。実際には先週末の分もまだ残っていたわけだから、それに加算して1M。

その風景をみてちょっと津波のことを思いだした。1Mの波であればそれは楽しく絡むこともできようが、その高さの水量が体積でやってきた場合、大きな被害をもたらすわけでしょ。観測史上初の記録だそうだが気を抜いてると自然というものはサラっとひどいことをするものだな。とは言ってもR18が閉鎖され、最寄りの在来線しなの鉄道が今日明日終日運休、長野新幹線も未だ運転見合わせ、代替え運行もなし、そして僕は家から出られない(周辺は多少ウロウロできるけど)…、といった程度でとりあえずライフラインはなんとかなってるので、こんなふうにのほほんとblogなど更新できてるわけだが。

のほほん…といってもほぼ終日家から出るための雪掘り(雪かきではない)作業のためカラダはガタガタ。途中でどうせ車動かせないんだからと汗だくでノドも渇いたのでビールで水分補給などしながら頑張った。

降りしきる雪の中、掘り出した雪をママさんダンプで運んでいる最中に何人かマジで冬山登山のような装備で家の前を歩いて行く人々に遭遇(道路は除雪が進まず完全に車の走行は不能状態)。声をかけてみるとみな通勤の人たちであった。家の前は田舎道ではあるが一応佐久〜軽井沢間をつなぐ通勤道路にもなってるのだ。聞けば仕事場は中軽井沢だという、10kmはあろうか。なにもない時でも徒歩なら1時間以上はかかろう。また夕方、これから夜勤だという看護婦さんが「患者さんが待っているので気合い入れて出てきました!」と雪の中に消えて行ったりと。ビール飲みながら除雪作業中の僕はココロから気をつけて行ってらっしゃい!…と見送ったものだ。

今日一日何人かにこんな風に声をかけた。当然みな知らない人ばかり。普段僕はそんな風に道行く見ず知らずのひとにうかつに声をかかたりしない。不思議なものでこんな自然の気まぐれの中でなんとなく心細くポツネンと身一つを感じるとき、お互いにどことなくアイコンタクトでちょっと話してみようかな…てなるね。機械とか便利なモノに囲まれているとき、こういう気分になることはまずないけど。

そして歩けるってすごいなと思った。早く遠くには行けないど、でもどこにでも行ける。

春隣りでそろそろヒキコモ宣言撤回しようかと思ってた矢先、リアルヒキコモになりそ。で、やっぱせっかくだから写真のせちゃお。これでも夕方除雪車がやっと来てくれてからの写真です。生活必需品でカンジキ欲しい!

14215

 

Bad News

昨日あんなこと書いちゃったもんだから20℃も下がっちまった。なので散歩も昨日の3倍の速さで歩く。おかげで息は切れるし気道に冷気がなだれこみしんどかったー…というわけで冬はもう少し続くらしい。

さて、なにがBad Newsかというと発端はコイツ。基本的に彼女「小丸」(♀なのにボウイッシュな名前でしょ)は仕事場出入り禁止なのである。理由は一つ。筆に欲情?ちがうか…とにかくあのワサワサしたものに野生の血がさわぐらしいのだ。そりゃそうだ、その手のもは大概タヌキやらイタチやらとにかくネコ科のやつらにゃ素通りできない素材でできている。

14205

そして先日ヤツは姿をくらました。家猫なので外にはいない。しばらく探したあげくイヤ〜ンな予感がして仕事場に戻ってみるといつの間にか入り込んでいたらしく、すでに理性のかけらもない(もともとあんまりないけど)彼女の姿が…そして口元には細い棒のようなもの。

というわけでその日、僕は所有する筆の中で一番大切にしていた「土生天祥堂特大面相筆黒軸」を失った。正確に言うと筆部分の1/3(長さではなく量)を失った。小動物の唾液にまみれてクタってなった穂先を見つめて不覚にもう少しで涙がでるところであった。いやもう頬をつたっていたかもしれない。一瞬思いっきり虐待してやろうかとも思ったが、彼女に嫌われるのもいやなのでそこはグッと我慢の大人な対応。あ”−カワイイってのはずるいよねー!

というわけで済んだことはしかたなし、僕は切り替えが(アキラメとも言う)が早いのだ。買えばいいじゃん!(とはいってもこの筆は初めて師匠にいただいたホント大切な筆だったのです)と、お金ですべてを解決する方向に走ることにした。

本当のBad Newsはココから…。数日前所用日帰りで上京したおり、合間を見てiphone/Googleマップ片手に目指すは西武池袋線東長崎下車徒歩8分の老舗・土生天祥堂。が、Googleマップはすでに設定ポイントに到着してるといってるのにらしきモノが見当たらない。TELしてみると「現在使われいません…」て。近くのタバコ屋(いまどき珍しくない?)のおばちゃん(これもなんかいかにもって感じで)に問うてみると。「あ〜、よくみえるんですよ、そういう方…2年前にね(あ”ーその先ききたくない〜!)おやめになって…」

というわけで、不覚にもまた頬を濡らしそうになった。

僕は弘法ではないけれど筆を選ぶのだ!…いや弘法ではないから筆を選ぶのか…とにかくこの瞬間もう未来永劫あの筆で描くことはできなくなったわけで、チクショー(猫だからあたりまえか)!!! 戻ったら如何にして虐待してやろーかと思案しつつふと思うに、こうやって日本の貴重な職人技が姿を消すのかと、この現実に残念なことこの上なし。きっと今までは筆職人を画家が育て、画家をコレクターが育て…作る人も、描く人も、買う人もお互いに切瑳琢磨してすばらしい日本の文化を残してきたのだろうな…みんなーARTを買ってくれよー!と心の中で叫びつつトボトボ(このときほどこのオノマトペがしっくりいている自分はいないだろう)むなしく帰参。

後日そうは言ってもと残り2/3の筆で描いてみると、まあなんとなく描けなくはない…が、細くなっちまったんでやっぱコシがないな〜。

*写真はヤツの犯行現場の証拠写真なり。訴えてヤル〜!

HAIKU poem

14204

昨年はこの風景の中を長靴をはいてザクザクと白い足跡を残しながら縦横無尽に横断してたのに…。今年は雪が少ない、いや…ない。つまらぬな。ていうかすでに春の兆しありすぎ。お散歩もなんかつい後ろ手に組んでのんびりと歩いちゃう。それはそれで良いのだがもう少し冬を楽しみたかったかなー(て終わったことにしちゃいかんか)。

さて、相変わらずblogの更新スパンが縮まらず、このままいくと月一くらいのペースになりそうなのでなんか埋めとこうとノーパソのフタを開けた次第。別に書きたいことがないわけじゃない。じゃ書けよ…てことよね。

なのできっかけということで、とりあえず埋め草に直近の句会よりいくつか。

小春日に地上5メートルの眠気

千年の記憶喪失冬御森

白菜の落つ葉天使の羽のごと

新月の少し肥えたり五日かな

傷つけたことに傷つく冬日和

冬茜大政奉還失踪す

な感じの日々でした。

最後の句について◎皇居千鳥ヶ淵あたりをぶらぶらしてると目の前を右翼のトラック(トレーラーっていうのかな)…あの街宣車みたいなダサい重々しいのじゃなく銀色のジュラルミン製(イメージです)の荷台側面全面に「大政奉還」の文字。夕日を反射しながら目前を疾走していくその風景を見ながらふと僕は…それもありかもな…と。民主主義を掲げる与党にすでに民意はなく、左系の野党にも本気で政権を担う覚悟もなし。かと思えば日本文化史上最悪の「維新」をかっちょぇ~みないなイメージで党名にしちゃったとんちんかんなおっさんたちも出てくるわで…。僕は右翼の思想家ではないけれど民間政権であろうが王制であろうが摂政が仕切ろうが、結局はヒトのすること。腐らせるヤツはくさらせる。現代的な意味での政治とはずれているかもしれないけれど、天皇はもしかしたら今の政治家の誰よりもこの国のことを想いはかっている…のかもしれない(うわさだけど…)。政(まつりごと)は祭りごとでしょ。

俳句のショートストーリーな潔さが好きでなんとなく詠んでいるが、短歌はいまだ手が出ず。最近そちら系に明るい知人から聞いた、天皇の歌は「国褒め」の歌だと。で、なんとなくソレいいなと。どうも僕らは先の大戦以来、天皇制のことを思うとついアレルギー反応でちゃう傾向があるが、よくよく考えるとその歴史と仕組みは興味深いものがあるな。現代の主権在民と象徴としての存在、天皇と将軍、御所と幕府…。このWスタンダードの歴史はなかなか類がないよね。

とか思いつつ何れにしても右も左も本気だったらもちっとイメージ戦略かえた方がいいぜ! 伝統は革新なんだから。アカハタをアオハタにするとかさ、、でもそれじゃジャムになっちゃうか…。

Mythology

14110

近所の奥様に「毎日マイナスで寒いですね〜」と挨拶された。

うすうす寒いなーとは思っていのたが、そういことだったのかと納得。それって絶対最低気温のことじゃないよね。事実本日の最高気温は−2℃…。冬至も過ぎ、これからは日増しに日が長くなるとはいえ地表に浸みた冷気は時間差でやってくる。備えてさえいれば冬はそれなりに楽しい季節ではあるのだがな。

さてblogもFBも年をまたいで放っときっぱなしだったのでそろそろ文字活動を再開しようか。

昨年11月のアタマに一本のTELあり。

「神話に興味ありますか?」

宗教の勧誘ではない、出版社から。そう尋ねられて僕は「ムムム…!」。興味があるなんてもんじゃない、ちょっとしたマイブームですらある。

仏教LOVEな僕はその愛(たぶん)故に昨今の日本の仏教(主に自分の身近ですが)に対してうんざりするような閉塞感を感じていたところ、折も折昨年は伊勢は20年ぶり、出雲にいたっては60年ぶりの遷宮が重なるとうい奇遇な年であり、春と夏にそれぞれにお参りすることもでき、いわゆる仏壇(みうらじゅん風に言うと…文壇と画壇とか言うでしょ)からのりかえて、今まで明白なビジュアルイメージが不足しているということだけであまり興味をもってこなかった神道世界に一気に浮気モードな年だったわけですよ。

まずは「よくわかる古事記」を精読(主に前半)。というのも前半はまさに神代のお話で後半になると天孫降臨してからの人の世のお話になってしまうので、ついついファンタジー優先となりますなー。で、けっこう神様の名前おぼえました。でも真名っていうのかな正式名称はムツカシイ…例えば「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)とかさ。また大黒様でおなじみの大国主命にいたっては呼び名がかるく10を超えたりするし。ま、とにかくそんな感じで事前学習もしつつ、日本を代表する神宮と大社にまずご挨拶にゆき、常陸、信濃などの一宮にも足を運び、機会があれば地域の産土神にも顔を出すというフィールドワークもこなしと、自分でもおどろくような熱の入れよう。

しか〜し! 話しを戻そう。電話口の編集担当者さん曰く「北欧の神話なんですが…描けますか?」僕「ホクオウ?…記紀神話じゃないの…」。編集「古事記はすでにスズキコージさんで出版されてます。」僕「そいつはプレッシャーですが北欧でも東欧でもなんでも描きまっせ!」ということで世界の神話シリーズ第二作目の表紙画と本文15話の挿画を数枚の試作トライアルを経て担当することになった。

そんなわけで師走から年明け寒波の今日にいたるまで来る日もくる日も僕はずーっと神様の絵を描いている。

無音

冬。部屋の中にいて外の音が消えていると、あ…雪が降っているのだな…とわかります。雪は視覚的にも目前の一切の煩雑をチャラにするよう(実際にはそんなことにはならないのだが)に白く美しく覆い隠してしまうのだけれど、同じ効果は音にもあって、不思議と雑音が途絶えるのです。でもなんとはなしに“雪の音”…積もる音なのか、雪同士が空中で擦れ合う音なのか…だけは聞こえる。それは全く音のない状態よりもはるかに静寂を感じるのです。何れにしても外界のナニカから隔絶された状態になって、僕はこの感じがとっても好きです。

情報はただただ空から白いものが静かに折り重なるようにやってくる…ということだけ。

そして朝目覚めると少し世界が変わっているのです。

131221

snowy day

今年もこの風景がやってきたなー。浅間も中腹までにはもう何度も降りてきてたんだけど里に初めて。

131220

long time no see…

冬になってヒキコモ宣言をしたからといって、なにもblogまでお休みすることもなかったんだが、依頼を受けている仕事を一つずつこなしていたら自分と向き合うどころではなく全く余裕のなかったこの一ヶ月。ま、多少は必要とされてんのかどうか有り難いこってス、ホント(でもまだ宿題おわってないのある〜)。そんなこんなでも毎日散歩はしたり本読んだり小丸(同居猫)をかまってみたり…と、たいした生産性のない時間も大切にはしている。…そうだ思い出した余裕欠如の一因…メインで使ってたMacG5が壊れたんだった。ギリギリのスケジュールのこのタイミングで?ってことですよ。こういうことがあるといろいろ考えちゃうな。なにかあった時に自分でなんとかならんようなモノ使ってることに問題ありなんじゃないかと。原発もそうでしょ(急に話しデカクなっちゃうけどさ)。というわけで今後は例えば“筆”一本で生きぬけるような自分をさらに鍛えたいと思います(理想)!

内核

晩秋ともなり件の油や営業日程も対外的にはすべて終了したことだし、さていよいよ最適の季節となり先日FBにて春までのヒキコモ宣言をしたばかりだが、かといって毎日部屋に閉じこもり…という意味ではない。自分と自分の生み出すモノにしっかりと向き合ってみようというくらいのこと。だから朝日も浴びるし夕日も眺める。散歩もするし、薪も割る。そして絵も描く。会うべき人には会うだろうし、訪ないがあればそれはそれで歓迎もする。それなら普段とさほど変わらぬ気がしないでもないが、やはりどこかちがうのであるきっと。何れにしても外界のナニカの刺激を絶って内界に深く沈んでみようということなんだろう。そしてそれは多分さびしくないし少しわくわくする。たとえば海の底や地球の内殻が如何に未知で興味深いものか。そしてカラダがあってできることはまずやる。いのちを楽しめばいいのだ。もしかしたらだがカラダがじゃまなこともあるやもしれぬ。それはそれでよし。すこし以前にハマってた明恵師のように二股の木に半座して瞑想中、股ぐらに栗鼠が通るをゆるすなどの境地に至れればよいのだけれど。環境はたぶんぴったりなんだけどな。やはり山麓の初冬の気配はよい。

アメリカで仏教を学ぶ

たぶんステキな本に出会ってる気がする。

ずっと不思議に思ってたんだお経…なぜアレがお葬式の時に読まれるのか。あんなものに死者を成仏させる呪文なんか入ってないのにと。ま、そう言い切ってしまっては身も蓋もないないが、たぶんそんな気がするのだ。例えば有名な般若心経なんかはアレは壮大な哲学書でしょきっと…ってあやふやなんだけど、じつはソコ、そのあやふやなとこが大問題だと思ってた。

仏教はもともとインドで生まれたものだから初期に作られたお経はインド語(パーリー語っていうのかな)で記述書体は梵字とかでしょ。それが中国に伝わって中国語訳される。記述書体は漢字となるわけだ。そしてさらにそれが日本に伝わるのだが残念なことにそこでは和語に変換されないまま現在に至ってる。いくら朗々とした声でも漢文をただ音読みされてもねぇ…漢字のニュアンスは一部なんとなくわからんでもないが、やっぱあやふやですよ実際。だから腑に落ちない。

有り難そうな雰囲気は醸し出すがそれはズルイと思うのだ。僕は日本の仏教者の一番の手抜かりはお経を和訳しなかったことと思っている。神道の祝詞なんかちゃんと日本語でしょ。古語も含まれてるから多少むつかしいけどせめてあのくらいにしてもらわんと。

などと悶々と考えてたら出会っちゃった「アメリカで仏教を学ぶ」。この国で出会えなかった問いに海の向こうから答えが届く、得てしてそういものか。

僕は中ボーの頃にただ仏像がカッコえ〜って始まった門前の小僧みたいなもんだから感覚的に本来の仏教はすてきなものだと思ってるが、やはりお経は難しい。十代の頃に最初に般若心経の本を買って以来ちゃんと覚えたのはつい最近。

難しいことを難しく言うのはあまり能力のある人のすることではないでしょ。英語はいい意味でボキャブラリーが少ないからシンプルにストレートに伝わってくる。彼らが「KANJIZAIBOSATSU…」とやらかしてなかったことに拍手を送りたい。だけど我が国の導師たちは「観自在菩薩…」と始めてしまう。意味がわかればこの宗教が持ってるポテンシャルがもう少し伝わる気がするのに。ま、小僧として言いたいことは山ほどあるが今日のところはこの辺で。

2週間ほど放っておいた指にささっていた棘を抜いた。もちろんわざとではない、何度か取ろうとしたが抜けなかったのだ。小さなモノであってもカラダの中に異物が入っている、しかも日常よく見えてしまうような場所に…という状態はあまり気持ちのよいものではないが、あの手この手を尽くしても取れないのだから仕方なし、とあきらめてこの件については「なかったこと」にして一旦忘れた。幸いカラダは痛みには徐々に慣れるし、そんなモノでのっぴきならない事態になるとも思えないから放っておいた。が、その後も人差し指の第一関節あたりにとどまる小さな黒い点はときたまその存在をささやかにアピールし続ける。しかしそれはすでにかさぶたのようなもので、もしかしたらすでに取れてるかもとも思おうとしたが、ナニかがそこに触れればささやかな痛みは感じるし、何よりその周辺が赤く膨らんできて確実に異物がソコにあることを主張し始めたので、結局「なかったこと」を撤回し「ありつづけている」ことを素直に認め、ある風呂上がりの晩、僕はふやけた指に剣先のついたようなピンセットを強引にねじ込んでブツを引きずり出した。2mmほどの小さな棘が取れた。

2週間共存した小さなブツをテッシュの上においてしばし感慨深く眺めつつ、ココロにもこういうのってあるかもなーなんてふと…さ…。