collage3
- By jin
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- On 15 12月 | '2012
昭和44年、限定3000部で発刊されている。著者は宮原柳僊氏。実は先日の神保町古書市、僕はこの画集に出会うためにそこにいたような…。外箱・化粧箱・桐箱の三重構造装丁でホントだったら開けてみんのとってもめんどくさそうな本だったのだが、なんか気になったのね。
表題に“復原”とある通り古い仏画ではない。日本画家の宮原氏…その時まで僕はこの作家と仕事について全く知らなかった…が主にその時点で国宝に指定されている各地の仏画を驚くほど丁寧に復原描画しているのだが、うまく言えないけどとにかくこれがスッゲーのだ!(ガキんちょみたいな表現…)。なんだろね、古いものの枯れた有無を言わせぬ威圧感(歴史だからさ!っていうような)でもなく、かといって新しいもののあざとさでもなく…。もちろん復原だから当時の様式というか形象はちゃんと感じつつ、それでいてライヴ感がある。博物館行きじゃなくて“今”使えるのよ。原画にはおそらくとても忠実で、妙な解釈というかこの手の絵にありがちないらん幻想はなし。だけどちゃんといやらしくなくどこか彼らしい。たぶんこの作家、とっても気持ちがニュートラルな人だったんだろな…それを尋常じゃない技術が支えてる。生きていらっしゃったら弟子入りしたかったな…独学大好きだけどなんかはじめてそう思う。
で、そのとき僕はこの本に当然入札したんだけど落札できなかたのです。こんなジャンルにひっかかるの自分だけだと思ってたら、さすが現場はプロの巣窟。ちゃんとライバルがいて僅差で負けちゃいまして、で当然すげーショックで…でもこうして今僕の仕事場にソレはあるのです…ヘヘ。なんか思わずほお擦りしちゃいそ(しちゃったけど)。というわけで現在ぼくのケータイの待ち受けは宮原氏の大日如来さんです。
あー、こんな絵描きてぇー!…百年かかりそ。
正式名称はチト長い通称神保町古書会館、行ってきた。追分コロニー見習い身分のパスもらって毎週月曜の大市入館OK。業者間取引の真剣勝負の場なのであまり詳細は書けませんが(ホントは書きたいこと満載なんだけど…)いやとってもお勉強になりました。
例えばアートとかモノツクリ系の仕事って0からナニかを生み出すでしょ(実際は全く無からはできませんがイメージとしてです)。なので自ら何かしらの労力を提供したサービスに対してとか、生みの大変さを体感したモノにはそれなりに正当な対価を提示する勇気を持てるのだけれど、すでにあるブツを仕入れてそこにいかほどかのマージンをのせて利益を得るという仕組みに実はあまり慣れていません…ていうかそもそもそういう方法になんらかの違和感というかともすれば後ろめたささえ感じたりしてしまうことがあるわけです。それって実際には全くピントがずれたことなのだけれど、そういうことにほとんど興味がないので、まあ感覚としてはそんなもんでしょう。“つくっていられればシアワセ”って資本主義社会ではこれって限りなくイコール社会性の欠如になりかねませんね。特にアートの場合この傾向が他のクリエティヴな仕事比しても強くあります。ただ時にこうした社会的な規範からの逸脱や需要生産(お客様ニーズってやつ)の必然から遠く離れた感覚が表現として結実したとき、逆にその社会に想像もつかないような影響を与えちゃったりする…てなパラドックスも成立するわけだけど…
て、だからアートはエライ!なんて書こうとしてるんじゃないんですよ、逆です。今回僕は古書店仕入れ見習いとして潜入なんですけど、新米小僧の感想はその現場に必要なのは編集力と勘…かな、プラス真剣勝負。僕も作り手なんでね、お金の計算を絶えずしなきゃならない現場って非常に疲れるんだけど“仕入れる”てけっこうクリエイティブな仕事ね。そこには今のアートに足りない(日本だけかもだけど)凄みがありそうな。
あ〜ホントは現場の雰囲気、写真でリポートしたかったなー、オモロイよ。
11月4日を今期最終営業日として油やもストーブリーグに入って2Wほど。来年GWの再開業に向けてこの冬どれだけたくわえるかが問われているところです。…とうわけで最近まで油やロビーの暖助クン(薪ストーブです)周辺によりそって月2のペースでとりおこなわれてました建設的激論会議、現在油やさんはすでに冷蔵庫状態のため今回より同敷地内、当プロジェクト理事著経営の追分コロニーさんのやはり薪ストーブ前のブックカフェにてぬくぬくと…(やはり軽井沢の冬は薪ストーブが似合いますな)。
手応えと課題をかかえたあっという間の3ヶ月だったわけですが、来期も僕らはポジティブ+楽観+妄想思考で(現実思考は理事長が一手に…ゴメンナサイ)突っ走ります…たぶん。TORICO printmaking studioさんにでは写真系ワークショップ、ギャラリー猫町さん、ART Project沙庭でも本編企画の充実はもちろん、企画作家によるアーティストワークショップの予定もめじろ押し。おとしぶみ工房さんでもスタジオ公開や子ども向けの版画系講座も検討中。北上古盤堂さんのDJイベントもよりパワーアップしそうな気配ですし、その他コンサートやら月一の骨董市やらJR企画タイアップやらなんやらで、とにかく2013年の油やさんに乞うご期待!…ということでしばし僕らのストーブリーグは延長戦が続きます。あ、そんな一環でちなみに僕、ついに古書店経営新規参入の気配ありで今月、神保町古書会館あたりに出没してるかも。といわけで当面コロニーさんに弟子入り状態です。その顛末はまた後日。
ってどんなかなー…ってなんとなく数日前のコメントにひっかかってたんだけど、それってどうもイメージがカオスな方向についいってしまう僕。なんか愛憎人間相関図…みたいな?そう言うの想像してしまうってやっぱ我ながら俗っぽいっていうか修行が足らんていうかなのね。そこいくとProduced by 空海さんの両界曼荼羅などはホント整理されていて美しい。現世でもそんな美しい曼荼羅世界を生きられたらすごいんだろうけど、でもそれってそもそも生きてるってことなんかいな…とも思う。いいじゃないの、不浄、不道徳おおいにけっこう!そして「睡蓮の如き純情」はそんななかにこそあんですよ…きっと。
て、それはさておき。友人の町田哲也 Tetsuya MACHIDA Solo Exhibition-君はピノッキオと芳一の足音を聴く-のBAR / sound & visual event at FLAT FILEへ。ヤツとは13才のころから善光寺に油絵の道具とキャンバスを携えて写生にいったり国宝の池の亀を勝手につかまえては怒られたりした仲なのだ(よくわからんでしょ)。以来お互いヤクザな稼業に勤しみつつイヤというほど長い付き合いになるが今もって彼のテキストのコンテンツは全く意味不明で理解しがたい…のでほとんど読まないことにしてる…が、実はタイトルネーミングだけはけっこう(たまに?)感心している。あの風貌からよくあんな詩人のような感性が…と。ま、意味不明なことにはかわりはないし、僕もまちがっても「コレどういう意味?」なんて聞いたりもしない。ただタイトルくらいの文字量なら読める…ということなのかもので、もしかしたらだけど本文もちゃんと読んだら、ほんともしかしたらだけどけっこう泣かせるようなポエムが秘められているのかもね。いづれにしても意味不明な文章を理解できない読み手の自分の側に、ある種の非があるのではなかろうかという強迫観念を抱かせてしまうような不条理を押し通す妙なチカラ(なんの役に立つのかはわからんが)があるのは認めようか。…とかいろいろ言い放ちつつ、実は当サイトも彼が作ってくれてるのだ。ということでマチダくん、いつもありがとう!(写真は2F・映像とインスタレーション作品)
さて見仏界の先駆けMJ氏(みうらさんね)風にいえばMY寺院(これって今寺院=イマジンとかかけてんのかな)建立ってことなんだけど実際仮にも宗教施設であるとするならば(なワケないか…でも宗教についてちょっと考えてみる…ことはできるかも)何かしらの宗旨というものがあってしかるべき?(なんで疑問形?…ちょっと自信なかったりする)まあ、大ざっぱにはBuddhismでいいんですが(じゃないと仏像彫れない仏画描けない)日本の仏教は奈良以来の伝統宗教だけでも十三宗五十六派と言われてますからね。当然それによって安置するご本尊もちがいますし伽藍配置などの様式も異なるので、何をツクルか何を描くかにかかわる重要なポイントなわけです。
教義の根本(いつのまにできたんだ?)は一応ポジティヴシンキングですからどちらかというと来世救済系よりも現世利益系でしょうかね。たとえば末法思想を元に、生きてる間に救われるのはムリなんで極楽浄土でなんとか…という浄土系宗派はやはりどうしてもお寺と“死”のイメージと直結しますね。生きることに絶望した先の死後の救済はやはりよほど折れないココロがないとネガティヴに傾倒してしまうだろうな。西方極楽浄土はそりゃ描きがいがありそうな美しい世界なんだろうけど…。一方(スンマセンすっげー大ざっぱな対比です)せっかくならこの世でなんとか…といえば真言宗に代表されるような密教系でしょうか。神秘主義的な教義・修法によって即身成仏をめざすわけです。生きたままホトケですからね、これはすごいです…けど、先の浄土系のような顕教が経典類の文字によって全ての信者に教えが開かれているのに対し、特別な修行をおさめた特殊な能力を持つもののみがその真理に近づけるという感じ(あくまでも感じです。詳しくは自分で調べてー)だからさ、「…いわんや悪人をや」なんて言っちゃった親鸞さんみたいにだれでもOKてことにはならんのでしょ。だがしかし!空海さん考案デザインの曼荼羅系ビジュアルはカッコ良すぎるし、実際それでBuddhismにハマってるようなもんだし。あー禅宗系もシブイしな…ってもうどないしましょ。
まあ現世だ、死だ、来世だ…といっても、そしてそういうことがあるとしてもそれは想像もつかないひとつの大きなサイクルなわけでしょうから、はやりあらためて注目すべきは“今”なんでしょうね。今ちゃんと生きないとちゃんと死ねないってことですよ…よくわかんないけど。
う〜ん、TERA-project…まじめに考えすぎるとあたりまえだけど奥が深すぎるので、案外もっと薄っぺらでいいじゃねって思いはじめたぞ…そんでもって大まじめ、ね。
次は伽藍について考える…(エエかんげんにしなさい!)
もうバレバレでしょうけどね、えぇそうですよ、言ってしまえばね、ナカムラはただハコをつくりたいだけなんですよ。仏つくって魂入れずなんてこと言いますけどね。ツクるという行為のなかにすでに入ってんですよきっと。だいたいタマシイの入らないモノつくるほうがむづかしいっしょ、開き直っちゃいますけど。
だってホントつくりたいモノだらけなんですから。ご本尊はもちろん壁や柱に施される仏画でしょ、天蓋からはじまってなんなら木魚とか僧衣とかだってデザインしちゃいますよ。当然それらが納まるお堂そのものもね。軽トラのせて移動式となると荷台にセッティングされるイメージお厨子みたいな感じかな。ならお仏壇屋さんとタイアップってのもいいな、でもそれって想像すると一歩まちがったら霊柩車っぽい?…だがしかし!見ようによってはあの超デコラティヴな移動式日光東照宮的な感じ、あれはあれですごくね。あんなんで死体運ぶとこ世界中他にあんのかしら?…って、この段階でチラっとwiki検索したらあの度肝を抜く和風カスタム(そう言うんだ…)、各国からオファーがあるんだとさ。実際あれインドとか走ってたら逆にフツーっぽいもんな、牛がとなりにいてもなんかしっくり。そう例えばベースのステーションワゴンがブラック以外の塗装(白とか朱?う〜んどうだろ)だったら急に晴れ晴れしくない?もう町なかで見かけても親指隠したりしなくていいんだよ。夢は膨らむでしょ…。
しかしそうは言っても初めにハコありきで、それから住職(なんなら教祖でもいいけど)募集ってさ、なんかどっかのチェーン店のまず店つくっちゃってそんで“店長募集”みたいね。ま、本店(寺)勤務の兼任でもいいんですけど。創っちまったブツへのタマシイは気合いで入れられてもお坊さんはなァ…やっぱ大事なのは人ってことかぁ。だれかこんな戯言をご理解いただけるココロの広〜い店長いやもとい、住職さん!いない?
とういわけで次回は宗旨について考えてみましょう。(まだつづくんかい!!)
美場テラソ本年度最終講座「紙に油絵!?」(講師:いいじまようこ)こんな感じで。先週のお帽子講座に引き続き今回も満員御礼。特に中学生美術部の参加がうれしかったなー。学校で教えてたときはあんまり楽しくなかったんだけどなんでかなー、義務だったんかな…それじゃイカンのだが。ま、というわけで今回もみなさんのあのゼロから生み出す感じ、ああでなくっちゃ!
講師のいいじまさんも直前まで弱音をはいてたわりにはまったく手を抜かない周到すぎる準備をし(そういえば創作態度もそんなだものな)、本番もなんだかんだいって予想通りというか期待以上というかイイ感じの講座になりました。美場の基本コンセプトの一つは「答えのないことをやろう!」だと思ってます。作家はあくまでもそのきっかけをつくるプレゼンができればよいわけで、本人が創造に真摯に取り組んでいれば当然その資質はすでにあって、特に何かを“教えよう”しなくてもよく、あとは参加者がおどろくほど勝手に創造してきます。これは経験でわかってる。そして僕ら企画者やクリエーターはそれに直面してただおどろいたりニヤっとすればいい。で、みんなニコニコしてバイバイまたね。そんなでいいんじゃない。
あ、ちなみに紙に油絵、マジでおもしろい。油絵の講座は1日ではムリ…ていう常識をやぶりました。で、来年度は美場テラソと油やプロジェクトを連動させてみようかと思ってます「美場かるいざわ」復活!ね。