「卯月産月浅間展覧会」於銀座
- By jin
- In art
- With 2 Comments
- Tagged with art project 展覧会 沙庭
- On 11 4月 | '2013
油や「ART PROJECT 沙庭」サイト制作中です。まだ仮オープンでデザインレイアウトは今後の編集作業如何では大きく変わる可能性ありですが、とりあえず公開しちゃう。
油や「ART PROJECT 沙庭」サイト制作中です。まだ仮オープンでデザインレイアウトは今後の編集作業如何では大きく変わる可能性ありですが、とりあえず公開しちゃう。
先にも記した「卯月産月浅間展覧会」フライヤー、こんな感じ。4/6からだが実は急遽8日からの銀座での個展スケジュール受け入れてしまった。いや、一旦はお断りしたんだよ…。でも一晩考えてまあやれってことかなと。
上記とは関係ないのだが、ここ数日アタマの中がトッ散らかってる…というか思考が一つにまとまらないというか…。よくよく考えると大した理由でそうなってるわけでもないのだが理屈でわかっててもダメなときはだめね。傍らのギター手に集めた楽譜を片っ端から熱唱してみると副交感神経が刺激され、うん少しはイイ感じ。しばらく弦に触れてなかっただけなのに指が痛い…でもココチイイ。
あーこれってやっぱ放射能鬱かな、花粉と混ざり合ったさ、最近毎週東京通い。明日も。アートフェア顔出してきます!ってあそこも面白いんだけど空気よくないんだよな〜。産み出すモノとはまた別物の雑念というかさ。…なんか打ち込むコトバも散乱してるような心無しか…いつもこんなかな…。
越ちひろ展に。
どうだった?なんて聞いてはいけない。
「まあ…よかったよ…」なんて言うしかないではないか。
そんなことより、そこに彼女のタマシイの全てがあるのならそれでよいのだよ。
僕の感想などどうでもいいから自分で行って確かめてごらん。
+
共時性ということがある。シンクロニシティーとも言うな。昨日漠然とバランスのことを考えていた。自分で言うのもなんだが結構バランスのとれた人間だと思ってる。そしてそれは凡庸を意味するものなのかと、もっと破綻したほうがいいんじゃないかと…など思わなくもない…が、まてよ。それってなんか中間地点に立ってるって意味ではないなと気づくのだ。
「2」という数字が好きなんだよ、たぶん昔から。二つのモノを内在させることが我が身のバランス。欲張りなんだなきっと。昨日のブログを何げなく書いた後、気になってたんだが両性具有はヒトとして生物学的には無理にしろ、モノを生み出す者として、そしてその覚悟として性的両面性は必要なのかもねと。そうは言ってもたとえば髭ヅラの母性なんてもキモチわりぃからほどほどにしとっけどさ。ま、要は心意気の問題ですよ。
+で、共時性ということがある。
明恵は夢の中で得た「二つの柑子」。それは華厳と真言、母性と父性、仏眼と釈迦、心と体、合理と非合理…コスモロジーとイデオロギーってのもあったけ。それらの二元的対立の中で心身を鍛えたと。…今日めくった「明恵 夢を生きる」の数ページより。
+シンクロニシティーとも言うな…
「両面を持って存在すること。女性的であり、男性的。強くて弱い。暴力的で、狂気に満ちていて、優しく、儚く確かな存在。華やかでダークで、生であり死であること…」今日の越ちひろ展、リーフレットに記されていた彼女の想い。
…まったくどいつもこいつも欲張りなヤツらばかりだ…(もちろん自分もね)
10月、ART PROJECT 沙庭+梅田版画工房 協動企画 Lithograph 5 artists 2013で彼女の作品に出会えます(2014にはsolo exhibitionをオファー)。その前に4月20/21日、境内アートにてライブペイントも。ほとばしる絵の具の飛沫など浴びにいかが。
で、やっぱりその前に行っておいで…17日まで。
そいや二天背合圖、こんな感じに仕上がっとります。以前のブログにも書いた通り絵の左右(柱)と中廻し(天地部分)は染織家の岡本直子氏が染めてくれたものだが、彼女、実は本画を見ずにこの橙に染めている。これから来る絵はコレでいいんだと思ったらしい。まったく女性の受信能力には驚かされることが多いな。本来女性の脳はそのように発達してるらしいが逆に男はその能力が劣る代わりに送信能力は高い…オレが、オレが…て感覚かな、よく言えば社会性。さて現代、男性は草食系の皮を被りヒキコモクンのキャラを心地よしと演ずれば、それは数少ないオトコの能力をことごとく放棄したに等しく、唯一女性に勝るのは腕相撲がチト強いということくらいになりさがった…というわけでまったくイイとこ無し。まさに「女時」の時代なり。僕もアーティストで生きようとするならば我が身の中に潜むオンナを磨かねばならない…のかしら、といってもついダンゴムシ拾ってきちゃうしなぁ。
このお軸、17日まで開催の『春を待つ食卓』テーブルウェア展(えすぱすミラボオ)に賛助出品として展示中です。お近くの方は是非。春らしいイイ感じのうつわにも出会えますよ。
一つ。コレクション展「新春の国宝那智瀧図」仏教説話画の名品とともに
根津美術館は初めて…以前からシブいのやってんなーとは思ってたが。個人コレクションを元としてるさほど大きくもない美術館だが、国宝8点・重要文化財40点程という収蔵クオリティーはなかなかのもの。さすが明治の財閥はスゲーや。コレってここのだったんだ…てのもいくつかありびっくり。その内の一つ「国宝那智瀧図」これに会いに。
退色が進んでいるせいで胡粉で描かれた一筋の瀧以外は一見何が描かれているのか判別しがたいのだが、それがまた逆に中央落水の軌跡を浮き立たせることになっている。右上山の端に大きな月がのぞいているので夜の風景であり光に充ちた画面ではなかったはずだが、時は紅葉、半身に隠れているとはいえ満月の光、それを映す一条の流水と飛沫…。描かれた当初はかなり幻想的な色彩であったことだろう。
できたら近いうちに熊野に詣でようと思っていた。これも何かの縁なんだろう。
+
一つ。「飛騨の円空」千光寺とその周辺の足跡/トーハク
芸風として円空さんは嫌いでもないが好きでもない、よく対比されるが木喰さんもそう。たぶん自分の中でこういった素朴派を受け入れられる寛容さがまだ育っていないんだろう。
生涯で12万体彫ったという。物理的にムリであろうという説もあるようだが数分でできそうな木っ端仏も含めればあながち無理なこともないようだ…が、いずれにしても尋常じゃない制作量である。
膨大な作品量を残したと云えばピカソもそうだ。とても若い頃彼の作品の線をみて、このくらいなラインなら自分にもひけると思ってた。高じてピカソくらいなことならほぼ出来ると。あるとき彼の生涯に残した作品量を調べたところ、自分がこの後同量のブツを残すには、とっても長生きした上で1日2〜30点以上は制作しなければならないことに気づき、それまで根拠なく信じてた我が身の天才性をあっさり否定するに至る。
天才とは尋常じゃない努力をヘッチャラな顔してやるヒトでしょ。そういう意味で自分などはまったく努力家ですらないな。ま、極めて凡庸ではあるが、そうはいっても才がまったくないわけでもなさそうなのでやれるだけやってみる…という覚悟なり。
話を円空に戻すが、そういう意味では彼は素樸派などではないかもな。前言を撤回しよう、彼はめったにいない、まぎれもない天才の一人だ。
そいや先日から始まってます「猫のマッチラベル展」参加中。友人の燐票家・加藤豊氏の貴重なコレクションも同時展示。【ギャラリー猫町・東京谷中】2013年1月10日(木)〜1月20日(日)
僕はマッチラベルデザインは大好きなんだが、マッチそのものは実はあまり好きじゃない。あのイオウの匂いが苦手なのだ。マッチを擦りおわったあとのイオウの匂いが好き…という人もいますね、人それぞれです(温泉はゆるせるんだけどね〜)。多分化学薬品系の匂いは総じてニガテなんだと思う。最近気がついてきたんだが、視覚的なことよりも嗅覚の方が敏感かもしれない。具体的なモノの匂いというよりも雰囲気とかの匂いかな…イイ感じとか、なんかちょっとヘンとか急に感じることあり。ただ空気の匂いは感じても場の雰囲気は読まないことにしているけれど。
ってどんなかなー…ってなんとなく数日前のコメントにひっかかってたんだけど、それってどうもイメージがカオスな方向についいってしまう僕。なんか愛憎人間相関図…みたいな?そう言うの想像してしまうってやっぱ我ながら俗っぽいっていうか修行が足らんていうかなのね。そこいくとProduced by 空海さんの両界曼荼羅などはホント整理されていて美しい。現世でもそんな美しい曼荼羅世界を生きられたらすごいんだろうけど、でもそれってそもそも生きてるってことなんかいな…とも思う。いいじゃないの、不浄、不道徳おおいにけっこう!そして「睡蓮の如き純情」はそんななかにこそあんですよ…きっと。
て、それはさておき。友人の町田哲也 Tetsuya MACHIDA Solo Exhibition-君はピノッキオと芳一の足音を聴く-のBAR / sound & visual event at FLAT FILEへ。ヤツとは13才のころから善光寺に油絵の道具とキャンバスを携えて写生にいったり国宝の池の亀を勝手につかまえては怒られたりした仲なのだ(よくわからんでしょ)。以来お互いヤクザな稼業に勤しみつつイヤというほど長い付き合いになるが今もって彼のテキストのコンテンツは全く意味不明で理解しがたい…のでほとんど読まないことにしてる…が、実はタイトルネーミングだけはけっこう(たまに?)感心している。あの風貌からよくあんな詩人のような感性が…と。ま、意味不明なことにはかわりはないし、僕もまちがっても「コレどういう意味?」なんて聞いたりもしない。ただタイトルくらいの文字量なら読める…ということなのかもので、もしかしたらだけど本文もちゃんと読んだら、ほんともしかしたらだけどけっこう泣かせるようなポエムが秘められているのかもね。いづれにしても意味不明な文章を理解できない読み手の自分の側に、ある種の非があるのではなかろうかという強迫観念を抱かせてしまうような不条理を押し通す妙なチカラ(なんの役に立つのかはわからんが)があるのは認めようか。…とかいろいろ言い放ちつつ、実は当サイトも彼が作ってくれてるのだ。ということでマチダくん、いつもありがとう!(写真は2F・映像とインスタレーション作品)
2人展だったんだろね?…DMをデザインしてるときから「アレ?」って。芸風もちがうしさ、少女と仏画だしな、しいていえば共通点はヒトガタ?…てそれもおおまかすぎるだろ。で、搬入時に今回の相方に聞いてみたところ(いまさらそれもどうかと思ったが)判明した理由は…そうだ企画者がじつはいたんだった。TOPOSディレクターM氏、忘れてた。数年前に場とアート表現をコンセプトに始まったTOPOSプロジェクト。その中のコラボ企画の一つとしてヤツが組んでいたのだが予定していた会場がなくなっちゃって企画は自然消滅。でもせっかくだから別んとこでやる?(この段階から僕らの自主企画)ってなってミラボオ、だったわけです。
てなわけで相も変わらずすべては忘却の彼方へ。でもまあいいんです、きっかけなんてなんでもさ。相方は震災以来再びちゃんと絵を描くことと向き合えそうな気配にたどりついたみたいだし、僕も3ヶ月もかかったけど菩薩を1枚なんとか仕上げることができたわけで。そうやって歩き始めた理由は忘れちゃっても、今歩んでる事実はココにある。過去も未来も無く今がある幸せってあるよね。刹那的って大切なことですよ。
会期中会場に足を運んでいただいた皆さまありがとうございました。先週搬入時かるく放射能鬱を罹患したと持ってましたがやはり調子にのりすぎた飲み疲れによる肝機能低下と判明して(自己判断)よかったです。さてこれからどうしましょう…とりあえず描き始めた弥勒を仕上げ、薪を割り、油やプロジェクトもいよいよ暖気運転終了、沙庭も来期に向けていろいろたくわえないとだし、境内アートもいよいよ10周年に向けて募集開始。そうそう、明日と来週はVIVAテラソも続くのです、とかとかね。お〜だいじょぶか…
bodhisattva 如意 2012/photo:Torico Printmaking Studio/Naoto Kimura