Jin Nakamura log

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川の風祭り2014

行ってまいりました関西ロード。

まずは三原谷・朝のお散歩の風景から。

そろそろ地区住民人口よりも鹿やイノシシ人口の方が増えそうだとのこと…。ぼくもボーっと歩いていたら害獣駆除用の電圧線にひっかかってしまった…けどなぜか感電しなかったな、ジーンズは電流を通さないのか?

ま、いずれにしても美しい風景は3年ぶりでも変わってはいなかった。

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3 years…

2011年の三原谷で展示した弥勒菩薩のスケッチは3年を経て右図着彩本画「Bodhisattva 弥勒」(和紙、アクリルガッシュ、金銀箔/90×60cm)となった。なんとなく仏画を描こうと思って最初に浮かんだビジュアルが弥勒菩薩であった。尋常ではないキャラクター数の仏像界にあってなぜこの人であったのか理由は分からないがとにかくこの顔が浮かんだのだ。その後如意輪観音(のような人)の連作を6点ほどと弥勒の父・修梵摩、 母・梵摩跋提を背中合わせに描いた二天背合圖、迦楼羅王、お不動ちゃん…と、振り返ってみるときちんと本画にしたのはこの3年間でその程度。筆が遅いな…が、まあそれでもよく描いたほうか。

さて豊岡だが、「Bodhisattva 如意」の近作はすでに現地に発送済みだが、多少なりとも新作を…ということで今回もスケッチ風で恐縮だが四天王さんをお連れします…が、がんばったんですけどフルメンバー無理かも…。

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そうだった…告知し忘れてました。

今回で3回目の出展となります「三原谷の風まつり2014」今週末 10/25+26 会場は豊岡市竹野町三原谷の旧大森小学校。

今回の出展作家は縣考二・藤原次郎・黒田征太郎・渡部裕子…とナカムラです。展示プランとしては建築家の縣氏設計の茶室プロジェクト+書家の渡部氏による立体書とコラボしながら六本木で展示した旬の仏画をレイアウトします。あ、あと茶碗でも参加。

他にも楽しい美味しい企画が毎回満載!関西方面の方(でなくても〜)是非お出かけください!!

*写真は2011年、前回出展時の会場からの風景。不思議で素敵な場所。自分にとってモノをつくる上でもひとつの啓示を得た特別な場所かもしれない…。

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つづき…。

たとえば仏教を英語で考えるととてもつまらない。

だって「空」は「empty」なんだから。もしAll things are empty…と語ったとすればだれも「すべてのものは空(くう)である」なんて英語圏の人々は当然理解しないだろう。「みんなからっぽなんだってさ!」って笑われて終わりかもしれない。でも日本人ならたぶん笑ったりはしない。よくわからないなりに一応は想像してみる。でもやっぱりなんかモヤモヤとしたかすみのようなものしか見えてはこないけれど。

ボクの文章とナーガールジュナの残した般若心経を並べて引き合いにだすのはあまりに恐縮だが大筋こんな障がいが和文を英訳しようとすればまず立ちはだかる。

もう一つ。

ボクは文頭で「仏画は宗教に関わるもので、信仰の対象であるから表現の対象にすることをしてこなかった…」と書いている。なんとなく謙虚な気持ちを伝えようとする雰囲気で書いているが、その英訳を考えればかんがえるほど、その言い訳は全く理解されないような気がしてきた。なぜなら西洋美術の3大主題は「宗教」「生と死」「エロス」でしょ。中でも宗教美術は特に古来先人たちが熱心に取り組んできた表現なわけだし…とか考えはじめたらもうこの文章を英訳してなんかいいことあんのかい!って気分になり、結局以下ほぼ全面改訂に近い内容の文章になったのだった…。

Essentially Buddhism is a philosophy rather than a religion and this spiritual side does’t fit the original Buddhism. For example the image of salvation after death is no more than a concept with very few part of buddhist sects. Though this emphasized impression descended to the far distance Asian island of Japan from the birth place of Buddha. So we Japanese naturally join our palms together in a spiritual feeling when we face the old buddhist arts.

But it was taboo to idolize in the original Buddhism. Disciples only prayed to the dharmacakra (holy wheel) or the footprint of the Buddha after his death. So they couldn’t feel him very much. And at last, hundred years later they have created replica of the Buddha. And the longing appeared as an idol.

So looking back on beginning of Buddhism, now we are able to visualize easily a dazzling Buddhist world. If they didn’t broke a taboo and they did’t create idols, we had no way to feel him like a past saint except from the wheel and footmark. Since the “official” introduction of Buddhism to Japan in 6 century, people long ago made and kept the many Buddhist statues and pictures as an idol.

An idol is an image or other material object representing a deity in the West, but the word “an idol” in Japanese culture means especially attractive,lovely or cool person. In this way I reinterpret their work and modernize these religious idols to fit into this generation. So just as we enjoy our Japanese idol, I want my viewers to enjoy these many aspects of Buddhism in a light-hearted way.

 

Translation

仏教世界のキャラクターが描かれているわけだからジャンルを問われれば「仏画」ということになるだろうが、このカテゴライズは自分の中ではまったくしっくりこないし、どこか落ち着かない。そもそも宗教だし、信仰の対象だし…そういうモノに手を出そうと考えたことは実はつい最近までなかった。では齢半世紀を生きたところで、少々弱気になってそろそろ現世とは異なる次の世などを考え始めた末の所業かというと別にそんな理由でもない。
そもそももともとの仏教は宗教というよりは哲学に近く、そのような神秘的側面はそぐわなかったであろうし、まして死後の世界の救済的なイメージなどは数ある仏教宗派のほんの一部の概念であろが、いずれにしても仏陀生誕の地から遠く離れたこのアジアの東の果てにはそのような印象がより強調されて伝わってしまったので、何れ仏像・仏画の前に粛然と向き合う時ぼくらは自然にスピリチャルな雰囲気に寄り添い思わず合掌したりしてしまう。
しかし本来仏教は「偶像崇拝禁止」。弟子たちは教祖亡きあと、法輪や仏足石などのヒトガタでないものにわずかにその気配を感じ信仰の対象としてきたが、その数百年後ついに彼らは我慢できずに創ってしまった…そして「憧れ」は「偶像」となって立ち現れる。おかげで創始以来2500年後の僕は今、めくるめく仏教世界のビジュアルを容易に想像できるようになった。もし彼らが禁を犯して偶像を創らなかったら未だに我々はワッコやヒトの足裏の型にただただ遥かなる過去の聖者の気配を感じるしかなす術はなかったはずだ。僕は今のところ敬虔な仏教信者ではないが、この件に関してはそうならなくてほんとうによかったと思っている。
趣味的対象として10代の頃からだからずいぶん長い間親しんできた仏世界、そんなに好きなら描けばいいか…動機はそんなとこ。その背景が哲学であれ信仰であれ、中学生みたいな表現で恐縮だが、ただただ美しくカッコいいブツを描いてみたいだけなのだ。釈迦入滅数百年後の信者もおそらくそんな気分だったのでないだろうか…と想像している。

以上は9月に六本木 Shonandai MY Gallery の個展で会場に提示した書面。主要作品の制作意図に着いて書かれている。会期終了後この文章の英訳をギャラリーから依頼され、ま、なんとかなるかなーと軽く引き受けたが…なんともならんかった。たまに自分の文章を英訳してみるといい。どんなに無駄な語彙が多く、理論的に組み立てられていないかがよくわかる。詩人が書いたちょっと長めの文章だと思えばいいような気もしないではないが、やはりイメージ先行、雰囲気はあるけど結局何が言いたいのかよくわからん系に…て書いていてまたたぶんこの文、英訳不可…あるいは半分以下の文章量におさまるんだろなと思う。

で、また長くなりそうなので…つづく…。

偶像崇拝

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Shonandai Project/Shonandai MY Gallery × 南美術
ナカムラジン展「偶像崇拝」
2014,9/10(水)〜9/21(日)12:00〜19:00(最終日17:00まで
*15,16は休廊
Reception 9/10(水)17:00〜

なんかもういつにも増して準備ギリです。やっとサイトアップしてこれから東京です。よろしくお願いします!!!

10年間地元の方たちと続けてきた「境内アート」。諸事情あり昨年をもって実行委員会を卒業させていただいたが、11年目を迎える今年は境内企画作家ということで参加となった。いろいろな意味で過渡期を迎えてるだろう本企画、志をARTでと出来るかぎりのことを考え、やれる限りのことを実現してきたつもりだが都度自らの限界も感じまた、同時に毎回参加してくれた多くの作家のみなさんとの出会いにも感謝の10年間であったとも思う。

こうした多くのフェスは大概企画当初は参加人数も少なく、当然認知度も低いから集客もままならず始まるものだが、焦らず工夫を怠らず我慢をして続けて行くかぎり必ず成功の糸口は見えてくるものだと思う。事実当初わずか20組ほどの作家に声をかけ、始めた当フェスも近年では150組ほどの出展者を数えるほどに成長した。数字の上では確実に成功に近づいているとは思う。内容的にもART+CRAFT+一箱古本市+ステージパフォーマンス+骨董市などが歴史的禅寺空間と信州の遅い春を彩る桜の森で一同に開かれる2日間はなかなか見応えのある企画といえるだろう。

ただ境内アートに限ったことではないが、こうしたひとつの成功の道筋に沿って進む企画を少し俯瞰して眺めて(特に今年はいわゆる企画サイドではないので)みると案外細々と地味〜にやっていた立ち上げ当初の頃の雰囲気の中にこそ、なにか本当のエッセンスがあったような感じがしないでもない。数字や規模で計れない、もちろん郷愁とかではない忘れてはならない何か。毎回毎年楽しいのだが、そんなお祭り騒ぎの中で少しづつ遠ざかっていった何か。

それを思い出す更なる10年でも良し、行けるとこまで行ってしまえという勢いの10年でもまた良し。何れにしてもそんな混沌を許容する寺空間は今後もそこにあり続ける。失敗はしてもいいけど後悔はしない…そんでいいんじゃないのかね。

で、結局 I’m looking fowerd to KEIDAI-ART 2015 !

*写真ほんの一部だけど自分の分も含めてのせときまっす。

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Tokyo days

標高1000M在住のカラダが寒冷地仕様になってるからな…暑かった〜海抜2.2M。

もう4期もやったしそろそろ卒業かな…って思ってた劇団風の子国際児童演劇研究所の講師、今年もやれとのことで案外どこか優柔不断な部分も持ち合わせる僕は「う、うん」とくぐもった返答をしてしまい、も一回だけ関わらせていただくことになった。まあ「境内アート」といいなんでもかんでも一気に身辺整理をつけすぎるとちとヤバイかもしんないから、なんか一つくらいズルズル引きずるものもあってもいいのかもな。

というわけで29期生入所式出席のため演劇の聖地下北沢へ。

一年半の授業の内、僕が関わるのはほんの一瞬にすぎないのだが、なんかこれ毎回ものすごくエネルギー使うのだ。おそらく受け手にそういうエネルギーがあるからなんだろうな。ちょっとジジくさくなるからそういことはあまり言いたくないんだが、やはり“若い”というのは存在するだけで暴力的で変質的で素敵すぎる(うまく言えんけど)。で、またそうでなくてはいかんよね。で、で、またそうい場所だけに不思議な子たちが全国から集まるのです。“子”といっても概ね20才前後、時に3〜40代、稀に僕より年上(一度だけ)。

そんなうじゃうじゃな集団のなかで僕の役割は美術の授業。最近はとにかくマイブームにただただ付き合ってもらってる。そんときに僕がマジハマってることを一緒にやる。発信する側がまず楽しくないと受け手もきっと楽しくないだろうとの思い込み。

例えば現在のマイブームは「仏教」なので、もし明日授業があればおそらく「今日は仏像を彫ります!」てなことにもなりかねない。それもよいような気もするが…それじゃダメでしょって気もするので、まあ秋口くらいまでじっくり考えます。それはそれでやっぱ楽しいかな。せっかくなので油やに合宿制作なんてどうかしら。とにかくみなさん一年半大変なこともあるかもだけどやりきってもらいたいものです。

KEIDAI-Art 2014

境内アートは今年で11年目を迎える。この禅寺アートを立ち上げから10年間地元小布施の方たちといろいろな思いで続けてきたが、昨年その10周年を機に実行委員会を卒業させていただいた。理由はいくつかあるが当初から自分のなかでそのくらいの目安を決めていたのかもしれない。住職には「とにかく3年でやめるとかはなしにしましょう」と、まずはどんなに大変でも継続することを条件にこの企画に関わらせていただいたが、結局基本的にポジティブな小布施人のおかげで結構楽しい10年であったと思う。その間に規模もかなり大きくなり集客も増え、改めて地元に定着した感がある。ただ自分の中で当初描いたビジョンにどれだけ近づけたかと考えると、やはり自らの限界も感じないではない。

長野では工芸系のモノツクリのフェスでは成功をおさめている企画はいくつかあるのだがアート系分野に正面から取り組んだ参加募集型の企画は自分の知るかぎりではなかったので「志をartに…」と、それで境内アート。楽しく使えるクラフトもあり、なんかつかえないモノの凄みをみせるアートもあり、そんな欲張った企画であったのです。禅寺の境内というエリアにチャンプルーな混沌を表現できたらと。

ま、そんな感じでとにかく10年はやったし、あとは若いもんにまかせて…などとジジィみたいなこと言って軽井沢油や方面にひきこもろうと思ってたら、さすが小布施人、「ジンさん今年は境内企画作家でお願いしますよ」と。なるほどその手があったか…。

境内企画作家とはそもそも僕が実行委員会にはかって作ってもらった企画なのだ。毎年主催者が2組のアート系作家を招聘して境内を盛り上げてもらおうというもの。まあ招聘というと聞こえはいいが、公的な補助金などを一切得ず(小布施町の協力はあります!)みなさんの労力主体で成り立っている企画なので、作家に対してもささやかな制作補助費が支給されるのと、夜のメインイベント「禅寺大懇親会」の参加費無料!というメリットがあるくらいで、それとと引き換えに、声をかけたナラムラからは「たのむよ、ビシッと見栄えのするやつね」などと理不尽な要求を突きつけられる、あまり割に会わない「招聘」なのだ。それでも歴代の企画作家さん、やっぱモノツクリの性ってんでしょうかね、ホント頑張ってくださいまして、この場を借りて改めて感謝ですナー。

で、このたび。この自分でまいた種がまさに自分に帰ってきてしまった…というわけですよ。どうしましょ。

本堂に9人のbodhisattva、並べようと思っとりやす。

これでゆるしてもらえるかな…。

ゆるしてもらえてももらえなくても禅寺大懇親会は楽しもーっと!

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OSSAN-HARAYAMA-2

だれだソレって話しでしょうが、いいんです。いつの世もホンモノがTVなどのメジャーなメディアで羽振りをきかせてる有名人であるとはかぎらない。無名の中にこそびっくりするような能力が隠れていたりするもの。

ま、それはさておき続けます。

図らずもOSSAN-HARAYAMAの展覧会(あ、ちなみに本人は情報によると3年前にちがう世界にいっちゃってるので本展は回顧展です)ポスターに出会った僕は、これはもう来い…言われてるとしか思えなかったので、すかさず会場を確認すると「ギャラリー鬼無里」とある。県外のみなさん鬼無里(きなさ)をご存知か。小説にでも出てきそうな名前であるが、長野県北部裾花川源流、戸隠連峰の西南辺りに位置し長野市側からここを抜けると白馬方面に通づる実際にある地名。飛鳥時代に鬼無里に遷都の計画があったとされる伝承や、鬼無里盆地がかつて湖だったとする伝承、鬼女紅葉伝説などが存在し、実際に伝説にちなむ「東京(ひがしきょう)」「西京(にしきょう)」などの集落がある不思議な場所なのだ。で、会はそこで開かれているという。長野市街から1時間弱はかかろうか…が、まあいい。当日はうっすら春の雪日となったがさすがに道は凍るまいと裾花川沿いR406を長野市から彼の片鱗に会いに西へ進む。

会場は彼がアートディレクションを手がけたクライアントの一つ「いろは堂」。長野のローカルフード「おやき」の専門店に併設されたギャラリーにて。さすがに季節柄積もる気配はないが、そうは言っても断続的に雪は降りつづく山間地。予想した通り観覧者は僕一人ひとり占め。デザイン関係の制作資料は著作権の関係からかその全貌をみるには程遠い展示内容だったが、かれがまだADとして活躍する以前のおそらく30代…すなわち僕が彼の事務所に入り浸っていた頃と同世代…の仕事のいくつかが展示されていて興味深かった。

なかでも信濃三十三番札所巡りを題材にした「同行二人」…そういえばこの本の存在をもう何年も前に知って、手に入れようとしたものの既に絶版…ていうか出版社そのものが倒産していて手に入らなかったソレがそこにあった。昭和の憂鬱を引きずったようなモノトーンの挿画はある種時代的なノスタルジーの流行を垣間見せもするが、なかなかの完成度なり。共著であり文章とまた良く響きあっている。こうして実際に手に取ってみると改めて所有欲が沸きあがり、古書検索すればいいじゃん、と後日ネット検索するとすぐに見つかり、しかも長野市内の古書店に1冊発見。こうして数年前にあきらめていた本があっさり手に入った。しかも今展で初めて目にしたやはり彼の同時代の「野沢の火祭り」を題材にした木版画作品シリーズ1セット15枚を、これもダメもとで古書店のおじさんに聞いてみると「あったかも…」と奥からゴソゴソ取り出してくる…という始末。

不思議なものだ。必要なものは必要なときにちゃんと現れることになってるらしい。

ま、とはいっても今回の時空を超えた邂逅にどのような意味があるのかは未だ不明…だが少なくとも何かしらのココロのざわつきを残して春の雪は解けてゆくような…。

*掲載写真中段は原山氏制作による「同行二人」のおそらく販促用ポスター。

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