高校野球のお兄さんがいつまでたっても年上に見えていたのはさすがに遥か昔のこととなったが、ここ数日何か違和感があるなーと思っていたのは新天皇がすでに自分よりも年下であったことに気づいたせいかもしれない。生来の役割とはいえ、國の象徴として生きる唯一無二の存在たる宿命と覚悟はその人よりも年長になった自分にもまったくもって想像は難しい。
平成から令和への改元の騒がしさもそのうち冷めるだろうが、実は自分の中ではここ数年ささやかな〝天皇ブーム〟が続いている。
まさに初代元号「大化」以来白村江の戦いから壬申の乱を経て、飛鳥の地を舞台にした天智・天武・そして女帝持統…と続く古代史を彩る歴代天皇の真実の姿を追い求める歴史家や作家がことのほか多いことを知り、昨年秋にはとうとう彼の地「飛鳥」まで足を運んでしまった。
飛鳥…そして奈良は田舎である…が、ただの田舎ではない。屋根のない博物館とはよく言ったもので、まさに遺跡の街なのだ。つい数十年前までは石舞台の上で野良仕事の合間に昼寝くらい平気でしてただろう。季節外れの世界遺産法隆寺はおどろくほど閑散としてるし、たとえば止利仏師由来の我が国最古の鋳銅仏「飛鳥大仏」などはその由緒伝来と反比例するほどにフツーに扱われていてお姿写真も撮り放題。小さなお堂に参集した善男善女からアイドルのようにスマホを向けられてもなお平然と瞑想しておられる。とにかくのんびりとしたものだ。千年都であり続けた京都もいいが、やはり千年ほっとかれた奈良はまた格別な魅力がある…と予々思っている。
話はそれたがとにもかくにも元号は変わった。初めての日本古典由来ということで往時範とした大唐国の末裔中国では「いや元をたどれば…」的牽制があったと聞く。元号の出自を自らの文明由来とするも、そしてそれは正しいとしてもすでに当該国はその文化も制度も手放して久しい。文化とは不思議な縁で繋がるものだ。先の大戦での敗戦国ではそれが残ったし、一方戦勝国では共産主義が皇帝を一民間人たらしめた。もう何年も前に、背番号を与えられた愛新覚羅溥儀の古びた映像を観た時、そのことの正否の事情は想像できなかったがイデオロギーの残酷さのようなものだけは理解できた。
日本のエンペラーはよく歌を詠む。心浮き立つときも、また不幸な歴史や受け入れがたい現実に直面しても歌を詠んでその地に残す…ことをしているらしい。「言祝ぎ」…言(こと)によって祝ぐ(ほぐ)。 言葉には呪力があって、将来の幸福を口にすれば いつか実現するという。なんの権力(チカラ)も持たないひとが何の確証もない方法で、この國のどこかでぼくらの幸せを祈っている不思議の國ニッポン。
*写真解説(いづれも奈良県明日香村にて)/左上:石舞台古墳でボランティアで解説してくれるおばちゃんの持っていた明治〜大正期の石舞台の古写真/右上:鞍作鳥(止利仏師)作の本尊像「釈迦如来像(飛鳥大仏)」/下:聖徳太子誕生の地とされる橘寺より蘇我氏居住跡甘樫丘方面を望む明日香村風景