Jin Nakamura log

Our religion

宗教について考えていたらコンビニで雑誌/一個人「日本の新宗教入門」をみつけた。70年代のオカルトブームが去り、そのあげくのオウム事件以来さらに新興宗教アレルギーが続くご時世でこの企画は受け入れられるのかいな…と思いつつ、個人的にはちょっとタイムリーだったのでパラ見。思えば今に続く伝統宗教もそのほとんどは、日本的霊性が高まった鎌倉期に興った新興宗教だったわけだ。平安末期ほどではないにしろ2年前の大震災直後より多くの日本人は心に傷を負い(あるいは共有し)、そこからなんとか立ち上がらんと生き抜くための支えを求めんとするならば宗教というものの本来の役割を果たすまさにその機会であったかもしれない。そういう意味で800年ほどの時を越えて僕らは同時代を生きているかのような錯覚さえも覚える。
さて、件の「新宗教」であるが自分が教祖になる(冗談ですよ)のならまだしも、そもそも特定の集団に帰属することをできることなら避けたい僕はおそらく今も今後も組織的宗教に入信ということはまずあり得ないと思うが、こういった文章をまとめているように神とは何か、仏性はあるか…などと個人の感性としては考えなくもない…ていうか考える。とにかくコトが事だけに如何にカリスマな方とても、言われたら「ハイそうですか。」とはすぐには納得するわけにはいかないのである…鵜呑みにはしないが、無視もしないという一応リベラルな対応を心がける。「一人宗教」というわけだ。余談だが画家とはそういもんだよと師には言われている。つまるところ個人の「魂の枯渇」は重要なのだ。
以下引用するー「そもそも自分が表明しようとしている活動が宗教であると自覚するかしないかは、ほんの紙一重の問題にあることが多い。なぜなら、宗教は本来コミュニケーションの問題に属する活動で、自分が気がついた問題が哲学であるとおもうか、仕事の充実に帰属するとおもうのか、あるいはパートナーとの出会いを求めることとおもうかは、一にコミュニケーターとしての自分の些細なかかわりの変化によっている…」(松岡正剛)。たとえば企業組織と新宗教組織とはどこがちうか考えてみればよい。最終目標として経済的利益を求めるか癒しのシステムの実現を求めるかの違い。そしてその実現の方法は極めて似ているし、もしかしたら結果もそう大きな違いはないのかもしれない。「経済」の話をソコに持ち込むのはそう悪い事でもないと思っている。例えばアートや政治においてもそうだが、この手のテーマにマネージメントの話を公にする事にそもそもアレルギーを持ち過ぎなのだ。しかしその上で宗教が信仰そのものであり続ける事は至難の業であろうな。だからこそ宗教がその哲学を律して今日も明日も元気であろうとしてほしいのだ。当然伝統宗教もまた、というかそれ以上にその問題に大きく直面していることを自覚すべきだろうと思う。僕は人としてはオモシロイお坊さんの幾人かは知っているが未だ宗教者として尊敬できるお坊さんには出会っていない。もちろんそれはこちらに今だ出会う準備が整わぬが故かもだが。いつか門前のアート小僧の戯言にいくばくかの指針を示してくれる仏教者に真に出会いたいものだ。

memo

油や社員食堂(実際にはありません)での会話から…。
例えば小学校でもっと教えてほしいこと。「経済」「法律」「宗教」
いろんなことに妙なアレルギー持たないで
ポジティブに、生き抜くために。
本来はそれぞれそう言うものなんだ。

debut song

以前にもあったがしばらくblog放っとくと(FBはちょくちょくupしてたんだけど)本人死亡説とまではいかないまでも入院説とか一部からもれ聞こえてきたりするんだ。確かにこの夏は過酷ではあったかもしれない…が、しかし、我が住まうところは山麓ですよ。標高1000M近い避暑地ですよ。真夏にココより快適な場所などおそらく北海道あたりを除いてはまずないでしょう。そんなところで体調を崩す理由はとりあえずなく、あるとすれば夏のバカンスとか称してのこのこ下界の観光地などに遠出しては、慣れない暑さにやられ疲れ果てて帰ってくる…てなパターンのみ。というわけで夏場はなるべく所定の標高を維持し、移動も高低差100M程度と決めております、のでまあまあ元気にくらしているというわけです。以上近況報告まで。

さてThe Bon festivalを期にちょっと宗教について考えてみる、2回目。
我が島国は地球規模でみてもとても自然が豊かな国だからそういったモノからスピリチャルな影響を多分に受ける感性が古来から強い。宗教もいつしかそういった土壌のうえに多くのファンタジーを視覚可したきたように思われる。結果、いつしか日本人は浄土や地獄をリアルに思い描きそして気にするようになった。ではなんでそうした現世という生きてる「今」ではない世界=死後の世界を気にし出し、またそれが仏教的イメージとして一元化されるようになったかというとやはり浄土教系の影響が非常に大きいのだろうな(逆にいうと他の宗派には本来そうしたイメージからは遠いところにあったはずだが…実際には江戸期の檀家政策以後現在に至るまでにやはりその一元化が進み過ぎた観がある)。
平安末期、時は末法の世。混乱した社会のなかで人々は貧困・飢餓・疫病などの尋常ではない苦悩にみまわれていたころ、その時代に育った法然を祖師とする系譜からスパースター親鸞がいずれ浄土真宗を興し、末法濁世の衆生は阿弥陀仏の本願力によってのみ救済されるとし、易行念仏による救済を広めた。阿弥陀仏は西方浄土(人にとっては現世ではない死後の世界)にいる如来格の仏である。この宗派の大きな特徴はネガティヴな表現をすればスタートラインとして、生き抜くにあまりに過酷すぎる今をあきらめるというポイントにある。現世をあきらめて来世(死後の世界)で浄土に導かれ阿弥陀仏に救われよう…という解釈だ。そしてそこへの到達方法として念仏(ナムアミダブツ)という7語称名を唱えるだけという画期的なメソッドを打ち立てた。国家宗教から個人の救いへ。難解から平易へ。民衆の賛同を得られぬわけがない。一切の哲学が排除され、死と引換えではあるものの、まさにある意味命がけの救済という利益がしぼられて非常にわかり易い。
改めて本来の仏教について思いをめぐらせば功罪はあると思う。が、それはともかく必要な時代であったのだろうな。現代、如何に生きにくい世の中といっても「♪僕は食うことに困ったことなどない…し、マシンガンを打ったことなどない…」(by 斎藤和義/僕の見たビートルズはTVの中)だもの。

で、まだつづく…

The Bon festival

祖霊が帰る夏は終わった。正確な起源はあいまいながらも、一応盂蘭盆会に由来するとされるこのちょっとファンタジーな仏教的行事は今や大切な日本の風物詩となっているものの、それはなんとなくサンタクロースの実在を信じ、クリスマスケーキを楽しみとする習慣とさほどかわらぬ宗教観の希薄さを感じないでもない。図らずも今生の別れをとげてしまった愛する人らとの再会がかなうのらばそりゃあうれしい…うれしいが、そういうことだったのか「仏教」とも思う。

いかにも「仏教」と「死」のイメージは近い。刑事ドラマでは殺害された遺体のことを「ホトケさん」なんて言うし、「戒名」だって死んだ人がもらう名前だと普通はそう思うが、そもそもそんなもんお金で買うもんでもないっしょ。お経だって例えば有名な般若心経などあの276文字の中に死者を成仏させるような呪文は一切入ってない。宇宙的で魅力的な哲学書のはずなのにフツーにお葬式で読まれたりしているのは何故だ? お弔いの気持ちを揶揄しているのではない。そうした気持ちに寄りかかる奇妙な宗教観について考えているわけさ。…to be continued

あ、そういうわけで一ヶ月近く放っといたblog再開します。

智慧

知識のみをつかもうとしても結局必ず精神の学びに気づく…ということに気づき始めた、最近。

ただし動機は不純で良いだろう。その方が長続きする気がする、経験上。

まずはきっかけだからさ、そういう仕組みになっているようだ。

丸いズッキーニ

隣町に住む友人の女性アーティスト談。「地元のスーパーの見切り品コーナーにちょいちょい黄色の丸いズッキーニが並ぶの、長野の人って保守的ネー」

最近はそれほど珍しくもなくなったあのスカスカのキュウリみたいなズッキーニ、やっと見慣れた瓜科の野菜との見分けもつき、料理法もいくつか覚えたかと思ったら今度はアレが黄色でしかも丸くなってしまったというわけで、奥樣方もなかなか手が出ず売れ残り状態が続いている…ということらしい。要するに“見たこともないモノに弱い”という意味で保守的なんだそうだ。二人ともなまじアートとやらにかかわる作家なもんだから僕もついつい「ボクらはさ見たこともないもの作んなきゃいけないもんね、やっぱアーティストは丸いズッキーニだよねぇ…」みたいな飛躍した相づちなどを調子よく打ちながら、未知なるまんまる野菜を想像してみたが結局よくわかんなっかた。今度スーパーで確かめてみたい。そして見切り品売り場にでていたら安く買ってこようと思う。

ちなみに彼女は「ラファエロ展」にてイタリア原種のズッキーニの種を購入してきたとか(そんなもんがミュージアムショップで売られてるんだ)。実がなって若いうちはズッキーニとして食べられ更に熟すとカボチャになる…みたいなこと言ってた。ある意味ハイブリッドな野菜ではないか。ま、もともとカボチャ属らしいのであたりまえっちゃあたりまえのことかもだが、かといって本来のカボチャを若いうちに穫ってもズッキーニの味はしなそうなのでちょっと不公平かもとカボチャの肩をもつ…。

2013.7/1

気がつけば2013年も半年終了。油やプロジェクトもGWに今年度のOpenを迎えてから2ヶ月が過ぎ、僕がテナントで運営しているArt Project沙庭も今日で2企画が終了したことになる。この間一時はなし崩し的にログインできなくなってやめてたFBも諸兄のプレッシャーに負けて再開し、同時期に「沙庭」のサイトも開設の運びとなり、この自身のサイト[ride on graph]も入れると自分が管理発信するメディアを同時に3つ所有するハメになってしまったことになる。

というわけで、もともと言葉を紡ぐことが嫌いではないだけにそれぞれに向けて本気モードでキーボードを叩いていたら時間がいくらあっても足りない…と言う事態に陥っている。[FB/Jin NAkamura]と[ride on graph]は当然内容が重複する性格を持っているため、自然お手軽なFB更新の機会が増え、長く続けてきた当ブログの更新頻度が下がる…というのは自然の流れだろう。ただ滞っているのはそういう理由だけでもなさそうだ。突き詰めれば単に“忙しい”という一言で括ってしまえそうだが、それを言っては身もふたもない。根源的理由はどうあれとりあえず部屋が汚れている。これはよくない。多少乱雑でも今まではどこに何があるか概ねわかっていたものだが、今はいったん所在不明になったブツはかなりの超現実的な能力を駆使しないと再び出会うこと能わず。要するに知的整理が出来ていないのだ。バカになりつつああるということか…ま、それも悪くないかもだが、もう少しバランスはとりたいところ。

モノであふれるのはいいが創造的環境を逸脱するのはまずい。“混沌”にアソブの大好きだけど、カオスの真っただ中に秩序を見い出す冷静さと清らかさは併せ持ちたい。贅沢なのだ、そして欲張り…向上心があると言っとくれ。

そいうわけで仕事場の整理を始めた。もちろん完璧にはしないが。“よごし”は大事でしょ。

縄文

タイムマシンがあったら確実に過去に遡ってゆきたい。未来に興味がないわけではないがなぜだろう、自分の来し方への興味からかな。ポイントはいくつかあるが近い方から「江戸期」「平安末期〜鎌倉」「白鳳〜天平期」あたり。江戸期はやはり絢爛奇想たる絵師たちの技に触れたい想いがあるが、古い方はやはり日本バージョーンBuddhismの変遷とルーツを探りたい。加えて最近さらに遡り「縄文」のkey wordが浮上する。前々から原生林の列島を見てみたいとは思っていたが、この件が実現しそうである…といってももちろん実際に行くわけではないけれど。

2014年3月「縄文」をテーマにした展覧会の企画が正式に決まった。なんかすごいワクワクする。当時の日本(まだそういう名称ではなかったが)世界的な土器レース(そんな競技もなかったが)の先端を走っており、その間約1万年以上にわたりほとんど狩猟・採集による生活が維持されるという世界的にも類を見ない平和な時代が続いた。それだけこの列島が豊かであったということだ。

写真は僕の住まう御代田町面替という地籍の縄文遺跡発掘現場の風景。清流「湯川」沿いの高台に位置し西に八ヶ岳から北アルプス、北に浅間山という配置だ。現場識者の説明によると縄文人はロケーションのよいところに集落をつくる傾向があるという。湯川は現在この地点からは渓谷のように深いところにあるが1万年前は今よりも30M以上高いところを流れており、ちょいと下りれば新鮮なイワナなどgetできたことだろう(ちなみに昨夏僕はこの川でボウズであったが)。たしかに他にも長野県内たとえば縄文のビーナスなどで知られる「尖石遺跡」は八ヶ岳西側山麓地帯の大扇状地状にある高原に位置し遠く名勝諏訪湖を臨めるといったレイアウトである。想像するだけでも美しい風景ではないか。

やはりヒトは気持ちのイイとこで暮らさなきゃなんだな…。そしたら、かの「火焔土器」やら「遮光器土偶」やら、えも言われぬ想像力を自然のなかからフツーに得られるのかもね。どんなものができるかな、今から楽しみです。やっぱ自然のチカラをちょっと借りなきゃだなー。

ちなみにこの遺跡のすぐ脇に「大星神社」というすてきな名前のお社がある。地域の産土神社であると思われるがいったいどんな神さまをおまつりしてるのだろう…。

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Red rotation

10年以上そのままにしてたMTBのタイヤを替えてみた…しかも赤いの。とにかくモノゴコロついたときから赤あるいは朱は特別好き。かといって赤いシャツに赤いパンツ…なんて恥ずかしい嗜好は持ってない。幼少の頃、最初に手にした水彩絵の具で描いたモチーフは朱に塗られていた、たしか工場の大きな機械。その次に好きな色は青。キリスト教圏の宗教画では赤を天の聖愛、青を天の真実を象徴するという説もあり国旗もこの色の組合せが多いが、仏教Love!な僕は特にそうした理由とは無関係にこれらの色が好き。

それはさておき。自慢ではないが(ちょっとは自慢だが)僕は自転車を自分で組み立てることができる。10代のころはお金がなかったので捨てられてある自転車を拾ってきて分解しパーツを組み直して塗装などをして乗っていた。なのでパンク修理なんかもフツーにできる。ムスコちゃんなどが通学用の自転車がパンクしたりするとよく直してあげていたし、ついでに都度彼らにももれなく修理方法を伝授した。「女の子がさ、パンクしてこまってるときちょいちょいっと直してあげられらたら好感度アップだぜ〜」とかいいながら。なんか時代劇で鼻緒が切れてこまってるおネェさんの下駄を、自分の手拭を裂いてさらっと直してあげちゃうあのシーンのイメージである。なので我が家の素直な小僧たちもみなパンク修理ができる…が、最近、成人したヤツらに言われた、「そんなシチュエーションねぇし」

だよね〜。

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