再び
- By jin
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- On 19 6月 | '2012
自分自身をなんとかダマして元気なフリをしているつもりでも実はわかる人にはわかるようで、「アヴァンギャルドクロッキー展」搬入作業中「あなたは今日は早く帰って寝なさい」と同展出展者で日本画家の生井巌氏(虚無僧になりたい人です)より何げなく諭される。なにか後ろめたく隠してるものを見透かされた感じでドキっとした。忙しい生活などけして美徳ではないことはわかってるのだが…。とはいえ実はその日、当の本人生井氏の齢70才の誕生日ということで結局彼の言うことを聞かずまた飲み明かしてしまうことになるのだが。そんな彼が翌日の忘年会の日(性懲りもなくまた呑む)おもむろにカバンから取り出して僕に託したのは「仏眼仏母」他4体の写仏画であった。どういうつもりでその精緻に描かれた仏画を僕に渡すことにしたのかは結局聞かず、なにより尊敬する作家の真筆であるし、しかも仏画であるし、ただただ嬉しくてありがたくいただいた次第。後で考えるに、あまりにも疲れて可愛そうな僕にきっと元気を出しなさい…と励ましてくれたのだと思っている。事実その日も結構深酒をしたのにも関わらず翌日なんとか元気をとりもどし、件の横尾氏の公開制作に府中まで出かける気力が湧いてきたのだ。仏像も仏画も何かを信じたい人間の脳が生み出してしまった“シルシ”にすぎないと見る向きもあるだろうが、そういものが人の身体とココロを奮い立たせることもまたある。写仏画には仏の名称や(おそらく)梵字の発音表記、出展原本の情報なども丁寧に記録されてる。その中の2体に「仏母」という文字が表記されていて興味深い。初めて目にする言葉だが以前、胎蔵界・金剛界の両界曼荼羅を母子(子は男の子だったか…)の関係で宇宙全体を思考しようとする解説を読んだことがありそんなことをちょっと思い出した。
下地+下絵がやっとできた。ここまではまずまずなんだが問題はこれからだな…。生来のイイ加減さを悔い改める時がきたということになるか、はたまた結局「こんなんでイイんじゃね…」ってなっちゃうか、やってみなくちゃわからない。いずれにしてもあまり萎縮せず描いてみたいけど。さて、来年出展が決まっている「アートフェア東京」(2011,3/29:内覧会、30〜4/1:一般公開)事務局よりの関係書類一式がギャラリーから届く。本来の制作とは別にこの年末年始あたりにクリアしなければならない諸々の事務的処理も同時進行で続きそうだ。今日は1日中霧の底のような天候で朝からまったく気温が上がらなかった。霧の風景もたまには幻想的でいいけど、さすがに終日だと少々気も滅入る。でもがんばってダルマさんみたに着膨れしてお散歩はしたけど。
[bodhisattva-如意]のパネル下地+背景色のシルクスクリーン工程に立ち会う(制作:モアブ・エディション)。背景に関しては筆あとのない均質な面をつくりたくて今回の依頼となった。6回ほど塗り重ねてもらってるが、パネルの木質感が思ったより白地の裏側に感じ取られ想像したような無機質感には至らなかったが、それはそれで面白みはあるので良しとする。無機質感への挑戦は次回への持ち越し課題となる。何事もアタマで考えてるようには進まないものだ。
現在兜卒天で修行中といわれる梵名マイトレーヤと言われる菩薩を描いてみた。なぜふいにこの菩薩を描こうかと思ったのか定かでないが、たまたま今日本棚に積まれている1960年代に発表された光瀬龍のSF小説『百億の昼と千億の夜』を萩尾望都が漫画化した1冊を見つけパラ読みしていると、出家したシッタータ(釈迦)が阿修羅王(なぜか少女である)と会うことを決意し、その後「弥勒」による“救い”の真相を確かめるため連れ立ってTOVATSU-Cityの地下へ…というシーンが。結局「弥勒」が何者かというこについては兵庫から戻ってからちゃんと再読してみたい。
というわけで明日から兵庫・豊岡です。なんとなく描いてしまった[bodhisattva-弥勒]は会場の大森小学校に新幹線に乗っていっしょに来ていただきます。来年早々の2人展ではもう少し存在している世界観を明確にして着彩して仕上げたいと思ってます。