Jin Nakamura log

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AKIRA

このコミックを最初にみたのはいつだったろうか。たぶん当時としては珍しい週刊誌サイズの版型で単行本化されてすぐくらいだったと思うのでもうメチャクチャむか〜しのことですよ。TSUTAYAの古書コーナーでずうっと前から並んでて気にはなってたんだが、誰も買わないみたいなんで、しゃーないなーってんでついまとめて…。

たぶん都内で個展かなんかのとき泊めてもらってた従兄弟んちの書架に並んでたのを毎晩読んでたような。彼のアパートは晴海埠頭近くの新興団地にあり、まだ建設されて間もないその広大な埋め立て地は街としての機能がほとんど整備されてなく、夜ともなれば本当にここに人が住んでいるのだろうかと思うほど、整然と立ち並ぶコンクリートの巨塊のみの異様さだけが目立ってずいぶんと不気味な印象だった記憶がある。

銀座からバスでものの10分ちょっと。隅田川を渡ってさほどその先があるわけでもないのだが…。その人の匂いのしない“街”のようなモノはちょうどコミックの舞台となっている「ネオ東京」の旧市街を連想させ、窓から見える暗闇(実際にはその先には東京湾が広がっていたわけなのだが)のすぐ先には爆心地のクレーターがぱっくりと口を開けているような妙なリアリティーがその場所にはあって不思議な気持ちで読み進めていた記憶がある。

ああいったストーリーは田舎でボ〜っとソラ見て過ごしてる人間にはとても描けないとは思うのだけれど、この物語りの同時代、地方都市の人々はどんな暮らしをしてたんだろうと読みながらふと、確か晴海で読んだ時もそんなこと考えたような…。この手…最終兵器使用後あるいは第三次世界大戦後…のモノガタリの開始設定のSFは多々あるが、そして舞台は必ず都市型廃墟であるが、それはソレ…あくまでも関東平野の海のそば限定で起きたことで、田舎にはフツーに暮らしがあったんじゃないかと…。春になれば山笑い、夏・秋と豊かな自然を謳歌し冬がくれば山眠る。お祭り騒ぎのような街にキノコ雲があがっても村々にある鎮守の森はなくなったりはしない。そんなモノガタリのような脆弱さは本来は田舎にはないのだ!…などとみもふたもないことを思いつつもまとめて購入した4冊読み終えてみたらコレ6巻まであんのね、てんでさっそく残りの2冊を求めAmazonさんへ…。

そいや先日から始まってます「猫のマッチラベル展」参加中。友人の燐票家・加藤豊氏の貴重なコレクションも同時展示。【ギャラリー猫町・東京谷中】2013年1月10日(木)〜1月20日(日)

僕はマッチラベルデザインは大好きなんだが、マッチそのものは実はあまり好きじゃない。あのイオウの匂いが苦手なのだ。マッチを擦りおわったあとのイオウの匂いが好き…という人もいますね、人それぞれです(温泉はゆるせるんだけどね〜)。多分化学薬品系の匂いは総じてニガテなんだと思う。最近気がついてきたんだが、視覚的なことよりも嗅覚の方が敏感かもしれない。具体的なモノの匂いというよりも雰囲気とかの匂いかな…イイ感じとか、なんかちょっとヘンとか急に感じることあり。ただ空気の匂いは感じても場の雰囲気は読まないことにしているけれど。

夢日記

僕は黒猫であった…そしてなんか「解放しろー!」というような感じのことを叫んでいる。僕はパツキンの髪の毛デコ盛りの貴婦人であった。一晩にまったく違うモノになった。臨死体験から現世に生き返った人が、覚醒した自分の傍らに咲くチューリップを見て「あれは自分だ…」と言ったって。「私」と「世界」は同等…あるいは一緒ってこと。同義ではないがそれって「色即是空/空即是色」のニュアンスに近いな。徹底した言い方をすれば例えば前者は小丸(最近ウチにきたネコ)ちゃんと僕はいっしょ。後者は両性具有?(飛躍し過ぎか)。芸術家は両性具有でなければならぬ…と言い切る作家もそういえばいたっけ。ま、今回の場合自分の下半身を確認したわけではないのでもしかしたら単なる女装だった可能性もアリだが。

以前にも印象深かったのはたま〜に書いたが「夢日記」ちょっと積極的に記録しとこうかな。それにしても夢ってなんあであんなに急速に忘れていくんだろ。あり得ないような体験してるはずなのに…。

写真は早朝の現実世界。

小丸

こまさんとよばれています。目の上の白いとこがなんかシベリアンハスキーっぽい。けっこう美人よ。

でもおてんばすぎなの、おこまさん…。

山塊

野辺山高原より八ヶ岳をのぞむ。稜線の向こう側には諏訪湖が見える…はず。我が家から車で2時間弱の距離であるが、この辺りまで来るとすでに南に霊峰富士がはっきりと見え、北に振り返れば、いつも威圧感をもって孤高にそびえて見える浅間も、頂を白く染めてどこか柔らかなオッパイみたいにはるか彼方にぽつねんと…ある。

天気がよければ東側には3000M級のアルプスの連山が確認できるわけで、まったく自分の住まうところはあらためて高地であるな。ひらけているのは南東のみ、関東平野に続いている。それだって奇岩奇峰の妙技山系をかいくぐって。

僕はこの八ヶ岳の風景が好きだ。できればこのあたりに住んでみたいとさえ思っているが(ホントは北アルプスの麓が第一希望)たしか高原の標高は1300Mを超えているはず。今のところが900Mくらいだから+400…空気薄いだろな、寒いだろな…。ちなみに「八ヶ岳」はいくつかの峰をもつ山塊の名称であり、その名を持つ単体の山は存在しない。

空気が薄く澄んでいるからと思うがここには世界最大・直径45Mの電波望遠鏡を有する国立天文台があるのだ。近くで見るとこれもかなりの威圧感。名前の通り肉眼ではなく電波をとらえて観測するわけだから、なんか感じる世界っていうかさ、科学なんだろうけどカカグを超えちゃってるような。ここに来るといつも「ムーミン谷の彗星」をなんとなく連想しちゃいます。あの威容を誇るパラボラの下で浮世離れした変質的な科学者たちが日々星の動きを意味もなく記録していく…みたいなイメージ(イメージです…あくまでも)ね。

あ、なんでこんなとこまででかけたかというと県境を超えて山梨側すぐあたりにある安達原玄・仏画美術館、どんなとこかと思い行ってきたのです。安達原先生は84才のおばあちゃんでした。巨大曼荼羅は17年かけて制作したとのこと。

4日目。

collage de sun-ga-nichi…三賀日が過ぎたというのにまだやっているわけです。昨年末のグループ展以来始めてしまったコラージュシリーズ。どうせ手すさびの戯れ言。あたりまえだが誰に請われたわけでもなく、だからナニ…というほどのモノなれば、そんな行為自体に特段の意味も求めず、ただただそれが日常にならぬかととりあえずA4サイズパネル100点をめざして。今年中にできるだろうか…3日に一作は案外ハードル高いかな…。ま、やってみますかね。ちなみにこの4日間、帰省中のHARUクンがつきあってくれて夜な夜な。ふたりして「なんでこんなことやってんだろねぇ…」「でもなんかたのしいねぇ…」

こんな感じで今年もいろいろ生み出してゆくんでしょうな。