review
- By jin
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- On 23 2月 | '2012
今朝の仕事場の室温は−2℃…それがそのまま本日屋外の最高気温となった。ホントはやく暖かくなってほしいものだ。最近の本:「両性具有の美」/白州正子、「親鸞(上・下)」/五木寛之、「中陰の花」・「アミターバ 無量光明」/玄侑宗久。最近のiTunes stor download:「リンダリンダ」/夏木マリ、「あの鐘を鳴らすのはあなた」「タイガー&ドラゴン」クレイジーケンバンド…それ以外にも他人に言えないヒミツの曲もダウンロードしたりしてる。それはそうと、ふと振り返ると意識したわけではないが、この1〜2年お坊さんの本、結構読んでる。別になにかのっぴきならないオモタイ理由があったわけではない。そういえば仏画(のようなモノ)を描き始めたことについても、何か大変なことがあったのでは…と訝るムキもあったが、これも別にそういうことではない。描こうと思った“きっかけ”に出合えたことはそれ自体個人的には大変なコトだったのだとは思うが、それもたぶん昨日までぜんぜん乗れなかった自転車にある日突然ふとした拍子に乗れてしまった…というような感覚にすぎないので心配には及ばない。
さてお坊さんの本だが、空海に始まり西行、日蓮ときて最近のブームに乗っかって親鸞…という流れ。次はシブいところで一遍上人(信州に縁があった人らしく、昨年映画製作のため善光寺にて主演のウド鈴木氏らのロケがあった)あたりをと思っている。当然それらは膨大な歴史的資料を元に作者の感性を織り交ぜて構築されたエピソードであるから話半分にと思って読み始めるのだが、それにしても興味深いのは、いずれもまだ何も成し遂げられずにいる彼らの生々しい未熟さが描かれていく場面。かの歴史的な賢者たちもみんな若き日に悩みと不安の渦中にもがいていたというあたりまえの事実に触れる時、宗派・宗旨を超えて何かしら感じるものはあるものだね。いずれにしても当時ほとんどが新興宗教だったはずの鎌倉仏教は興味深い。
余談だが、「親鸞」は越後流浪以後の話が続編「親鸞・激動編」として刊行されているので図書館でリクエスト。“鸞”の字が書けず、カードに「親らん・激動編」と子どもみたいに書き「スミマセン…漢字書けなくて…」とちょっと恥ずかしげに図書館のおネエさんに提出しのだが、きわめて事務的に受け取って処理。このおネエさんは以前「鴨川モルホーありますか?」とリクエストしたときも「ホルモーですね…」とはやり事務的に顔色ひとつ変えずに訂正して対応してくれたものだ。
「阿弥陀仏」を礼拝するお寺が1つの舞台になっているので、著者の「僧侶」という経歴は宗派としては真宗系なのかなと推測されるが、登場人物の浄鑑という住職(著者自身なのかもだが)はかなりクールな宗教観を保つタイプ…言い方を変えれば日本的仏教というよりはインドで産声を上げた原始仏教に近い感覚を持つ宗教家として描こうとしているようだ。ホラーサスペンスという設定上、起こりうる超常現象をいちいち釈迦の「無記」の思想(死後の世界があるかとか、魂はあるのか…ということにつて何も語らなかった…というようなことですね)に時にストイックなほどに寄り添い、でも真摯に対処しようとする姿勢を貫く。しかも自分の納めてきた宗派…おおざっぱに言うと「顕教」の理念に添って。中坊のころからの密教好きにとっては、そのあたりは実はとても新鮮であった。魔を折伏させるために護摩を焚き、印を結び、真言を唱える…というような密教的な所作はいかにもサイエンスフィクションでカッコいいので多くの作家がそうしたエッセンスをわりと安易に筋書きに取り込む例は多いが、そういう意味では比較的地味な「顕教」をベースにしてるところが、その日常というか生活感かえってリアルな怖さを醸しているような。「密教」はSF、「顕教」はホラー…とういうところか。以上ずいぶんマニアックなところにひっかかった読書感想文でした。しかしこれではまったく内容がわからないので詳細は書評を→「アミダサマ」沼田まほかる・著(新潮社)
*先日、本焼きした酒器(ぐい呑み)の上絵付け作業がやっとおわり夕方から上絵焼成(800℃弱)に入る。明日未明には予定温度に達する。15日くらいには展覧会場に発送できるか。
Eテレテキスト「仏像拝観手引き」…東京藝大の文化財保存学(同大学院保存修復彫刻研究室)の一木造り・寄せ木造り・脱活乾漆像の模刻制作過程が写真解説されてるの発見、即買。国立のしかも一応我が国芸術教育の最高学府の研究機関なのだからあたりまえのことかもだが、その恵まれすぎた研究・制作環境は羨ましい限り。国宝級の仏にさわったりできる特権とか与えられてるのだろうか…いいな。さて師をもたぬアウトローな造り手としては定朝以来の正当系譜をめざすか、下野遊行の円空・木喰的スタイルを探るか…ま、たぶんそのどちらでもないんだろうが最終的にはなんとか仏師としての仕事を残したいところ。
「アミダサマ」沼田まほかる・著…初めて読む作家。タイトルにチトひっかかったてのもある。著者の主婦・僧侶を経てってplofileにも興味有り。一応カテゴリーはホラー・サスペンスということらしい。
明日から先日本焼き焼成した酒器の上絵付け作業に入る。
「第8回 クロッキー展」参加・ギャラリー 悠玄(東京・銀座)12/5(月)~ 12/10(土)11:00~19:00(最終日17:00まで)◎「クリスマスポケットアート展」参加・えすぱすミラボオ(東京・神楽坂)12月7日(水)~12月17日(土)◎「ART POTLUCK 2011/クリスマスギフト展」参加・元麻布ギャラリー佐久平(長野・佐久)12/8(木)~ 12/23(金)11:00~19:00(最終日・クロージングパーティー17:00〜)◎「アヴァンギャルドクロッキー展」参加・えすぱすミラボオ(東京・神楽坂)12月20日(火)~12月26日(月)…ってダイジョブか?…
せっかくだから記録を更新しておこう。1ヶ月のblog投稿20回目…パチパチパチ…。といっても特にネタはないので、最近読み続けている「脳と魂」対談/養老孟司+玄侑宗久より“いただきのお言葉”
「共時性(シンクロニシティ)はセンスだ!」…たしかに求めていると、その人とばったり会ったり(いろんな出会いも含めて)ってそういうことかもと思えなくもないフシあり。
「希望を持って保留にする」…これはわかるなぁ。すでになんとなくやってるかも。ママならないこと多いからサ、ついイライラして結論出したがるんだけど、ちょっとほっとくのね。でもあきらめてはいないの…。
養老先生は科学者だし、玄侑師もふつうのお坊さん(神仏ではないってこと)だがこちらも尋常じゃない哲仁。なので二人の話が佳境に入ってくると僕のような凡夫は彼らのボキャブラリーについていけない(だからこの本も異常に注釈多し)。また玄侑氏も養老先生に張り合っちゃうからサ、7〜8割り意味がわからなくなっちゃうのね。でも残りの部分に妙にココロにひっかかる言葉があり、それをみつけられるとうれしいのです。…そうだ、“凡夫クン”、ボンプくん、ボんちゃんってキャラ作っちゃおうかな…やっぱりほっぺに渦巻きかな。
さて今日は“初冬の句会”の投句締め切り日。ギリギリですがこのあとメールにて主宰に送ります。また後日ご披露をば。
そんなことしてるヒマあったら仕事しろよ(もちろん仕事もしてるんだが…)って話だが、気持ちが連続的にハイになってるせいか、ついついblogなどに入れ込んで11月も19回目の投稿となり過去タイ記録。忙しい時ほどなんか本筋とはちがったことしちゃうってあるね。いきなり大掃除始めたりさ…(実はそれもやったが)。ま、それはそうとこうして多忙を極めてる理由が生業の仕事であれ、まったくの趣味的な事柄であれ、それらは全て自分の意識(あるいは無意識)の中から発生したものであることに間違いはなく、であればなおさらそれらを「忙しい」の一言で秩序を失った“混乱”の内に押しとどめること忍びなく、なんとかせめて“混沌(カオス*英語圏でのchaosは「ハチャメチャな」っていうネガティヴな語感がともない、一方仏教的には「空」に等しいらしい)”へとたどりつきつたいところ。そのためにたぶん言葉にして整理して記録してblog書いたり、俳句などしてるわけですね…きっと。そういう意味では掃除も混乱の中から秩序を取り戻すためには有効ということでしょう。というわけで陶磁器用の仕事場をなんとなく大掃除して、本日から日本橋三越恒例「酒器展」(12/21〜27)参加のための絵付け作業に入る。また来年1月の二人展(ナカムラジン+神林學/祈りのカタチ-spiritual form/仮題/ギャラリーオカベ)に出展予定の[bodhisattva-如意]のパネル下地+背景色をシルクスクリーンで仕上げることにしモアブ・エディションに発注。なお、同展オープニングでは篠笛奏者ことさんの演奏を予定しています。こちらも是非お楽しみに。
さて最近のbooksから…「見仏記5/ゴールデンガイド篇」(いとう せいこう・みうら じゅん)、「見仏記/ぶらり旅篇 」(いとう せいこう・みうら じゅん)、「まほらば」 (ガンガンWINGコミックス全12巻)…など。ちなみに「まほらば」はパン職人の長男くん蔵書。なんかゆる〜ぃ感じがよいのです。作者の小島あきら氏の他作品「わ!」もヤツのアパートで読破した。だがOTAKU-BOYクンの数あるコミック蔵書のなかで読めるのはこの2種のみ。
「ゆきむしが飛ぶさびしい季節だね…」大学時代農学部の友人のつくった一編の詩の書き出し。今どき“詩”をたしなむ…などという学生などいるのだろうか。もちろんその頃だってずいぶん珍しい男だったが(ちなみにフランス人の男子は思春期に一度はハマるらしい…一応フラスン人から聞いた)。障子紙のようなものに朴訥な墨の筆でしたためられた彼の詩がなんとなく気になり頼み込んで貰い受け、オトナになるまで大切に持っていた。詩人・中原中也が好きだった彼は30代半ばでかわいい奥さんと小さな子どもを残して急逝する。遠方だったため葬儀には間に合わず後日自宅に焼香に伺ったさい、共通の友人でもあった彼の奥さんに渡すべく、大学時代に彼が書いたその詩の紙片を持参した。和紙は十数年の時を経て少々黄ばんではいたが二十歳前後のピュアな感性は色あせずそこに刻まれていた。僕は“ゆきむし”というモノも言葉も彼の詩を読むまで知らなかった。北国の言葉らしいのでどちらかというとあたたかい地方の彼よりも僕の方が知っていてもよさそうだったのに。
今日“雪虫”を見た。そしてたぶん毎年その季節になると彼のことを思い出す。
そんな思い出に浸らずともたしかにこの季節はどこかセツナイ。しかし最近ハマってる養老先生にかかるとこの手の感情…例えば愛とか恋とかも全て身もフタもない話になってしまう。恋はビョーキと看破する。結婚すれば治るんだと…それができれば皆さん苦労はないのだが、どうも医者はとりあえずなんでも治療したがるってことらしい。そのままでもいいのに。[recently books]「脳と魂」対談/養老孟司+玄侑宗久
2日で戻るつもりがやはりムリか…結局3日間留守にして山麓に戻る。いつものことだが標高にして1000M近い移動は気温差ありすぎ!特に7日の都内はこの季節にしては異常なぬるさでありT-シャツでも過ごせそうな(事実皮下脂肪の多そうな人はそうしていた)陽気で季節感絶対オカシイ。それでも山麓はきっちりと寒く、秋の深まりは確実。さてミラボオ1周年記念展に急遽組み込まれた3日間だけの特別展、初日たくさんの方々にお見えいただき感謝です。3月までには課題も山積みですがなんとかしなきゃね。
さて[recently books]をこのところアップしてこなかったのでここでまとめて。これは自分のために記録を残してます。読んだ本のタイトルを忘れちゃう)「薬指の標本」小川洋子/「伏 贋作・里見八犬伝」桜庭一樹/「裏閻魔」中村ふみ/「男女(オスメス)の怪」養老猛+阿川佐和子/「人形作家」四谷シモン/「私と直感と宇宙人」横尾忠則/「百億の昼と千億の夜」光瀬龍/「百寺巡礼・奈良編」五木寛之/「仏教が好き!」河合隼雄+中沢新一…こんなところかな、やっぱりなんか忘れちゃってるのもあるような気がする。ま、そういう本はあまり身になってないんでしょうね。そんな中で気になる1冊は「仏教が好き!」河合隼雄+中沢新一。図書館読書週間企画10冊まで貸出しOK!ということでつい手に取ったもの。タイトルが軽い(装丁も、しりあがり寿でさらに軽い)のでホントに軽い仏教ブームに乗った啓発本みたいなのかなと思ってたらさにあらず。それなりに平易な雰囲気に編集されているようなのだがなにせ二人の智の巨人の対話集。宗教学・心理学の聞き慣れない専門用語がバシバシ飛び出し(なので注釈の量がハンパじゃない)僕のような凡夫にはちょっとキツい側面もアリ…なんだが、かれらが大まじめに語れば語るほどまたどこかユーモラスで(たぶんとても発想がユニークなんだと思う)ムツカシイんだけど引き込まれる。下ネタで恐縮ですが「釈尊と弟子のセックス問答集」の項目は笑える…というか古代インド人のそっち系の妄想力には唖然とします。仏陀も冷静に対応していたようですが本音は「おまえらエエカゲンニセェヨ!」ってことでしょう。とにかく今週のオススメ(来週があるかはわかりません)です。
今年の中秋の名月は六年ぶりに満月となったそうな。件の「長月十五夜観月会」開催中。祭壇はこんな感じ。団子はメレンゲ、御神酒は月兎の和製マッコリ+清酒「神楽坂」。四方神は九谷ヌーヴォーの招き猫で、ススキと吾亦紅は琉球泡盛久米仙の一升瓶に。いつしか升のお賽銭箱が勝手にととのえられ、さてさて善男善女何を月に願うのか…こころの果てを知るよしもがな。
*急遽開催となりましたオープニングパーティー、足を運んでいただいたみなさまありがとうございました。いつも素敵なお料理をOkumuraさんありがとう!
*recently reading:「伏」桜庭一樹/「復元・幻の大寺院〜新薬師寺の謎に挑む」NHK出版(いずれも図書館)「東京奇譚」村上春樹(再読)
与党党首もいよいよ変わる方向ですすんでるのですね(TVがないからおよその情報ですが)。折しも先日紹介した次男クンの主催する哲学カフェのテーマ「政治」もそういう意味では多少話題になるのだろうか。あらためて例のフライヤーにちりばめられている素材をみてみると「ミシマ」「バラ」「過激派分子」「怒濤波図」とサイケ(ちとボキャブラリー古い?)な色調…でどことなくラジカルな変革のニュアンスと時代にそぐわないレトロ感をネタにしています。つまるところ「革命的」なイメージが現代のマンネリ感あふれた政治劇を見せつけられた世代には反面教師的憧れのような、ちょっとイケテル感を覚えるのでしょう。世代的には親子ほど(オヤコだけど)年が離れてはいるものの全共闘時代に完全に乗り遅れた世代としてはそういった感覚は充分理解できます。「革命家で早死にしたヤツはモテるのさ…」とは司馬遼太郎の言葉ですが、事実こんな平和ボケしたような国でも坂本龍馬ファンは後を絶たないものね。まあそんな国を動かすような変革は容易くはありませんが、まずは向上心をもってささやかな自己変革などは試みたいものです。
*recently reading:「南の国のこどもが夜いくところ」恒川光太郎(図書館)「寂聴仏教塾」瀬戸内寂聴(図書館)