Jin Nakamura log

小丸

こまさんとよばれています。目の上の白いとこがなんかシベリアンハスキーっぽい。けっこう美人よ。

でもおてんばすぎなの、おこまさん…。

山塊

野辺山高原より八ヶ岳をのぞむ。稜線の向こう側には諏訪湖が見える…はず。我が家から車で2時間弱の距離であるが、この辺りまで来るとすでに南に霊峰富士がはっきりと見え、北に振り返れば、いつも威圧感をもって孤高にそびえて見える浅間も、頂を白く染めてどこか柔らかなオッパイみたいにはるか彼方にぽつねんと…ある。

天気がよければ東側には3000M級のアルプスの連山が確認できるわけで、まったく自分の住まうところはあらためて高地であるな。ひらけているのは南東のみ、関東平野に続いている。それだって奇岩奇峰の妙技山系をかいくぐって。

僕はこの八ヶ岳の風景が好きだ。できればこのあたりに住んでみたいとさえ思っているが(ホントは北アルプスの麓が第一希望)たしか高原の標高は1300Mを超えているはず。今のところが900Mくらいだから+400…空気薄いだろな、寒いだろな…。ちなみに「八ヶ岳」はいくつかの峰をもつ山塊の名称であり、その名を持つ単体の山は存在しない。

空気が薄く澄んでいるからと思うがここには世界最大・直径45Mの電波望遠鏡を有する国立天文台があるのだ。近くで見るとこれもかなりの威圧感。名前の通り肉眼ではなく電波をとらえて観測するわけだから、なんか感じる世界っていうかさ、科学なんだろうけどカカグを超えちゃってるような。ここに来るといつも「ムーミン谷の彗星」をなんとなく連想しちゃいます。あの威容を誇るパラボラの下で浮世離れした変質的な科学者たちが日々星の動きを意味もなく記録していく…みたいなイメージ(イメージです…あくまでも)ね。

あ、なんでこんなとこまででかけたかというと県境を超えて山梨側すぐあたりにある安達原玄・仏画美術館、どんなとこかと思い行ってきたのです。安達原先生は84才のおばあちゃんでした。巨大曼荼羅は17年かけて制作したとのこと。

4日目。

collage de sun-ga-nichi…三賀日が過ぎたというのにまだやっているわけです。昨年末のグループ展以来始めてしまったコラージュシリーズ。どうせ手すさびの戯れ言。あたりまえだが誰に請われたわけでもなく、だからナニ…というほどのモノなれば、そんな行為自体に特段の意味も求めず、ただただそれが日常にならぬかととりあえずA4サイズパネル100点をめざして。今年中にできるだろうか…3日に一作は案外ハードル高いかな…。ま、やってみますかね。ちなみにこの4日間、帰省中のHARUクンがつきあってくれて夜な夜な。ふたりして「なんでこんなことやってんだろねぇ…」「でもなんかたのしいねぇ…」

こんな感じで今年もいろいろ生み出してゆくんでしょうな。

2012 last sunset


なんとなく、ホントなんとなく「言葉」から少しだけ遠ざかってみようかななどと柄にもなくふと思い数週間。まるで回遊魚の如くword surfingをしてないと落ち着かないくせに…なので一旦logの波から離れてしまうとなかなか戻る波のきっかけを失ってしまったりするのはよくあること。こんなふうにしばらく留守にすると「ダイジョブか…入院か…」などと以前はそんな問い合わせもあったものだが特に体調に問題はない。ただ山麓はひたすら寒い。すでに深夜の−10℃は驚嘆に値せず、早朝−2℃くらいだと「今日はちょっと暖かいね〜」などとつぶやく始末。年齢のわりに皮下脂肪がたくさんある体質ではないがカラダというものはそれなりに順応するものなのだ。
夕暮れ散歩はできるだけしている。キレイな夕景を見たいがために日没30分前を見計らって家を出る。都会の空が狭いのはあたりまえだが実は田舎だってそうなのだ。ビルのかわりに木が高い。別に草原に住んでいるわけではないのでいつも広い空を眺めてるわけでもない。あれほど間近でそびえる浅間だってほとんど見ずに過ごすことの方が多いくらいだ。なので歩くのはもっぱら広大なレタス畑と決めている。iPoneからはKeith Jarrett/The Köln Concertヘビロテで。今年なにげに入った京都のカフェのBGMで30年ぶりに耳にして以来ライブラリーに入れている。たまたまドイツで録音されてしまった神懸かり的な旋律はその時の風景によくあうのだ。

僕は一応アタマでは地動説を理解してるのでこの時期太陽が南西に(八ヶ岳)に沈んでいく様子を眺めながら、これって自分が後ろ向きにまわっているのか…などと実感できない想像をしてみたりしている。

空は晴れてりゃいいってもんでもない。たなびく雲が夕日に染まるのは美しいし、重なる雲間からレンブラント光線が見えたりするのもいいもんだ。でも曇り過ぎもダメ。青空が閉ざされるのはやはり重苦しい。「見上げればつまらなき空神の留守」…そんな初冬もありました。その反動で「まつろはぬカミでみちたりカンナヅキ」
アートも最近美しくないものには全く興味をそそられなくなっている。美しさや心地よさは、芸術の本質とは全く無関係と説いたかの岡本爆発太郎氏には一笑に付されそうだが、そういう気分なんだからいたしかた無し。ソラがきれいだなと思えるような感覚であれば表現としてそれが風景でもヒトでも、抽象でも具象でも、エッチでも不道徳でも理不尽でもべつにかまわない…そんな程度のこと。ま、「美しさ」という命題に手を出すのはも少し先に延ばし年をまたぐことしよう。

そういえば最近ネコがきた。生後3ヶ月。ホント久方ぶりに家の中に子どもがいるような感じである。ヒトの子はお乳の匂いがするがね。さすがにそれはないが、みさかいないはしゃぎっぷりというかさ。その世話をケナゲにやいてる自分ていうかさ。

ともあれ2012はゆく。なにかと不思議な年であった。
明日からとりあえず何がかわるということもなかろう…と毎年そうおもうのだが、それでもナニカは起こっていくのだろうね。よき年に。

以上結局コトバのRebound…。