2012 last sunset
- By jin
- In landscape
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- On 31 12月 | '2012
なんとなく、ホントなんとなく「言葉」から少しだけ遠ざかってみようかななどと柄にもなくふと思い数週間。まるで回遊魚の如くword surfingをしてないと落ち着かないくせに…なので一旦logの波から離れてしまうとなかなか戻る波のきっかけを失ってしまったりするのはよくあること。こんなふうにしばらく留守にすると「ダイジョブか…入院か…」などと以前はそんな問い合わせもあったものだが特に体調に問題はない。ただ山麓はひたすら寒い。すでに深夜の−10℃は驚嘆に値せず、早朝−2℃くらいだと「今日はちょっと暖かいね〜」などとつぶやく始末。年齢のわりに皮下脂肪がたくさんある体質ではないがカラダというものはそれなりに順応するものなのだ。
夕暮れ散歩はできるだけしている。キレイな夕景を見たいがために日没30分前を見計らって家を出る。都会の空が狭いのはあたりまえだが実は田舎だってそうなのだ。ビルのかわりに木が高い。別に草原に住んでいるわけではないのでいつも広い空を眺めてるわけでもない。あれほど間近でそびえる浅間だってほとんど見ずに過ごすことの方が多いくらいだ。なので歩くのはもっぱら広大なレタス畑と決めている。iPoneからはKeith Jarrett/The Köln Concertヘビロテで。今年なにげに入った京都のカフェのBGMで30年ぶりに耳にして以来ライブラリーに入れている。たまたまドイツで録音されてしまった神懸かり的な旋律はその時の風景によくあうのだ。
空は晴れてりゃいいってもんでもない。たなびく雲が夕日に染まるのは美しいし、重なる雲間からレンブラント光線が見えたりするのもいいもんだ。でも曇り過ぎもダメ。青空が閉ざされるのはやはり重苦しい。「見上げればつまらなき空神の留守」…そんな初冬もありました。その反動で「まつろはぬカミでみちたりカンナヅキ」
アートも最近美しくないものには全く興味をそそられなくなっている。美しさや心地よさは、芸術の本質とは全く無関係と説いたかの岡本爆発太郎氏には一笑に付されそうだが、そういう気分なんだからいたしかた無し。ソラがきれいだなと思えるような感覚であれば表現としてそれが風景でもヒトでも、抽象でも具象でも、エッチでも不道徳でも理不尽でもべつにかまわない…そんな程度のこと。ま、「美しさ」という命題に手を出すのはも少し先に延ばし年をまたぐことしよう。
そういえば最近ネコがきた。生後3ヶ月。ホント久方ぶりに家の中に子どもがいるような感じである。ヒトの子はお乳の匂いがするがね。さすがにそれはないが、みさかいないはしゃぎっぷりというかさ。その世話をケナゲにやいてる自分ていうかさ。
ともあれ2012はゆく。なにかと不思議な年であった。
明日からとりあえず何がかわるということもなかろう…と毎年そうおもうのだが、それでもナニカは起こっていくのだろうね。よき年に。
以上結局コトバのRebound…。