Jin Nakamura log

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近況

グループ展を含むとはいえ2つの展覧会が1日と空かず続くというのはやはりあまりよいことではない(もちろん自ら望んでフィックスしたわけではいが)。おかげで絞り出すように生まれてきた自分でも興味深いモノはあったが多少のリクスも同時に。元来ナマケモノなので久しぶりに“努力”というものをちょっとしたような気もするがペースが乱れるのも困りもの。昨日やっと後半展のブツ梱包・発送を済ませる。展示台も含めて13個口…こんな量送ったの初めて。

さて諸々の準備等で告知が送れていた「美場テラソ」。今年度も始動します。アートファンには今回も魅力的なラインアップとなっております。以下一覧にて紹介。

6/4(土)銅版画に挑戦…(講師:吉村正美/版画家)
へこんだ部分にインクをつめてプレスして刷る凹版技法の版画講座です。今回は銅板をエッチング(腐食)して製版する本格技法に挑戦します。
7/16(土)ロウ画という技法で絵を描いてみよう!…(講師:山中克子/ろう(パラフィン)画家)
ろう(パラフィン/ろうそくのロウ)の水をはじく性質を利用して水性絵の具と併用し不思議な絵をつくります。今回のテーマはLOVE。しあわせやうれしい気持ちなど表現しましょう。
9/3(土)木版リトグラフ講座…(講師:梅田明雄/梅田版画工房摺り師)
平らな版画。版を彫るのでもなく引っ掻くのでもなく水と油の反発する性質を利用するこの方法では手描きのような版画を刷ることが可能。前回の木版リトをさらに発展させた講座です。
11/5(土)リトグラフ—植物を使って…(講師:近藤英樹/版画家)
身近な植物を採集して版に転写。その痕跡をリトグラフ(版画)として紙に刷りとります。植物の形はどんなイメージをつくるでしょうか?
2012  1/21(土)ダンボールで動物お面を作ろう!…(講師:本濃研太/彫刻家)
話題のダンボールアーティスト本濃独自の手法を伝授!? 身近にあるダンボールを使ってあなたのアイデアで不思議な動物のお面を作りましょう。
3/17(土)羊毛のフエルト化—平面から立体を作る…(講師:佐藤比南子/羊毛造形作家)
段ボール片に羊毛を巻きつけ、フェルト化(長さ90ミリ、直径20ミクロンの繊維を洗剤入りの湯を振りかけ揉んでフェルト化)します。中身の段ボールを取り出して立体へと固めていきます。

silkscreen

「観月紀」「海幸講」2点のデジタルプリント作品最終工程、シルクスクリーンによる透明インクのコーティング作業。MOAB EDITIONにて。機械刷りのプリント工程を初めて見学。いつも思うことだが、やはり職人の手さばきは小気味がよい。

晩春冠雪

室温26℃。真夏並みの回転音をあげていたG5の冷却ファン。なまぬるくなったアルミの筐体の上にCoolishをのせてちょうどいいやと食べごろにしてた数日前。うってかわって昨夜の平地の雨は浅間の冠雪となった。北アルプスでは一旦消えた爺が岳の雪形が再び現れたとローカルニュースが伝える。短期間に気温差が激しすぎる。

さて、かかりきりだった「LABEL match ART」展用デジタルプリントデータ「海幸講」は午前中にやっとMOAB EDITIONに入稿。これで新作リトグラフも含めて外注分はすべて受け渡した。近日中にこれら新作の画像をサイト公開したい。

さてさて、Maia Hirasawa /Boom!+藤澤ノリマサ/希望の歌〜交響曲第九番〜をiTunes storeで購入。Boom!はJR九州/祝!九州キャンペーンCMソングだったのね。最近アーティストとメロディーが一致。“第九”はひとりでどうやってこの発声を歌いわけてるのかな…気になる。それにしても日本人は“第九”が好きだな。

Lucky Cat

5/25〜31「九谷ヌーボー」主役クンの画像。キャトグラファー・板東寛司氏撮影。新作の上絵転写・銅版転写の蕎麦猪口を含む作品はすべて板東氏に託す。写真作品は高さ50cmほどあるが、追加製作した「なんど猫」は九谷から会場に直送とのことでまだ会っていない。仕上がりが楽しみ。引き続き丸善丸の内店で開催される「LABEL match ART 展」にスベリコミで入れようとデジタルプリントA1サイズ2点のデータ鋭意制作中。タイトルは「観月紀」「海幸講」おそらく。

moab-edition

Moabとは、アメリカ、ユタ州南東にある町の名前だそうだ。その名を冠したプリント工房・MOAB EDITIONに6月の展覧会用作品のデジタルプリントを依頼。21年間ロスアンジェルスでシルクスクリーンの摺り師として活動されてきたが近年の急速な需要にともないデジタルプリントの技術も身につけて帰国。2年ほど前になんと我が家から車で10分もかからない浅間山麓にスタジオオープン。なんかアメリカのスタジオみたいで(みたことないけど)よいです。船便でこの機材全て運んで来たんだって…スゴイ!

生活の過剰

2011,5/11(水)〜17(火)銀座煉瓦画廊にて「東日本大震災の復興を祈年して〜画廊コレクション+10人の作家によるチャリティー展」に急遽参加。画廊コレクション版画作品と今回自主制作したwebサイトトップページ画像A2ポスター「命字系」を出展します。なおポスターは現在おぶせミュージアム+FLAT FILEでも復興支援の目的で取り扱っていただいてます。引き続きご協力いただければうれしいです。

以下に今回の煉瓦画廊のDMに添えられた芥川龍之介の言葉(4/7毎日新聞コラムより)を添付。

「芸術は生活の過剰だそうである…しかし人間を人間たらしめるものは生活の過剰である。僕らは人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ…過剰を大いなる花束に仕上げなければならぬ。」

「人間を人間たらしめる」営みは、震災で壊れた世界を少しづつ修復していくだろう…とコラムは結ぶ。

セツナサ

何年か前に車のラジオから流れてきてずっと気になっていた「朧月夜〜祈り」。いつかちゃんと聴きたいと思っていた。このアーティストの声は切なく、そして魅力的だ。ビジュアルがなんとなくダーティー(?)なので普段はあまり聴かないんだけど…(そいう理由もヘンだが)。

原曲の唱歌「おぼろ月夜」は北信濃出身の高野辰之が作詞している。「菜の花畑に入り日薄れ…」の歌詞は有名だが、2番を改めて聴くと高野の生まれ育った原風景への慕情がいたいほど伝わってくるようだ。「里わの火影(ほかげ)も、森の色も、田中の小路をたどる人も、蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、さながら霞める朧月夜」あれもこれも、ここもあそこも…と、ただただ子どものように言い連ねているだけだなのだが、そこがまた切ない。僕らにとってのふるさととはそのようなものだろう。そしてこの詩に描かれた風景は長野県飯山市に今でも実在する。ちなみに唱歌「ふるさと」も高野の感性が紡ぎだした作品。

COVER「朧月夜〜祈り」はバイオリンをベースに編曲されていて、これがまた泣かせる。「琴線にふれる」という言葉があるが弦楽器ってひとのココロをなんでこんなにざわつかせるのだろう。平安の御代に日本から遠く離れたふるさとをひたすら想い、鬼となった輩(やから)が「玄象」という大陸から渡った宝物の琵琶を盗んで羅生門で切なく奏でる…という古い話を思い出しながら自分の生み出すものに欠けているのはこの「切なさ」かもだな…などと考えている。芸風だからしかたないけど、でもいずれそんなものが少しでも醸し出されたらいいと思う。

桃山

blogで茶の湯や骨董の話を書いていたら「桃山」あたりのことが急に気になりだして、以前から気になっていた「へうげもの」…ついに手を出す。話題には上ってることは知っていたが、古田織部が主人公ってかなりマニアックだし、探して見つからなかったらお店の人に聞けばいいや…って思ってたらいきなりTSUTAYAのコミック本コーナー入口に特集で山積み。となりのONE PIECE平積みコーナーは理解できるが、古田織部がなんでこんなに一般的にフィーチャーされるのかな。高3のムスコもさすがに数ページで投げ出した。それが若者の正しい反応だと思う。ヤツがついて来れるのは「テルマエロマエ」か「聖・おにいさん」までだろう。「基礎知識がないと読めないのさと」と上から目線で揶揄すると「信長の黒人の側近名前を知っているか」と張り合ってきたので無視することにした。そうは言っても面白くなかったらイヤなのでお試しに2冊だけ買い、その後レンタルコーナーでこちらも以前から聞きたかった2004年に限定販売でリリースされた中島美嘉のミニアルバム「朧月夜〜祈り」を借りて帰る。

現代作家茶碗特集

表題の企画展(2011,8/17〜30 日本橋三越本店6F美術工芸サロン・アートスクエア)参加依頼あり。現代陶芸界で活躍される35名の諸先生方の末席に加えささせてもらう。しかもテーマは「茶碗」、だいじょうぶかな…。チト不安もあるが楽しみなお題でもある。

以前岐阜の画廊から僕のサイトをみて展覧会のオファーをいただいたことがあった。どうやら“エセ古伊万里的芸風”が大層気に入ってもらったらしい。わざわざ長野まで出向いていただき、初対面の折りいろいろ話を伺っているとオーナーは業界ではかなり名を馳せた骨董商であり、また茶人でもあった。一時は国の無形文化財有資格者でもあった高名な陶芸家・加藤唐九郎を招いた茶会なども主催した御仁であるという。加藤の名と茶会と聞いて一冊の本を思い出した。季刊「銀花」61号・特集◎唐九郎のいる茶会(1985刊)。この特集記事に青年時代の画廊主が唐九郎と席を同じくしている写真が載っている。そしてたまたま僕はその本を持っていた。岐阜は茶の盛んな場所である、加えてオーナーもかような茶人である…さらに中途半端に茶の湯にも興味もあり…で、無謀にも(今思うと汗)個展用の作品のなかにいつくか「茶碗(少なくとも本人はそう思って作った)」を入れて岐阜に発送したのだ。

結局それらの“茶碗のようなモノ”はすべてバックヤードにしまわれ会期中展示されることはなかった。「呑み終わったあとの見込みの景色が美しくない」というのが理由だったと記憶している。朝鮮半島で日常雑器として焼かれていた「井戸茶碗」の如きを茶人は「わび」の美意識をもって見立てる世界。少々乱暴な言い方をすれば、どんなモノでも凹んでさえいれば多少のことは目をつむって後は茶人なる方々がなんとか見立ててくれるのだろう…などと思っていたフシがあったかもしれない。

ナカムラくんは「茶碗」なんかつくらなくていいよ…と言われ、その場で主(あるじ)自らの手で李朝の平茶碗にてさらっと立ててもらい、僕は無作法なしぐさでお茶をいただいた。5年前の話である。

さて、ホンモノの茶人に「つくらなくていいよ…」と言われたが依頼が来てしまったのだから仕方がない。あれから5年が経った。この件に関してなんの進歩があったかと問われればまったく心もとない。とりあえず「見込み」らしきものはつくろう。あとはやっぱりつくりたいようにつくろうと思う。そして恥をかいたらまたそのとき考える。楽しみである。