Jin Nakamura log

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夏庭2

自分のような凡夫は終わりなき永久(とわ)の夏を成長し続けてるということで、それはすなわち限りない未熟ということで。成長という言葉が適当でないなら変成の方が遠からずというわけで…って、そんなロジックをコネクリ回すほどに「オマエはバカか」と言葉を越えた人種からは言われているようで。しかしそう言われてもかえってドキドキしてワクワクしてちょっと嬉しかったりするわけで。で、そこまでくると変成というよりも、もはや変態に近いんかもしれないが、それでも凡夫は凡夫ナリにこの長過ぎる夏の始まる以前の記憶を必死に思い起こそうとしているわけさ。

そこで気がついたんだが霧の中でつかめそうなモノをジタバタ手探りするよりも、さっさと背を向けて真逆の方向へ今まで通り進むってのもアリかと。自分に一番遠いものって自分のすぐ後ろにあったりするでしょ…「だって地球は丸いんだもん!」

と、言いつつもたまに我慢できずに振り向いちゃったりするかもだけど。

それで結局考えてもどうしようもないことは潔く思考停止。考え始めると“今”から離れるから。

ET

僕たちのカラダの中のナトリウムもカリウムもこの地球でできたものじゃないそうだ。血液中の鉄分なんかは太陽の8倍以上の大きな星の圧力や温度がないと生成できないらしい。そういう星が爆発して微塵になっていずれ地球も生まれ、そういった星屑(元素)の記憶をもって僕らも構成されているわけだ。だとすればちょっと飛躍した解釈をすればぼくらは根っからの地球人じゃないってことにならないか。僕ら自身も元をたどれば地球外生命体…ET。以上はブツ(物質・素材)の話。で、もしかしたらタマシイもそうした記憶(宇宙意識)をもってるのかも、忘れてるだけで。

僕は前世はニッポン贔屓の異邦人だったんじゃないかなってとこまでたぐり寄せてるんだけど、実はもっと先があるのかも…。

一過

6月の台風が過ぎ去ったあと、ソラの景色を仰ぐと自分は惑星に立ってるんだとあたりまえのことを実感する。道をゆけば折れ散らばった細かな枝や葉が昨夜来の突風で散乱しどことなくあたりは木々の体液のような匂いに充ちている。とくにモミやカラマツなどの針葉樹はその香りが強いようだ。以前山をよく知る友人が、一緒に黒姫を登ったとき疲弊した僕にモミの葉裏をこすって匂いを嗅ぐとミントのような香りがしてちょっとだけ気分がシャキっとなる…なんてことを教えてくれたことを思い出した。そんな彼もすでにこの惑星にはいない。台風の置きみやげでそんなことまで思い出すとは思わなかったのだが…。

untitled2012,6,15

すべてが必然と受け入れる気持ちも、あるがままにと自分を許していく想いも、人としての思考停止を意味するものではないのだろうな。迷いながら成長していく自由を与えられているのなら、身の回りに漂う不可視なヒントを感じながらすべて自分で決めていけばいい。そしてたぶんうまくいく。その結果が必然なんだと。

たしか似たようなことをボブディランが言ってたな…。わざわざ本からその一行を抜きだして部屋のどこかに貼っておいたはずなのに探してみたが見当たらない。やはりヒントはいつも身のまわりにあったんだ。ふと気付いてみたり、また忘れてしまったり…。何年も後にこうしてまたあらためて腑に落ちてみたり。いったい何をやっているのやら…。

願いと祈りのちがいがまだまだあいまいな自分にはかなり負荷のかかる宿題となるが、ま、それもいたしかたなし。

カラダに力がみなぎってるときはなかなかこうした想いにとどきにくいのかも。たとえば適当に不自由があったり、イタミを抱えていたりい、枯れていったりするのも悪くはないのかな…などと。

そういえば親鸞なども「南無阿弥陀仏」が真に正しい言葉なのか最後までわからなかったんじゃないだろうか。それでも信じ抜く覚悟のようなものは感じる。ただそうでないものにとって結局言葉やアイテムにたよるのはリスクがありそうだ(でも仏画は描くけどね)。だからやはり自分のココロに誠実に寄り添うってことなのねー。

log2012,515

せつなさはまあいい…が、かなしいのはだめだ。と思っていたが、ただ最近そのせつなさも許容できる気力にさえ自信がなくなる瞬間がないでもない。四十而不惑とは論語より。その齢をとうに越えさらに何を迷っているのかと我が身を疑うが「五十 而知天命」と子曰くとも。この場合の「天命」とは「人間の力を超えた運命」ということらしい。それくらいになったら、それをわきまえろと言っている。ま、結局なるようにしかならんてことね。やはりそこに落ち着くか…。

ココロで絵を描く…(この表現が適切かどうかはわからんが)そんなタイプの作家を何人か知っている。それらはけして感情が極端にむき出しになってるというわけではない。むしろココロとカラダのバランスがうまくとれてるって感じかな。自分はどうだろうか、せつなさを受け止めながら人のチカラを越えた不思議も呑み込んで、それでカラカラ笑えるような絵を描けたら幸せだろうな。

今日、睡蓮鉢に水を張る。メダカを買いにいこう。