Jin Nakamura log

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The Bon festival

祖霊が帰る夏は終わった。正確な起源はあいまいながらも、一応盂蘭盆会に由来するとされるこのちょっとファンタジーな仏教的行事は今や大切な日本の風物詩となっているものの、それはなんとなくサンタクロースの実在を信じ、クリスマスケーキを楽しみとする習慣とさほどかわらぬ宗教観の希薄さを感じないでもない。図らずも今生の別れをとげてしまった愛する人らとの再会がかなうのらばそりゃあうれしい…うれしいが、そういうことだったのか「仏教」とも思う。

いかにも「仏教」と「死」のイメージは近い。刑事ドラマでは殺害された遺体のことを「ホトケさん」なんて言うし、「戒名」だって死んだ人がもらう名前だと普通はそう思うが、そもそもそんなもんお金で買うもんでもないっしょ。お経だって例えば有名な般若心経などあの276文字の中に死者を成仏させるような呪文は一切入ってない。宇宙的で魅力的な哲学書のはずなのにフツーにお葬式で読まれたりしているのは何故だ? お弔いの気持ちを揶揄しているのではない。そうした気持ちに寄りかかる奇妙な宗教観について考えているわけさ。…to be continued

あ、そういうわけで一ヶ月近く放っといたblog再開します。

智慧

知識のみをつかもうとしても結局必ず精神の学びに気づく…ということに気づき始めた、最近。

ただし動機は不純で良いだろう。その方が長続きする気がする、経験上。

まずはきっかけだからさ、そういう仕組みになっているようだ。

丸いズッキーニ

隣町に住む友人の女性アーティスト談。「地元のスーパーの見切り品コーナーにちょいちょい黄色の丸いズッキーニが並ぶの、長野の人って保守的ネー」

最近はそれほど珍しくもなくなったあのスカスカのキュウリみたいなズッキーニ、やっと見慣れた瓜科の野菜との見分けもつき、料理法もいくつか覚えたかと思ったら今度はアレが黄色でしかも丸くなってしまったというわけで、奥樣方もなかなか手が出ず売れ残り状態が続いている…ということらしい。要するに“見たこともないモノに弱い”という意味で保守的なんだそうだ。二人ともなまじアートとやらにかかわる作家なもんだから僕もついつい「ボクらはさ見たこともないもの作んなきゃいけないもんね、やっぱアーティストは丸いズッキーニだよねぇ…」みたいな飛躍した相づちなどを調子よく打ちながら、未知なるまんまる野菜を想像してみたが結局よくわかんなっかた。今度スーパーで確かめてみたい。そして見切り品売り場にでていたら安く買ってこようと思う。

ちなみに彼女は「ラファエロ展」にてイタリア原種のズッキーニの種を購入してきたとか(そんなもんがミュージアムショップで売られてるんだ)。実がなって若いうちはズッキーニとして食べられ更に熟すとカボチャになる…みたいなこと言ってた。ある意味ハイブリッドな野菜ではないか。ま、もともとカボチャ属らしいのであたりまえっちゃあたりまえのことかもだが、かといって本来のカボチャを若いうちに穫ってもズッキーニの味はしなそうなのでちょっと不公平かもとカボチャの肩をもつ…。

2013.7/1

気がつけば2013年も半年終了。油やプロジェクトもGWに今年度のOpenを迎えてから2ヶ月が過ぎ、僕がテナントで運営しているArt Project沙庭も今日で2企画が終了したことになる。この間一時はなし崩し的にログインできなくなってやめてたFBも諸兄のプレッシャーに負けて再開し、同時期に「沙庭」のサイトも開設の運びとなり、この自身のサイト[ride on graph]も入れると自分が管理発信するメディアを同時に3つ所有するハメになってしまったことになる。

というわけで、もともと言葉を紡ぐことが嫌いではないだけにそれぞれに向けて本気モードでキーボードを叩いていたら時間がいくらあっても足りない…と言う事態に陥っている。[FB/Jin NAkamura]と[ride on graph]は当然内容が重複する性格を持っているため、自然お手軽なFB更新の機会が増え、長く続けてきた当ブログの更新頻度が下がる…というのは自然の流れだろう。ただ滞っているのはそういう理由だけでもなさそうだ。突き詰めれば単に“忙しい”という一言で括ってしまえそうだが、それを言っては身もふたもない。根源的理由はどうあれとりあえず部屋が汚れている。これはよくない。多少乱雑でも今まではどこに何があるか概ねわかっていたものだが、今はいったん所在不明になったブツはかなりの超現実的な能力を駆使しないと再び出会うこと能わず。要するに知的整理が出来ていないのだ。バカになりつつああるということか…ま、それも悪くないかもだが、もう少しバランスはとりたいところ。

モノであふれるのはいいが創造的環境を逸脱するのはまずい。“混沌”にアソブの大好きだけど、カオスの真っただ中に秩序を見い出す冷静さと清らかさは併せ持ちたい。贅沢なのだ、そして欲張り…向上心があると言っとくれ。

そいうわけで仕事場の整理を始めた。もちろん完璧にはしないが。“よごし”は大事でしょ。

縄文

タイムマシンがあったら確実に過去に遡ってゆきたい。未来に興味がないわけではないがなぜだろう、自分の来し方への興味からかな。ポイントはいくつかあるが近い方から「江戸期」「平安末期〜鎌倉」「白鳳〜天平期」あたり。江戸期はやはり絢爛奇想たる絵師たちの技に触れたい想いがあるが、古い方はやはり日本バージョーンBuddhismの変遷とルーツを探りたい。加えて最近さらに遡り「縄文」のkey wordが浮上する。前々から原生林の列島を見てみたいとは思っていたが、この件が実現しそうである…といってももちろん実際に行くわけではないけれど。

2014年3月「縄文」をテーマにした展覧会の企画が正式に決まった。なんかすごいワクワクする。当時の日本(まだそういう名称ではなかったが)世界的な土器レース(そんな競技もなかったが)の先端を走っており、その間約1万年以上にわたりほとんど狩猟・採集による生活が維持されるという世界的にも類を見ない平和な時代が続いた。それだけこの列島が豊かであったということだ。

写真は僕の住まう御代田町面替という地籍の縄文遺跡発掘現場の風景。清流「湯川」沿いの高台に位置し西に八ヶ岳から北アルプス、北に浅間山という配置だ。現場識者の説明によると縄文人はロケーションのよいところに集落をつくる傾向があるという。湯川は現在この地点からは渓谷のように深いところにあるが1万年前は今よりも30M以上高いところを流れており、ちょいと下りれば新鮮なイワナなどgetできたことだろう(ちなみに昨夏僕はこの川でボウズであったが)。たしかに他にも長野県内たとえば縄文のビーナスなどで知られる「尖石遺跡」は八ヶ岳西側山麓地帯の大扇状地状にある高原に位置し遠く名勝諏訪湖を臨めるといったレイアウトである。想像するだけでも美しい風景ではないか。

やはりヒトは気持ちのイイとこで暮らさなきゃなんだな…。そしたら、かの「火焔土器」やら「遮光器土偶」やら、えも言われぬ想像力を自然のなかからフツーに得られるのかもね。どんなものができるかな、今から楽しみです。やっぱ自然のチカラをちょっと借りなきゃだなー。

ちなみにこの遺跡のすぐ脇に「大星神社」というすてきな名前のお社がある。地域の産土神社であると思われるがいったいどんな神さまをおまつりしてるのだろう…。

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Red rotation

10年以上そのままにしてたMTBのタイヤを替えてみた…しかも赤いの。とにかくモノゴコロついたときから赤あるいは朱は特別好き。かといって赤いシャツに赤いパンツ…なんて恥ずかしい嗜好は持ってない。幼少の頃、最初に手にした水彩絵の具で描いたモチーフは朱に塗られていた、たしか工場の大きな機械。その次に好きな色は青。キリスト教圏の宗教画では赤を天の聖愛、青を天の真実を象徴するという説もあり国旗もこの色の組合せが多いが、仏教Love!な僕は特にそうした理由とは無関係にこれらの色が好き。

それはさておき。自慢ではないが(ちょっとは自慢だが)僕は自転車を自分で組み立てることができる。10代のころはお金がなかったので捨てられてある自転車を拾ってきて分解しパーツを組み直して塗装などをして乗っていた。なのでパンク修理なんかもフツーにできる。ムスコちゃんなどが通学用の自転車がパンクしたりするとよく直してあげていたし、ついでに都度彼らにももれなく修理方法を伝授した。「女の子がさ、パンクしてこまってるときちょいちょいっと直してあげられらたら好感度アップだぜ〜」とかいいながら。なんか時代劇で鼻緒が切れてこまってるおネェさんの下駄を、自分の手拭を裂いてさらっと直してあげちゃうあのシーンのイメージである。なので我が家の素直な小僧たちもみなパンク修理ができる…が、最近、成人したヤツらに言われた、「そんなシチュエーションねぇし」

だよね〜。

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晩春の句会

日々はあわただしく、また時に切ないけどそんなとき思いを小さく言葉にまとめてみるのもなんかいいのさ。

天神の絵馬膨らみつ春日和

オッパイのかたちした山春霞み

せめてもの骨の太さやいぬふぐり

HAPPY

最初の一文は成長期の子どもでもなければまあ普通に納得できるだろうが、二文節目がスゴイな。智慧も無く学びも無いまま生き抜くにはこの世は過酷すぎる。しかもそれが永遠となればなお。“幸せ”についてはぼんやりと理解した…確かにそんな気はする。「行為が実を結ぶかどうかは、自分ではどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない…正しいと信じることを行いなさい」…希望は願い通りにならないことはよく知っているが、それでもすでに正しい方向に導かれていることも感じている。そしてやはりkeep on!

このこの声せつないねぇ。

♪どうせいつか終わる旅を僕といっしょに歌おう♪

FBのシェアよりみっけ。たまには役にたつな…

まったくその通りだと思うのです。今の自分の思いが正しい方向に向かっているような気がして少し安心した…し、勇気がわいた。

「明日、死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。幸せとは、あなたが考えることと、あなたが言うことと、あなたがすることの、調和が取れている状態である。 … 重要なのは行為そのものであって、結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分ではどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信じることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ、何の結果もないのだ。」(マハトマ・ガンディー:弁護士、政治指導者)

GW

終了しましたねGW。期間中お店番しつつも2度も長野高速往復(しかも一度は軽トラ)して石膏像運んだり、大机搬入したり…って、まあ我ながらよくヤルわ。とりあえず直感にしたがって行動してるわけだが概ねそれでよかったような気がする。詳細はちょくちょくFBにて記載。

さて油やプロジェクトではアートディレクション+NPO法人の理事などという成行き上大層な立場もあるわけだが、一テナントとしてArt Project 沙庭を差配することとなり、先に10年関わった年に一度のイベントとしての「境内アート」とはまた別物の、いわゆる固定された場を扱うという初めての経験も想像以上になかなかに面白い。2年目を迎え今だ育ち盛りで今後どんなカオスに向かってゆくのか本人もわからないなりに、出会いという手応えは確実にあるようだ。来るべき人はちゃんと来てくれる…みたいだよ。この1wで何人そんなひとにあったかな。すでにそこにいたのに気がつかなかったよ〜アンタ…なんてこともさ。

2013年度オープン一週間でなんとなく場づくりの方向性は見え始めたということで、今週あたりからはその空間の中で僕が何をしているか…みたいなことかなぁ。ただのお店番じゃまたつまんないもんね。ちょっとうごいてみますか。