THERMAE ROMAE
- By jin
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- On 6 10月 | '2010
見つけた、上野駅山手線2番ホーム階段下。「テルマエ・ロマエ」、長男と私とでそれぞれ同じもを購入していたという事実は最近発覚したばかりだ。
見つけた、上野駅山手線2番ホーム階段下。「テルマエ・ロマエ」、長男と私とでそれぞれ同じもを購入していたという事実は最近発覚したばかりだ。
今回の新聞コラムの仕事に関わる以前から「日本語」には興味をもっていて、そのきっかけとなったのが「日本流―なぜカナリヤは歌を忘れたか」松岡正剛・著。松岡氏はなんでも”編集” してしまうことで有名で、興味深い著作が多い。先日都内で一番蔵書量が多い書店を知人に尋ねたところ、丸善・丸の内本店が良かろうということになって「な〜んだ八重洲の反対側にこんなイイとこあったんだー」とうろうろしてると何かのメディアで見た記憶のある不思議な展示空間に迷い込み、それが松岡氏ががプロデュースするショップインショップであった。その名も「丸善×松岡正剛=松丸本舗」。氏の30年におよぶ編集的方法と読書世界が出会ったひとつの実験空間…ということらしい。他人の脳ミソのぞくような感じで、またそれを押し売りされているような気がしないでもなく、ちょっとよけいなお世話感もあるのだが一度くらいのぞいてみるのも悪くはない。そうは言いつつ1冊購入しちゃったんだが。装丁家・杉浦康平『かたち誕生』…なぜか中国語版。まあとにかく尋常ではない読書術の持ち主であるなぁ。僕はといえば最近「有頂天家族」森見登美彦・著(僕ら身近なファンはモリミーと読んでいる)の文庫本を発見したので購入し、ついに3度目の読破となった。
個展の準備はいつもながらギリギリ。仕事で受ける他の作家のみなさんのDMなどはきちんと早めに納品するのに、自分のはつい後手々で、主立ったところはやっと昨日発送したところ。それまで上絵の作業に約2週間以上、色絵マグを30数点+酒呑20点ほどに紋様を埋め尽くす日々。やっとのおもいで窯詰めした翌日は一日中指先のしびれが治まらなかった。その間World Cupでは代表チームに良くも悪くも高校球児のような姿をだぶらせ、遅々として進まなかった「ねじの回転」(恩田陸)もなんとか読破と相成った。さて、この「ねじ…」。「二・二六事件」を背景に時空を超えるお話だがこの手のものは必ずと言っていいほど「時間の入れ子」状態の取り扱い方がテーマというかプロットの1つの手法になるようだ。主人公が過去に遡って成した行為が物語りの始まる以前の設定にすでに重大な影響を持っている…という最終章のタネあかしはやはりこの物語りもはずせなかったらしい。それにしても以前にも書いたが構成が凝り過ぎで、また長すぎ。近代史も興味深い部分もあるが、連日筆を走らす緊張感とも相まってチト疲れたかな…。
文字を追うスピードが速くなった…というのは思い違いであったようだ。図書館にいくつかの本をリクエストしている間、また未読の本を探していて見つけた恩田陸・著「ねじの回転」がなかなかすすまない。確か2〜3年前に装丁が気になって購入したてそのままにしてたヤツ。「二・二六事件」を題材にした歴史SF小説なので、大好きな伝奇モノに近いのだが近代史はイマイチなのね。同テーマ題材だが宮部みゆき・著「蒲生邸事件」はわりとすんなり読めた記憶があるのだが…。陸氏はプロットが少々複雑なのかも。加えて同事件を忠実に再現(再生)していく構成になっているので途中々に史実として組み込まれる昭和初期特有(漢字+片仮名)の文語体がどうもなじめない。「ワレ…ニ達し…セリ」とか「諸子ノ…ハ国体顕現ノ…ニ認ム」とか。こうした戦時中の「ウチテシヤマム」的な軍隊調文体は歯切れはいいのだが、どうも美しくないような。ま、もうちょっと頑張ってみるけど。それよりこの物件は早めに済ませて実は森見登美彦氏の新刊「ペンギン・ハイウェイ」にいきたいのです。ペンギン画家のびわ氏はこの新刊ご存知だろうか…。
17年越しの大作。全4巻/原稿用紙2400枚分は約2週間ほどで読み終えている。最近活字を追うスピードが少しだけ早くなってきたような気がする。作者の作品は10年ほど前に読んだ「上弦の月を喰べる獅子」以来2作目…いや、陰陽師シリーズもちょぼちょぼかじってるか…あ、「黒塚」もそいうえば…ってまあ伝奇モノは大好きなので、けっこうハマるテーマはあるのか。ちなみに獏さん以外だとこの分野「竜の棺」高橋克彦、「産霊山秘録」半村良あたりは傑作。
さてくだんの「沙門空海…」。司馬先生の「…風景」を読んだかぎりでは小説化は困難かと思われたが、意外とあっさり「陰陽師」の清明と源博雅みたいなノリで空海と橘逸勢のコンビでキャラ立て完了な感じ。ちと拍子抜けなほど普通にフィクション化であった。高野聖の流伝効果以来、あまりに神格・伝説化されすぎてなかなかリアルなイメージが結べない密教八祖大阿闍梨の実像。”神”になっちゃうとなかなかキャスティングとか難しいでしょ、実写版とか特に。ふと思ったが、そういう意味では1970年代に制作・上演された、聖書を題材にイエス・キリストの最後の7日間を描いたロックミュージカル「Jesus Christ Superstar」などはよくぞやりきった感はある。ブロンド長髪・痩身男性であればおしなべてジーザス顔を連想してしまう異文化の僕らにとってはソコソコ楽しめた娯楽大作ではあったが、さてどうだろう。同じ(?)グローバルピープルとして「Legend of KUKAI」映像化はいかがなものか…。
空と海…って、すごい名前だなといつも思う。結局「空海の風景」下巻は見当たらなかったので図書館で借りた。上巻は文庫本だったので、上製本四六判がこんなに文字が大きく読みやすいものかと感心しきり。さて空海という天才…司馬ちゃん言うところの希代の「人類的存在」。その姿を文字で追うにつけ、”天才” とは単にそれぞれの分野の秀でた能力というよりは、常軌を逸した”努力”を平然とやってのけるチカラだと改めて感ずる。マイブーム”空と海”はしばらく治まる気配無し。次回貸し出し予定は「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」全4巻/夢枕獏・著。入唐後、かの大陸の地を舞台にした壮大なお話と思われるが、周到な考察に基づく「…風景」読破後なので予習は万全かと。
…という本はない。が、やはり平安時代を代表する2大巨僧の一人として「空海の風景」の中でもそれなりのページ数が割かれている。その段になるや、まるで「黒部の太陽」の”破砕帯” にでもブチあたった如く頁をめくる手も露骨に遅々となる。最澄はどうも”いいひと”のようだ。なので多くの高名な弟子も輩出している。でもやはり”いいひと”なのでゴメンナサイ…どうも面白くない。まあこれは自分の主観と言うより司馬ちゃんがそういう描き方をしてるのでしょうがないのだが。そこまで引き立て役にしなくても…というくらいの扱いに都の鬼門の守りの総本山もさぞや苦々しく思ってることだろう。比してなおさら空海という人のアクの強さというかカリスマ性を改めて感ずるものでもある。
というわけでやっと両巨頭、艱難辛苦を乗り越えて入唐した次第。読者は今まさに大陸長安のスケールのでかさをイメージに結んでいるところである。そのよりどころになるのがやはり漢詩ですね。漢詩の読み書きは必須と心得てるのだが、だれか教えてくれないかな。
最近図書館に行けてないので、何か読み残してる本はないかとあさっていたら見つけた文庫本「空海の風景・上巻」司馬遼太郎・著。空海は10代の頃から興味があった…というより当時密教に興味津々(きわめてサブカル系のノリ+横尾忠則ビジュアルの影響だけど)で、その体系をまとめた人物として「空海」という流れなんだが。久しぶりに読み進めてみると彼の青年期と現在マイブーム中の奈良時代がシンクロして、以前読んだときとは比べ物にならないくらに腑に落ちる。やはり本て”読むべき時期”ってあるかも。
ちなみに司馬ちゃん歴史小説の著作多いわけだが、毎回「アンタ絶対タイムマシン持ってたでしょ! 現場見てきたでしょ!」ってツッコミたくなるくらい当事者の会話などにリアリティーがあって感心するのだが、さすがに彼のマシンも700年代前半までは遡れるようなスペックはなかったらしく「…であったにちがいない。」「空海はおもった。あるいはおもったであろう。」「…とみることはゆるされる。」等々弱気な言葉尻が多用されていることに今回再読してみて気がついた。だからタイトルも「〜の風景」とあいまいなフンイキかもし出してるってわけね。ま、そんなこんなで上巻はそろそろ読み終える勢いなのだが、さて下巻はいずこに紛れ込んだものやら…。