Buddhism
- By jin
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- On 23 3月 | '2011
いい機会だからこれからしばらくBuddhismにハマることにする。とは言ってもこの件については波があり10代の頃に「ちょっとカッコよさげ…」という理由で密教と空海に興味を持った第1次マイブーム以来、概ね第4次くらいってとこかな。入口はなんといっても仏教美術。教義云々よりもそのビジュアル世界にまず引き込まれるわけだが、もともと言ってもわからぬ凡夫(おバカさんてこと)にその世界観を感覚的に納得させる有効な手段としてあったわけであろうから別に動機としてはけして不純ではないと心得る。
たまたま今回の震災以前から哲学者・梅原猛「日本仏教をゆく」を読み進めていたが、その中で聖徳太子以来先人の宗教者たちはそもそも学んだ先の中国や朝鮮諸国と比べても突出して多くの宗派分派を創り多様な方法論で「どう生きるか」を模索し続けてきたかを知るに至る。一定の伝統を有するものだけでも十三宗五十六派というから驚きだ(キリスト教もそのくらいあるのかな? カトリックとプロテスタントくらいしか知らないが…)。ただ残念なことにそのほとんどが江戸時代の檀家制度と明治の廃仏毀釈で壊滅的なダメージを受け、本来のポジティブシンキングな機能をほとんど失いかけている感は否めない。もちろん祖先を供養する気持ちは大切であるし、そこを否定する気もないが今回のような現代の末法の如き人智では如何ともしがたい事態に直面した時、やはり今を生きる人々の指針となってほしいものだ。星座占いでも高価な壷でもなく、そんなことで右往左往するのではなくてさ。さて今日から名著とされている英文対訳(もちろん日本語だけ読む)『禅と日本文化』鈴木大拙に挑戦。近代の宗教家の本は初めて。(to be continued.)