Date: 1月 19th, 2013
Cate: book, landscape
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明恵

「あきえ」ではない。「はるえ」でもない…だから女の子の名前ではない。「みょうえ」お坊さんの名前である。空海、親鸞、日蓮、西行…と、bow-san booksをなんとはなしに読んできたわけだが今回はこの方にハマりつつあり。とはいってもこのひと、日本的霊性が大きく活性化した鎌倉期にあって先に上げたbow-sansの内、親鸞、日蓮などは言うに及ばず法然、道元などなど名僧と言われる人々が名を残す中、特に新しい宗派を立ち上げたわけでもなく、現在に至るまで彼の教えを伝え続けるような一派が徒党を組んで残っているわけでもなさそう。でも先の“ナニかを成しとげちゃった”人たちとはまったくちがったタイプの人間的魅力の持ち主っぽいのよ。

樹上座禅像」なんかこのインパクトのない感じ、よいでしょ。普通頂相図などは威圧感・存在感をもって良しとするところだけれど、このひと履いてきたきたゲタをぬぎ捨て、二股に分かれた松林の木に座っちゃってます。お数珠もそのへんにひっかけて。あまりにも周囲と一体感ありすぎで、剃り上げた後頭部あたりから今にも栗鼠などのぼってきそう。

こんなこと言ってます「我は後世たすからんと云う者にあらず。ただ現世にあるべきようにあらんと云う者なり」。前半は当時一世を風靡していた浄土信仰とはとても遠いところにある言葉ですねぇ。後半もなんかチカラがぬけててイイ感じ。一宗一派を成さんともせず、大寺院を建てようともせず、特に弟子もいらないといい…それでも人を引きつけるなにかもってる不思議なオッチャン。

その不思議キャラを今に伝えてるのが「夢記(ゆめのき)」…

しばし彼の夢世界を探検してきます。

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