核電池
- By jin
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- On 13 12月 | '2010
「Atom Heart Mother」の由来について僕の素朴な疑問に対してコメントあり。その後少し調べてみたのだが、あるのねホントに「プルトニウム電池」。原子核崩壊の際に発生するエネルギーを電力に変換する原子力電池、だからあるいは核電池と言ってもいいのかな。なんか「Back to the Future」みたいだな。デロリアンの燃料もプルトニウムだったが、多分種類が違うのだろう。電池に使用されるプルトニウム238は放射線の管理が非常に簡単らしい。普通は分厚い鉛とかで遮蔽するところを紙一枚でもいいんだとか。確かに一度体内に埋め込んだペースメーカーに半永久的に電力を供給できるのだとしたら、患者さんにとっては電池交換の負担が大きく軽減されるということになるわけだ。それにしても健康であれば核の力など借りること無しに平均寿命80年前後、心収縮を繰り返し続けられるヒトのカラダってすごい。


「Love&Peace…かぶりモノは地球を救う!」 の旗印のもと、表記の会を立ち上げる(でっち上げる)こととした。呼応する者若干名。かような阿呆な集いは若干もあれば十分である。

怪しい会ではない。6月、梅雨前あたりに毎年その花を愛でながら、亭主心尽くしの料理などいただきつつ大人の会話を楽しむ会である。昨年は若干ハードルが上がり句会という趣向となったが(逃げたわけではないが都合がつかず自分は不参加)今年はまたいつものお気楽モードに戻る。それでも参加者のギャラリーオーナー発端の「連歌」の話題でひとしきり盛り上がるあたり大人の社交場的性格は健在か。「俳句」は我流もいいところだが嫌いではない…が、「連歌」となるとこれまた未知なる世界。その名からも想像はつくように、一定のルールに従い数人で句を詠み継ぐらしいのだが、前者の意図を読み解き、その心をおもんぱかってさらに後者につなげる「縮み」の世界はまさに日本人らしいアソビの文化と言うところか。興味はあるがかなり気を使いそうなのでしばらくは知識としてとどめ置くことにしたい。