1970年にピンクフロイドがリリースしたこのアルバムを僕らが初めて聴いたのは14才の頃。当時の日本の宣伝担当者がこのバンドをカテゴライズするために銘々したとされる「プログレッシブ・ロック」は僕ら地方都市の一部の中ボーたちの間でも色濃く席巻の気配をみせていた。シングルレコードでは表現しきれない長編をシンセサイザー等の最新テクノロジーを駆使して制作する芸術性の高いコンセプトアルバムが次々と発表されていった。アルバム1枚2000円前後。中学生にとってはけして安い買い物ではない。それでもあらゆる手段を駆使して僕らはそれらの難解で魅力的な音を聴き続けた。金も英語力も持っていない僕らは、大概は比較的裕福な友人宅に押し掛けてはイメージだけを研ぎすませて聴き込んだ。イメージと言えばジャンルは違うが同時期にリリースされたアルバム・ジョンレノン「イマジン」もやはり同様の手段で衝撃を持って聴いた。「何かをイメージしろ」と言っているところまでは理解はできたが、平和へのメッセージを込めた楽曲であるという意識はなかった。僕らの住んでいるところはあまりに退屈でフツーに平和な街だったし、ベトナム戦争も東西冷戦も授業では習っていたが14才の小僧には全くリアリティーがなかった。それでも僕らは背伸びをし続けながらもこうした音楽を健気に求めて続けていたような気がする。
でもあまり背伸びをし続けると疲れるのでフツーの歌謡曲もそれなりに聴いた。麻丘めぐみも天地真理も南沙織も皆にフツーに人気があった。僕は伊藤咲子の「ひまわり娘」や「木枯らしの二人」が好きだったが今はフツーのオバサンになったらしい。僕もフツーかどうかはわからないがオッサンになって、当時お金がなくて買えなかった「原子心母」をAmazon.co.jpで購入したり、「ひまわり娘」のかわりに「ヘビーローテーション」をヘビーローテーションで聴いたりしている。
ちなみに「原子心母」というアルバム名だが、届いたCDのライナーノーツをみると、原題「Atom Heart Mother」は「心臓に原子力のペースメーカーを埋め込んで生きながらえている、ある妊産婦の話」という新聞見出し(原子力のペースメーカーなんてあるのだろうか、SF?)が由来とあるが、そんなエピソードを全く無視した直訳的タイトルはコピーとしてはあまりにも意味不明でステキすぎる。僕はずっとエンタープライズとか空母かなんかのことだと思っていた。