Jin Nakamura log

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晩春冠雪

室温26℃。真夏並みの回転音をあげていたG5の冷却ファン。なまぬるくなったアルミの筐体の上にCoolishをのせてちょうどいいやと食べごろにしてた数日前。うってかわって昨夜の平地の雨は浅間の冠雪となった。北アルプスでは一旦消えた爺が岳の雪形が再び現れたとローカルニュースが伝える。短期間に気温差が激しすぎる。

さて、かかりきりだった「LABEL match ART」展用デジタルプリントデータ「海幸講」は午前中にやっとMOAB EDITIONに入稿。これで新作リトグラフも含めて外注分はすべて受け渡した。近日中にこれら新作の画像をサイト公開したい。

さてさて、Maia Hirasawa /Boom!+藤澤ノリマサ/希望の歌〜交響曲第九番〜をiTunes storeで購入。Boom!はJR九州/祝!九州キャンペーンCMソングだったのね。最近アーティストとメロディーが一致。“第九”はひとりでどうやってこの発声を歌いわけてるのかな…気になる。それにしても日本人は“第九”が好きだな。

セツナサ

何年か前に車のラジオから流れてきてずっと気になっていた「朧月夜〜祈り」。いつかちゃんと聴きたいと思っていた。このアーティストの声は切なく、そして魅力的だ。ビジュアルがなんとなくダーティー(?)なので普段はあまり聴かないんだけど…(そいう理由もヘンだが)。

原曲の唱歌「おぼろ月夜」は北信濃出身の高野辰之が作詞している。「菜の花畑に入り日薄れ…」の歌詞は有名だが、2番を改めて聴くと高野の生まれ育った原風景への慕情がいたいほど伝わってくるようだ。「里わの火影(ほかげ)も、森の色も、田中の小路をたどる人も、蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、さながら霞める朧月夜」あれもこれも、ここもあそこも…と、ただただ子どものように言い連ねているだけだなのだが、そこがまた切ない。僕らにとってのふるさととはそのようなものだろう。そしてこの詩に描かれた風景は長野県飯山市に今でも実在する。ちなみに唱歌「ふるさと」も高野の感性が紡ぎだした作品。

COVER「朧月夜〜祈り」はバイオリンをベースに編曲されていて、これがまた泣かせる。「琴線にふれる」という言葉があるが弦楽器ってひとのココロをなんでこんなにざわつかせるのだろう。平安の御代に日本から遠く離れたふるさとをひたすら想い、鬼となった輩(やから)が「玄象」という大陸から渡った宝物の琵琶を盗んで羅生門で切なく奏でる…という古い話を思い出しながら自分の生み出すものに欠けているのはこの「切なさ」かもだな…などと考えている。芸風だからしかたないけど、でもいずれそんなものが少しでも醸し出されたらいいと思う。

原子心母

1012121970年にピンクフロイドがリリースしたこのアルバムを僕らが初めて聴いたのは14才の頃。当時の日本の宣伝担当者がこのバンドをカテゴライズするために銘々したとされる「プログレッシブ・ロック」は僕ら地方都市の一部の中ボーたちの間でも色濃く席巻の気配をみせていた。シングルレコードでは表現しきれない長編をシンセサイザー等の最新テクノロジーを駆使して制作する芸術性の高いコンセプトアルバムが次々と発表されていった。アルバム1枚2000円前後。中学生にとってはけして安い買い物ではない。それでもあらゆる手段を駆使して僕らはそれらの難解で魅力的な音を聴き続けた。金も英語力も持っていない僕らは、大概は比較的裕福な友人宅に押し掛けてはイメージだけを研ぎすませて聴き込んだ。イメージと言えばジャンルは違うが同時期にリリースされたアルバム・ジョンレノン「イマジン」もやはり同様の手段で衝撃を持って聴いた。「何かをイメージしろ」と言っているところまでは理解はできたが、平和へのメッセージを込めた楽曲であるという意識はなかった。僕らの住んでいるところはあまりに退屈でフツーに平和な街だったし、ベトナム戦争も東西冷戦も授業では習っていたが14才の小僧には全くリアリティーがなかった。それでも僕らは背伸びをし続けながらもこうした音楽を健気に求めて続けていたような気がする。

でもあまり背伸びをし続けると疲れるのでフツーの歌謡曲もそれなりに聴いた。麻丘めぐみも天地真理も南沙織も皆にフツーに人気があった。僕は伊藤咲子の「ひまわり娘」や「木枯らしの二人」が好きだったが今はフツーのオバサンになったらしい。僕もフツーかどうかはわからないがオッサンになって、当時お金がなくて買えなかった「原子心母」をAmazon.co.jpで購入したり、「ひまわり娘」のかわりに「ヘビーローテーション」をヘビーローテーションで聴いたりしている。

ちなみに「原子心母」というアルバム名だが、届いたCDのライナーノーツをみると、原題「Atom Heart Mother」は「心臓に原子力のペースメーカーを埋め込んで生きながらえている、ある妊産婦の話」という新聞見出し(原子力のペースメーカーなんてあるのだろうか、SF?)が由来とあるが、そんなエピソードを全く無視した直訳的タイトルはコピーとしてはあまりにも意味不明でステキすぎる。僕はずっとエンタープライズとか空母かなんかのことだと思っていた。