初仕事
- By jin
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- On 3 1月 | '2011
中掃除をボチボチ継続中のなか、8日に大学時代の美術科同窓会(恐縮だが一度も顔を出したことがない…)で講演を依頼されているので準備にかかる。何度か丁重にお断りしたのだが結局引き受けてしまった。どうせたいして上手にしゃべれそうもないので今までかかわってきたアートプロジェクトの画像をプレゼンしながらなんとかやりすごうそうと思っている。パワーポイントというビジネスツールは全く使ったことがないので帰省中の大学生のムスコに制作を依頼した、が、大量の記録画像を整理・リサイズするのにかなり時間がかかりそうで難儀である。ま、それもいずれはやらねばならなかったことなので良い機会と思ってやります。
*講演に先立って会報に寄稿を依頼されたので以下に転記する。
「美」を語る人々
つい数年前にわずか一年も持たずに退陣に追い込まれた我が国のトップが、その施政方針で掲げた「美しい国づくり」という言葉を記憶している人はまだどのくらいいるのだろうか。前政権が「構造改革」をスローガンに、かなりごり押しの政治手腕を貫いたのに比して、この言葉にずいぶん新鮮な印象を持ったものだ。政治の話をするつもりはない。ただ自分の中では保守政党の党首がこうした「美しさ」というような感覚的な言葉を扱った記憶がなかった。そして不覚にも僕は彼と彼が導いてくれるはずだったこの国の未来にほんの少しだけ期待をしてしまったのだ。結果は誰もが周知の如くなのでこれ以上の揶揄は控えるが、そんなものに期待をした自分が阿呆だったのか、少なくとも美術を志す一人として「やはりソコ大事でしょ…」とこだわるのか、なんとなくそんなことを考えてみるきっかけにはなった。
話はぐっとローカルになるが長野県北部の小布施町に「美日常」というテーマを掲げて編集出版業を営む友人がいる。魅力的な企業経営をされている方々を紹介するような出版物が多く、一見かたそうな印象だが、その編集ベースにはまさに“日常を美しく生きる”という基本理念が結構大まじめに貫かれていて、この世知辛い世の中でなかなか大したものだと思っている。その彼がきっかけとなり小布施町で一番大きな禅寺で「境内アート」というアートフェスを現在一緒に手がけていて七年間継続中。当初20人程度の作家にオファーしてスタートした企画は今年はアート系・クラフト系合わせて150組の参加作家を迎え、二日間の来場者は一万人近くまでになっている。お寺の磁場力とアート好き・お祭り好きの小布施びとに支えられての成長だろうか。さすが、かの世界的アーティスト北斎が晩年80を過ぎて命がけで江戸から通い、それを受け入れた街である。少なからずそんな気風が現代にも受け継がれているような気がしないでもない。
こんな人もいる。同じ業界なのでご存知の方も多いかと思うが、赴任した先々の中学校を美術館にしてしまう企画「とがびアート・プロジェクト」「さくらびアート・プロジェクト」でおなじみのN先生。殺伐としたニュースが日常化する中、教育現場では心を育てるはずの芸術分野の授業時数が減らせれている現実。その事実に果敢に一人立ち向かう姿に多くのアーティストが呼応し毎年魅力的なプロジェクトを中学生らとともに成功させている。個人的には日本の美術教育会の至宝と評価したい。僕も昨年度彼の赴任校の校舎改築に伴うプロジェクトに参加の機会を与えられた。ローティーンの女生徒らとオッサン美術家のコラボはなかなかスリリングであったがよい経験をさせてもらったと感謝している。
さて参加作家の一人の企画。N先生を架空の「美術党」党首に見立て実際に市内各所にて白手袋タスキ掛けで街頭演説をしている(ふり)風景をポスターにし展示、校内にてやはり架空の政権放送を流す…というパロディーの試みがあった。当然マニフェストは芸術教育の重要性を説き、授業時数の確保を唱える一点のみ。折しも第45回衆議院議員総選挙を次週に控えたタイミング、僕は心から本当に立候補してほしいと思ったものだ。同時にこんな試みも。当事者の中学生が各政党宛に「美術教育の現状」について公開質問状を送り、その返答を原文のまま校内にインスタレーションをする。当時候補者を擁立していた政党のほとんどはその件について事実ポジティヴな回答をして来たのに対し、二党のみが無回答と表示されていた。そのうちの一つが前政権担当政党であったのは印象に残る。
美術家が政治の話をしたら胡散臭いだろうか。かたい仕事の人が美しさを語ったらヘンだろうか。況や政治家さんも美を語るべし。美術なんかでハラは膨らまないなどと揶揄することなかれ、心はとってもフクラムのだ。みんなで大まじめにアートを語ってみるのもまた一興。