Jin Nakamura log

その後、これから。

当日はたまたま打ち合せのため板東氏のFURONEKO ART HOUSEに向かう途中であった。上野駅到着寸前の山手線の中で異様な揺れを感じながらホームに滑り込み、ドアが開き降りた瞬間にそれが人為的なものとは全く無関係な恐ろしい力によるものだと実感した。以後都内の電車は数時間にわたり機能を失い、途方もない人数の人々が自分がいる現場からの徒歩以外の移動手段を失うことになる。幸い自分は目的地までの道程は心得ていたし、もちろん情報がなかったので事の深刻さも理解しないまま上野公園から芸大前、谷中界隈を抜けて板東宅へ向かったわけだが、街角の公園で身を寄せ合う不安げな表情の人々、店の中がぐちゃぐちゃになって呆然と座り込む店主、崩れた寺町の土壁…など歩き進むにつれて先ほどの揺れが残した爪痕が少しづつ肌で感じられ、いやな予感がつのっていった。結局この日、ギャラリー猫町のスタッフ+展示会期中の作家の方々らとともにそれぞれ家族知人の情報等を気にかけながら、また断続的な余震が続く中、不安な一夜を共にすることとなったが、遠く離れた地で現実に起きている信じられないような映像がTVから流れ続けるのを見るにつけ事態の深刻さをあらためて認識するに至る。その日のlogは全く通じない携帯電話・メールをあきらめて、比較的つながり易かったネット(ツイッターも役に立った)を利用しようと、板東氏宅のノートパソコンから自分のサイトにアクセスさせてもらって残したもの。ことが済んだら消去するつもりだったが、その日を忘れないために記録として残すことにする。一夜明け都内のメトロ等は概ね復旧したものの、長距離列車が東海道新幹線以外まったく機能せず、結局12日も夕方近くまで都内に足止め。その後ありがたいことに軽井沢方面に移動する板東氏の車に同乗させていただいて(上信越道方面は高速が通行可能だったので)20:00前後に帰宅となった。長野も北部県境にて誘発された地震のこともあり、ご心配をいただきましたがなんとか無事に落ち着いております。今回お世話になった方々にあらためて感謝申し上げますとともに被災された地域の一日でも早い復興を願うばかりです。いろいろな意味で、その後、これから…を考えてみたい。

top page arrow-right
Next post

arrow-left 情報公開
Previous post

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です