Jin Nakamura log

Folklore

民俗学…folkloreのアカデミックな位置づけについてなど確かに考えたこともないな。それって単なる民間伝承の採集…おばあちゃんの知恵袋的なモノ(ジジイに至ってはなにも伝えない?)…結局迷信…みたいなサ。原作者・大塚英志のあとがきを引用するなら「…いかに学門化しようとあがいてみてもはたされ得ないのは、その起源において始まりの民俗学者たちの私的な「妄想」にその本質を規定されているからであるとさえ僕は考える…」と。本編の狂言回し小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)のパトリキオス・レフカディオス・ヘルンという真実の名の由来・来し方を知るに至りそれは納得できるし、また健全な成り立ちだとも思うのだ。

舞台となっている明治あるいは維新というイメージに僕は全く好感を持っていない(折しもこの件は来る選挙にも影響するだろうな…て、それはさておき)。天下太平(これはスゴイことなの)徳川の御代の衝撃的終焉をみて後、そのトラウマを乗り越えようとアレルギーのような過剰反応で文明を開花させていく日ノ本。列強諸国に手習い近代化への弊害…それは本来は何者にもまつろわぬ奇しきモノだったはず…を克服せんと“血統”正しき神の御世をお祭り騒ぎのように成していく。そして“空腹”はまぎれたか…。

忘れ去られるはfolklore…、悲しきは“まつろわぬモノ”。一度ならずとも“カミ”と呼ばれたこともある傍系・異端のモノたちは何れ我が名の記憶もなくし“正統”の影に「かくり世」の門をとざされる。

将軍が好きか天皇をとるか…ということではない。明治に限らず統治者が代わればその御代に「あってはならないモノ」が封印され続けてきたわけで。時代に「必要なモノ」はあるだろうがあんまりお役にたちそうもないモノも根絶やしにしないでほしいな…と思うのですよ。そう考えると産業革命後の欧州から遠く亜細亜の島国に骨を埋めた八雲の足取りの必然も納得いくもの。もともとこのアキツ島にはそうした気配が豊かにあったわけだろうから。

ホントたまたま手に取った「八雲百怪」…しばしハマりそう。

Identified Flying Object arrow-right
Next post

arrow-left 東京都古書籍商業協同組合
Previous post

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です