Jin Nakamura log

Posts in the 俳句 category

晩春の句

「少年の花びら集めてなんとする」
たぶん4〜5年前に目撃した光景。少年は中学生で2人仲良く。桜通りの道ばたで大量に舞い落ちた桜の花びらをただただひたすら集めていました。車で通りすがりの5秒くらいの風景だったので、通り過ぎた後目撃した風景と少年たちの秘め事ストーリーを勝手に妄想してしまいました。おネエキャラの二人の少年たちが瞳をキラキラさせながら、「アハハハ…」なんていいながら、花びらにうずもれてみたり、かけあってみたり…なんて。ゴメンネ少年たち…。
「春野ゆく名もなき花などないものを」
大学時代につきあってた女の子が花の名前と星座の名前をとてもよく知っていて、なんかそういうのっていいなーと思っていたのです。自分はどちらかというと花と言えばたとえばヒマワリとチューリップ、星座ならせいぜいオリオン座…なんて類いだったので。でもそれってちょっとさびしいものですよね。フォーク・クルセダーズの名曲「戦争は知らない」の出だしが「♪野に咲く花の名前は知らない、だけど野に咲く花が好き…」で、けっこう好きだったけど、ホントにすきなモノ(ヒトでも)の名前はちゃんと知ってるよねってこの曲を聴くたびに思ったりもしました。
「バス停にナマ足4本春うらら」
これも車での通りすがりの風景。この時は2秒かな、桜舞散るバス停にて一瞬目に入ったミニスカの二人の女の子(なのでナマ足は4本)、春だな〜と思ったわけですよ。ゆるされるでしょ、オッチャンのこのくらいの視線。

仲春の句

今日などはかなり肌寒い一日でしたが、それでも仕事場のまわりは生々しい新緑に包まれてます。
というわけで季節はまさに晩春ですが投稿し忘れてた仲秋の句などを。
「すっぴんのガム噛むキミの春列車」
4月のアタマに京都から兵庫県を山陰本線で抜けて鳥取〜島根(出雲)にと初めて中国地方の日本海側を旅した時の一風景。長野から5回乗り換え、内ローカル線に2回。向かいの席に座り合わせた、たぶんジモティ女子高校生。犯罪ギリリギリな感じの(笑)観察の末つくっちゃた一句。かわいらしさと知性をあわせもって…しかもすっぴんで…って、状況を説明しょうとすればするほどなんかそんとき感じた爽やかさからどんどん遠ざかって、いやらしいオッサンっぽくなるのは何故? 
「春雨の音の届かぬ博物館」
この博物館は東博のことです。特に大きな企画展示ではなく、あえて人気の少ない常設展示の日に訪れてみました。実際にはその日は都内は春の大雪だったんですけど、静かに時間(歴史)が止まったような館内で昔人が今に残したブツをなにげに眺めていると、なんとなくこの世のさまざまな不思議を素直に受け入れい気分になるのでした。
「春光の反射かわして水のなか」
春になると毎年陶製の大きな睡蓮鉢に水を張ってヒメダカを放ちます。ヤツらの動きをみてると飽きないのだけれど光が反射して目にはさやかに見えねども…って感じです。川面でもそうですよね。キラキラ太陽光がまぶしく反射して水の中の世界が見えにくい。それをかわしてなんとなく垣間見える異世界がまたいとをかし…だったりするのです。

早春の句会・転送

「銀座猫春陽(はるひ)想ってあおぐ空」
後で考えてみたらこのシーンの画像写真、自分のブログで公開してました。今流行のフォト俳句みたいなもんです。もうほんとそのまんまです。
「高みから低きへ流る水の春」
雪でも氷でも水は水。冬の寒さの中、いままでかたくなにアスファルトの道にとどまっていた薄白いモノたちが、あたたかくなって浅間山麓の南向きのゆるやかな斜面をただただ重力にそって自分の足もとを、陽射しにキラキラと反射しながら流れ出す様を歩きながら見つめていたら、それが水の春なんだなと思いました。
「春雪と新幹線上のLet it be」
今年東京は4度の本格的な降雪があったとのこと。その内の1日の風景です。そんなこと初めてでしたがその日軽井沢から関東平野に出て結局東京駅まで新幹線の車窓からの風景が一度も途切れることなく白い世界。自分の中でちょっとだけ複雑な想いをもっての上京で、高速で移動する窓の外の白い風景をみながらiPodのイヤフォンから聴こえていたのがLet it be。「あるがままに…」そう言われたような気がして…さ。

ふと思いましたが、あまり解説したくない句ってのもありますねぇ…読んでくれる人は欲求不満でしょうけど。

晩冬の句

「しんしんと雪の音なりオノマトペ」
日本語は擬声語・擬態語の意のオノマトペがとても豊かな言語であるらしいですね。このフランス語の「オノマトペ」という語感自体も前から好きでつかってみました。「しんしんと」なんて僕ら日本人にとってはあたりまえすぎるような雪の降り積もる音ですが、素敵な表現ですよねぇ。
「底なしの 青空昼月 寒鴉かな」
冬の晴れてはいるんだけどちょっとくぐもったような青空に白い残像のような月、それを横切る鴉。ちょっとシュールな印象でした。主宰より「季重なり」というルール違反(昼の月(秋)と寒鴉(冬))を事前に指摘されておりましたが、考えてみたものの他にどうにも言いようがなく、おめこぼしを〜ということでそまま投句ということにさせていただきました。
「雪と青遠近法の道をゆく」
いつもの散歩ネタで恐縮ですが、僕の散歩コース・レタス畑は広大に土地が整理・区画されてるので冬の晴れた日などは浅間山に向かってまさに遠近法のごとく白い道が続きます。都内下町あたりの路地から路地へ抜ける散歩道も好きですが、思わず深呼吸したくなるような風景を歩くのも好きです。

仲冬・新年の句

今回は以下三句です。

「オリオンの臼にしか見えぬしじまかな」

「藝道の餓鬼となるかよ冬五十路」

「初の字というリセットの都合良し」

句会の皆さんのはかなりイイ感じのがあるのでホントは紹介したいですけどね〜。了解もとってないのでとりあえず自分のだけ。*写真は最近変えたケータイiPhoneで撮った浅間です。月に1度くらい同位置で定点観察しようかなと思ってます。1年後12枚並べてみたら面白いでしょ。

仁王

我が家のある山麓はかなりさむいところのはずなんだが、それにも増して今日の長野市も湿った空気がまとわりつくような冷え方…ということで、珍しく三賀日に国宝善光寺へ初詣など。そこで以下おすすめプチ情報/ここの参道仁王門の阿吽二体はかなりイケてる仏像として一目おいてるのです。幕末から明治期に活躍した高村光雲とその弟子・米原雲海の作だが、鎌倉期の至宝・東大寺南大門金剛力士像〜運慶・快慶…という比較連想についつなげてしまうのも決して大げさではない完成度。ふつう地域のお寺で睨みをきかす仁王さまはどこかキッチュというかオモシロ系なブツが多いのだが(それはそれで好きだけど)この二体は完璧な正統派です。特にお足もとがステキ…参拝記念に激写!

それはそうとあけましておめでとうございます。今年もボチボチ更新してきますね!

新年の一句。「詣で道キャラとなりしか不動尊」ご利益があるっていうんですけどね…シールだしなァ…。

初冬の句

初冬の句会。ナカムラの投句は以下三句です。

「さむ風に てぶくろの中 にぎるゆび」

「漆葉の 朽ちて深紅は 過去世こと」

「冬蠅の 傍若無人に 振る舞える」

いきなり解説を添えるのは野暮というもの。ネタばらしは後日1週間後くらいに。覚えていたら…

女性5名+男性2名のネット句会なのです。住まうところも遠く離れ、なので季節の感じ方もさまざま。詠み人の暮らす風景など想像をしながらメールで送られてくる17文字を読み解くのは楽しくもあり、ちょっとだけスリルもありますね。「想像する」というと聞こえはいいですが時として「妄想する」とも言えなくもない。もしかして本人にはまったくそんな気はなく詠んだ句にも妙な艶っぽさを感じてみたりして。半分くらいの人はお顔も知らないのに当句会の主宰のご縁でつながってるわけで、そんな方々にたった17文字とはいえココロの内を吐露する言霊を送るわけですからちょっと不思議な気分です。「俳句」という言語でつながる日本的でマニアアックで最小単位のSNSってところでしょうか。

日常

本来ならば1つのプロジェクトなどのめどが立てば一段落して、なんとなくフヌケた日常が戻って来たりするのだろうが今年に入ってなかなかそういったメリハリがみあたらない日々が続く。非日常と日常の区別がつかずなんか夢うつつの中をフワフワ漂ってるようで危険きわまりない。“旅を住処とす”というほどの放浪者でもないが、アートなんかをネタに右往左往してることには変わりはないようだ。そんな普通の日々を取り戻すためになるかどうか…何げない日々を言葉に切り取ってみる俳句なんかはやはりよいかもと思うのです。そんなわけで晩秋の句会、僕の投句は以下3句。今回はネタばらしも含めて。

「毬栗をけとばしてゆけ散歩みち」

今年は我が家の裏の山栗もナリがよく、肩を痛めた母がリハビリがてらがんばって拾ってきては皮を剥き、現在かなりの量の渋皮煮などが冷蔵庫に保存されています。揚句は散歩道で僕のした行為そのものです。ヤツらは素手で拾ったりするとホントに痛い。でも靴を履いていたらおもいっきり蹴飛ばしてもへっちゃらです。けっこう気持ちいいです。皆さん今度やってみてください(すでにやってる方もいらっしゃるようですが)。サッカー好きならみんなやるんじゃないかな…世界中で愛されているサッカーはたぶんそんなところから始まったんだと思います。ま、毬栗はけとばさないにしても石ころとかココナッツとか…地域によっていろいろね。

「冬隣り達観しているキミはねこ」

写真や絵画のモチーフなどでも猫だしてきちゃズルイでしょってのありますよね。わかってはいるんですがつい…。彼らはぜったい自分などよりオトナだと思います。でも猫になりたいとは思いません。もうしばらくは達観できないガキっぽい人間でがんばってみるつもりです。だけどそばにはいてほしいかな…。

「プリズムの赤を集めてアキアカネ」

夕焼けがなぜ赤やオレンジなのかという問いに対して、光の波長の説明にプリズムが使われてたような気がします。太陽が南中にある時より東西に傾いている時の方が若干自分からの距離が遠くなる(図で示すとわかりやすいんですが)ので波長の長い赤系の色のみが届くということです。アカネ色に染まる秋の夕空は美しいものです。でも空気がよごれていた方が実際にはより赤が映え、都会の夕焼けの方がきれいということになります。ということで元々は秋の夕焼けから連想した句でしたが、たしか他にも赤いモノあったよな…と、この時期我が家の周りで大量にブンブンしているアキアカネにその色をだぶらせて登場いただきました。でも実際にプリズム越しに赤とんぼをながめてみるのもいいかも。

西国紀行_6

ながらく続けてきました西の旅紀行の締めは京都タワー展望台から大阪・兵庫方面を望むの圖で。ツレのオネエさまのたっての希望(泊まったホテルでタダ券をもらったので、というのが真相)でのぼりました。茜色に暮れようとする西空につい昨日の友人たちとのあわただしいサヨナラを重ね合わせてチト感傷的…いわゆる祭りの後症候群(?)というところでしょうか。とはいいつつもやはり旅はよいものオツなもの。そのうち芭蕉翁にならって吟行などやってみたいものです。そういえば最近誘われて始めたまったくお金のかからないオトナの遊び「句会」仲秋の巻の僕の投句などをついでに…。

「秋風に 消えようとする 飛行雲」

「十六夜の 琥珀に進化 とどめけり」

「吾も亦 紅なり君の ほほ染めて」

そんな感じカナ。

冬となり?

たしか「冬隣り」は俳句の秋の季語だったような…。猫まみれの瀬戸から中央道を飛ばして4時間弱。なんとか25日中に帰ってくると部屋には石油ストーブに灯がともりトイレには旬の吾亦紅が一輪といった山麓900Mの風情。確実に秋は深まってます。そこで一句

吾も亦 紅なり君の ほほ染めて…

実はこの度、句会に参加することになったのです。初回は当季雑詠「秋」の季語使用というルール。なんかろまんちっくな句を詠んでみたくなったのさ…。

瀬戸の報告は後日。

*そう言えば最近よくひとからTwitterとかフェイスブックをやらないのですか?となかば強要に近いかたちで誘われることが多々あるけれど、どうせ文字数に限りがあるのなら制限17文字のHAIKU Twitter(HAIKU bookでもいいよ)なんかがあったらやってみてもいいかな…。