Jin Nakamura log

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晩春の句会

日々はあわただしく、また時に切ないけどそんなとき思いを小さく言葉にまとめてみるのもなんかいいのさ。

天神の絵馬膨らみつ春日和

オッパイのかたちした山春霞み

せめてもの骨の太さやいぬふぐり

HAPPY

最初の一文は成長期の子どもでもなければまあ普通に納得できるだろうが、二文節目がスゴイな。智慧も無く学びも無いまま生き抜くにはこの世は過酷すぎる。しかもそれが永遠となればなお。“幸せ”についてはぼんやりと理解した…確かにそんな気はする。「行為が実を結ぶかどうかは、自分ではどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない…正しいと信じることを行いなさい」…希望は願い通りにならないことはよく知っているが、それでもすでに正しい方向に導かれていることも感じている。そしてやはりkeep on!

このこの声せつないねぇ。

♪どうせいつか終わる旅を僕といっしょに歌おう♪

FBのシェアよりみっけ。たまには役にたつな…

まったくその通りだと思うのです。今の自分の思いが正しい方向に向かっているような気がして少し安心した…し、勇気がわいた。

「明日、死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。幸せとは、あなたが考えることと、あなたが言うことと、あなたがすることの、調和が取れている状態である。 … 重要なのは行為そのものであって、結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分ではどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信じることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ、何の結果もないのだ。」(マハトマ・ガンディー:弁護士、政治指導者)

GW

終了しましたねGW。期間中お店番しつつも2度も長野高速往復(しかも一度は軽トラ)して石膏像運んだり、大机搬入したり…って、まあ我ながらよくヤルわ。とりあえず直感にしたがって行動してるわけだが概ねそれでよかったような気がする。詳細はちょくちょくFBにて記載。

さて油やプロジェクトではアートディレクション+NPO法人の理事などという成行き上大層な立場もあるわけだが、一テナントとしてArt Project 沙庭を差配することとなり、先に10年関わった年に一度のイベントとしての「境内アート」とはまた別物の、いわゆる固定された場を扱うという初めての経験も想像以上になかなかに面白い。2年目を迎え今だ育ち盛りで今後どんなカオスに向かってゆくのか本人もわからないなりに、出会いという手応えは確実にあるようだ。来るべき人はちゃんと来てくれる…みたいだよ。この1wで何人そんなひとにあったかな。すでにそこにいたのに気がつかなかったよ〜アンタ…なんてこともさ。

2013年度オープン一週間でなんとなく場づくりの方向性は見え始めたということで、今週あたりからはその空間の中で僕が何をしているか…みたいなことかなぁ。ただのお店番じゃまたつまんないもんね。ちょっとうごいてみますか。

untitled

僕の使用してるオープンソースのブログソフトウェアWordPressの投稿テンプレートにはタイトルを入力する枠があるが、特になにかのっぴきならない情報や提言を発信しようとしてるわけでもなく、また日々日常に毎回タイトルがつくような劇的な暮らしがそこにあるわけでもないので、本文以前にそこで留まることもしばしあり。ただそんなどうでもよいようなことにあえて大層なお題目をくっつけてみるのもまた面白くもある。

とは言っても僕ら作家はナニカシラ産み出したモノにほぼ必ず題名をつける習慣があるのでフツウの人よりは、そういうことに慣れているとも言える。ま、よほど困ったときは[untitled]かなんかになるのだが。

昨日の当logのタイトルはなんとなく「再開…」としたのだが、よくよく投稿履歴をみてみると10日ほどお留守にした程度であった。流れゆく日常を言葉として整理することに固枯渇していたのかも。いずれにしてもこの日記のようなモノは内容の深さなどよりも、とりあえず毎日記することに意味がある。一見意味のなかったような日常に大げさなタイトルをつけて今日一日生き抜いた感謝みたなものに昇華できればけっこう楽しいじゃない?…みたいなさ。

絵を描くこともいっしょだな、質より量。絶対量はセンスもアイディアも技術もすべて呑み込んで…なんて言ってるヒマがあったらツクルか…。